ロストアイ
忘れられたプロローグ
崩れかけた教会の中で独りの老人が長椅子に座っていた。長く生きることが出来たことを、神に感謝の祈りを捧げようとしているのだった。老人は自分の送った目まぐるしい生を思い返していた――、
――現代社会において、科学技術は飛躍的な進歩を遂げた。その技術先進国は主に大国が占めていたが、小国も連合を組み、対抗することとなった。
科学技術の進歩により、人々は益々便利な文明を築いていた。技術を競い、集められ完成された英知は、人類の最高の到達点であったかに思えた。
いつの時代も繰り返しだ。人は何か新しいものを発見すれば、それを実際に試して確認してみたいと考えてしまう生き物なのだろう。疑念が疑惑を生み、現実は残酷に彩られた。第五次世界大戦。結局、人々が追い求め辿り着いたのは、そんな結果であった。
理想や夢を追い求めていたはずなのに、気付けば技術は兵器へとなり替わっていた。
人々の役に立つ技術を研究していたはずなのに、役立つどころか、役立てるはずだった人々の命の灯をこの世から消し去っていった。
報復が報復を呼び。人類は絶滅するまで争うかに思われた。実際、滅亡寸前まで追い込まれていた。人口の減少により、世界的に人口増加していたころよりも世界は回らなくなってしまったからだ。
人類が絶滅の危機に瀕するにつれて、まともな情報など、もう、誰も知る由は無かった。唯一分かるのは、生き残った老人が語る、過去の与太話のみである。
ああ、地球はあんなに美しい星であったというのに、どうしてこれほどまでに薄汚く穢れてしまったのだろうか。あの頃は素晴らしかった。人々が活気づいて行き交う様子が遠い昔の夢であったかのよう――。
争いが争いを起こし、地形は変わり、国という組織は細胞ごと破壊しつくされようとしていた。指導者はいなくなり、生産者も、労働者も、何もかも無秩序に変わってしまった。
奪われるか奪うかの極限の状態で、生き残った人々はお互いを憎みあった。連鎖は止まることは無かった。
――はじまりは何であったか。確か、ちっぽけなプログラムが最初だったのかもしれない。幼子が老人から聞いた与太話だ。今となっては本当の話であったかどうかなど、老い先短い老人には分からなかった。
『――昔、人類が争う前は平和条約というものが暗黙の了解として存在していたんだ』
そんな遠い昔に存在したはずの平和条約とやらは、いつ機能したのだろうか。現在の惨状を見るに、儚く、脆い約束であったのだろうか……
『――けれど、それは文明が何度も滅び、神が存在した太古よりある約束だったんだ』
それほど、それほど昔の約束は、何故、破られてしまったのか。今では神に祈るようになった自分でさえ、守るべきものだと分かるというのに。
『――これは神の怒りなのかもしれないね。人々は何度も、そうして滅んで、新たに生を、文明を繰り返すのかもしれない』
その文明の終着点が今なのか。なんて残酷な時代に生を受けてしまったのだろうか。これほどまでに苦しい時代など、他に類をみないだろうとさえ思わされる惨状だ。
『――だから、ここで眠ると、決めたんだ。死んで、未来に行けば多少、マシな文明が築かれているかもしれないからね』
そうだ。あの老人は最期まで安らかな表情で逝ってしまったのだ。過去に一人の研究者だったという老人は、何があったのか、多くは語らなかったが、生涯を多くの者に、貴重な知識を与えて過ごし逝ったのだった。
『――私も年老いたということなのかな。最期になって、あれほど否定していた神に縋ることになるなんて。人生分からないものだね』
出会ったころから、不思議な人であった。最期を、この教会で過ごし、ここに埋まりたいと、そう言って微笑した穏やかな老人の顔が忘れられない。
『――そうだ。私の子どものことは、君に頼んだよ』
確か、その時は不安そうにしていたと思う。老人の手を握り、置いていかないでほしいと懇願した記憶がある。そんな私をよそに、老人は穏やかな微笑のままだった。
『――大丈夫。君ならきっと、あの子と仲のいい、友達になれるよ』
その言葉を最後に、老人が再び声を発することは無かった。何度呼びかけても、閉じてしまった目が開くことは無かった。絶望しか生まれない世界で、知っている限りで、唯一希望を捨てなかった老人が逝ってしまった――。
そこまでの記憶を想い出すと、気付けば外は夜であった。月明かりが差し込む寂れた教会。誰も居ないこの教会で、早朝から今まで、昔のことを想い返していたというのか。走馬灯の如く月日が過ぎ去っていったように思われた。
「――お迎えがきたようだ」
老人は独り、呟いた。あの人と同じ場所で逝きたかった。あの人に今の世界を見せたかった。あの世で、あの人に会えるだろうか。話したいことが、たくさんあるんだ。いや、あの人は未来に行くと言っていた。未来で会えるといいが。きっと、あの人はこんなちっぽけな世界の、ちっぽけな知人のことなど忘れているだろう。手に握りしめた杖が力を失くし、地に転がった。
……次第に視界がぼやけていく。もう、限界のようだ。
「――結局、友達には、なれなかったよ……リューシャン」
あの人の子どもとは、仲良くなんて出来なかった。あの人を奪った元凶なのだから。
――ごめんなさい。聞き分けの悪い子どもで。
――ごめんなさい。あなたの残したあの子を独りにしてしまって。
――ごめんなさい……ごめんなさい……
許しを請うように上を向き、崩れた天井の隙間に小さな花を見つけた。あの人も、こんな景色を見ていたのだろうか……。
――教会に月の淡い光が差し込む。先程まで姿を見せなかった蛍の光が老人を弔うかのように空間を舞っていた。静けさを厭うように、ただ、ただ、闇は光を求めるのだった――
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