彼処に咲く桜のように

足立韋護

迎春

 月日は流れ────六年後。


 黒のスーツ姿の誠司は戸井駅に降り立った。髪は美容室を利用しているため爽やかな印象で整えられ、新調したスーツは皺一つない。
 戸井駅は高校時代から何も変わってはいなかった。強いて挙げるなら、塗装の剥落が若干目立つようになったくらいだ。


「少しばかり早かったか」


 誠司は時計を眺めながら、鼻で軽くため息をついた。


 誠司の勤めるスーパーは以前誠司の住んでいた新戸井駅の近くにあるため、戸井駅で下車するのは毎年の墓参りの時くらいであった。
 誠司は時間を潰すために、懐かしく思いながら戸井高校周辺を散歩した。四月の太陽は午後五時を過ぎてもまだ沈むことはなかった。
 六年前の事件はすっかり忘れ去られ、休日を楽しげに過ごす親子連れが多く見られた。


「……幸せそうだ」




 その時、誠司の目の前を泣きじゃくった小学校低学年ほどの女の子が横切っていった。周囲に親らしき人物は見当たらない。
 青信号の横断歩道を渡ろうとした女の子に声をかけようとした時、右方向からかなりの速度のあるトラックが走ってきた。


「危ないっ!!」


 誠司は咄嗟に女の子の体を抱き、両脚の全筋肉を使って後方へと跳んだ。女の子を庇うようにしながら歩道に倒れこむ。間一髪のところでトラックから免れた女の子は、突然の出来事に絶句している。
 誠司は逃げ行くトラックを睨みつけながら、女の子を立たせた。


「大丈夫だったか? 怪我はないか?」


「う、う、うん……」


 誠司は片膝をついてしゃがみ、女の子の手の汚れをハンカチで拭き取った。新調したスーツはほつれ、汚れがついてしまったが、誠司は気にする様子はない。
 誠司は一緒に深呼吸してやり、女の子を落ち着かせた。


「名前は、言えるかな?」


「さな……きょ……」


 恥ずかしがっているのか、まだ混乱しているのか、声が小さいため聞き取れない。


「さなきょちゃん?」


「違うよ! さなだ、きょーこ!」


「真田京子ちゃんか、ごめんごめん。もしかして迷子なのかな?」


 京子は手をもじもじと弄りながら、泣きそうな顔で頷いた。


 このまま親探しで連れ回しては、親を見つけたときに連れ去りと思われかねんな。ここは素直に警察へ届けておくべきか。確か、戸井駅の近くに交番があったはずだ。


 誠司が難しげな顔で思案しているうちに、京子はまたも泣きべそをかきはじめた。誠司は焦りながらも自販機を指差した。


「京子ちゃん、何か飲みたいものあるかな。欲しいやつ、買ってあげようか」


「ほんと?」


「ああ、本当だよ」


「じゃあこのココア」


 誠司は自販機で購入したココアを取り出し、京子へと手渡した。


「わぁ! ありがとうおじちゃん!」


「おじ……。そんなに老けて見えるか……」


 肩を落としながら誠司は女の子を連れて戸井駅に戻り、交番に女の子を届けた。交番の中には焦った様子の髪の長い女性が警官と話をしている姿見えた。


「あ、ママ!」


「え、あ! 京子!」


 誠司のもとへ警官が歩み寄ってきた。


「連れ去りとかでは、なさそうですね」


「泣きながら歩いていて、車に轢かれそうになっていました。だから危険と判断してここへ連れてきたわけです」


「うんうん、なるほど。ご協力感謝します」


 警官は手短に礼を述べてから、駐在所へと入って行った。京子の母親が誠司へと頭を下げ、その場から立ち去ろうとしたとき、京子が誠司のもとへと走ってきた。
 誠司はしゃがみこむと、京子は顔を赤らめながら手を握ってきた。


「……ありがと。ココア、美味しかったよ」


 誠司は満面の笑みで京子の小さな手の甲に、手のひらを重ねる。


「次からは気をつけるんだよ。良いね」


「うんっ」


 顔を赤らめた京子は母親の元へと走っていく。
 母親に手を引かれて去っていく京子を見送ってから、戸井駅のほうへ向き直ると、何やらにやけている男女三人が立っていた。


「見ていたのか。お前ら……」


 誠司はすぐに無愛想な表情に戻り、太一、葵、咲へ視線を送りながら立ち上がる。

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