彼処に咲く桜のように

足立韋護

根付く心

 部屋の中央の台には、白い、バラバラになった何かが置かれていた。




 さくらは骨になっていた。




 係員の説明に従い、長方形の台の両側から長い箸を持った二人が骨を選んで、白い円柱型の骨壺に収めていく。誠司の番が回ってきた。骨の中でも一番に太い部分を選んだ。骨は軽く、今にも折れてしまいそうな気がした。


 すべて終わる頃には、空はすっかり橙色に変わっていた。火葬場の外に出てみると風は涼しく、程よい。春の季節がやってくることを告げているようだった。
 背後から千春に声をかけられた。


「今日は最後までありがとう」


「千春さん……」


「あとのことは私達に任せて。今日はゆっくり休んでね」


 そう言って手を握ってきた千春の後ろから、さくらの父親である浩が歩いてくる。相変わらずの仏頂面だがどこか憂いを帯びていた。


「墓の場所はまた後日、連絡する。戸井駅から近い場所にある。迷うことはないだろう」


「わかりました。それまで、連絡待っています」


 それだけ会話を交わすと、誠司は斎場から家へと帰ることにした。特に何を考えることもなく、帰りのバスに乗った。ただただ淡々とバスに揺られ、窓の外を眺めていた。


────なんとなく、見覚えのある風景が多くなってきたと感じていたその時、窓ガラスの向こうを誠司は凝視した。


 すぐさま降車ボタンを押してバスから下車した。視界の先には、つい先日までさくらが入院していた病院が見える。沈みかけの夕暮れが幾多ものガラス窓を赤く照らしている。
 誠司は先程の場所まで小走りで戻って行くが、そこにはもう何もなかった。


「見間違い……いや、奴は確かに」


 誠司が呟いた瞬間、強く横から腕を引っ張られた。視界が一気に暗くなる。屋根の低い住宅街の細道に連れ込まれたようだった。
 まず強く引いてくる左手を確認する。そしてその腕を伝っていくと、いつか見たような紺色のレインコートを着ている人間が、自分の前を歩いていた。余った右手には血のこびり付いた包丁を握っている。


 ああ……こいつは、さくらだけに飽き足らず俺までも殺すつもりか。


 誠司は抵抗することもなく近くの一戸建ての豪邸に連れ込まれた。表札には確かに『御影』と仰々しく掲げられていた。


「戸井の警察はどうやら無能な奴らばかりのようだな」


 玄関先で誠司が話しかけると誠司から手を離し、レインコートのフードを頭から取って振り向いた。
 痩せこけた頬、クマで黒ずんだ涙袋、眼鏡をかけていないせいで目つきまで悪くなっていた。


「家族はどうした。ここはお前の家なんだろう?」


「……いないよ」


「いない?」


「そんなことはどうだっていい」


「さくらだけじゃなく俺までも殺す気か」


 御影は強く下唇を噛み締めた。眉間に皺を寄せ、表情が更に険しくなる。


「やっぱり、死んだんだ……」


「そうだ。今日、骨になった。もうこの世界のどこを探してもいない」


 御影は両腕をだらりと下げ、誠司の足元へ包丁を放った。からんと渇いた音が玄関に虚しくこだまする。


「僕を殺してくれ」


「なに……?」


 御影の噛み締められた下唇からは、じわりと血が滲み出す。瞳からは涙が溢れていた。


「僕は……もう耐えられない。知らない人も、好きだった人も、憎かった人も殺して、そこに未来なんてなかった。結局最後に残ったのは、空っぽの心だけだった」


 誠司は黙って御影の独白を聞き続けた。


「何度も何度も死のうとした。首も、手首も、いざ切ろうとした瞬間に手が止まる。もう何もないのに、死んでるも同然なのに、自分の命だけは守ろうとしてるんだ。情けなくて仕方がないんだよ」


 その首筋と手首にはいくつもの傷跡があった。何度も刃を当て、諦めた様子が鮮明に浮かび上がるほどに痛ましく残っている。


「君がとにかく羨ましかった。全てが手に入っていく。友達も、恋人も、面白いほど簡単に手に入る。君が何をせずとも勝手に集まってきた。
 こんなのずるいじゃないか。不公平じゃないか。邪魔したくなるじゃないか。勉強と真面目しか取り柄のない僕には、そんな贅沢何にもなかった。僕と同じ人間なのにだ!」


 誠司はしゃがんで包丁を拾い上げた。特に何をするわけもなく、包丁にこびり付いた血を眺める。


「お前の気持ち……わからないでもない。世の中、不公平なことだらけだ。人を殺してしまったときの喪失感。自己嫌悪と他者嫌悪にまみれ、何もかもに絶望する。正直、死んでしまいたくなる」


「秋元、まさか君も……」


「だがそんな俺を、さくらは引っ張り上げてくれた。俺の全てと言ったって過言じゃないほど、大切だった。それをお前は奪った。奪ったんだよ。
 返してみろ、今ここで。お前の命と交換してさくらを返してみろ。さくらを返せぇえっ!」


 誠司は包丁を投げ捨て、ただただ圧倒されている御影に詰め寄った。


「できないだろう、あんな刃物じゃあ! さくらを生き返らせることなんて出来やしないだろうが!」


「僕は……」


「さくらに『幸せ』が何かを教えてもらった。共に過ごしていくうちにその心を学び、俺の心に根付いた。そして今度は、俺が人を幸せにすると約束した。
 死んで逃げようなんて甘い考えは捨てろ。多くの人を助けて幸せにできる手立てを考えろ。それが、さくらへの唯一無二の償いだ……!」


 御影の胸倉を掴み上げていた誠司は、しばらく鋭い眼光で見つめてから乱暴に突き放すと御影宅の玄関へと振り返る。


「さくらはお前を犯人とわかって黙っていた。俺はそれを尊重して通報はしないでおく。あとは好きにしろ。ただ、人を不幸にするようなマネをしてみろ。即刻通報してやる。じゃあな」


 御影がこの後どうするのかは俺にはわからない。このまま逃げ続けるのか、社会的な制裁を受けてから社会復帰するのか。
 ただ、何にせよ死ぬことだけは考えてほしくはない。

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