彼処に咲く桜のように

足立韋護

三月九日

────誠司は次の日、またその次の日もさくらの見舞いに訪れた。その度にさくらは手帳に何か書き込んでいて、誠司を見つけるとすぐさまベッドの中にしまう。
 誠司は特に気にすることもなく、学校での可笑しな出来事、バイト先での嫌な客のことなどの話題を尽きることなく持ち込む。その度にさくらは笑ってくれた。
 暇を見つけて来たさくらの父親と出くわすこともあったが、怒鳴られることはなかった。誠司は、自分が認めてもらえたのかどうかはわからなかったが、とにかく無用の争いをせずに済むことに安堵した。




 誠司が異変に気がついたのは、三月に入って八日経ったときだった。
 春休みに入った誠司がいつもより早い時間に病室に訪れると、さくらは慌てふためいた様子で両手を毛布の中へ隠した。


「誠司君、今日はずいぶん早いんだね」


「ああ、午後からすぐバイトだからな。それより……」


 毛布の中で両手をもぞもぞと動かしている。誠司はその明らかに不自然な動作を見下ろしてから、問いかけるようにさくらを見つめた。


「あ、これが気になるの?」


 毛布から取り出した手には白い粘着性のあるテープが巻き付けられていた。


「テーピング? なんでまた」


「……く、くっ付くと思わなくて、弄ってたら巻きついちゃって」


 それにしてはひっくり返ることなく綺麗に巻かれている。


「理由を話したくないなら無理に話さないでも良いが、嘘はつくなよ」


 テープを外すさくらの表情がみるみる暗くなっていく。思えば、今日は顔色もだいぶ優れない。誠司は短くため息をつきながら、椅子に座った。そしてさくらがこぼすように呟く。


「少し前からなんだけど、手にね、力が入らなくなってきたんだ。だからペンも満足に握れないの」


 さくらが毛布の中から取り出したものは、ペンと見慣れた手帳だった。


「医者には何か言われたか?」


 さくらは首を振る。担当医が話していたことは、まださくらに知らされていないようだった。医者もまだあえて黙っているのだろう。


「また、病院から出られない生活……」


「今度は俺もいるだろう?」


 さくらの顔がパッと明るくなった。誠司がいることでどうなるわけでもないことはわかっていたが、誠司もさくらもそれで良いのだと理解していた。
 二人とも誰かが近くにいるだけで、心が二倍にも三倍にも強くなれることを知っている。




────翌日、九日。さくらは集中治療室へ移動となった。


 何かの病気であることは確かだが、誠司は近親者という扱いではないため話を聞くことは憚られた。しかし集中治療室に移動したということは、重大な問題が今さくらの体の中にあるということだと理解できた。
 厳重な監視体制のもと遠間から見守ることしかできなかった。


 その翌日の十日から集中治療室への見舞いが許可され、消毒を行った後さくらのほうへと足を運んだ。
 誠司はあらかじめさくらの両親に許可を取っていたため、見舞いの際には母親の千春が付き添ってくれた。
 人工呼吸器を取り付けてあったが、あくまで補助的なものらしく外して会話ができるようだ。


「へへ、集中治療室は初めてだなあ」


 そう第一声を放ってきたさくらは、少しだけ痩せた顔でゆっくりと笑って見せた。
 一瞬、平気なのか? と考えた誠司だったがそんなわけはないとすぐに考えを改めた。だが深刻そうに話したところで、さくらの体調が良くなるわけでもない。


「最近はバイト三昧だ。大変だよ」


「良いなあ……。私もバイトしてみたかった」


 話し出すとさくらの声が思った以上にか細くなっていたことがわかった。一般の病室から集中治療室へ移動しただけで、これだけの変化が一度に起きるものなのかと、誠司は衝撃を受けた。


「だったら、早く治して俺と同じとこにバイトしに来ればいい。今なら上手く教えてやれる自信がある」


「あら、さくらそれ良いじゃないの〜!」


「……ふふ、楽しみ」


 面会時間が過ぎた。集中治療室の場合、面会時間が大幅に削られてしまう。五分ほどでさくらと別れ、千春と集中治療室から出てくることとなった。


「ありがとうね」


「千春さん……?」


「わざわざ、気遣って世間話してくれたでしょ。さくらもそっちのほうが安心すると思うから」


「そんな大したことじゃ……」


「自分の状況がおかしいことは、さくらが一番わかってるから」


「……はい」


 葉月と明日の待ち合わせの時間を決めて、誠司は病院を後にした。

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