彼処に咲く桜のように

足立韋護

十二月二十三日(二)

「じゃあ次は腕相撲大会ー! 勝ち抜きなー」


「腕相撲か」


「これなら秋元も知ってんだろ? な、秋元もやろうぜ!」


 神田が笑いながら肩を組んできた。腕力には自信がある。しかし、日頃鍛えている運動部の神田に勝てる気がしなかった。


「誠司、がんばっ!」


 咲の応援を背に、誠司はまず神田と小さなテーブルの対面に立った。互いの手を掴み、レフリーの宮下がその上に手を置いた。


「いくよ? レディ……ゴーッ!」


 互いの手を握りしめ合いながら腕の使える筋肉を全て使う。息が止まり、自然に腹筋と表情筋が強張る。素早く息を吐いてはすぐ吸い、また止めて力を腕に集中した。
 手の甲を机に激しく叩きつけられたのは神田であった。


「勝者、秋元誠司ー!」


 宮下の宣言通り誠司が勝利した。しかし喜びもつかの間、次なる挑戦者がテーブルの対面に立った。野球部の男子である。


「帰宅部には負けてらんねぇ!」


「じゃ、手を組んでー」


 手を組んだだけでわかる。こいつは強い。見たところ腕の筋肉もかなり鍛え抜かれている。まだ先程の疲労もあるし、俺に勝てるかどうか……。


「レディ……ゴーッ!」


 神田より重い圧が手にかかる。しかしそれは初めだけで、徐々に誠司が押し返している。その熾烈な戦いをその場の人間が皆注目していた。


「んぉおおお!」


 野球部男子が雄叫びを上げながら気合で盛り返してきた。だが誠司はそれを真っ向から押さえつけ一気に力を込める。
 結局、誠司は野球部の男子にも勝ってしまった。まさか帰宅部の誠司が勝つとは思っていなかったようで、今までで一番の盛り上がりを見せた。


「次は誰かやりたい人いるー?」


 宮下が呼びかけると、台所にいた影が動いた気がした。誠司がテーブルの対面を見ると、西京涼子が穏やかな笑みを携えてテーブルに肘を乗せている。


「な、お前……」


「り、涼子っ?」


「私もたまには息抜きがしたいの。良いでしょう?」


 疲労の溜まった腕を振るいテーブルに肘をつけ、手を組んだ。誠司は目を見開いた。手のひらには無数のマメが出来ており、腕まくりをした腕はミミズ腫れや傷が目立った。
 誠司の様子を見て、西京の代わりに宮下が説明した。


「涼子は剣道で厳しい戦いを続けているんだ。狙いの外れた竹刀で体は傷つき、振るう竹刀ですら自分の手を傷つけていく。でも、それは全て勲章であり証明。涼子は、強いよ」


 西京は嬉しそうに口をつぐんだ。


「負けられないわね」


 西京の手に力が入る。先程の野球部とは桁違いの握力が、誠司の手を容赦無く締め付けた。力を込めた途端、西京のすらりとした腕に筋肉が浮き上がってくる。


「レディ……ゴーッ!」


 初めに握られたときよりもまだ握力は強まっていく。手の血管をすべてせき止められているような感覚だった。だが誠司も全神経を研ぎ澄まし、徐々にではあるが西京側へと押し込んでいた。
 誠司が勝つか、とその場の誰もが思ったそのとき、動きがピタリと止まった。誠司がいくら押し込んでも、それ以上傾くことはない。ふと西京の顔を見ると、穏やかな笑みを浮かべこちらを見ている。


「それだけかしら」


「なっ……!?」


 誠司は更に力を込めるがどうしようとも動くことはない。まるで要塞のように、微動だにしない。


「良い力を持ってるわね。是非とも剣道部に欲しいところだけど、入る気はない?」


「くっ……! ないっ!」


「あらそう────」


 西京の体が一瞬強張ったと認識したときには、既に激しい音を立てて誠司の手の甲がテーブルに激突していた。




「────残念だわ」


「し、勝者、西京涼子ー!」


 地面に座り込んだ誠司は、自分の手のひらを見た。真っ赤になるどころか、手のひらの血はいまだ通っていない。急いで揉んでやると、少しずつ通い始めた。


「大丈夫、誠司!」


「ああ、強すぎるなあいつは……」


 それから数時間後、前夜会とは名ばかりの雑談会という名のゲーム大会は、かくして幕を閉じた。
 結局、今日さくらが来ることはなかった。旅行にでも行っているのだろうか。


「誠司、帰り少しさくらの家行かない?」


「ああ、連絡は行っているはずだから、普段なら必ず来ると思うんだが」


 マンションを後にした誠司と咲は戸井駅を通過して、寄り道することもなくさくらの家へと向かった。暗くなった空の下で戸井駅周辺は色とりどりのイルミネーションが輝いている。
 さくらの家には明かりが灯っていた。出掛けているわけではなさそうだ。


「誠司、チャイムお願い! ウチさくらの家族に会うの始めてだし」


「そうか、わかった」


 チャイムを鳴らすと、意外にも寝巻き姿のさくらがドアを開けた。それが誠司達とわかって、慌ててドアに体を隠した。


「ど、どうしたのっ!」


「今日の前夜会に来なかっただろう? 少し心配になってな」


「元気そうなのに水臭いじゃん! なんかあったのー?」


 さくらはひょっこりとドアから顔を覗かせた。


「ほんの少しだけ熱が上がったから、その……大事を取ってお休みしたんだ」


 まだ微熱でもあるのか、顔が若干赤い。体が弱いというのも大変そうだ。


「そんじゃ仕方ないなぁ。んで? 二人はクリスマスどっか行くの?」


 誠司とさくらは一瞬硬直した。自分達の恋愛を押し進めるような一言は、衝撃的であった。


「二十五日、な」


「戸井駅に待ち合わせなんだ」


「そっかー。ウチなんかまた麻耶達と女子会よ! ま、頑張なねさくら」


「う、うん。ありがとう」


「んじゃね。体、気をつけな」


 誠司と咲は、さくらが家の中に入って行くのを見守り、戸井駅へ歩き出した。


「ねぇ誠司。さくらは誠司とクリスマスを必ず過ごせるように、大事を取ったに違いないよ。絶対、良いクリスマスにして来なね?」


「そのつもりだ」


 咲は何度か喉に息を詰まらせてから、か細い声で呟いた。


「なんなら、近くのデートスポット、今から回って教えてやろっか?」


「…………そういえばどこへ行くか、まだ決めていなかったな。ここは少し助けてもらおうか」


「お、おうっ! 任せな!」


 たまには鈍いフリをするのも、悪くないかもな。


 咲は眉を上げて喜びを露わにしながら、行き先をいくつか指定してきた。どれも戸井駅周辺で済ませられるような、手頃な場所だ。
 それらの場所を回っているときの咲は、ここ最近で一番はしゃいでいた。
 最後はクレープを買って、駅までの道を歩いた。


「どう? どれも良い場所だったっしょー?」


「ああ、当日活用できるかはわからんが、参考にはなった」


「うんうん。もうすっかり暗くなったし、帰ろっか」


 俺がもしさくらと出会う前に、何らかの形で咲と付き合うことになっていたら、こういう感覚だったのだろうか。
 もっと多くの面白いもの、楽しいものを見せてもらい、それを共有して愛情を育んだのだろうか。
 何かのきっかけ一つで様変わりしてしまう。そんな重いようで軽い世界が、正直少し怖くなった。


 ほんの僅かでも衝撃を与えてしまえば、今の環境が壊れてしまうように思えた。
 情けないことに、俺は現状維持の方法しか知らないんだ。


「ああ、帰ろうか」

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