彼処に咲く桜のように

足立韋護

十一月十六日(二)

 さくらがこぼすように話し始めた。


「毎朝起きるたびに病院のベッドの上。周りは普通じゃない人達、普通じゃない環境。そんなのに嫌気が差しちゃって、ヘソ曲げてたんだ。世の中に普通なんてないのに、バカみたいだよね」


 誠司は曇った顔のさくらを見つめてから立ち上がり、手帳を机の上に戻した。部屋にあるカレンダーの十二月部分を確認すると、二十五日には星マークが付けてある。


「クリスマス、モミの木公園に絶対行こう」


「誠司君……」


「予定を確実に合わせて、何度も確認しよう。天気予報だって見ておこう。その日が雨でも良い。絶対に行くんだ」


 さくらは噛みしめるように何度も何度も「うん」と呟いて頷いた。
 笑顔のない、あんなに冷たい文を書く少女の憧れを叶えてやりたい。それを叶えてやれるのは自分だけだ。


────その時、一階の玄関の扉が開いた音がさくらの部屋にまで聞こえてきた。


「あ、お父さん帰ってきちゃった」


「う、厄介なことにならなければ良いが……」


 心をなるべく落ち着けて、誠司は一応正座しておくことにした。
 案の定、それは大きな足音を立てながら階段を上がり、乱暴にさくらの部屋のドアを開け放った。


「お前ぇ、誰の許可とってこの家に入ってる!」


 父親は隠すこともなく憤怒の形相で誠司を見下ろした。銀縁眼鏡と大柄な体格は相変わらず、顔や手のしわから相応の歳をとっていることがうかがえる。
 誠司は父親に向き直り、正座のまま一礼した。


「奥様から許可を得まして、お邪魔させていただいております」


 大して焦る様子もなく、理路整然と説明する誠司にスーツ姿の父親は歯ぎしりした。


「だとしてもだ! 遠慮というものを知れ! そこで断るのが社会の常識、礼節というものだ!」


「失礼しました……」


 謝るのにはアルバイトで慣れていた。もちろん心などこもっていないが、そうやって乗り切るうちにくだらない社会常識に合わせられるようにはなっていた。


「お父さん。誠司君はわざわざ私を心配してお見舞いに来てくれたんだよ?」


「さ、さくら、それにしても礼儀がなってないと思わないか?」


「お客様にいきなり怒鳴りつけるのがお父さんの言う礼儀なんだ」


「ぐ、ぐぬ……」


 本当に大月家の女性陣は強くて助かるな……。
 大人の発言には往々にして自らを顧みないことが多い。それをさくらは逆手にとって武器にしてしまえる。まあそれも社会に出てしまえば「やかましい!」と一蹴されてしまうだろうが、家族に対してだけは効き目抜群なのだ。
 しかしこのままでは、父親は俺への憎しみを増長させるだけだ。フォローも欠かさなければ。


「いやいいんだ。俺もさくらが回復した頃合いで来るべきだと思っていた。今日はそろそろ失礼するよ」


「ごめんね誠司君。明日は学校行けると思うからさ」


「ああ。お大事に」


 父親に一礼して横を通り過ぎ、誠司は部屋を出て階下へと向かった。見送りに来た母親にリンゴの入った袋を手渡した。


「今日は突然失礼しました」


「あらま、礼儀がなってる子だこと。うちのお父さんにも見習わせたいよ」


 ひとまず落ち着く、ということだけは見習ってほしいな。ただ、毎日家族を養うために働く一家の大黒柱をやはり蔑ろにすることはできない。
 俺が階段の上に立つ父親に改めて一礼すると、居心地悪そうに手を挙げて返してきた。




────さくらの家から出ると、身体中が強張り、心臓が高鳴っていたことがわかった。
 駅の方面はやはり騒がしい様子だった。しかしそれでも星空は清々しく澄み渡り、通り魔のことなど忘れさせてくれた。

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