彼処に咲く桜のように

足立韋護

十月二十一日(三)

 人の告白というものは、何故か甘酸っぱいものだ。


 誠司は、興奮冷めやらぬ宮下や神田達と別れ、さくらとホテル内を散歩しながら話すことにした。きらびやかに装飾された内装と緋色の絨毯に、つい目移りしてしまう。
 さくらが、横から顔を覗きこんできた。


「昨日、寝てた私を部屋まで運んでくれたんだよね? ロビーにいたはずなのに、起きたら部屋にいてびっくりしちゃった」


「いつまでもあそこで寝かしておくわけにもいかないしな」


「おまけに私の声真似で先生を誤魔化せたんだよね? ちょっと聞かせてほしいな!」


「やめてくれ。微塵も思い出したくない記憶なんだ」


「ふふ、やっぱダメだね。みんな笑いながら話してたから、きっと誠司君は恥ずかしい思いしたんだろうなって考えてた」


 二人は建物内の廊下の隅に位置するベンチへと、何も言わずになんとなく腰掛けた。
 何の用途に使うベンチなのかわからないが、ひと気の少ない場所のため同級生から冷やかされる心配はなさそうだ。
 背後はホテルの庭に続くガラス戸があり、暗い中で草木が生い茂っている。


「一つ、質問して良いか」


「どうぞ?」


「昨日、部屋の連中に、さくらとどこまでやったのかを聞かれたんだ。それで、抱きしめるまでだと答えたら、小学生みたいだと言われた。
 さくらは、キ、キス、とかしたいと思うか?」


 横に座るさくらをちらちら見るが、髪に隠れて表情がよくわからない。少し俯いているようだ。
 やがて、かすれるような声が聞こえてきた。


「私は、誠司君がしたいなら、良いよ?」


「俺、俺は……」


 キスになぜこんな緊張しているんだ。ただの肌と肌の触れ合い、手を繋ぐのと同じ。面積だけなら抱きしめるほうが大きい。なのに、なんでキスとなるとこんなに……違うんだろう。


「あ、あの、私ファーストキスだから、上手じゃないかもしれないけど……」


「お、俺だって。キス、し、してみるか?」


 しどろもどろになる二人は、ひとまず顔を真正面から見合った。さくらは頬を赤くして涙目のまま見上げてきた。誠司も紅潮させた顔を落ち着かせようと、しきりに息を整えている。が、何度も詰まらせている。
 さくらが先に目をつむった。下顎を若干上げ、待っている。


「いつまでも、良いからね……」


 さくらがここまで頑張ってくれているんだ。それに応えられなくてどうする。やるんだろ秋元誠司。もう正真正銘のカップルなんだろ。


 誠司は生唾を飲み込み、深呼吸した。ゆっくりゆっくりと顔を近づけていく。唇の位置、鼻の当たらない角度、聞こえてくる互いの息遣い。直前になってわかることが山ほどあった。
 互いの伝えきれない思いを共有する。それがキスだった。




 二人は、唇を重ねた。




 ほんの一瞬触れた程度の、初めてのキスの感触は、あまりの緊張で誠司にもさくらにもよくわからなかった。
 すぐに離れた二人は、ベンチの両端に逃げるようにしてひとまず距離をとる。
 気持ちの整理がつかず、その場には静寂が流れた。遠くからは生徒達が談笑する声が聞こえる。


「し、しちゃったね」


「どうだった。どこか、変じゃなかったか……?」


「大丈夫だよ、うん」


「なら、良かった。初めてだからな、勝手がわからなかったんだ」


「誠司君の唇、なんかもちもちしてた」


「やめてくれ、本当に恥ずかしいんだ」


 さくらはベンチの中央に戻り、今度は誠司に微笑みかけた。


「良かったよ。ありがとう」


「こちらこそ、な」


 誠司は心臓が未だに跳ね飛び続けているために、どうしてもベンチ中央には戻れなかった。


 今の今まで、どうして恋人同士はキスをするのか、全くわからなかった。だが、急に物分かりが良くなったように、キスから様々なことを悟った。
 それは気持ちや思いであり、確認でもあり、表現でもある。そして何より、それらを共有することで深まるのは、愛情だ。
 だから、キスは大切にすべきことなのだと感じる。


「そろそろ、部屋へ戻ろうか」


「なんか、キスするためにわざわざこのベンチに来たみたいで、私達いやらしい感じしちゃうね」


「それを言われると本当にそう思えるな」


「でしょ?」


 先に立った誠司は、薄く笑いながらさくらに手を差し伸べた。それを引いて立ち上がったさくらもまた、眉を上げて無邪気に笑った。


「でもいっか!」


「ああ、それでも良いよ」




 それでも、幸せだから良いんだ。



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