彼処に咲く桜のように

足立韋護

九月二十八日(二)

「重い話だから……嫌な場合は耳を塞いでくれて構わない。ただの独り言だ。
 俺の生まれた家は、いわゆる子供には優しくない家庭だった。仕事もろくにしない父親、それに寄生する母親。どちらもまだ若く、生活環境はひどいものだった。暴力は日常茶飯事だ。
 俺が小学生になった辺りで、弟と妹が産まれた。双子だ。それはそれは可愛くてな。
 でも、そんな天使のようなあいつらにまで、両親は容赦なく暴力を振るった」


 落ち着いて話す誠司と、黙って聞くさくら。雨の音が周囲を包む。話を続けた。


「中学生になった俺は決心した。働いて、この二人を養うんだって。暴力は慣れてしまえば大したことじゃなくなる。それでも、あいつらに同じ思いをさせたくなくて、俺は家を出た。
 それから中学生でも出来る仕事を探し回った。そんなの、もちろん裏の仕事くらいしかなかったが、なんとか見つかったんだ。
 ようやく養えると、意気揚々と家に帰った」


 誠司は瞼をつむり、当時の光景を思い出そうとした。ぼんやりとした、夢心地な映像しか出てこない。ショックやストレスのせいなのかもしれないと、ため息をついた。


「帰った家にあったのは、ひどく痩せ細った二人の遺体だった。妹は食パンによる窒息死。弟は頸動脈を包丁で切っていた。妹の死を見て絶望したのだろうな、明らかな自殺だった。
 それを見つけた俺の背後から、両親がへらへらと帰ってきた。旅行に行っていたらしい。
 そして二人の遺体を見ても、奴らのにやけ面は変わらなかった。この時、確信したんだ。『こいつらは二人を殺す気で旅行に行き、放置していた』のだと。この両親が、俺は化け物か何かに見えた。
 そして、弟が使った包丁を手にとって、二体の化け物を……殺した。血まみれで泣きながら、自分の生まれと環境を呪った」


 自分で話していても、呆れるほど酷い話だ。だが話してしまったからには、全て、話そう。


「俺は一度警察に連れて行かれ、裁判を受け、保護観察所という場所へ送られた。そこは更生を第一目的とするような場所だ。俺の体にあった虐待跡や、状況からそう判断されたらしい。
 そこで出会ったのが、俺の親戚にあたる秋元葉月さんだ。小さい頃に一度会ったことがあった。
 保護司だった葉月さんは、それをしっかりと覚えていてくれた。様々な俺に関する資料と俺の話から判断して、俺を更生の一環として自分の家へと招いてくれた。
 それが、今俺が住まわせてもらっている家だ。そのおかげで、俺は高校にだって通えているし、ここにもいられるんだ。
 話はこれで終わり。省いた部分もあるが、大体はこういうことだ」


 ゆっくり誠司が振り向くと、さくらは声を押し殺して涙を流していた。人のためにここまで泣けるさくらが、どうしようもなく愛おしく思えた。


「わかったよ。誠司君のこと、全部わかったよ……」


「今まで言えなくて、悪かった」


 さくらは袖で涙を拭った。荒い息遣いが近くに感じる。


「誠司君は、それから『ありがとう』が言えなくなったの?」


「多分、な。ついでに涙まで流せなくなった」


 目元と頬を赤くさせたさくらは、わざと笑って見せる。誠司は首を傾げた。


「じゃあいつか、誠司君にお礼を言わせて、泣かせてみせるよ!」


「はっ、期待せずに待っておくさ。俺達には、まだまだ時間がある」


 誠司はおもむろに鞄のポケットから、一枚の写真を取り出した。弟の亮介、妹の沙耶、そして幼き日の自分が写ったものだった。撮ってくれたのはもちろん両親ではない。近所に住んでいた、カメラが趣味の気の良い老人である。
 それを手渡されたさくらは、その写真を眺め、そっと額へと当てた。


「二人とも、誠司君は立派に生きています。安心して下さい」


「二人には、俺の身勝手で辛い思いをさせてしまった」


「……その罪悪感から、学校生活を楽しむことに抵抗があったんだ」


 さくらは写真を返してきた。写真の二人はいつも通り何も言わない。だがそれでも良いか、と今は思えるようになった。
 いつまでも兄ちゃんに思われてたんじゃ、お前達も落ち着けないよな。心配かけてすまなかった。
 俺はやっぱり、前へと進むよ。

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