彼処に咲く桜のように

足立韋護

九月二十八日

────文化祭は終わりを迎えたが、次に待ち受けていたのは十月二十日の修学旅行であった。
 行き先は、高校の修学旅行としては無難な沖縄県であった。本島で二泊三日の予定だ。一日目は班ごとに貸切のタクシーに乗り、観光地を巡る手筈である。


 とある日の放課後。学校へと残った、誠司と咲を含む、修学旅行実行委員達は、まず一日目に回る観光地のルートを作成しなければならなかった。その中からルートを選び、それに沿って観光地を巡ってもらうというものだ。
 観光地の選出を咲が担当し、それを参考にしたルート作成を誠司が担当した。


「ねえ、秋元ぉー」


「新しい観光地でも見つかったか?」


「誠司って呼んでいい?」


 付けていた二つの机をガタンと大きく揺らしながら、誠司は立ち上がった。周りの実行委員達の視線が痛い。席へと戻った誠司はしばらく黙り込んだ。


「良いよねぇ? ウチらもう長いのにさ、まだ名前で呼び合ってないじゃん」


「な、名前くらいなら良いかもしれんが……」


「よっし決まりね誠司! ウチのことも咲って呼んでよ?」


 まだ修学旅行実行委員の仕事が始まったばかりだというのに……。このままでは、さくらに変な心配をかけてしまうことになりそうだ。


「さっきも言った通り、沖縄といえば海じゃん。だったら、変に世界遺産巡りとかにしないで、海岸線をひたすら沿って行く『海岸線ルート』なんてどう? いくない?」


「海岸線沿いを行くのは良いが、そこにれっきとした観光地がなければ、ルートとして成り立たんぞ?」


 咲は机に置いていた地図を見せつけてきた。ピンク色の蛍光ペンで印がつけられた場所は、見事に海岸線に沿って行けるような立地であった。


「『海岸線ルート』に決まりだ」


 こうしてやる時にちゃんとやれる人間なのがまた、どうにも憎めん。




 修学旅行の企画が順調に進んでいた九月二十八日。
 修学旅行を控えていると言えど、勉学に励まなければならないのが学生の宿命である。


 一時間目の世界歴史。誠司は布製の筆箱の中に、不自然な紙切れが入っていることに気がついた。
 自分で入れた覚えはない。その紙切れを開いてみると、どこかで見覚えのある字が目に飛び込んできた。


『放課後、秘密の場所にて待ちます。さくら』


 秘密の場所……俺とさくらだけが知っている場所など、あそこしかない。視界の端に座るさくらが、こちらをチラチラと見ているのがわかる。以前は向かなかったが、今回はあえて目線を合わせてみようか。


 誠司は突然さくらのほうへと、思い切り顔を向けた。驚いたさくらは、あたふたと手に持っていた教科書で顔を隠した。それから、ちらりとこちらを再び見てくる。頬は赤らみ、瞳は潤んでいた。


────放課後。外は予報通り、静かに雨が降っていた。雲の向こうはまだ明るい。風もなく、湿気が多い。


 さくらの言っていた『秘密の場所』に行くため、水の溜まっている草をかき分けているうちに、夏服の制服は徐々に濡れていった。もちろん、傘を差す幅などない。
 秘密の場所へ出ると、ビニール傘を差したさくらがぽつりと立っていた。誠司は黒い傘を差しながら、さくらへと近づいて行く。


「わざわざこんなところに呼び出してどうしたんだ。雨だから、別の日でも良かったんじゃ……」


「今日じゃなきゃダメなんだよ」


 振り向いたさくらは、満面の笑みで誠司へと何かを手渡した。それは、可愛らしいピンク色の包装紙に包まれた箱であった。


「お誕生日、おめでとうっ!」


 誠司はしばらくの間、体が固まっていた。誠司の顔の前で、さくらが手を左右に振って見せるが、なんの反応もない。


 プレゼントは人生で二度目。誕生日プレゼントとしては初めてだ。さくらには悪いが、嬉しいのか悲しいのか、俺にはよくわからない。困惑というのが正しい表現だと思う。
 これは喜んで、良いんだろうな?


「喜んでるぞ」


「ふふ、自分の感情を口で伝えるって、新しいコミュニケーションだね。誠司君、それは喜んで良いものなんだよ」


「誕生日なんて、祝ってもらったことがないからな……」


「とりあえず開けてみてほしいな」


 傘を肩にかけた誠司は、器用に包装紙を剥がしていく。箱の中に入っていたのは、白いワイシャツに所々黒色のアクセントの入った、シックなものであった。


「誠司君、明るい服慣れてないと思って、学校の制服みたいなものから、慣れていけば良いなってさ!」


「俺でもこれなら着やすそうだ。わざわざすまない」


「どういたしましてっ」


 誠司はそれを鞄へとしまいつつ、よくさくらの濡れたワイシャツを見てみると、その奥には淡い桃色の下着が透けて見えた。その瞬間、誠司は咄嗟に振り向く。


「さ、さくら、下着透けてるぞ!」


「あ、あー! まったく気づかなかったよ!」


「まったく……無防備すぎる」


 ふと、さくらが背を向ける誠司の背中に、優しく手を触れてきた。声のトーンを抑えたさくらは、かすれそうな声で話し始めた。


「……誕生日も祝ってもらえない家庭だったの、誠司君のいた家は」


 やはり気になったか。このままうやむやにして帰ってしまおうと思っていたが。いや、普段茶化すなと言っている俺が、こういう時に茶化してどうする。
 良い機会、かもしれないな。さくらも気になっていたのだろう。


「……俺が小さい頃の話を、しよう」

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