彼処に咲く桜のように

足立韋護

八月二十九日(三)

「ほ、本当か?」


「……うん。でも、もうそこに答え、書いてあるのに」


「え?」


 誠司はさくらの指差す手帳を、凝視する。それは昨日の日付で記されたところにあった。


『二十七年。八月二十八日。曇り。
 今日はお母さんと進路について話してから、夏休みの宿題を終わらせました。
 明日は誠司君と二人きりで、花火を見に行きます。どこか、他の人がいなくて良かった、と思ってる私がいる。薄々気づいてたけど、私はやっぱり、誠司君のことが好きみたいだよ』


 その文を最後まで読んだ誠司は、強張った全身の力が抜けるように、椅子へと座り込んだ。深々とため息をつき、土星の形をした花火を見つめる。


 だから、手帳を渡す時も、こっちを振り向いた時も、さくらは顔を赤らめていたのか。


「私も、誠司君が好きだよ」


 隣に座るさくらの落ち着いた声が、耳当たりよく聞こえてくる。手帳をゆっくりと閉じ、さくらへと返した。


「俺もだ」


────ありがとう。


 まだ口には出せそうにないが、これから共に歩む道のなかで、言えるようになれたら、思い切り、とびきりの大声で言いたいな。




 花火も終わり、二人は帰路についていた。夜は九時を回っていたため、辺りは暗い。下る坂道の前後に人影はなく、夏の虫が雑木林の中から騒いでいる。
 手の甲と手の甲が触れ合うと、さくらが優しく手を握ってきた。そっと握り返しながら、二人のゆったりとした時間は流れていく。


 夜も遅いので、戸井駅を越えた先にあるさくらの家まで送り届けた。家の前には、大柄な男が仁王立ちしている。銀縁の眼鏡をかけ、ほうれい線は深く刻まれている。男は、さくらを見つけると大股で歩いてきた。
 誠司は短くため息をつきながら、どこかで見たことのある光景から状況を察した。何もかも上手くいくわけがない。そう割り切って、心を出来る限り落ち着かせた。


「あ、お父さんに花火大会見に行くこと伝えてなかった!」


 ああ、確定したな。


「さくら、どこ行ってたんだ!」


 正吉さんとは違う感じなんだな。こっちは些か冷静さを欠いているようにも見える。よほど心配していた証拠だ。


「ごめんなさい、花火大会見に行くって、お母さんには伝えてたんだけど……。今夜お母さんはお出かけしてるんだったよね」


「まったく、警察に連絡するところだったぞ! ところで、隣の無愛想な男は誰だ」


「この人は、秋元誠司君」


「秋元といいます。さくらさんと、今お付き合いさせていただいています」


 誠司は手足を揃えて、最敬礼して挨拶した。父親は、わなわなと震えながら苛立ち始めた。


「お付き、さ、さくらとぉ?」


 今言っただろ付き合ってると。


「そうだよ、私達は彼氏と彼女、カップル────」


「俺は、俺は認めんぞ! こんな訳のわからない男と付き合うなど、絶対に認めん!」


 喚く父親を、俺は怒りを通り越して哀れに思った。さくらを手術してまで生かしていたのは、さくらの人生を歩ませるためではなかったのか。自らの心を満たすためなのか。それがどれほどみっともなく、哀れなことなのか、それをその歳になってまで知らずにいる。可哀想だ。


「お父さん。私、お父さんのこと好きだよ。今まで育ててもらえて、とってもありがたいなって思ってる」


「だったら、そのお父さんが真剣に言っておくぞ。高校生から付き合う恋人がいつまでも長続きする可能性は極めて少ない。甘い考えで付き合おうなど、ただの時間の浪費だ」


「でもお父さんとお母さんは、高校生からなんでしょ? この前こっそりお母さんに聞いたよ」


「うっ」


「私は、良しと思ったことをするよ。失敗したって良い。時間の浪費でも良いよ。私が生きている限り、挑戦できることは挑戦したい。体験できることは体験したい。興味のあることをもっともっと見つけたい。そうやって前に進むんだ!
 それが、『生きる』ってことだと思うから!」


「さ、さくら……」


 ぐうの音も出なかった父親は、さくらに圧倒されて後退りした。鼻からため息をついたさくらは、横に立つ誠司に顔を向けた。その表情はたくましく、頼りがいのあるように見えた。


「誠司君、わざわざ送ってくれてありがとう。多分、次会うの、学校だよね?」


「あ、ああ」


「うんっ。今日は楽しかったよ! また学校でね! ほら、お父さんご近所に変に思われちゃうから、中入ろう?」


 肩を落とす父親の腕を引きながら、さくらは家の中へと入って行く。入り際に、こちらに一度振り向き、手を振ってきたことが、誠司にはずいぶん可愛らしく見えた。




 次会うのが、待ち遠しいな。



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