彼処に咲く桜のように

足立韋護

八月十七日(四)

 誠司がトイレから出ようとしたとき、どこか遠くから男の悲鳴が聞こえた気がした。


 やはりやかましい輩もいるものだ。まあ、それだけ楽しんでいるのだろう。仕方ない。


 誠司が光る水平線の景色を楽しみながらパラソルの場所まで戻ると、さくらが何故か苦笑いしながら、遠くで遊ぶ他三人を眺めていた。その他には、先程と何ら変わりはない。


「どうかしたか?」


「いや、なんでも、ないよ?」


 さくらは言えなかった。咲達によって、一人の男がベソをかきながら走り去って行ったということを。さくらは、主に葵の恐ろしい一面を垣間見た気がした。誠司は首をかしげながら、三人の遊んでいる方向を指差した。


「さて、そろそろ俺も参加するぞ」


「あ、じゃあ私も行こうかな! 一緒に行こう!」


 時が過ぎるのはあっという間で、体感で三時間程度に思っていた誠司だったが、時刻は十九時を回っていた。周囲はすっかり薄暗くなり、人もまばらになってきた。それぞれがシャワーを浴びてから、元の服に着替え、砂浜へと集まる。今年の水着姿が最後と思うと、誠司は妙に寂しくなった。
 やはり他にも花火目的の人間もいるからか、バケツを用意している人の姿が所々に見える。誠司達のいる砂浜は、二十二時までであれば花火の使用が許可されている。


「うっし、近場にあった適当なバケツ持ってきたぜい!」


 新品同様のバケツで穴はない。他の客が捨てて帰ったのだろう。それに海水を汲み、皆が好きな花火を手に持ち、太一が用意していたロウソクにライターで火を付けた。葵が手持ち花火の先端の紙部分をロウソクへ近づけ、そして燃え移った火は、辺りをぼうっと照らし、やがて激しい火花へと変化していった。


「ずいぶん激しいんだな、平気なのか?」


「誠司君、手持ちの花火ってね、これが普通なんだよ」


「そうなのか」


「じゃあ~、ウチが手取り足取りレクチャーしてやんよぉ」


 すり寄って来る咲の代わりに、さりげなくさくらが誠司の横をキープした。


「誠司君、火、分けてあげるね」


「ああ。……すまないな」


 呆然としている咲に、葵が火を分けてやった。


「なかなかの強者だね。さくらちゃんは」


「まだまだ負けない!」


 咲は袋の中から数本の花火を一度に取り出し、両手の指に挟んで、その全てに火を付けた。それぞれが火花を噴射し、咲はそれを誠司に見せつけアピールし始めた。


「秋元ー! どうだキレーっしょ!」


「そ、そうだな」


「うぃぃいー!」


 テンションの上がった咲は、奇声を発しながら砂浜を駆け回り始めた。やがて火花の噴射が終わると、とぼとぼと帰ってきて線香花火に火をつけた。


「あんなたくさん、一度に使うんじゃなかった。ウチの分もうない」


「後先考えねぇんだからなぁー」


「まあそう肩を落とすことはないよ。ほら、葵の分の二、三本あげるから」


 さくらは隣に立つ誠司をちらっと見ると、どことなく、笑っているように見えた。少なくとも、初めて会った四月や五月のときよりずっと、良い表情になってきていることは確信できた。その楽しげな顔は、どこか幼くも見える。
 さくらは、誠司が両親を殺めてしまった、その時からこういった楽しみを忘れてしまっていたのではないかと、考えを巡らせる。だからこんなにも純粋な、幼さの残る表情が浮かべられるのではないかと思った。


「誠司君、楽しい?」


「うん? まあ、それなりにな」


「ふふ、来て良かったね」


 楽しくないわけがない。俺は手持ち花火が見惚れるほど綺麗なものだということを、初めて知ったのだ。白、そして赤から緑、緑から黄色へと鮮やかに移り変わっていく。楽しみは尽きない。今まで世の中を腐っていると感じていたのは、楽しいことを楽しもうとしていなかったから、なのかもな。


 少しは、前進できたかな。

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