彼処に咲く桜のように
八月十七日
八月は既に十七日になっていた。じりじりと蒸し暑い日差しが、誠司の部屋の中へと差し込んでくる。誠司はたまらず目を覚ました。今日は朝から、さくら達と海へと行く約束をしていた。時刻は午前七時。約束の時間までは随分ある。誠司がむくっと起きると、部屋の扉が軽快にノックされた。
「誠司君、もう起きてるかしら」
「ああ、はい。朝ごはんですか?」
「ええ。誠司君、オムライス好きだったわよね? 作っておいたから食べてね。じゃあ、仕事行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
誠司に友人ができたと告白されてからというもの、特に葉月は積極的に誠司へと話しかけるようになった。もちろんそれは、叔父のいない時間帯だけであったが、前まであった、何かを言いかけて諦める、といった仕草は見かけなくなった。
部屋から出ると、リビングのテレビが付けっ放しになっていた。誠司が部屋から、すぐに出てくると思った葉月の、小さな気遣いである。テレビから流れるニュースを聞きながら、誠司は朱色のケチャップのかけられた、湯気の立つ黄色いオムライスをスプーンで頬張った。
「……美味い」
『では、次のニュースです。昨日未明、戸井駅周辺を歩いていた男女のカップルが、何者かの刃物によって襲われる事件が発生しました。幸い、けが人はおらず、被害者の男性が持っていたバッグをナイフで引き裂いたのち、逃げていった模様です。現在は警察が周囲を捜索しています。なお、犯人は紺色のパーカーに身を包んでおり────』
「近くか。物騒だな」
オムライスを完食した誠司は、いつも通り風呂へと入ろうとしたところで、足がぴたりと止まった。いつもならば、昨晩風呂で洗ったはずの体が、無性に汚れている感覚に陥っていた。それが嫌で朝風呂に浸かっていたが、何故だか今日はそれがなかった。誠司は自らの腕を見てみるが、何も変わりない。
特別汗をかいているわけでもなし、どうせ向こうでシャワーを浴びるのだ。わざわざ入らんでも良いだろう。
時間が余ったため、荷物のチェックを済ませ、財布の中身を確認し、ベッドに改めて座った。学生鞄から取り出した本は、既に薄茶のブックカバーが擦り切れている『不死の探偵』だった。探偵をしている男が何をしても死なない設定があり、それを活用して事件を強引に解決していくという内容だった。
この探偵の不死という設定には、不老という効果も備わっているため、探偵は二十五歳から歳をとっていない。いつもはひょうきんな探偵が時折放つ、寂しげな言葉が誠司は何故か好きだった。
『死んじまったら、人々の記憶から忘れ去られる。それでも覚えていてくれる人が、俺は永遠に見つけられないんだよ』
真理をついているようで、穴だらけ。俺はこんな人間らしい男の性格が、たまらなく安心する。俺が死んでも俺のことを覚えていてくれる人。さくらか、太一か、咲か……葵は意外と忘れてしまいそうだな。
というか死んでいるんだから、どちらにせよ永遠に見つけられないじゃないか。ふん、やっぱり穴だらけのセリフだ。二流作家め。
「そろそろ家を出るか」
戸井駅の改札前に集合だったはずだが、時間間近になっても誰一人来ない。日にちも時間も、待ち合わせ場所も間違っていないはずだ。
「おぉー、誠司! 待たせたなぁ!」
「太一? それにさくら達まで」
人混みの向こうから、さくらと太一、葵に咲までもが手を振っていた。その手には、戸井駅に隣接した駅ビルで使われているビニール袋が握られていた。
「って誠司、今日は髪下ろしてんのな」
「元々上げていないが」
髪をドライヤーで乾かしていないおかげで、誠司の髪の毛はいつもより大人しくなっていた。さくらと咲はそのいつもと違う誠司の姿に、ひたすら目を輝かせている。
「誠司君、良いねっ」
「そっちのがイカしてんじゃん!」
「あまり褒めるな。そういうのには慣れていない。ところでお前達はどこに行っていたんだ?」
「ふふん、秋元が来る前に、葵達はあるものを買いに行っていたのさ」
「あるもの?」
葵が見せつけて来たのは、多種多様な花火の詰め込まれた、花火パックであった。
「誠司君、もう起きてるかしら」
「ああ、はい。朝ごはんですか?」
「ええ。誠司君、オムライス好きだったわよね? 作っておいたから食べてね。じゃあ、仕事行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
誠司に友人ができたと告白されてからというもの、特に葉月は積極的に誠司へと話しかけるようになった。もちろんそれは、叔父のいない時間帯だけであったが、前まであった、何かを言いかけて諦める、といった仕草は見かけなくなった。
部屋から出ると、リビングのテレビが付けっ放しになっていた。誠司が部屋から、すぐに出てくると思った葉月の、小さな気遣いである。テレビから流れるニュースを聞きながら、誠司は朱色のケチャップのかけられた、湯気の立つ黄色いオムライスをスプーンで頬張った。
「……美味い」
『では、次のニュースです。昨日未明、戸井駅周辺を歩いていた男女のカップルが、何者かの刃物によって襲われる事件が発生しました。幸い、けが人はおらず、被害者の男性が持っていたバッグをナイフで引き裂いたのち、逃げていった模様です。現在は警察が周囲を捜索しています。なお、犯人は紺色のパーカーに身を包んでおり────』
「近くか。物騒だな」
オムライスを完食した誠司は、いつも通り風呂へと入ろうとしたところで、足がぴたりと止まった。いつもならば、昨晩風呂で洗ったはずの体が、無性に汚れている感覚に陥っていた。それが嫌で朝風呂に浸かっていたが、何故だか今日はそれがなかった。誠司は自らの腕を見てみるが、何も変わりない。
特別汗をかいているわけでもなし、どうせ向こうでシャワーを浴びるのだ。わざわざ入らんでも良いだろう。
時間が余ったため、荷物のチェックを済ませ、財布の中身を確認し、ベッドに改めて座った。学生鞄から取り出した本は、既に薄茶のブックカバーが擦り切れている『不死の探偵』だった。探偵をしている男が何をしても死なない設定があり、それを活用して事件を強引に解決していくという内容だった。
この探偵の不死という設定には、不老という効果も備わっているため、探偵は二十五歳から歳をとっていない。いつもはひょうきんな探偵が時折放つ、寂しげな言葉が誠司は何故か好きだった。
『死んじまったら、人々の記憶から忘れ去られる。それでも覚えていてくれる人が、俺は永遠に見つけられないんだよ』
真理をついているようで、穴だらけ。俺はこんな人間らしい男の性格が、たまらなく安心する。俺が死んでも俺のことを覚えていてくれる人。さくらか、太一か、咲か……葵は意外と忘れてしまいそうだな。
というか死んでいるんだから、どちらにせよ永遠に見つけられないじゃないか。ふん、やっぱり穴だらけのセリフだ。二流作家め。
「そろそろ家を出るか」
戸井駅の改札前に集合だったはずだが、時間間近になっても誰一人来ない。日にちも時間も、待ち合わせ場所も間違っていないはずだ。
「おぉー、誠司! 待たせたなぁ!」
「太一? それにさくら達まで」
人混みの向こうから、さくらと太一、葵に咲までもが手を振っていた。その手には、戸井駅に隣接した駅ビルで使われているビニール袋が握られていた。
「って誠司、今日は髪下ろしてんのな」
「元々上げていないが」
髪をドライヤーで乾かしていないおかげで、誠司の髪の毛はいつもより大人しくなっていた。さくらと咲はそのいつもと違う誠司の姿に、ひたすら目を輝かせている。
「誠司君、良いねっ」
「そっちのがイカしてんじゃん!」
「あまり褒めるな。そういうのには慣れていない。ところでお前達はどこに行っていたんだ?」
「ふふん、秋元が来る前に、葵達はあるものを買いに行っていたのさ」
「あるもの?」
葵が見せつけて来たのは、多種多様な花火の詰め込まれた、花火パックであった。
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