彼処に咲く桜のように

足立韋護

八月一日

 じりじりと蒸し暑い八月一日。よく晴れていたこの日は予報通りの真夏日であった。しかしそれは、日が暮れるにつれて徐々に陰りを見せ、夕方にはカラッとした心地の良い気温になっていた。
 午後六時十分前。部活動に励む生徒達の掛け声が聞こえてくる戸井高校の校門前。そこに立つ、相変わらず黒系統の服を纏う誠司は、腕にひっつき血を貪る蚊を、目の高さまで持ってきて、ジッと眺めていた。血を吸っていくごとに蚊の腹は赤く膨らんでいく。やがて満足したのか、腹を膨らませた蚊はどこかへと飛んで行った。


「誠司君って変だね」


 突然真横から声をかけられ、ピクッとしてから振り向いた。白い無地の半袖とジーンズというラフな格好でやって来たさくらは、どうやら蚊を見逃す誠司に偶然出くわしたようだ。にこにことしながら、さくらは誠司の横に立ち目を見つめてくる。


「どうして蚊を逃がしたの?」


「考えてもみろ、自分の百倍以上も大きな相手に睨まれているのに、生きるために血を吸い続ける。俺にはとても真似できないことだ」


「ふふ、やっぱり変だよ」


「変だ変だと言うが、蚊に最後まで刺されておいたほうが痒くならずに済むんだぞ。潰すよりよほど合理的な方法だ」


 ただただ笑顔で見つめてくるさくらから、誠司は何故か目を泳がしながら顔をそらした。戸井駅の正面にある、何のために作られたのかわからないオブジェを眺めながら、さくらはポツリと呟いた。


「誠司君がそういう人で、良かった」


────夏休み前最後の日から、瞬く間に夏休みについての連絡が誠司達の間を駆け巡って行き、誠司の言っていた戸井高校の向こう側で行う祭りに、誠司、さくら、太一、咲、葵の五人で行くことになっていた。
 その後、坂道の下から赤い浴衣姿の咲と紺色の浴衣を着た葵、そして甚平を着ている太一が順にやって来た。


「ずいぶんと華やかだな」


「気合い入れなくちゃな! 元ヤンに葵だって、同じ気持ちだぜ」


「せっかくのお祭りなんだ、これくらいはしないと」


「それより、さ。秋元、うちの浴衣姿……どうよ?」


 黒髪に黒縁眼鏡が映える、その赤い浴衣姿は、その元がいくら元ヤンであったとしても、似合うという言葉しか思い浮かばなかった。日頃目立っている胸の大きさも浴衣の厚さと帯によって、控えめに抑えられており、慎ましさまで体現させていた。


「お世辞抜きで言えば、まあ……よく似合っている」


「お、おおぉおお!」


 真っ当に褒められた咲は、両手を両頬に当て、頬を紅潮させながら口を縦に開けた。


「わ、私も、着てくれば良かったかな……」


「さくらちゃんは、今度の花火大会に着てくれば良いんじゃねぇか? 誠司はそれまで我慢だなー」


「茶化すな、さっさと行くぞ」


 空は、朱色から紺色の美麗なグラデーションを描き、戸井高校のある山の中腹からは、特に鮮明に見えた。

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