彼処に咲く桜のように

足立韋護

七月二十四日(三)

 その頃、御影家では言成が母親である御影教子みかげきょうこにテストの結果を見せていた。その点数を見た教子は、目の下を数度痙攣させてから、静かにテスト用紙をテーブルの上へと置いた。


「五十二点、三十八点、六十点……なによ、これ」


「すみません……」


「こんな点数で、よくも帰ってこられたわね」


「ごめんなさい……」


「はぁ……」


 長い間、二人の間に沈黙が続いた。巨大な一軒家に二人きり、今日ばかりは妙に広く感じた。
 御影言成は医者の家系に生まれ、父は医科大の教授、母は地元病院の女医、親戚一同も何らかの形で医療に関わっていた。言成自身、そうなるものと思っていたし、周囲も当然医者になると悟っていた。
 彼の医者への道が怪しくなり始めたのは、高校受験からである。当初行く予定であった、医科大付属高校の受験日当日にインフルエンザを発症し、渋々地元の戸井高校へと通うこととなった。この辺りから、言成の父、御影壮一郎みかげそういちろうの言成に対する態度が冷たくなり始めた。


「帰ったぞ」


 壮一郎の声が玄関から聞こえ、立ち上がった教子は、吐き捨てるように言成へと言い放った。


「自分でお父さんに報告しなさいよ、まったく情けない……」


 言成は頭を抱えて、その場に顔を伏せた。まさか男女関係に惑わされて、勉強やテストに身が入らなかったなど言えるわけがない。しかしどちらにせよ、叱られてしまうのは目に見えている。ここは覚悟を決めて、素直に謝ったほうが誠意が伝わって良いのではないか、と判断した言成は、玄関へと駆けていった。
 玄関先にてテストの点数を見させられている聡明そうな少し老けた男は、走ってきた息子を一瞥した。言成はその場で土下座し、額をフローリングに擦り付けた。


「低い点数を取ってしまって、申し訳ありませんでした! 次こそは満点を取り────」


「その必要はない」


「……へ?」


 顔を上げた言成は、意味が分かっていないような表情であった。壮一郎の視線は既に言成に向いてなどいなかった。玄関の灯りが反射する高級の革靴を脱ぎながら、壮一郎は低い声で淡々と語った。


「母さんから全て聞いている。学校を仮病で休み、夜間に無断で外出、果てにはテストでこの点数か。最低最悪の他に言えることはない。お前は今日から、俺の息子でもなんでもない他人として扱う。高校卒業までの金はやる。だが、二度と御影を語るな、恥晒しめ」


「そん、な……そんなぁぁ!」


 言成は咄嗟に壮一郎の足にしがみついた。


「チャンスを、一度だけチャンスを下さい!」


「テストの点数を取ることなど、大前提だ。当たり前のことも満足に出来ん奴が、俺の足に触るな!」


 壮一郎は言成を振り払い、リビングへと歩いて行った。その場に這いつくばった言成に声をかける者はいない。ただこの先に待ち受けているであろう孤独が、言成の体を、精神を蝕んでいた。


「秋元、誠司……全てヤツがいなければ、僕は、僕は……」


 逆恨みであることは痛いほど分かっていた。しかし、この心を落ち着かせるには、誰かを恨まずにはいられなかった。
 歯をキリキリと鳴らし、両目から溢れんばかりの涙を浮かべている言成は、血が滲むほど両手を握りしめた。そして、憎悪の念を含んだ瞳を虚空へと向ける。

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