彼処に咲く桜のように

足立韋護

五月二十六日

 翌日、誠司は簡素なベッドの上で目を覚ました。真っ先に鞄に入っている兄弟の写真を確認し、一息つく。それから部屋の窓から差し込む朝日で、朝であることを確認した。
 テレビや机、タンスすらない部屋のフローリングの床には、畳まれた洋服が数枚放置してあった。どれも無地のティーシャツや、ジーパンばかりである。


 明日の休みにでも、どこか行くか。


 土曜日の予定を立てていた矢先、部屋のドアが軽くノックされ、勝手に開かれた。枕元に置かれた時計を見ると、午前六時を回っている。


「誠司君、お風呂できたわ」


「……はい。ありがとうございます」


 叔母の秋元葉月あきもとはづきは、弱々しく誠司に声をかけた。礼儀正しく頭を下げた誠司へと、葉月は何かを言いかけたが、軽いため息と共にドアを閉める。そしてドア越しにそっと呟いた。


「朝ごはん、出来ているから。それじゃあ仕事、行ってくるわね」


「わかりました」


 互いによそよそしくするが、彼女に恨みはない。そして彼女もまた誠司に恨みはない。むしろ誠司は、とあることで葉月には感謝していた。しかし、それでもよそよそしくするのは、銀行員の叔父、秋元正吉あきもとまさよしとの約束であった。




『これからお前の高校卒業までの学費を出して、部屋を与えてやる。朝飯も出し、風呂もトイレも使うと良い。その代わり、俺と葉月には極力関わるな。そして必ずアルバイトをして、昼食と夕食は自分で賄え。それが、俺の家に住む条件だ』


────誠司はしつこく体を洗い、風呂に浸かりながら、この家に来たときのことを少しだけ思い出していた。


 そりゃあそうだ。共働きの中年夫婦の家へと犯罪者が突然やって来たんだから、そういう冷たい扱いになる。だいたい、ここにいられるのだって、葉月さんのおかげなんだ。今となっては、正吉さんがいないときしか話せないが……。


 ふと、ここに来る前のことを思い出しそうになったが、首を振り、その忌まわしい過去を忘れるよう努めた。
 風呂から上がり、いつも通り頭にくしゃっとタオルを巻いた。それから制服へと着替えてリビングへ赴くと、誠司の分のご飯と焼き魚、味噌汁が用意されていた。


「昨日と同じメニュー……。はっ、文句は言っていられないか」


 茶色い木目のテーブルとセットの木製のイスに腰掛け、朝食を食べつつ、広いリビングに備え付けられている液晶テレビをリモコンで点ける。新人の女子アナが舌を噛みながらも、必死にレポートをしている最中であった。レポートをしている場所は偶然にもこれから利用するであろう戸井駅であった。


『ここ最近、この戸井駅周辺に、いな、いら、いたずら書きが増加の傾向に────』


 高校の近く……誰かがストレスでも発散しているのか? 下らんことをする奴もいるもんだな。……さて、そろそろ学校か。


 孤食にもすっかり慣れ、別段急ぐこともなく食べ終えた食器を片付ける。頭に巻いたタオルを外して洗濯カゴへと放り込んだ。適当に巻いたせいでボサボサになった髪の毛を出来る限り直しながら、鞄を手に持ち、玄関のドアを開け放った。
 この瞬間の誠司の心境が、入学当初からわずかに変化していた。怠惰でも鬱積でもない。数年前の事件以来忘れていた、どこか懐かしい感情が誠司の中に蘇りつつあった。




────学校が少し、楽しみだ。

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