彼処に咲く桜のように
五月八日(三)
教科書やノートを机の中へと放り込み、さくらの手帳を静かに手に持った。重量は見た目以上あり、ずっしりとした重みと、古臭く分厚い革の装丁によって、手帳に対する興味が一層引き立てられた。
心臓の鼓動が高鳴り、胸が内側から叩かれる。しんとした教室に響き渡っている気がしてならない。
誠司は意を決して立ち上がり、その場で左からめくると、ふわりと古い紙の匂いが感じられた。そこにはだいぶ前の日付が書かれてあり、その下には、さくらの字で一言添えられていた。さらにページをめくって行くと、お世辞にも上手いとは言えない絵の四コマ漫画が描かれている日もあった。それは三コマ目までが悪い出来事で、四コマ目が全て夢だった、というオチの決まりがあるようだ。
これは、去年の五月……?
誠司は飛ばし飛ばしにページをめくって、内容を読んでいく。
『二十六年。五月十二日。晴れ。
今日も学校で話す人がいない。困ったなぁ』
『二十六年。七月九日。曇り。
同じクラスの女の子達に話しかけても、どんなにしても無視される。これって、イジメなんだよね、きっと』
自覚……していたのか。
『二十六年。九月二十日。雨。
物を隠されました。学校が楽しいはずなのに、つらい』
『二十六年。十二月二十五日。雪。
ホワイトクリスマス。今年もお父さんとお母さんとお祝い。そういえば私と同じ嫌われ者で、秋元誠司という人がいるみたい。怖い人なのかな』
『二十七年。三月十五日。曇り。
私の誕生日。だけども曇り。誕生花でも調べようかな』
『二十七年。四月二日。晴れ。
二年生、新学期。頑張ろう。今年こそ、頑張ろう』
『二十七年。四月三日。晴れ。
お友達が出来た。秋元誠司君。少し怖い人。でも、本当に本当に嬉しい!』
俺なんかが友達になって嬉しいだなんて、馬鹿げてる。まだ、あいつの考えていることがわからん……。
その時、廊下から誰かの駆ける音が聞こえてきた。その足音は、ちょうど誠司のいる教室の前で止まった。視線を上げ、無機質で薄汚れた白い壁を見つめる。
「誠司君……いる?」
この声、さくらか。
壁の向こうから聞こえる息はまだ荒く、今の今まで走らされていたようだ。誠司が手帳を閉じたと同時に、さくらは壁の下の小さな扉から顔を入れた。
「あっ。手帳、見ちゃったの……?」
「さあな。偶然落ちたところを拾っただけかもしれん」
「そっか、そうだよね。ありがとう」
形にならないナメクジのような匍匐前進で、教室内へと侵入してきたさくらが、体操着を埃まみれにしながら立ち上がり、ぱっぱとそれを払った。そして誠司から手帳を受け取ると、大事そうに握りしめた。
本の背の部分を触れたとき、さくらの表情が微笑みから真顔へと変わり、中のページをパラパラと流し開いていった。途端にさくらはじっとりとした視線を誠司へと向けた。
「やっぱり見たでしょ」
しばらく誠司とさくらは見つめ合っていたが、やがて誠司が居心地悪そうにため息を吐き、ぽつりと呟いた。
「バレたか」
「あー! やっぱり見たんだ! 本の背がちょっと温かくて、試しにページめくってみたら、開き癖がついてたから、すぐわかるよ。どうしてこんなことしたんですか、もう」
眉をひそめながら口を尖らし、誠司を咎めた。誠司は何ら悪びれる様子もなく、平然と理由を語る。
「既に辞典のようなその手帳を、毎日欠かさず持ち歩いているだろ。そんなに大事にしていたら、気にならないものも、気になるだろうが」
心臓の鼓動が高鳴り、胸が内側から叩かれる。しんとした教室に響き渡っている気がしてならない。
誠司は意を決して立ち上がり、その場で左からめくると、ふわりと古い紙の匂いが感じられた。そこにはだいぶ前の日付が書かれてあり、その下には、さくらの字で一言添えられていた。さらにページをめくって行くと、お世辞にも上手いとは言えない絵の四コマ漫画が描かれている日もあった。それは三コマ目までが悪い出来事で、四コマ目が全て夢だった、というオチの決まりがあるようだ。
これは、去年の五月……?
誠司は飛ばし飛ばしにページをめくって、内容を読んでいく。
『二十六年。五月十二日。晴れ。
今日も学校で話す人がいない。困ったなぁ』
『二十六年。七月九日。曇り。
同じクラスの女の子達に話しかけても、どんなにしても無視される。これって、イジメなんだよね、きっと』
自覚……していたのか。
『二十六年。九月二十日。雨。
物を隠されました。学校が楽しいはずなのに、つらい』
『二十六年。十二月二十五日。雪。
ホワイトクリスマス。今年もお父さんとお母さんとお祝い。そういえば私と同じ嫌われ者で、秋元誠司という人がいるみたい。怖い人なのかな』
『二十七年。三月十五日。曇り。
私の誕生日。だけども曇り。誕生花でも調べようかな』
『二十七年。四月二日。晴れ。
二年生、新学期。頑張ろう。今年こそ、頑張ろう』
『二十七年。四月三日。晴れ。
お友達が出来た。秋元誠司君。少し怖い人。でも、本当に本当に嬉しい!』
俺なんかが友達になって嬉しいだなんて、馬鹿げてる。まだ、あいつの考えていることがわからん……。
その時、廊下から誰かの駆ける音が聞こえてきた。その足音は、ちょうど誠司のいる教室の前で止まった。視線を上げ、無機質で薄汚れた白い壁を見つめる。
「誠司君……いる?」
この声、さくらか。
壁の向こうから聞こえる息はまだ荒く、今の今まで走らされていたようだ。誠司が手帳を閉じたと同時に、さくらは壁の下の小さな扉から顔を入れた。
「あっ。手帳、見ちゃったの……?」
「さあな。偶然落ちたところを拾っただけかもしれん」
「そっか、そうだよね。ありがとう」
形にならないナメクジのような匍匐前進で、教室内へと侵入してきたさくらが、体操着を埃まみれにしながら立ち上がり、ぱっぱとそれを払った。そして誠司から手帳を受け取ると、大事そうに握りしめた。
本の背の部分を触れたとき、さくらの表情が微笑みから真顔へと変わり、中のページをパラパラと流し開いていった。途端にさくらはじっとりとした視線を誠司へと向けた。
「やっぱり見たでしょ」
しばらく誠司とさくらは見つめ合っていたが、やがて誠司が居心地悪そうにため息を吐き、ぽつりと呟いた。
「バレたか」
「あー! やっぱり見たんだ! 本の背がちょっと温かくて、試しにページめくってみたら、開き癖がついてたから、すぐわかるよ。どうしてこんなことしたんですか、もう」
眉をひそめながら口を尖らし、誠司を咎めた。誠司は何ら悪びれる様子もなく、平然と理由を語る。
「既に辞典のようなその手帳を、毎日欠かさず持ち歩いているだろ。そんなに大事にしていたら、気にならないものも、気になるだろうが」
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