彼処に咲く桜のように

足立韋護

四月四日(五)

 一日の授業が終わり、赤い夕日が差し込む、他に誰もいない教室。この教室で、誠司は、太一と帰るために待ち合わせをしていた。そんな中、近寄ってきたさくらに頭を下げられていた。
 決して笑うことなどなく、深々と下げられた頭から、意思の込もった、はっきりとした声で、さくらは素直に謝った。


「本当にごめんなさい」


「なぜ謝るんだ」


「私が、その……」


「言いたいことはよくわかっている。だが、なぜ謝るんだ」


 ゆっくり頭を上げて首を傾げたさくらを、誠司は、その光の少ない目で見つめる。それをよく夕日の反射する瞳で、さくらは、見つめ返した。
 そして平然とした口調で、さくらへと言った。無骨な物言いだが、誠司は出来る限り、さくらを気遣っていた。


「最終的に俺が行くと判断した。その結果、勘違いをされた。そしてそれを正した。ただそれだけのことだ。お前は何も悪くない」


「でも、でも、コンビニに誘ったこと自体は、迷惑だったよね……」


「あれは別に、迷惑なんかじゃない。むしろ、その……」


 言葉を濁しながら俯いた誠司は、右手を腰に当てつつ、自らのうなじを左手で撫でている。口を噤み、何度も素早く瞬きした。夕日のせいか、その頬が朱に染まっているように見えた。
 さくらは、その先を促すように、誠司を見上げている。
 そんな折、二人きりの教室の扉に人影が写った。






「んぁ、あれれ、大月さん?」


 間抜けな表情で教室へと入ってきたのは、太一だった。「もう待ち合わせの時間か」と誠司が呟いた。
 誠司とさくらを交互に眺めている。途端に何かを察したようで、誠司へと大袈裟に指を差し、よく通る大きな声で驚嘆した。


「あ、まさか……。あ、あぁあ!」


「やかましい。お前が勘ぐっていることなど何もない、ハイエナめ」


「誠司君のお友達? こんにちはっ」


「あ、はいはーい、こんにちは」


 太一は、笑顔で挨拶してきたさくらに、馴れ馴れしく手を振りながら、二人に近寄った。そして誠司の横に並ぶと、その横顔に期待の視線を送る。誠司が、今日で何回目かわからないため息を吐いた。


「こいつは、俺と中学の頃からの友人、那須太一」


 正面に立つさくらも期待の視線を誠司へと送っている。とうとう誠司は、頭に手を乗せて呆れ果ててしまった。しかし、自らのことを紹介する素振りがないさくらを見て、渋々口を開いた。


「……彼女は、大月さくら。俺と最近話すようになった女、それだけだ」


「さくらって呼んでください。ナス君」


「よろしく、さくらちゃん。って、ナスじゃねぇ、那須な! イントネーションは上、下、じゃなくて下、上だから! あと、タメ口で良いぜ」


 その光景を見るや否や、誠司が、いそいそと鞄を持って勝手に教室から出て行った。がらんとした廊下には、吹奏楽部の不揃いな音色が響き渡っていた。
 焦った様子のさくらと太一は、誠司の後を追いかけた。


「おいおい勝手に行くなよぉ」


「俺はバイトがあるからな。先に行かせてもらう」


 さくらと太一は困ったように目を見合わせてから、逃げるように走って行く誠司を後ろから見守った。誠司は、せかせかと汚れた上履きから、革靴へと履き替えた。
 このとき、誠司の頭は、さくらで埋め尽くされていた。広がりつつある淡紅色を、必死に灰色と黒色で塗りつぶしている気分だった。


 バイトなんてのは嘘に決まってるだろ。ダメだ、どうしようもなく混乱している。大月さくら、一瞬でもあいつに気を許してしまった。俺にそんな権限はない。弟妹を守れなかった俺には、人並みの幸せを感じる権限なんて────

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