彼処に咲く桜のように
四月四日(二)
その日の昼休み、誠司の元には太一の姿はない。体格の良い男子生徒一人いないだけで、どことなく誠司の周囲は寂しく感じられた。そんなことを気にも留めない誠司は、いつも通り、購買部の戦いにおいて勝利を収めていた。
今日は菓子パン二つと惣菜パン一つ、か。大収穫だったな。
「あ、誠司君!」
生徒達とは距離を置いて、戦を眺めているさくらと目が合った。その手には手帳と淡い桃色のがま口財布が握られていた。そんなさくらに、誠司が歩み寄って行く。
「また休み時間を無駄にするつもりか?」
「う、うぅ……」
しばらく何か良い案がないか考えていたさくらは、とんでもなく申し訳なさそうな、苦悩している様子で誠司の持つパンをおもむろに指差した。その瞬間、誠司は心の中でほくそ笑んだ。
「それを、私に、売ってください」
「断る」
「ん、んんー……」
さくらは、珍しく眉をしかめながら、本気にして悩んでいる。イジりがいのない彼女の姿を見かねた誠司は、購買部の壁掛け時計を確認してから、さくらを裏庭にまで連れて行った。
この時、そんな誠司とさくらを監視する人間がいるとは、当の本人達は気付かなかった。
四十五分もあれば余裕で行って帰って来られる。あとはさくら次第だが。
「裏庭? 何があるの?」
目をパチクリとまばたきさせているさくらをよそに、誠司は、裏庭横の草むらに見え隠れている鉄網の一部分を指差した。その鉄網の部分だけ破られており、屈めば人一人程度なら優に抜けられるようになっていた。
「ここから外へと出て、左右の道を右に行き、坂道を真っ直ぐ行くと五分ほどでコンビニがある。
正門と裏門は教師どもが見張っているが、ここはいまだにノーマークだ。これなら購買戦争に参加せずに済む」
県立戸井高等学校は放課後以外の外出は、教師の引率がない限り禁止されている。それはもちろん昼休みでも例外ではない。
偏差値が並の戸井高校だが、その分地元のボランティアを積極的に推進している。そのことから、地域住民とは良い関係を築いていた。
現校長が、地域住民との関係を重んじるため、不必要な外出を禁止する決まりを作ったのだ。
「なんだかワクワクするね! でも見つかったら怒られるかな」
「この時間帯は教師の見回りもいない。安心しろ」
「物知りなんだね、すごいや」
他人に対してここまでしていることに、誠司自身が驚いていた。人とはあまり関わりを持たない、そんな考えはいつの間にか消えかけていた。
さくらは改めて鉄網を見つめてから、答えを待っている誠司へと向き直った。そして胸の前で両手で本を挟み、合掌しながら肩をすくめる。
「あの、良ければ、ついて来てほしい、です」
「はあ? 俺は行く理由がない」
片眉を上げ、顔をあからさまに突き出した誠司は、さくらの顔面すれすれに自らの手に持っている三つのパンを振って見せた。降ろしたパンの向こうからは、視線を足元に落としたさくらの顔が現れた。
「一人って心細いから……厚かましかったよね。ごめん」
……いつも一人のくせに、今更何を言っているんだ。大体、俺がついて行ったところで邪魔なだけだろうに。
さくらは明らかに肩を落とし、残念そうに長く伸びきった雑草をかき分け、網に空いた穴を潜ろうと、その場にしゃがみこんだ。膝まである白と紺色のチェック柄のスカートが、土に触れそうになっている。誠司には、その後ろ姿がどうしようもなく小さく見えた。
体の内側がムズムズした誠司は、目をつむりながらやがて声を荒げた。
「だああ! わぁかった、ついて行けば良いんだろうが。クソ!」
今日は菓子パン二つと惣菜パン一つ、か。大収穫だったな。
「あ、誠司君!」
生徒達とは距離を置いて、戦を眺めているさくらと目が合った。その手には手帳と淡い桃色のがま口財布が握られていた。そんなさくらに、誠司が歩み寄って行く。
「また休み時間を無駄にするつもりか?」
「う、うぅ……」
しばらく何か良い案がないか考えていたさくらは、とんでもなく申し訳なさそうな、苦悩している様子で誠司の持つパンをおもむろに指差した。その瞬間、誠司は心の中でほくそ笑んだ。
「それを、私に、売ってください」
「断る」
「ん、んんー……」
さくらは、珍しく眉をしかめながら、本気にして悩んでいる。イジりがいのない彼女の姿を見かねた誠司は、購買部の壁掛け時計を確認してから、さくらを裏庭にまで連れて行った。
この時、そんな誠司とさくらを監視する人間がいるとは、当の本人達は気付かなかった。
四十五分もあれば余裕で行って帰って来られる。あとはさくら次第だが。
「裏庭? 何があるの?」
目をパチクリとまばたきさせているさくらをよそに、誠司は、裏庭横の草むらに見え隠れている鉄網の一部分を指差した。その鉄網の部分だけ破られており、屈めば人一人程度なら優に抜けられるようになっていた。
「ここから外へと出て、左右の道を右に行き、坂道を真っ直ぐ行くと五分ほどでコンビニがある。
正門と裏門は教師どもが見張っているが、ここはいまだにノーマークだ。これなら購買戦争に参加せずに済む」
県立戸井高等学校は放課後以外の外出は、教師の引率がない限り禁止されている。それはもちろん昼休みでも例外ではない。
偏差値が並の戸井高校だが、その分地元のボランティアを積極的に推進している。そのことから、地域住民とは良い関係を築いていた。
現校長が、地域住民との関係を重んじるため、不必要な外出を禁止する決まりを作ったのだ。
「なんだかワクワクするね! でも見つかったら怒られるかな」
「この時間帯は教師の見回りもいない。安心しろ」
「物知りなんだね、すごいや」
他人に対してここまでしていることに、誠司自身が驚いていた。人とはあまり関わりを持たない、そんな考えはいつの間にか消えかけていた。
さくらは改めて鉄網を見つめてから、答えを待っている誠司へと向き直った。そして胸の前で両手で本を挟み、合掌しながら肩をすくめる。
「あの、良ければ、ついて来てほしい、です」
「はあ? 俺は行く理由がない」
片眉を上げ、顔をあからさまに突き出した誠司は、さくらの顔面すれすれに自らの手に持っている三つのパンを振って見せた。降ろしたパンの向こうからは、視線を足元に落としたさくらの顔が現れた。
「一人って心細いから……厚かましかったよね。ごめん」
……いつも一人のくせに、今更何を言っているんだ。大体、俺がついて行ったところで邪魔なだけだろうに。
さくらは明らかに肩を落とし、残念そうに長く伸びきった雑草をかき分け、網に空いた穴を潜ろうと、その場にしゃがみこんだ。膝まである白と紺色のチェック柄のスカートが、土に触れそうになっている。誠司には、その後ろ姿がどうしようもなく小さく見えた。
体の内側がムズムズした誠司は、目をつむりながらやがて声を荒げた。
「だああ! わぁかった、ついて行けば良いんだろうが。クソ!」
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