エタニティオンライン

足立韋護

芽吹き

────私と兄の修は、精神転送の第一人者である西倉つとむと、科学者を母に持つ兄妹だった。


「勉学に命を賭けろ。扱うマシンを体の一部としろ」


 父の教えは冷酷とも言えるほどに厳しかった。日が昇る前に起こし、一日中ひたすら勉強、機械組み立て。遊ぶ時間など全くなかった。もちろん外になど出ることは許されない。
 喉の渇きも空腹も、定刻が来るまではひたすら我慢。


 死を覚悟するほどの仕打ちを、母は止めるどころか、どんな子らに育つのか、そちらに興味があるようであった。
 幼い私達はそれに耐え続けながら、人並みはずれた知能と技術を手に入れていく。


 恐らく、その代償として、




────『普通』を失った。




 兄は小学生にして機械のように冷たい人間になり、私には病的なまでの人見知りと自己嫌悪が身についた。


 その頃、両親は互いの勝手な都合で離婚。母に引き取られた私の姓が、ここで母の旧姓である水戸に変わった。
 私達は引き剥がされたものの、兄と秘密裏に会い、互いの生存を確認し続けた。


 母は、機械しか触ることのできない、学校にも満足に通えない私を、私の可能性を、完全に見放した。


 用意された端金で適当な食事を見繕って引きこもっていた私は、多岐に渡る勉強だけはやり続けた。それこそが生きる価値、人生であった。
 疑う余地はなかった。そういう世界なのだと信じていた。


 中学生になった私は、たまに会う高校生になった兄の変化に気づいた。光の灯っていなかった兄の瞳に、光どころか輝きが灯っていた。


 そんな兄に、私が「最近……気分良いみたいだね?」と聞くと、「良い出会いがあった。愛というものを知った」と兄は口の端を上げて見せた。あまり出さない表情だ。
 続けて兄は私の両肩をつかんで言い放つ。


「今までのことはなるべく忘れろ。全く新たな世界に目を向け、開拓すべきだ」


 身近な人間の変化は、私にも早速影響を及ぼしてきた。


 勉強の中でも特に苦手としていた運動生理学とスポーツ教育に敢えて取り組もうと決めてみた。


 知識を実験、研究するために、中学生の終わりまでに体の基礎を作った。
 兄の通っていた高校に入学し、卒業する頃には、実験と研究の成果として効率の良い体の扱い方と、筋力を身につけた。


 いつの間にか、知らない世界を突き進むことが楽しくなっていた。
 年下の子らであれば、話ができるかもしれないという考えで、教育の道を進むことにした。


 母は様子の違った私に気づいていたようだったが、何も言ってはこなかった。要求した大学の全費用もテーブルに雑に置かれていた。


 それから対人関係に難はあったものの、知識と経験を活かして体育大学を卒業し、体育の教員免許を取得する頃には人並み外れた運動神経とセンスをものにしていた。




 一人暮らしを始め、悠々自適の生活。あとは生徒らとの楽しい運動の日々を過ごすのみ。
 しかし、いざ母校に勤めてみると現実はそんなに甘くはなかった。


 コミュニケーションが取れない。


 教えることはできる。手本は完璧だ。しかし、コミュニケーションが取れないせいで、前準備も後片付けも本来生徒に手伝わせるべきことを、一人でやらなければならない。
 他の教員との連携も取れないため、授業準備自体にひどく手間がかかる。


 初めの一ヶ月、まともに睡眠が取れないほど仕事をしていた。


 いつもの授業終わり。退屈そうに体育館から去る生徒達。
 いつも通り、一人で後片付けをしていた。何枚ものマットを持ち運ぶのは辛かった。言いようのない惨めさまで感じた。
 そんな時、廊下を駆けてくる音が聞こえてきた。


「やっぱどうしても気になる! 先生、手伝わせて下さい!」


「え、あ……」


 心が高鳴った。
 対人による緊張と、別の何かを。


────真田暁影さなだあきかげ君。標準的な成績。友人をよく気にかける思いやりのある男子生徒。私の認識はこの程度だった。


 唯一、ディープな機械の話ができる機械倫理の宮下先生に伺ってみると、クラスの中心的存在ではないものの、補助的、補佐的役割を進んで行うのだという。
 趣味趣向について、エタニティオンラインというゲームが好きで、授業中よくその情報を覗き見している、と教えていただけた。


 真田暁影君に、俄然興味が湧いた。


 その後から、真田君は純粋な善意で前準備や後片付けを手伝ってくれるようになった。男性との交際経験も、下手をすれば会話経験すらまともにあるか知れない私からすれば、ますます目が離せない存在となっていた


 ある時ふと気がついた。悟ったような感覚はこれまで勉強で幾度か味わったが、これはそれ以上の衝撃であった。


 これが、兄の言っていた愛情か。
 それを知ってしまったが故に、同時に真田君の恋する相手も悟った。


 真田君の視線の向ける先、目が離せない存在。それは明らかに久野琴音くのことねであった。




 この頃、兄に変化をもたらした恋人がずいぶん前に亡くなったという報告を、兄から受けた。社会人になってからというもの連絡を疎かにしていたせいで、通夜にも参列できなかった。


 ある時、私も恋をしたかもしれないと兄に相談する中で、エタニティオンラインに関する話題が出てきた。


「なに? 好きな男がエタニティオンラインを?」


「う、うん。お兄ちゃん、何かのゲームを作る部署でしょう? ゲームに関して、真田君と会話が弾むような話題、ないかな?」


「ゲームを作る部署もなにも、そのエタニティオンラインを開発したのは俺達だぞ?」


「え、そ、そうなんだ……! あっ、なら、お願いが一つだけあるんだけど────」


 兄は「特例中の特例」と、私のアカウントに没データのNPCのスキンを被せることを許可した。
 動機が愛情であることを伝えると、危険を承知で渋々首を縦に振ってくれたのだ。


 間もなくして、スキンを選択できる機会を兄に設けてもらった。どれもよくできたスキンだった。
 その中で一際目を引くものがあった。


「……これにする」


 私の指差したスキンの顔や体格は、どこか久野琴音に類似していた。
 真田君から想いを向けられている限り、彼女に現実世界で太刀打ちなどできるわけがない。
 せめて、エタニティオンラインだけでも────


 エタニティの意味と、久野琴音から、そのキャラクターをクオンと名付けた。


 その日から私は、クオンになったのだ。



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