自称『整備士』の異世界生活
35
トラ様。ご指摘ありがとうございます。
私はハクァーラ。奴隷です。
奴隷とは人格としての権利と自由を持たず、主人の支配下で強制・無償労働を行い,また商品として売買、譲渡の対象とされる物の事を言う。
でも、先代前の勇者様のお陰で奴隷の存在も緩和され、この国では生殺与奪は禁止されていますし、衣住食は与えらるし、過度な労働を強要してはいけないようになってる。
それでも奴隷に権利なんてのはなく、着る服はボロ切れが当たり前。寝床は物置や厩だし、食べ物なんてパン屑一つですらご馳走が普通です。
ご主人様に殴る蹴るの暴行を受けても何も言えず受け入れるしかない。それが奴隷です。
もし、ご主人様に反抗しようものなら、たちまち隷属の腕輪が縮んで腕をもぎ取ってしまう。隷属の首輪が主流だった頃と比べたら良い方だと思います。
私が奴隷になった経緯は行方不明になった弟を捜す依頼を冒険者ギルドに出す為に足りない分を借金をしました。
でも、初級冒険者と呼ばれるFランク冒険者だった私に借金を返す術なんてなくて。月々の返済日に最低返済額の銀貨一枚すら返せずにすぐに奴隷に落ちました。良くある話です。
それでも弟は無事に保護されたと報告を受けて、嬉しかったです。私が奴隷になった意味はあったと思えた。
そして、一週間もせずに私は売れました。
私を買ったのは弟と同じぐらいの人間の子供です。ただ立っているだけなのにオーガと見間違うほどの威圧感を放つ片目を閉じた無表情な男の子です。
付き添いは冒険者ギルドのナタリーさん。この街で活動していた私は彼女との面識ぐらいはありました。
どうして彼がナタリーさんと一緒に居るのか不思議だったけど、奴隷である私がお客様やご主人様の事を詮索するのは許されない行為です。
男の子の名前はエル様と言うらしいです。奴隷商の店主曰く、あの有名な簡易スクロールを作った天才児らしく、決して不興を買わないよう気をつけるように言い付けられました。
そうして私はご主人様の奴隷となった。
ご主人様は本当に不思議…いえ、本音を言えば、不気味…です。姿形は子供なのに、どこか子供らしさに欠ける雰囲気を持ってます。
私は何をすれば良いのか。これから何を要求されるのか。何をすればご主人様の不興を買ってしまうのか。
ご機嫌取りの方法すら分からず、何が正解かも分からなくて、なぜだかとても恐怖を感じる方なんです。
兎人族は危険に敏感な一族です。冒険者をしていた頃もその危機感知能力を頼られる事は少なくなかったです。
その私が今すぐに逃げ出したいほどご主人様を恐ろしく感じるのです。
ご主人様が宿屋の部屋へと無言で入って行った時なんて、部屋に同行するのが怖くて次の一歩が踏み出せなかったほどです。
でも、ご主人様に不快感を与えて何をされるか想像するのも恐ろしくて、なんとか勇気を振り絞って部屋に入りました。
部屋に入った私は覚悟を決めます。殺される事はないと思うけど、獣人である私を亜人種と言って私達を忌み嫌う人達も沢山います。死ぬ寸前まで痛めつけられる事だってあるんです。
だから、私は死ぬかもしれないと心の中ではビクビクと怯えながら覚悟を決めました。けど、その心配は杞憂に終わりました。
ご主人様は私に何かを命令する訳でもなく、手をあげたりする事もなく、まるで私を居ない者のような扱いをし始めたんです。
これはこれで堪えます。
でも、暴力を振るわれるよりはずっとマシですし、私はご主人様に買われて良かったと思ってます。
そんなご主人様だけど、突然床に座り込んだと思いきや、何を思ったのかポケットから鉄のインゴットをーー。
…え?
今、どこから出したの…?
なんて思っていると、インゴットを淡い光が包み込み、あっという間に光沢のある鉄に変えてしまいました。
驚きの出来事ははまだまだ続きます。
まるで粘土の塊から一部をモギ取るように、鉄の塊を易々と千切り取って、それを捏ねて形にし始めたんです。
「す、すごい…」
思わず口から声が溢れてしまうほど、有り得ない光景。
どれだけの馬鹿力でも出来ない芸当が目の前で行われていて、自分の正気を疑う。
私は夢でも見ているのかな…?
自分の目を疑い、夢でも見てるかのような気分に陥いる。夢じゃないと分かっているのに、どうしても眼前の光景が信じられない。
そんな時、ご主人様は「完成」と言って出来上がった指輪を観察し始めた。
とても綺麗な指輪です。まるで鉄の糸を織り交ぜ合わせたかのような形をしていて、飾りのように魔石のような物が嵌め込まれている。
私は凄い光景を見てしまったのかも…。
鉄の加工方法に詳しくはないけど、こんな製法は見た事も聞いた事もない。余りにも理解が追い付かず、驚きすぎて開いた口が塞がらない。
彼は…私のご主人様は…奴隷商の店主の言う通りの天才かもしれません。
いえ、そう思うのも早すぎたみたい。
ご主人様が出来上がった指輪を人差し指に嵌めて小さな声で何かを呟くと指先に火を灯してみせました。
何をする訳でもなく火はすぐに消してしまいまったけど…ご主人様は初めて感情を顔に映し出して満足気に頷きました。
まさか…有り得ない…信じられないけど…でも…もしかして、ご主人様は魔道具をこの短時間で作ってしまった…?
魔道具は、適性属性でない魔法を扱えるようにする万能道具です。だから、凄く高価で。普通の人じゃ絶対に手の届かない高価な代物なんです。
冒険者達の間でも、魔道具を持ってるのは上級冒険者クラスぐらいです。
そんな物を軽々と作ってしまうなんて…。私は…本物の天才に買われたようです。
その後も次々とご主人様は新たにブレスレットやネックレスを作って、あっという間にインゴットを一本丸々使い切ってしまいました。
出来上がったアクセサリーの数は小山が出来るほど。それを短時間で作ってしまいました。
もしこれらを売れば一体幾らになるのか…。全く想像が付かない。
唖然としていると、突然、ご主人様が振り返って私を見ました。
余りにも突然で心の準備が出来てなかった私の心はあっと言う間に恐怖に埋め尽くされて、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまいました。
そんな私にご主人様は言いました。
「これ、売る、してこい」
と。出来上がったアクセサリーの一部を私に預けたんです。
「は、はい…っ!」
勿論、奴隷である私に拒否権なんてない。
私はご主人様の考えてる事が全く分からなくて。兎に角、ご主人様が怖かった私は腹の底から声をひり出す返事をしてから、すぐさま部屋を出しました。
出たのは良いんだけど、この魔道具…どうしよう…。
一つ一つが大金になる謂わば宝物みたいな物です。もし失くしたりすれば…なんて考えると、ゾクリと全身の毛が逆立ちます。
と、兎に角、ご主人様の初めての命令です。失くさないように大切に扱い、然るべき場所に売りに行かなければいけませんっ。
頑張らないとっ!
○○○
本来、奴隷が物を売りにいけば怪しまれて、ご主人様の命令で来たのかと問われる。
私はその後者に当たり、ご主人様の名前を出して、出来る事なら高く買い取って貰うようにしなければならない。
それは奴隷の立場としては難しい事で、どうしても下に見られて安く買い叩かれるのが一般的です。
だけどーー。
「エ、エル様ですかっ!?あの!かの有名な天才児のお造りになったアクセサリーですかっ!?」
私のご主人様の名前はとても効果的だったようです。
私を嘲見る宝石店の店主の態度が一瞬にしてコロリと変わり、まるで上客を相手にするような態度になりました。
本当に私は凄い人に買われたようです。
「た、確かに、あのエル様が奴隷を買われたと噂が立っていましたが、まさか貴方がそうですか?」
「は、はい。おそらく…」
「いやはや!貴方の店を見る目は奴隷にしておくのは勿体ないですねっ!よく私の店に売りに来てくれました!どうぞこちらへっ!拝見させて頂きます!」
本当に…私はどれだけ凄い人に買われたんですか…?
通されたのは、私なんかじゃ一生入る事なんて出来なさそうな高価な部屋でした。
「どうぞ、どうぞ。座って下さい」
奴隷は椅子にすら許可なく座る事を許されないのに、店主は高そうなソファに腰を掛ける事を許し、それだけでなく、すぐに私の前に紅茶を用意させた。
飲んで良いのかな…?
「商人は情報が命ですからね。エル様のお噂は予々(かねがね)伺っております。して、お売りになりたいと仰るアクセサリーですが…」
「あ、はい。ここにあります」
そのまま持ち歩くのも不安だったので、宿屋で皮袋を貰ってそこに入れて持ってきました。
何度も落としてないか確認したりして、ここに辿り着くまで本当に不安で気が気じゃありませんでした。
「お、おおぉぉぉ…っ!こ、これがエル様のお造りになったと言う…。す、素晴らしい…。素晴らしいっ!なんと精巧な!なんと美しい!それに…もしや、これら全て魔道具なのではっ!?」
私に聞かれても…。
でも、確かにご主人様はそれを付けて魔法を使ってたし…。
「エル様のお造りになった魔道具は一般的な呪文と全く異なると聞きます。一つ一つお聞きになっても宜しいでしょうか?」
「は、はい」
大丈夫。覚えてます。
小さい声でしたけど、ちゃんと聞き取りました。
どういう効果が現れるのかも含めて、ここにあるアクセサリー全ての呪文を一言一句間違えずに店主に教える。
「ありがとうございます。どれも大変見事な逸品ばかりで。して、お値段はいかほどをお考えでしょう?」
「え、えっと…」
ど、どうしよう…っ。
私は『売ってこい』としか言われてなくて値段なんて聴いてませんよっ。
「その様子ですと、お値段は仰られてなかったのですね?なるほど、なるほど。そう言う事ですか」
えっ。どう言うこと!?
「エル様は貴方に勉強をさせる為こちらへ寄越したのですね」
そうなんですかっ!?
「ですが、貴方はこれらの適正価格を知らされていないっと言う事は、私(わたくし)めも試されているのですね。どれだけ信用に足る人物か…」
ご主人様はそこまで見越していたのっ!?
わ、私、本当に凄い方に買われてしまったみたいです…。これからご主人様の奴隷としてやっていけるか不安になってきました…。
「これはこれは…やはり噂に足る人物です」
そう言って満足気に頷く店主。
私には不安が重荷となってのしかかる。
「私めはエル様にこれからもご贔屓にさせて頂きたい。ですので、これらを査定を私めに任せて頂きたい。勿論、どれもお高く買い取らせて頂きます。どうでしょう?」
どうでしょうと言われても…。
「は、はい。ではそれで…」
としか言えません。
「ありがとうございますっ!」
店主の態度は、まるで奴隷に対するソレではなく、私の両手を強く握りこんで感謝を口にした。
私は…やっていけるかな…。
○○○
アクセサリーを売った儲け額は、私が生まれてこの方見たことも触れた事もない大金ですっ。
なんと、白金貨1枚に金貨80枚!
庶民が決して手にする事のない白金貨ですっ。貴族様より上の位の人しか扱わないと言う、あの伝説の白金貨ですっ!
これだけあれば一生は何もせずに暮らせますよっ。渡された時なんて、私でも意味の理解できない声が漏れ出てしまったぐらいです。
このまま持ち逃げしてしまおうかと邪な考えが脳裏によぎり、すぐに首を横に振って考えを否定する。
きっと、噂に聞くご主人様はそれすらもお見通しなんです。でなければ、奴隷にしたばかりの私なんかにこんな重大なお仕事を任せたりするはずがない!
だから私はご主人様のお金を皮袋に入れて、両手で抱えるようにして大切に持ち帰っている最中です。
これがまた不安です。不安しかありません。今にも息を詰まらせて死んでしまいそうな気分です。
そんな時に限って、背後から来た人がドンっと肩を当ててきました。危うく大金の入った皮袋を落としかけて冷や汗をかいた。
「おいおい、亜人風情が。人様にぶつかっておいて謝罪の一つもねぇのか?あぁ?」
ぶつかって来たのは相手の方なのに、私が獣人だから難癖を付けられた。
たまにあるんです。私が冒険者をしていた頃も、よくこんな風に因縁を付けられた事がありました。
でも、私は人よりも少し臆病で。いつも言い返せないんです…。
「す、すみません…」
「ちっ。亜人風情。……あ?お前、何をえらく大事に持ってんだ?丁度いい。そいつぁ謝罪料として貰っといてやる」
「あっ…」
強く抱いていた皮袋が、まるで私の手から擦り抜けるように男の手に奪われた。
「か、返してくださいっ!それはご主人様の大切な物なんですっ!」
勇気を振り絞って奪われた物を取り返そうとするけれど、お腹を蹴られて背中を地面に強く打ち付けられる。
泣きたいほど痛いです。それでも私は立ち上がって取り返そうと足掻く。
このままじゃ、せっかく私を買ってくれたご主人様の信頼を得る事なんて出来ないから。また奴隷商に逆戻りして、今度は暴力を振るう人が主人になるのなんて嫌だから。
だから、私は必死に取り返そうとする。でも…どうやっても届かない。
「返して…」
何度蹴られても、何度殴られても、それでも私は取り返そうと這い蹲ってでも男の足にしがみつく。
それしか出来ないから。
私には力がない。奴隷だから。いえ、そうじゃない。兎人族は皆非力で臆病者なんです。だから、いつも絡まれる。こんな目に遭う。
「返して…」
力がないから、いつもバカにされる。だから、私は弓を使った。少しでも勇気を振り絞れるよう冒険者になった。
でも、やっぱり…私は弱いまま…。
涙や砂で霞む視界の中、男達はゲラゲラと楽しげに笑いながら立ち去って行くのが見える。
誰も私の事なんて助けようともしてくれない。
私みたいな兎人族なんて…。私みたいな獣人なんて…。誰も…。
「帰る、遅い。何する、してる?」
ふと、下手くそな言葉が頭上から投げ掛けられた。それは間違いなく私に掛けた言葉です。
だって、その声は私の良く知る声なんです。
下手くそで。でも、頑張って一言ずつ話そうとする、子供の声。
私を買ってくれたご主人様の声…。
「怪我、痛む、か?」
ご主人様が私の体に触れた途端、体の内側からポカポカとした温もりが全身に広がって、さっきまでの痛みが嘘のように消えてしまいました。
私のご主人様は本当に凄い人です。あんなに凄い魔道具を作るだけじゃなくて、私の怪我を一瞬で治すほどの魔法も使えるんですから。
でも、私はご主人様の信頼を得れなかった。お金を取り戻せなかった…。
「ご主人様…すみません…お金…」
泣きそうになるのを堪えて精一杯に謝罪します。もしそれで許してくれるなら、と。小さな望みを掛けて謝る。
「金?」
なのに、ご主人様は『なんの話?』とでも言いたそうな顔をした。
まるでお金になんて興味がないような。無垢な子供が浮かべる表情で、本当に不思議で仕方がないと言った風に首を傾げたんです。
私にはご主人様の考えが全く分かりません。
ご主人様は少し首を捻って考えた後、何かを思い出したかのように手に拳を打ち付けた。
「ああ、金。そうだ、金だ」
それからはあっという間でした。
ご主人様が物凄い速さでどこかへ走り去って行ったと思えば、遠くからさっきの男達の悲鳴が聞こえてきてーー。
ご主人様が私の元に戻って来た時には、その手には奪われた皮袋が握られていた。
私のご主人様は本当に凄い人…です…。
私はハクァーラ。奴隷です。
奴隷とは人格としての権利と自由を持たず、主人の支配下で強制・無償労働を行い,また商品として売買、譲渡の対象とされる物の事を言う。
でも、先代前の勇者様のお陰で奴隷の存在も緩和され、この国では生殺与奪は禁止されていますし、衣住食は与えらるし、過度な労働を強要してはいけないようになってる。
それでも奴隷に権利なんてのはなく、着る服はボロ切れが当たり前。寝床は物置や厩だし、食べ物なんてパン屑一つですらご馳走が普通です。
ご主人様に殴る蹴るの暴行を受けても何も言えず受け入れるしかない。それが奴隷です。
もし、ご主人様に反抗しようものなら、たちまち隷属の腕輪が縮んで腕をもぎ取ってしまう。隷属の首輪が主流だった頃と比べたら良い方だと思います。
私が奴隷になった経緯は行方不明になった弟を捜す依頼を冒険者ギルドに出す為に足りない分を借金をしました。
でも、初級冒険者と呼ばれるFランク冒険者だった私に借金を返す術なんてなくて。月々の返済日に最低返済額の銀貨一枚すら返せずにすぐに奴隷に落ちました。良くある話です。
それでも弟は無事に保護されたと報告を受けて、嬉しかったです。私が奴隷になった意味はあったと思えた。
そして、一週間もせずに私は売れました。
私を買ったのは弟と同じぐらいの人間の子供です。ただ立っているだけなのにオーガと見間違うほどの威圧感を放つ片目を閉じた無表情な男の子です。
付き添いは冒険者ギルドのナタリーさん。この街で活動していた私は彼女との面識ぐらいはありました。
どうして彼がナタリーさんと一緒に居るのか不思議だったけど、奴隷である私がお客様やご主人様の事を詮索するのは許されない行為です。
男の子の名前はエル様と言うらしいです。奴隷商の店主曰く、あの有名な簡易スクロールを作った天才児らしく、決して不興を買わないよう気をつけるように言い付けられました。
そうして私はご主人様の奴隷となった。
ご主人様は本当に不思議…いえ、本音を言えば、不気味…です。姿形は子供なのに、どこか子供らしさに欠ける雰囲気を持ってます。
私は何をすれば良いのか。これから何を要求されるのか。何をすればご主人様の不興を買ってしまうのか。
ご機嫌取りの方法すら分からず、何が正解かも分からなくて、なぜだかとても恐怖を感じる方なんです。
兎人族は危険に敏感な一族です。冒険者をしていた頃もその危機感知能力を頼られる事は少なくなかったです。
その私が今すぐに逃げ出したいほどご主人様を恐ろしく感じるのです。
ご主人様が宿屋の部屋へと無言で入って行った時なんて、部屋に同行するのが怖くて次の一歩が踏み出せなかったほどです。
でも、ご主人様に不快感を与えて何をされるか想像するのも恐ろしくて、なんとか勇気を振り絞って部屋に入りました。
部屋に入った私は覚悟を決めます。殺される事はないと思うけど、獣人である私を亜人種と言って私達を忌み嫌う人達も沢山います。死ぬ寸前まで痛めつけられる事だってあるんです。
だから、私は死ぬかもしれないと心の中ではビクビクと怯えながら覚悟を決めました。けど、その心配は杞憂に終わりました。
ご主人様は私に何かを命令する訳でもなく、手をあげたりする事もなく、まるで私を居ない者のような扱いをし始めたんです。
これはこれで堪えます。
でも、暴力を振るわれるよりはずっとマシですし、私はご主人様に買われて良かったと思ってます。
そんなご主人様だけど、突然床に座り込んだと思いきや、何を思ったのかポケットから鉄のインゴットをーー。
…え?
今、どこから出したの…?
なんて思っていると、インゴットを淡い光が包み込み、あっという間に光沢のある鉄に変えてしまいました。
驚きの出来事ははまだまだ続きます。
まるで粘土の塊から一部をモギ取るように、鉄の塊を易々と千切り取って、それを捏ねて形にし始めたんです。
「す、すごい…」
思わず口から声が溢れてしまうほど、有り得ない光景。
どれだけの馬鹿力でも出来ない芸当が目の前で行われていて、自分の正気を疑う。
私は夢でも見ているのかな…?
自分の目を疑い、夢でも見てるかのような気分に陥いる。夢じゃないと分かっているのに、どうしても眼前の光景が信じられない。
そんな時、ご主人様は「完成」と言って出来上がった指輪を観察し始めた。
とても綺麗な指輪です。まるで鉄の糸を織り交ぜ合わせたかのような形をしていて、飾りのように魔石のような物が嵌め込まれている。
私は凄い光景を見てしまったのかも…。
鉄の加工方法に詳しくはないけど、こんな製法は見た事も聞いた事もない。余りにも理解が追い付かず、驚きすぎて開いた口が塞がらない。
彼は…私のご主人様は…奴隷商の店主の言う通りの天才かもしれません。
いえ、そう思うのも早すぎたみたい。
ご主人様が出来上がった指輪を人差し指に嵌めて小さな声で何かを呟くと指先に火を灯してみせました。
何をする訳でもなく火はすぐに消してしまいまったけど…ご主人様は初めて感情を顔に映し出して満足気に頷きました。
まさか…有り得ない…信じられないけど…でも…もしかして、ご主人様は魔道具をこの短時間で作ってしまった…?
魔道具は、適性属性でない魔法を扱えるようにする万能道具です。だから、凄く高価で。普通の人じゃ絶対に手の届かない高価な代物なんです。
冒険者達の間でも、魔道具を持ってるのは上級冒険者クラスぐらいです。
そんな物を軽々と作ってしまうなんて…。私は…本物の天才に買われたようです。
その後も次々とご主人様は新たにブレスレットやネックレスを作って、あっという間にインゴットを一本丸々使い切ってしまいました。
出来上がったアクセサリーの数は小山が出来るほど。それを短時間で作ってしまいました。
もしこれらを売れば一体幾らになるのか…。全く想像が付かない。
唖然としていると、突然、ご主人様が振り返って私を見ました。
余りにも突然で心の準備が出来てなかった私の心はあっと言う間に恐怖に埋め尽くされて、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまいました。
そんな私にご主人様は言いました。
「これ、売る、してこい」
と。出来上がったアクセサリーの一部を私に預けたんです。
「は、はい…っ!」
勿論、奴隷である私に拒否権なんてない。
私はご主人様の考えてる事が全く分からなくて。兎に角、ご主人様が怖かった私は腹の底から声をひり出す返事をしてから、すぐさま部屋を出しました。
出たのは良いんだけど、この魔道具…どうしよう…。
一つ一つが大金になる謂わば宝物みたいな物です。もし失くしたりすれば…なんて考えると、ゾクリと全身の毛が逆立ちます。
と、兎に角、ご主人様の初めての命令です。失くさないように大切に扱い、然るべき場所に売りに行かなければいけませんっ。
頑張らないとっ!
○○○
本来、奴隷が物を売りにいけば怪しまれて、ご主人様の命令で来たのかと問われる。
私はその後者に当たり、ご主人様の名前を出して、出来る事なら高く買い取って貰うようにしなければならない。
それは奴隷の立場としては難しい事で、どうしても下に見られて安く買い叩かれるのが一般的です。
だけどーー。
「エ、エル様ですかっ!?あの!かの有名な天才児のお造りになったアクセサリーですかっ!?」
私のご主人様の名前はとても効果的だったようです。
私を嘲見る宝石店の店主の態度が一瞬にしてコロリと変わり、まるで上客を相手にするような態度になりました。
本当に私は凄い人に買われたようです。
「た、確かに、あのエル様が奴隷を買われたと噂が立っていましたが、まさか貴方がそうですか?」
「は、はい。おそらく…」
「いやはや!貴方の店を見る目は奴隷にしておくのは勿体ないですねっ!よく私の店に売りに来てくれました!どうぞこちらへっ!拝見させて頂きます!」
本当に…私はどれだけ凄い人に買われたんですか…?
通されたのは、私なんかじゃ一生入る事なんて出来なさそうな高価な部屋でした。
「どうぞ、どうぞ。座って下さい」
奴隷は椅子にすら許可なく座る事を許されないのに、店主は高そうなソファに腰を掛ける事を許し、それだけでなく、すぐに私の前に紅茶を用意させた。
飲んで良いのかな…?
「商人は情報が命ですからね。エル様のお噂は予々(かねがね)伺っております。して、お売りになりたいと仰るアクセサリーですが…」
「あ、はい。ここにあります」
そのまま持ち歩くのも不安だったので、宿屋で皮袋を貰ってそこに入れて持ってきました。
何度も落としてないか確認したりして、ここに辿り着くまで本当に不安で気が気じゃありませんでした。
「お、おおぉぉぉ…っ!こ、これがエル様のお造りになったと言う…。す、素晴らしい…。素晴らしいっ!なんと精巧な!なんと美しい!それに…もしや、これら全て魔道具なのではっ!?」
私に聞かれても…。
でも、確かにご主人様はそれを付けて魔法を使ってたし…。
「エル様のお造りになった魔道具は一般的な呪文と全く異なると聞きます。一つ一つお聞きになっても宜しいでしょうか?」
「は、はい」
大丈夫。覚えてます。
小さい声でしたけど、ちゃんと聞き取りました。
どういう効果が現れるのかも含めて、ここにあるアクセサリー全ての呪文を一言一句間違えずに店主に教える。
「ありがとうございます。どれも大変見事な逸品ばかりで。して、お値段はいかほどをお考えでしょう?」
「え、えっと…」
ど、どうしよう…っ。
私は『売ってこい』としか言われてなくて値段なんて聴いてませんよっ。
「その様子ですと、お値段は仰られてなかったのですね?なるほど、なるほど。そう言う事ですか」
えっ。どう言うこと!?
「エル様は貴方に勉強をさせる為こちらへ寄越したのですね」
そうなんですかっ!?
「ですが、貴方はこれらの適正価格を知らされていないっと言う事は、私(わたくし)めも試されているのですね。どれだけ信用に足る人物か…」
ご主人様はそこまで見越していたのっ!?
わ、私、本当に凄い方に買われてしまったみたいです…。これからご主人様の奴隷としてやっていけるか不安になってきました…。
「これはこれは…やはり噂に足る人物です」
そう言って満足気に頷く店主。
私には不安が重荷となってのしかかる。
「私めはエル様にこれからもご贔屓にさせて頂きたい。ですので、これらを査定を私めに任せて頂きたい。勿論、どれもお高く買い取らせて頂きます。どうでしょう?」
どうでしょうと言われても…。
「は、はい。ではそれで…」
としか言えません。
「ありがとうございますっ!」
店主の態度は、まるで奴隷に対するソレではなく、私の両手を強く握りこんで感謝を口にした。
私は…やっていけるかな…。
○○○
アクセサリーを売った儲け額は、私が生まれてこの方見たことも触れた事もない大金ですっ。
なんと、白金貨1枚に金貨80枚!
庶民が決して手にする事のない白金貨ですっ。貴族様より上の位の人しか扱わないと言う、あの伝説の白金貨ですっ!
これだけあれば一生は何もせずに暮らせますよっ。渡された時なんて、私でも意味の理解できない声が漏れ出てしまったぐらいです。
このまま持ち逃げしてしまおうかと邪な考えが脳裏によぎり、すぐに首を横に振って考えを否定する。
きっと、噂に聞くご主人様はそれすらもお見通しなんです。でなければ、奴隷にしたばかりの私なんかにこんな重大なお仕事を任せたりするはずがない!
だから私はご主人様のお金を皮袋に入れて、両手で抱えるようにして大切に持ち帰っている最中です。
これがまた不安です。不安しかありません。今にも息を詰まらせて死んでしまいそうな気分です。
そんな時に限って、背後から来た人がドンっと肩を当ててきました。危うく大金の入った皮袋を落としかけて冷や汗をかいた。
「おいおい、亜人風情が。人様にぶつかっておいて謝罪の一つもねぇのか?あぁ?」
ぶつかって来たのは相手の方なのに、私が獣人だから難癖を付けられた。
たまにあるんです。私が冒険者をしていた頃も、よくこんな風に因縁を付けられた事がありました。
でも、私は人よりも少し臆病で。いつも言い返せないんです…。
「す、すみません…」
「ちっ。亜人風情。……あ?お前、何をえらく大事に持ってんだ?丁度いい。そいつぁ謝罪料として貰っといてやる」
「あっ…」
強く抱いていた皮袋が、まるで私の手から擦り抜けるように男の手に奪われた。
「か、返してくださいっ!それはご主人様の大切な物なんですっ!」
勇気を振り絞って奪われた物を取り返そうとするけれど、お腹を蹴られて背中を地面に強く打ち付けられる。
泣きたいほど痛いです。それでも私は立ち上がって取り返そうと足掻く。
このままじゃ、せっかく私を買ってくれたご主人様の信頼を得る事なんて出来ないから。また奴隷商に逆戻りして、今度は暴力を振るう人が主人になるのなんて嫌だから。
だから、私は必死に取り返そうとする。でも…どうやっても届かない。
「返して…」
何度蹴られても、何度殴られても、それでも私は取り返そうと這い蹲ってでも男の足にしがみつく。
それしか出来ないから。
私には力がない。奴隷だから。いえ、そうじゃない。兎人族は皆非力で臆病者なんです。だから、いつも絡まれる。こんな目に遭う。
「返して…」
力がないから、いつもバカにされる。だから、私は弓を使った。少しでも勇気を振り絞れるよう冒険者になった。
でも、やっぱり…私は弱いまま…。
涙や砂で霞む視界の中、男達はゲラゲラと楽しげに笑いながら立ち去って行くのが見える。
誰も私の事なんて助けようともしてくれない。
私みたいな兎人族なんて…。私みたいな獣人なんて…。誰も…。
「帰る、遅い。何する、してる?」
ふと、下手くそな言葉が頭上から投げ掛けられた。それは間違いなく私に掛けた言葉です。
だって、その声は私の良く知る声なんです。
下手くそで。でも、頑張って一言ずつ話そうとする、子供の声。
私を買ってくれたご主人様の声…。
「怪我、痛む、か?」
ご主人様が私の体に触れた途端、体の内側からポカポカとした温もりが全身に広がって、さっきまでの痛みが嘘のように消えてしまいました。
私のご主人様は本当に凄い人です。あんなに凄い魔道具を作るだけじゃなくて、私の怪我を一瞬で治すほどの魔法も使えるんですから。
でも、私はご主人様の信頼を得れなかった。お金を取り戻せなかった…。
「ご主人様…すみません…お金…」
泣きそうになるのを堪えて精一杯に謝罪します。もしそれで許してくれるなら、と。小さな望みを掛けて謝る。
「金?」
なのに、ご主人様は『なんの話?』とでも言いたそうな顔をした。
まるでお金になんて興味がないような。無垢な子供が浮かべる表情で、本当に不思議で仕方がないと言った風に首を傾げたんです。
私にはご主人様の考えが全く分かりません。
ご主人様は少し首を捻って考えた後、何かを思い出したかのように手に拳を打ち付けた。
「ああ、金。そうだ、金だ」
それからはあっという間でした。
ご主人様が物凄い速さでどこかへ走り去って行ったと思えば、遠くからさっきの男達の悲鳴が聞こえてきてーー。
ご主人様が私の元に戻って来た時には、その手には奪われた皮袋が握られていた。
私のご主人様は本当に凄い人…です…。
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コメント
トラ
1日に3話も更新して貰えるとか凄い嬉しいです!
お仕事と執筆両方頑張ってください
次も楽しみです!