自称『整備士』の異世界生活

九九 零

32

抜けてました…。








(この…このガキィィッ!)

男の名前はグウェン。カルッカンの闇ギルドでNo.2の実力を持った男だ。素早さは常人の目にも留まらず、放たれた矢をも軽く追い抜く。幼い頃からスリや盗みで鍛えた器用さで、浮浪児だったグウェンが闇ギルドのNo.2まで登り詰めた。

しかし、今はNo.2にあるまじき醜態を晒してしまっている。殴られた股間を抑えて激痛で地面をのたうちまわっていた。

上目で元凶を睨み付ければ、相手は子供にあるまじき冷徹な瞳でグウェンを見下ろしている。

(なんなんだ!なんなんだよっ!コイツッ!!)

グウェンは自身の素早さに絶対の自信を持っていた。この素早さと技があれば、誰にも負けないと自負していた。

かく言う、これまでがそうだったから。

グウェンが戦闘で負けたことなんてなかった。面と向かって戦うのも、暗殺も、どれも確実に素早く熟してきていた。失敗なんてした事がなかった。

それは一種の才能だろう。しかし、今回は相手が悪かった。

少年の名前はエル。事前に闇ギルドで得た情報によれば、魔法の才能は皆無だが、齢10歳にして様々な魔法道具を開発。戦闘センスも子供にしては異様に高く、股間を執拗に狙う変態的な天才児だと記されていた。

しかし、その本質は情報通りではない。

「なぜ攻撃、外す、した?」

要約すると、なぜワザと攻撃を外した?と言っている。
その言葉は拙いながらもグウェンに伝わる。そして、グウェンを戦慄させた。

(私の攻撃がワザと外している事を全て見切っただと!?嘘だ!有り得ない!こんなの、ただの戯言だ!)

それなら攻撃が全く見えないと言われた方がまだマシだった。グウェンの繰り出した攻撃の全てが何も見えず、何も知らないまま一瞬の虚をついて攻撃してきたと言われた方がずっと納得しやすかった。

「……ふ…ふふっ…」

見える筈がない。見えていれば、攻撃を避けようと動く筈だ。
見切れる筈がない。見切っていれば、全ての攻撃に何らかの対処をしていた筈だ。

だとすれば、これはただのハッタリだ。
そんな分かりやすいハッタリを僅かにも本気にして動揺してしまった自分自身を笑う。

「さすがは破壊王子。情報通り、容赦ない…な」

まだ股間は痛む。両手で抑えても、その激痛は誤魔化しが効かないほどの痛みを訴えてくる。

だけど、立ち上がれるほどまでは回復した。

ヨロヨロと股間を抑えつつ立ち上がるが、その姿は傍目から見ればかなり滑稽だ。

内股になった両足をプルプルと子鹿のように震わせ、激痛で歪みそうになる顔を気力のみで引き締めようとしている。

そんなグウェンを見てエルは鼻で小さく笑ったが、今のグウェンにそんな事を気にする余裕なんてない。

「こ、この程度で私に勝ったと思うなよっ」

奥歯に仕込んでいた回復薬(ポーション)のケースを噛み砕くと、今の今までグウェンを苦しめていた激痛が嘘のように和らぐ。

痛みが引くと同時に、エルから距離を取るように数歩バックステップ。
もう脅しなんて行為はやめて、次は殺しにかかる。そんな意図を込めて、構えを取る。

「さっきのは単なるマグレだった事を思い知らせてーー」

ーーやる。そう言おうとした刹那。視界からエルが姿を消した。

まるで、お伽話に出てくるような転移魔法でも使ったかのように忽然と姿が掻き消えた。と、思った途端、爆風が路地に吹き荒れ、思わずグウェンは顔を両手で守ろうとした。

そんな僅かな瞬間に見えた光景は、嘘のように有り得なく、到底理解が出来ないものだった。

「〜〜〜ッ!?ヌオォォォッ!!」

そして、本日二度目の脳まで貫くような激痛。この痛みが何なのかグウェンは嫌というほど知っている。

余りにも痛すぎて目尻から涙を零し、股間を抑えて膝から崩れ落ちる。
見上げてみれば、冷徹な瞳で見下ろす少年の姿が…エルの姿があった。

嘘…だろ…。

この時グウェンは確信した。

目の前の子供は子供じゃない。人間ですらない。化け物なんだと。


○○○


その後。心身共にエルに敗北してしまったグウェンは路地で壁に背を預けて呆然と空を見上げていた。

あの瞬間。爆風が吹き荒れた瞬間。僅かに見えた光景がトラウマとなって、今でも頭から離れない。

グウェンは生まれながらにして素早さに秀でていた。他の誰と比べても素早さと器用さは優れていると自信を持っていた。だが、あの瞬間に見た光景は、そんなグウェンの自信と言う名の棒をへし折るようなものだった。

『上には上がいる』闇ギルドのギルド長が口癖のように言っていた言葉を今更思い出す。

確かにそうだ。その通りだ。

エルの動きはグウェンの目を持ってしても捉えるのがやっとだった。まるで夢でも見てたかのような光景だった。
しかし、今のグウェンは身を以て知らされている。これは決して夢なんかじゃない。現実なんだと、回復薬で治しても未だにトラウマのように残る股間の鈍痛に突き付けられる。

今のグウェンはエルの脅し文句に負けた成れの果てだ。死ぬまで股間を蹴られるか、情報を話すかの究極の二択を迫られた結果だった。

勿論、グウェンは聞かれた事を洗いざらい全て話した。話さなければ本気でエルは股間を容赦なく蹴り続けそうな冷めきった瞳をしていたから、そうするしか術がなかった。

もし闇ギルドの情報を話した事が知られたならば、このままこの街に留まれば闇ギルドに消されるだろう。

しかし、動く気にならない。彼の気力が、心が折れてしまっていた。

相手が悪かったとしか言いようがない。

「はぁ……」

酒でも呑んで忘れたい気分だ。

そう思いながら空を見上げていると、不意に彼の視界に影が覆い隠した。

「ようやくお迎えか…」

彼の視界に闇が映った。いや、アレは人だ。闇ギルドの組員の一人が闇ギルドの情報を話したグウェンを抹殺しに来たんだろう。

グウェンの速度を持ってすれば逃げようと思えば容易く逃げれるだろう。股間の痛みも予備の回復薬(ポーション)で治している。
だけども、そうする気は全く起きない。

このまま大人しくしていれば、ここで始末される事はなく闇ギルドに連行されるだろう。そうすれば酒の一杯ぐらいは呑める。

この悪夢から目を覚ませるかもしれない。

彼の前に降り立った闇ギルドの組員を遠い目で見つめながら、そう思う。

しかし、

「グウェンさん。ギルドが…潰されました」

「………は?」

彼の予想は斜め上に裏切られた。


●●●


辺りが暗くなりつつある夕刻。
街の中央にある広場のベンチで、一人の女性が暗い表情で座っていた。

「はぁ…」

女性の名はナタリー。冒険者ギルドの受付嬢兼ギルド長補佐だ。
そんな彼女を悩ませているのは…。

「またダメでした…お母さん…」

今日は楽しみにしていた恋人とのデートだった。恋人はパン屋の息子。イケメンでもなければ、強くもなく、お金持ちでもない至って普通の男の人。だけど、これまで幾人もの冒険者を見てきたナタリーにとって、彼は癒しそのものであった。

出来うるならば、そのままゴールインを目指していた。が、デートの最中に起きたとある出来事によって恋人は逃げてしまった。
あの様子だと、もう会ってくれさえしないだろう。

早く結婚しなさいっ!と囃し立ててくる母に謝罪するナタリー。と同時に、原因を作った冒険者達に怨みを飛ばす。

とある出来事と言うのは、冒険者ならば日常茶飯事な単なる喧嘩だ。
殴り合いから本気の殺し合いに発展しそうになっていた所で、見ていられなくなったナタリーが介入。喧嘩両成敗と言った風に双方共に鉄拳制裁を加えて終わらせた。

いつも通りの出来事。それらを宥めるのも受付嬢の仕事…。

「はぁ…」

またもや強く疲労の篭った溜息が吐き出される。

「溜息、か」

突然聞こえた声にギョッとして、空席だったはずの隣を見る。と、そこにはいつのまにか見慣れた少年の姿があった。

「エ、エルさん…ですか…」

「ああ」

チラリと横目でナタリーを見やるエル。その目はいつも通り冷めきっていて、表情は何を考えているのか分からない。

いつ見ても不気味だ。

いや、今はより一層不気味に感じる。
ナタリーはこれでも元Bランク冒険者であり、それなりに気配察知にも長けていた。何者かが接近すれば真っ先に気付く筈なのに、年端もいかないエルの接近に全く気付けなかったのだ。

しかし、ナタリーはエルから発せられる不気味さを感じつつも、彼に悟られないように若干引き攣った営業スマイルを浮かべてやり過ごす。

「どうしてここに?」

「休憩する、している」

相変わらずな単調で拙い口調で答えると、今度は真っ直ぐにナタリーの目を見て口を開いた。

「溜息、なぜ?」

やはりいつ見てもナタリーにはエルが不気味に見える。
その冷たく真っ黒な瞳も、感情の読めない表情も、まるで子供らしくなくて違和感しか感じない。

「………」

だから、ナタリーはエルを生理的に受け付けられず、エルの質問に無言の返答を返してしまうが、嫌な顔をしないだけまだマシだろう。

暫くエルはナタリーの返答を待っていたが、ナタリーに話す気がないと察して興味を失ったかのように視線を何もない路地に向けた。

それから数分ばかり無言の時が過ぎると、不意にエルが長椅子から飛び降りて、ナタリーに背中を見せながら話した。

「一つ、報告、ある」

エルの右方面を指差す。

「南、倉庫、3番」

何かの暗号なのか。それだけを言い残してエルは歩き去って行った。

エルの小さな背中を見届けながらナタリーは考える。

エルはその歳に似合わないほど頭が良く、話をしていると、まるで子供と話してるとは思えない。

そう言う所がナタリーに不気味さを抱かせる。

しかし、彼が指差した方向は北だ。なのに、南の倉庫と言った。そこにどんな意図が込められているのかナタリーには皆目検討が付かなかった。

エルの後ろ姿が見えなくなると同時にナタリーは立ち上がった。

「南の倉庫…ですか」

さっきまで彼女を悩ませていた事など忘れ、取り敢えず行ってみれば分かると思って南の倉庫へと足を向けた。


●●●


南倉庫3番。所有者名義はどこぞの商店名になっているが、商業ギルドに問い合わせてみても、同じ名義の商店は存在しなかった。

そんな南倉庫3番は早朝から衛兵達の手によって隅から隅まで捜索されていた。

通報したのはナタリーと言う名の冒険者ギルドの受付嬢。曰く、「大変ですっ!兎に角、大変なんですっ!」と通報したらしい。

衛兵達が南倉庫3番を捜索して出てきたのは、最近の巷を騒がせている少年少女失踪事件に関する内容と、隣国の帝国に関する一部研究資料だった。

その話は、カルッカンの街の領主の耳にすぐに入った。

「ドンテの息子、エル…か」

領主は報告書に目を通した後、両目を手で覆い隠して大きな溜息を吐いた。

彼は随分と苦労しているようだ。綺麗な金色の髪がくすみ白髪混じりとなり、頬はやつれ、目の下には深いクマが出来てしまっている。

一体、何日休んでいないのだろうか。

「こうも立て続けに同じ名前を見るとはな…。この疫病神め…」

執務机に置かれた報告書の数々。そこには、どれも『エル』の名前が載っていた。

初めにこの名前を見たのは、報告書ではなく、一通の手紙だった。騎士養成学院の推薦状を書いて欲しいと、親しくしているベルモンド家からの要請があった時からだった。

その次にその名を見たのは、この街の冒険者ギルドからの注意喚起。『簡易スクロールの直接の買取は禁止』と言うものだ。

その他にも立て続けに大貴族アーマネストからの感謝状がアッカルド村の『エル』宛に届き、巷で噂の魔道具製作者の調査報告書が『エル』と言う名だと判明した。と同じ日に『エル』を名乗る子供が宿屋を破壊。貴族ブルタークを傷付けたと報告が上がり、対処をする間も無く事態は少年『エル』が率いる冒険者達の手によって鎮圧化され…たと思えば、今度はこの街に巣食う闇ギルドが動き出し、なぜか闇ギルドが一晩にして壊滅。

そして、またもや黒髪黒目の少年『エル』の名前が出てくる。

「一体、何者なんだ…」

そう呟き、ペラリと報告書を捲る。と、そこには冒険者ギルドからの報告書が…。

「またこの名前…」

その名前を見ただけで胃がキリキリと痛むのを感じる。

ただでさえこの少年に対して他の貴族達から異様な重圧が掛けられているのに、またもや問題が起きそうな報告書が提出されていたのだ。

『冒険者ギルドより。

ドンテの息子エルが作成する簡易スクロールについて。
本日、冒険者ギルドにてエルを仮登録。見習い冒険者とする。継続的依頼内容として簡易スクロールの作成、冒険者ギルドに対してのみ販売する事が決定いたしました。

取り急ぎ商業ギルドへ登録させたいのですが、まだまだ年端もいかぬ子供ゆえ急ぎ推薦状をお書き願います。

冒険者ギルド カルッカン支部 ギルド長ウィック』

確かに、一市民の子供が商業ギルドに登録できるはずもない。冒険者ギルドに登録するのですら、15歳の成人を過ぎてからになる。

これはかなり異例な事案だ。

しかし、注目すべき点はそこではない。
『冒険者ギルドにてエルを仮登録。見習い冒険者とする。継続的依頼内容として簡易スクロールの作成、冒険者ギルドに対してのみ販売する事が決定いたしました』と言う文面だ。

裏を返せば、少年エルは冒険者となった事で身分は冒険者ギルドによって保証され、ついでに言うと身柄も保証される。手を出せば冒険者ギルドが敵に回る。依頼する際は必ず冒険者ギルドを仲介に挟めと言外に伝えてきている。

それに、この街の冒険者ギルドだけが簡易スクロールの販売をしている。と強気な宣言までしてきている。

簡易スクロールの人気を良く知っている領主からすれば街に納められる税収が増えて嬉しい所だが、素直には喜べない。

財政が潤えば、冒険者ギルドの発言権は増す。これまで領主の推薦がなければ出来なかった事が、冒険者ギルド単体で可能となってしまうのだ。

もしそうなれば、これまで入ってきていた細々とした情報が失われてしまう。例えそれが小さなものだとしても、この街を統括する領主としては大きな痛手となってしまう。

暫く考えた後、領主はこの街の未来を左右する大きな決断を下して、冒険者ギルド宛の返事を手紙に書き記した。

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