行き当たりばったりの総理と愉快な仲間たち

スカーレット

第二話

「本日のご予定ですが……」


 あの騒がしい朝を迎えてから数時間後、僕を迎えに来たという人影があった。
 もちろん僕はその時点では既に着替えていたし、朝の様に寝間着のままという無様を晒すこともなくその迎えに応じることが出来た。
 その人は女性で、年齢不詳な顔立ち……決してブスではないが、美人とか可愛い、というものとはちょっと違う、何とも形容しがたい顔立ちをしている。


 細身の体にタイトなスーツと、黒く長い腰まである髪がよく似合っているという印象のその女性は、総理大臣である僕の秘書官を務めるらしく、自宅のドアを開けて出迎えた僕に仰々しく会釈をして名刺を手渡してきた。
 当然何も知らされてなどいなかった僕が名刺など持っているはずもなく、どうしたものかと思っていたら、その女性……来栖桜花くるすおうかは薄く笑って、名刺は間もなく完成いたしますので、と言った。
 本名なのかどうなのかわからないが、秘書がいると言うのであれば、僕としても何もわからないまま職務とか言われても正直なところあたふたして一日が終わる、と思うので来栖の存在はありがたかった。


「この後、まずは官邸にて内部をご覧いただきます。早速ではありますが何しろ急遽決まったことですので、どうかご理解ください。先ほどマスコミへは、会見を開くと仰っていましたがいかがいたしますか?」


 ほとんど揺れを感じない黒塗りの高級車の車内で、僕は来栖から今日の日程についての確認をされていた。
 学校なんか当然行ける雰囲気じゃないし、来栖の話じゃ僕は学校自体をほとんど免除された様なものだと聞かされている。
 この時点でもう、おかしい話がてんこ盛りだ。


 よくこの国がそんなことを許したものだ、なんて子ども心に思う。
 義務教育が聞いて呆れるというものだ。


「見学にはおよそ二時間程度かかりますので、会見を開かれるのでしたら昼食後がよろしいかと思いますが」
「ああ、そうだね……」


 あの場はトイレに行きたかったという事情もあって、早く切り上げなければとああ言ったが……今になってめんどくさいなぁ、なんて思いがこみあげてきてしまう。
 もちろん来栖もあの発言を受けて日程の調整をと考えてくれているのだろうから、面倒だからと言ってじゃあ今日はやめとこう! なんてことを言い出せる雰囲気でもないことから、来栖の良いと思うタイミングで、と伝えた。


「畏まりました。それから公邸なのですが、これについてはもうしばらくお待ちいただけますでしょうか?これもまた急遽決まったということもあり、前任が退去するまでに時間を要しますので」


 公邸というのは、総理大臣が住居とする建物らしく、首相官邸に隣接しているのだとか。
 正直な話、公邸に住むことになった場合夜中に腹が減ったらどうしよう、等々考える。
 何故なら秘書官も泊まり込みで仕事をすると言うし、外には守衛だっている。


 それとは別にガードマンの様なものだっているんだろうし、そう易々と外に出ることなど適わないのではないだろうか。
 窮屈な暮らしになるなら、それはそれでまためんどくさい。
 そんなことを考えていると、官邸前に到着した様で車が停まった。


「では総理。ご案内いたします」


 何でだろう。
 来栖は僕の手を引き、その手を離すことをしない。
 僕と手を繋いだまま、次々案内して行く。


 子ども相手だから、とバカにしているのかと思ったが、そういう意志も感じない。


「……お嫌でしたか? 迷われては大変と思い、失礼かと思いましたがお手を取らせていただきましたが」


 言葉と裏腹に表情を変えないままで、来栖は僕を覗き込む。
 僕の身長はまだ成長期ということもあってそこまで高いものではなく、来栖と並んで歩くと十センチ以上来栖の方が身長が高いことがわかった。
 そして最初に見た時から思ってはいたが、いいスタイルをしていると思う。


 更に僕には、母以外の女性と手を繋いで歩いた経験などないこともあって、ついつい前かがみになりたくなってしまった。


「総理、お気持ちはお察ししますが、ここはどうかご辛抱を」
「……察してくれなくていいよ。とにかくもうすぐ腹の減る時間でもあるし、早く回っちゃおう」


 どうやらこの来栖、相当出来る女の様だ。
 恥ずかしい部分まで顔色一つ変えずに察してくれる秘書なんて、現代社会においてそんなに沢山いるものなんだろうか。
 少なくとも労働の経験なんかないし、僕にはわからないのだが。




「総理、いかがでしょうか。ここのお食事は」
「うん、美味しいと思う」


 前かがみになりたい気持ちも体もどうにか落ち着き、官邸を回り終える頃にはすっかりと腹の虫が騒ぎ始めて、来栖は官邸内にある施設に僕を連れてきた。
 どうやら食堂らしく、来栖のお勧めはカツカレーらしい。
 首相官邸の食堂のカツカレーが、という話は以前僕も聞いたことがあったので、じゃあそれで、と言うと来栖はボーイ? に注文をして、少し待つ様に僕に言った。


 こういう雰囲気漂うレストラン的な場所で女性と二人での食事なんてきっと、僕には一生縁がないだろうと思っていたのだが、早々にその縁が訪れたことに驚きを隠せない。
 そして運ばれてきたカツカレーを食べる来栖の佇まいは何というか流れる様で、見事の一言に尽きた。
 何をするにも無駄がないというか、これが大人なのか、と思わされる。


「どうぞごゆっくりとお召し上がりください。食休みの後、早速で恐縮ですが会見を開く予定になっておりますので」


 いつの間にマスコミ各社への連絡をしたのか、と思うが僕がそんな心配をしなくとも来栖はその程度造作もないのだろう。
 そしてこの来栖がいなければきっと、僕は今頃何処で食事をしたら良いかすらわからず、オタオタしながら腹を鳴らし続けていたであろうことが簡単に想像できた。
 しかし何というか、こんな分不相応な感じの出来る秘書が、僕みたいなぽっと出の最年少総理(笑)なんぞについていていいのだろうか。


 正直もっと、やりがいのある仕事に就いたりもできたんじゃないか、そんな思いが頭をかすめる。


「総理。何を案じられているのかはわかりかねますが」
「うん?」


 来栖は僕の目を真っすぐに見る。
 一方僕は普段人と目を合わせるのが苦手ということもあって、見られてもすぐに逸らしてしまうのだが、これも総理として職務をこなす内に改善されたりしないだろうか。


「私の職務は総理の秘書です。身の回りのお世話などの雑務からスケジュール調整等、何でもお申し付け頂いて結構ですので。ご遠慮なさることはありませんよ」
「…………」


 濁りなく、真っすぐなその瞳。
 長く見ていると吸い込まれそうな気分だ。
 そして、思春期でもあるからなのか、あんまり見てると惚れちゃうかもしれない。


 というか、僕は口には出していないはずだが、明らかにわかってますよ、という感じの口調に聞こえたのは気のせいだろうか。
 もしそうなんだとしたら、この女は一体何者なのか、という疑問も同時に湧いてくるのだが、何となく聞くのは憚られる。


 その後、会見は滞りなく開かれることとなり、僕はテレビで良く見た光景を再現することになったわけだが……。


「総理、今後の方針についてお決まりのことなどあれば!」


 いきなり詰まる。
 マスコミはそれこそ鬼みたいに質問をぶつけてくるが、方針もクソも、何もまだ考えてなどいない。
 というか仮に考えてあっても、言っちゃっていいものなんだろうか。


「総理」


 そんなことを考えていた時、来栖から耳打ちされてドキっとする。
 そんなに近くで囁かれると、こんな時なのに色々違うこと考えちゃうから控えてもらったりは出来ないんだろうか。


「今はまだお答えできません、でよろしいかと。方針等については決まり次第正式に記者発表をする、という旨をお伝えください。プライベートなことも、出来ればお茶を濁していただいた方が総理の今後の為になるかと思います」
「……わかった」


 全くもって、出来る部下だ。
 さすがに僕なんかよりも断然……とか女の人に向かって言っていいのかわかりかねるが、人生経験が長いだけある。
 とりあえずここは来栖の言う通りにしておこう。


「えー、まずは今朝の無様な格好、大変失礼いたしました。ニュースなどで拝見しましたが、本当に無様で、ははっ」


 なるべく笑顔と思って言おうとしていたことと、全く違うことが口から出てしまって、笑顔は自然と引きつったものになる。
 しかも誰一人笑っている様には見えない。
 この空気、どうしてくれようか。


「それでですね、今後の方針などについてなのですが……これについてはまだ詳しいことをお話できる段階にありません。ですので、決まり次第正式な記者発表をさせていただくということでまずご理解いただきたいと思っております」


 先ほどの失態で一瞬、来栖の目が冷たいものに変わった様に感じたのだが、今の言葉で少し目が温かみを持った様に思える。


「他にお聞きしておきたいことなどあれば、出来る範囲でお答えしたいと思いますが」
「現在総理は受験シーズン真っ只中かと思いますが、今後どうなさるおつもりですか?」


 おっと、いきなり職務とあんまり関係ない話題きた。
 これは答えてもいいんだろうか。
 そう考えて来栖を見ると、注意してなければわからないほど小さく、首を横に振るのが見えた……気がする。


 答えるな、ということか。
 まぁお茶を濁せ、って言ってたもんな。


「えー、それについても今後の方針と一緒にお伝えするつもりでおります。他に何か……今の気持ちとか、そう言ったものであれば」
「では、総理になったとわかった時の感想を、お願いします!」


 やたら元気のいい記者だな、と思うがこれくらいなら、と思い来栖を見る。
 一瞬の間があって、目を伏せた。
 ということは。


「感想ですか、そうですね……これで国を良くすることができる、ですかね」
「良くする、というのは具体的には!?」
「はい、これもまた方針の一部に含まれる内容になりますので、申し訳ありませんが現在お答えするのは控えさせていただきたいと思います」


 その後も特に目新しい質問が飛んでくることはなく、記者会見は無難に終わることが出来たと言える。
 僕の記憶が正しければ、今日の職務らしい職務はこれで終了になるはずだから、帰れるんだろうか。


「総理、明日以降の日程についての調整を行いたいと思いますが……その前に先ほどの会見の反省など、いかがでしょうか」
「……そ、そうね……」


 記者会見が終わって、これでドラマとかだったらスタッフロールとエンディングテーマでも流れて、という様な場面かと思っていたらこれだ。
 しかも、いかがでしょうか、というその目は言葉と裏腹に有無を言わさぬ迫力を秘めていて、僕なんかが到底太刀打ちできる気のするものではなかった。


「まず、最初の挨拶ですが……あれは何ですか?」
「あ、いや……スウェットのまま朝出ちゃったから」
「なるほど……では何故、出来る範囲で、と答えられたのでしょうか」


 やけにぐいぐい来るな……お茶を濁せって言うのは、もしかして余計なことは言わずにさっさと引き上げろ、ということなのだろうか。
 ならそう言ってくれたらさすがに僕だって、もう少しマシな対応を……出来ただろうか。


「いや、何も質問するな、ってわけにもいかないかなって」
「それはそうです。ですが、他に言い方はいくらでもあります。たとえばですね……」


 淡々と、しかしクドクドと来栖は僕に記者会見の何たるかを熱心に語る。
 これは僕に限った話ではないと思うが、こういった説教じみたものって誰しも苦手だと思うし、何より真面目に聞こうって人の方が少ないと思うんだよ。
 つまり、何が言いたいかって言うと……長い説教を聞いていると、別のものが気になったりする。


 この女、スタイルいいだけあっていい乳してんな、ということだ。


「総理。私の胸を見ていても職務を覚えることはできないかと思いますが」
「あ、はい」


 一瞬で看破された。
 しかもまた顔色一つ変えない。
 嫌悪感すら、その顔には浮かんでいない様だ。


「それから総理、一つお伝えしておかなければならないことがあります」
「え?」


 感情を読み取りにくいその目を少し細目、来栖は僕を真っすぐ見据える。
 そして彼女から告げられた言葉は、僕にとって……いやもしかしたらこの国そのものにとっても、驚異的なことだった。

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