やり直し女神と、ハーレムじゃないと生きられない彼の奮闘記

スカーレット

第135話

今までに経験したことがない、そんなことが今日はいくつもあった。
そしてその経験は私の中のあらゆる認識を綺麗なものに変えて行ってくれたと思う。
疑似的なものとは言え、私と大輝を祝福してくれる声、みんなの顔。


スピーチにドレス。
そして大輝が用意してくれた指輪。
私の様ながさつ極まりない女に、こんな幸せな瞬間が訪れていいのか、今日だけで何度そう思ったことか。


もちろん全ては父の望みで、おそらく長くはない父の為のものだ。
しかしこれはみんなが、私の為にも色々と考えてくれているものなのだと私は思っている。
……いや、一つだけ恥ずかしかったことはあるが。


神前式などではないが、誓いのキスを、と言われて私は当然躊躇った。
父を含め知らない人が多く、おやっさんや姐さんが見ているということもあって、そんなはしたない、と考えてしまった。
当然フリだけで済ませるというわけにもいかず、大輝はここまでやってこその結婚式でしょ、と呟いて私を導いてくれた。


唇が重なった瞬間にカメラの音やフラッシュ、歓声が聞こえて尚更恥ずかしかったというのは言うまでもない。
だから私は一連の流れが終わってからは目の前の食事に没頭して、努めて周りを見ない様にしていた。
父が力を振り絞ってスピーチをしてくれていて、その声を聴きながらこれで良かったのだろうか、と考える。


父はこれで、満足できるのだろうか、と。
本当なら子どもが生まれるまで生きていてくれれば、と何度も考えた。
しかしそれが叶わない願いであることは、睦月が見て明らかであると言っていたことからも理解できた。


だから私は、今出来ることを精一杯やるだけなのだ。
そう考えて、私は食べる手を止めて父の言葉に聞き入り、心に刻み付けていた。


『私の命はもう、そこまで永らえることはないだろう。だけど大輝くんやその他の皆さんがいてくれるのであれば、安心して逝くことができる。皆さん、どうか和歌を……娘をっ……!?』


そんなこと言わないでくれ、そう思った時。
父は苦しみ始めた。
一瞬は先ほどの連中の誰かの襲撃か、と思ったがそうではない。


こうして式に参加している間も、病魔は進行していたのだと理解した。
大輝にあいに睦月というメンバーがいて、不審者を見逃すわけがない。
一気に場は騒然とした。


「和歌さん!一緒に移動しましょう!」
「え?あ……ああ」


何故だか私の足は動かない。
何故だ?


「和歌さん!?どうしたんですか!?」
「え、いや……」


大輝が心配そうに私の顔を覗き込み、揺さぶってくる。
それでも私の足は動かなかった。
次第に父への周りの視線が私に向いてくるのがわかる。


「和歌さん、怖いのはわかるよ。だけど、今は行かないと」
「睦月……」
「そうですよ。これだって全部、和義さんの為にやってきたことでしょ!」
「大輝……」


二人が私を激励しにきて、桜子とお嬢は先に父を追った。


「和歌さん……!」


大輝が手を振り上げ、歯を食いしばる様な、そして泣き出しそうな顔をする。
一瞬衝撃を覚悟して私も目を閉じるが、衝撃はいつになってもこなかった。


「大輝……そういうの、似合わないよ」
「睦月、お前……」
「こういうのは、私の役目だから」


そう言って睦月が私の襟首をつかむ。
急に引っ張られて一瞬目の前がグラグラしたが、立ち上がることは出来た様だ。


「和歌さん、これで多分最後だよ。私たちの力じゃ、細胞まで侵された臓器の修復は出来ない。代わりの誰かのを移植なんてことも、多分もう出来ない。助からない。最後って言ったら最後なの。やっと会えたお父さんかもしれない。だけど、なら尚更ちゃんと、お別れしないと。そうでしょ?」


最後。
この言葉は、呆けていた私の心に深く突き刺さった。
そう、おそらくもうダメなのであることは、わかっていた。


しかし受け止める勇気が出なかった。
だって、せっかく会えた父親。
その父親に最後まで私は素直になることが出来ず、娘らしいことなど何もしてやれなかったのだから。


しかしそんな私を父は笑って許し、娘だと言ってくれていた。


「和歌さん、俺もその気持ちはわかります。春海が死んだ時……死ぬ間際にあっても、俺はあいつの死を受け入れることが出来ていませんでしたから。だけど和歌さんは俺みたいに弱くはないです。強くもないのかもしれないけど、なら俺は……弱いなりに和歌さんに手を貸しますよ」


こいつは恥ずかしげもなく、こんなことを真顔で言うのだから……。
きっと怖いのは私だけではない。
既に父を追って食堂を出たおやっさんや姐さんにしても、同様だろうと思う。


なのに実の娘がこんなことでどうする。


「……すまない。どうかしていた様だ」
「行こう。集中治療室に行っているはずだから」


大輝と睦月が手を取り、愛美さんに朋美は私の後ろを追いかけてくる。
騒然とした病院内を、タキシードとウェディングドレスの新郎新婦が走ると更に院内は騒然としていた。




「一応今、意識は戻りました。しかし、もうこれが最後の面会になることを覚悟してください」


数時間が経って、私たちは集中治療室の前の廊下で医師からそう説明を受けた。
父が移動式のベッドに乗せられて、薄く目を開けるのが見え、病室へと移された。
父の病室へと全員で移動している間、私は一体何をしていたのか、と考える。


父がもうこんな状態で、たとえ父の望みであったとしても、私一人がこんな風に幸せを感じていたなんて。
私はこんなにも薄情な女だったのか、と。


「おい和歌。なんつー顔してんだ。お前が幸せじゃなかったら、親父さんだって見てて辛かっただけだろ」
「え?」


愛美さんに顔を覗き込まれ、その言葉にはっとする。


「そうだよ。和歌さんが幸せなんだっていう瞬間を、お父さんは見たかったんじゃないかな」
「桜子……」


幸せな瞬間……。


「そういう風に思える様に、私たちも協力したんだから。最期くらい、ちゃんと見送ってあげよう?」


睦月も様々な死を見て体験して、その重さを知っている。
だからこそ重みを感じる言葉だと思った。


「俺は……和義さんがあれで満足してくれたんだったら、それでよかったんだと思いますよ。だけど、最期に見たいのはやっぱり娘の顔なんじゃないでしょうか。だから、娘である和歌さんがきちんと送ってやらないと」


大輝もこの若さで、睦月の前身である春海の死を看取っている。
桜子もお嬢もそれは同じだ。
なのに私は一体何をぐちぐちと……。


「ほら、和歌行ってこい。あと大輝、お前もな」
「え、でも俺は……」
「バカかお前。誰と誰の結婚式だよ。それに親父さんはお前にも頼っていただろうが。つべこべ言わずにとっとと行け!私たちはここで待ってるから」


病室の前について、何故か大輝だけが愛美さんから蹴りを入れられて病室へと足を踏み込む。
お嬢やおやっさん、姐さんも病室前で私を見て頷いた。


「すみません、行ってきます」


何だか胸が詰まる様な、今までに感じたことのない感覚が私を支配していく。
誰かに感じる殺意でも怒りでも、喜びでもない何か。
その感覚に必死で抗いながら、私は一歩一歩足を進めていく。


「和歌……いるのか」
「……ああ」


父が掠れた声を出す。
先ほどまでのスピーチから一転、既に咳払いなどをする余力もないのかもしれない。


「色々、すまなかった……それから、ありがとう」
「私は、何も……」


喉の奥が詰まってくる様な、何かがこみあげてくる様な感覚。
こんな感覚を、私は知らない。
今までにこんな感覚を、私は味わったことがない。


「和歌さん……」


大輝が私を見てはっとして、私の目元を指で拭ってくれた。
私は、泣いているのか?


「そんな顔を……させるつもりじゃなかったんだがな」
「…………」
「大輝くんも、色々とありがとう」
「俺なんかもっと、何も出来なかったですよ。最初不審者なのかも、なんて思っちゃったくらいで……」


そう言う大輝の声も徐々に苦しそうになっていく。
私の記憶では大輝が泣いたところは見たことがないし、私自身もおそらく二十年くらい泣いた記憶がない。
なのに何で、こんな時に……?


「最後に、和歌の晴れ姿が見られた……これは私にとって最も幸せだった。だから大輝くんも、和歌も、ありがとう。欲を言えば、二人の子なんか見られたら何も言うことはなかったが……さすがに高望みが過ぎるな。ぐ……」
「和義さん!?」
「もう私は既に死んでいる様なものなんだ。和歌の晴れ姿が見たいという、それだけの執念が今まで永らえさせてきたに過ぎないのだから。悲しむことはないよ」
「……ふざけるな」
「和歌さん……?」


父の言葉に、思わず語気が荒くなってしまう。
せっかく用意してくれたドレスも指輪も、似合わない女になってしまいそうだ。


「ふざけるな!!勝手に捨てて勝手に現れて勝手に結婚式まで望んで!!ここまで私たちにさせておいて、その程度で死ぬつもりなのか!?」
「ちょ、ちょっと和歌さん!!」
「そこまで生きたんだったら!!執念で生きてきたって言うんだったら!!子どもが出来るまで生きろよ!!何でこんなとこで死ぬんだよ!!」


思わず父に掴みかかってしまい、さすがに大輝が全力で止めに入る。
自分でも言っていることが支離滅裂であることくらい、理解しているつもりだった。
だけど自分の意志に関係なく体が、口が、勝手に動くことがあるのか、ということをこの時私は思い知った。


「和歌が怒るのは……当然だな。本当に、最低の父親だった。許してくれなんて言わない。だから大輝くんや他の人と、ずっと仲良くやってくれ。……それが私の最後の願いだ」
「……勝手なことを……!」


父が言葉の後に、私に向かって手を伸ばす。
大輝がその手を掴み、そして私の手も父の手に添えた。


「和歌さん……最後ですよ、本当に。わからないわけじゃないですよね?」
「……ああ」


大輝が言わんとしていることは、すぐに理解できた。
私は気づけば、父と会ってからまだ一度も呼んでやったことがなかった。
それに大輝も気づいていたのだろう。


本当に、最期……これで?
こんなことで?
そう思うとまたも、胸に痛みが走る様な感覚があり、私は呼吸までもが詰まりそうになる。


今度こそ堪えようと、涙が零れぬ様天井を見ようとすると、大輝が首を横に振る。


「今だけでも、涙を我慢する必要なんかないんですよ、和歌さん」


そう言いながら大輝も涙を流しながら私を見る。
私自身のことであって、大輝の実の親のことでもないのに、何でこいつは……。


「さぁ、和歌さん」
「……父さん」
「ああ……」


一言発する度に、嗚咽が漏れそうになる。
これすらも我慢しなくていいと、大輝は言う。


「父さん……私こそ、ごめん……今まで見守ってくれて、ありがとう……!」
「あり、がとう……和歌……」


その言葉が聞こえた直後、握っていた手から力が抜け、父はその目をゆっくりと閉じた。
私はどれだけのことをしてやれたのだろうか。
父のその表情は穏やかに見える。


既に魂の抜けた、抜け殻……。
私はその抜け殻を抱きしめ、涙を流した。
徐々に父の体から失われていく熱と、大輝の嗚咽とが、私の涙を止めてはくれなかった。

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