やり直し女神と、ハーレムじゃないと生きられない彼の奮闘記

スカーレット

第71話

――昔……そう、何万年も昔の話。
気が遠くなるほどに遠い昔に起こった出来事。
人間が文明を持つ遥か以前に、その男は存在した。


現在の様に武術なども発展していない為に自らで技を磨き、鍛錬を行うことで力を示す。
そんな時代に生きたその男は、生涯の全てを武芸の為に費やしたと言っても過言ではなかった。
何度戦争に駆り出されることがあっても、彼はその度卓越した技術を以てこれを生き延び、更に自らの発展に心血を注いだ。


当時の人間の寿命は平均して四十年から長くても五十年と言われ、六十年を超えて生きるものは仙人とすら呼ばれたそんな時代。
彼は既に三十代半ばだった。
何度戦争に駆り出されても、猛獣に襲われようとも、その悉く生き延びてきた彼は、病にその体を蝕まれた。


体そのものを鍛えることは出来ても、内部までは鍛えることができないという人間の弱さが露呈した瞬間でもある。
彼は自らの死期を悟り、病床にあって考えたことがあった。


自らの力を高めることばかりに目が行ってしまって、それを後の世に残すことを考えなかった、と。
自分の技術、理論は必ず後の世で役に立つ。
にも関わらず武の追及に明け暮れて女に目もくれなかった過去の自分を、この時初めて彼は恨んだ。


こんな時なのに、自分の血を後世に残したい、という強い思いが彼の死期を少しだけ延ばしたのかもしれない。
しかし、いくら延びたと言ってもそれはあと数日のこと。
もはや自分で立って歩くことも適わないほどに衰弱した彼の体は、花嫁探しに赴くことすらできない。


失意の内に朽ちていく自らの体が死ぬその時を、彼は待つしかなかった。


しかしある晩、彼の体は遠い異境の地へと送られる。
もちろん自らの意志や行動によるものであるはずはなく、彼は知らない間にそこへ送られたに過ぎない。
彼が目覚めた時、そこは今までに見たこともないほど穏やかな空気の流れる場所に変わっていた。


「どうやら目が覚めた様ですね」


女性の声がして、その方向を見ると橙色の長い髪をなびかせた美しい女性が自分を見つめている。
穏やかな雰囲気でありながらも、内に秘めた熱い何か。
彼はすぐに彼女が只者でないことを見抜いた。


「ここは、何処なのでしょう。私は自分の家で死を待つばかりの体で、起き上がることも適わなかったはずなのですが」


あまりに突飛で不可解な出来事に頭が付いていかなかった彼は、少しでも情報が得られればと、彼女がそれを知っている確証もないのに彼女に尋ねた。
しかし彼女は考える仕草も見せずに、彼に微笑んで見せる。


「ここは神界。その名の通り、神の住む地です。ここには多くの神が暮らしています。もっともここは他の神が暮らす場所より離れていますが。あなたは私の暮らすこの小屋の目の前で行き倒れていたのです。そしてあなたは、自身で言っていた様にもう長くない様ですね」
「やはり、そうなのですか……ということは、あなたも神なのですか」


自らの人生に悔いはないと考えていた彼だったが、最後の最後に後悔する様なことを考えた。
しかしその後悔という強い念が、誰かのいたずらによってこの地への転送を果たしたのだと言うことを、彼は知らなかった。
彼の強い念は執念でもあり、そう言った負の感情に敏感な神もいる。


彼は奇しくもその神の目に留まった。
退屈していたその神は、気まぐれに彼の願いを叶えてやろうと思い、僅かではあるが寿命を延ばし、動ける程度に体を回復させた。
彼が死ぬこと自体は規定された事実なので曲げてやることは出来ないが、その後悔を晴らす為の時間を与えることは出来る。


そしてその神の知る、ただ一人何者も拒まず受け入れ、願いを叶えようとする神。
それが彼女だった。


「私はソール。太陽の神と呼ばれる者です。ここでこうして出会ったのも何かの縁でしょう。人間よ、望みがあるのであれば、言ってみてください」


ソールは彼の中に巣食う病魔にも気づいていた。
そして彼が何か強い念を持ったままここに運ばれてきたのだということも、朧気ながら理解していた。
だから彼女は、そんな彼の望みを出来うる限り叶えてやろうと考えたのだ。


「私は、物心ついた時から武芸に明け暮れ……その腕を、自らを鍛えてきました。武芸を究め、自らの研鑽に明け暮れて、人間の到達できる境地の限界に至りはしましたが、惜しいことに私はそれ以外のことに目が行かなかった。せっかくの努力の、この成果を後の世に残すことができない。そのことが悔やまれてなりません。私の血を、後世に残したい。それが私の望みです」


はっきりと、真っすぐにソールの目を見て言ったその男の目は、ソールから見て非常に魅力的に見えた。
ただの人間が、ここまでの輝きを持った目をするものなのか、と人間に接した経験が少ないソールは感心する。
そしてその願いであれば、自分にも叶えることは出来る、と彼女は伝える。


「本当ですか!」
「ええ……ですが、人間が通常行う様な方法で子を為すことは出来ません。何故ならあなたの体が行為に耐えられないからです。ですので、あなたの遺伝子を取り出すことで私の体内に宿し、子を為しましょう」
「ありがとうございます。もしもそれが叶うのであれば、私は何の悔いもなく旅立てることでしょう」


ソールは感動に涙を流したその男を見て、今までに経験したことのない感情を覚えた。
彼女に喜怒哀楽がないわけではないが、感情の動きが希薄な彼女にとって、彼の涙が流れる理由が理解できなかったが、喜んでいる彼を見て、嬉しいことがあっても人間は泣くのだということをこの時初めて理解した。


「では、そこに横になってください。時間ももうあまりない様ですから」
「ですが、私は十月十日とつきとおかも生きられません。子の顔を見ることは適わないのでしょうか」
「心配には及びません。十月十日は人間に与えられた準備期間。私たち神には不要なものです。あなたはこの後、間もなく子の顔を見ることができます」


そう言ってソールは、彼の胸の辺りに手を伸ばして神力を放出する。
熱く、しかし何処か和らぐ様な感覚に彼は思わず目を伏せる。
直後に体から何かが抜け出ていく様な感覚を覚えて、彼は再び目を開けた。


「これが、あなたの遺伝子……あなたがあなたであるという情報です。今から私が、この情報を体内に取り込みます」


彼女の手に、何やら形がはっきりとしないものが浮遊しているのを見て男は驚きの表情を浮かべた。
そして静かに、彼女はその何かを自らの豊かな胸に押し当てた。
痛みを伴うのか、それとも苦しいのか、彼女は一瞬顔を歪めたがその顔はすぐに元に戻る。


「しばし、お待ちを」


その何かを体内に送り込んだ彼女は、今度は自らの下腹部に手を当てる。
その手がぼんやりと光ったと思うと、今度はその手に赤子が載っていた。
まだ小さく頼りないながらも、その子は元気に産声を上げている。


「おお……おお……!」
「男の子の様です。あなたの血と、私の血の入った子です。元気に泣いていますね。髪の色はあなたのものを見事に受け継いでいる様です。抱いてみますか?」
「ありがとうございます……これが……」


男はその赤子を抱き、自らの子であることを確認する。
元気よく泣くその男の子を抱いて、彼は再び涙した。


「あなたが亡き後は、私がその子を育てましょう。安心して、旅立ってください」
「ありがとうございます、ソール様。これでもう、思い残すことはありません……」


そう言った男が、苦痛に顔を歪める。
その時はもう、すぐそこまで迫っていた。
ソールが遺伝子を取り出した時点で、彼は既に死に体だったのだ。


子の顔を一目見たいという彼の執念が、この瞬間までを生きながらせたと言える。


「私とあなたは子を為した間柄ですから、事実上の夫婦と呼べるかもしれません。一瞬の関係ではありましたが、あなたは私に生きがいを与えてくれました。あなたのことを、忘れることはないでしょう」
「私の様な下賤なものに……その様な身に余る光栄を……」


息も絶え絶えの様子で彼は感謝の言葉を紡ぐ。
生まれた我が子をソールの手に戻し、彼はゆっくりと息を引き取った。
その顔は穏やかで、先ほどまで苦痛を感じていたという痕跡すら見えない。


ソールは生まれて初めて、人間の死に涙した。
しかし、自らの悲しみに溺れて、逞しく泣き続ける我が子を放っておくことも出来ない。
彼女は意を決して、彼の亡骸を自らの暮らす小屋の前に埋葬して、生まれた我が子の世話を焼くことにした。




彼が旅立ってから数日。
穏やかでしかし騒がしい日々を過ごしていたソールだったが、その日々は長くは続かなかった。


「どうやら、無事に子を為せた様だな、あの男は」
「……あなたは!」


ソールの小屋の軒先に突如現れた、フードを被った女性。
それはあの男を神界に送り込んだ張本人である神だ。
もちろんソールがその事実を知るはずはなく、しかしその者がどういう神であるかを、彼女は知っていた。


「何をしに、来たのですか」
「その子は今のままでは人間と同じ寿命しか生きることが出来ぬ。我ら神に与えられた無限の時を、そなたは母としてこの子と過ごしたくはないか?」
「それは……しかし、この子は人間の子でもあるのです。その様に運命を歪める様なことは……」
「これも、規定された運命だとしたら?どうせ後々わかることだから言ってしまうが、この子がこの時代を生きることこそが、運命から外れてしまうことになる。この子の生きる時代はまだ遥か先。よってこの子の時間を止め、然るべき場所でその時が来るまで封印を施す」
「そんな……」


まだ名もつけていない、生まれて間もない我が子。
ソールは、一瞬でも愛した男の忘れ形見を手放さなければならないのかと絶望した。
そして神々の誰もが見たことのない表情で、ソールは我が子を庇う様にその者から遠ざける。


「そなたがその様な顔をするなど、やはり母性は神にすら変化をもたらすことがあるのだな。妾もいずれは知ってみたいものではあるが、まだその時ではない様だ。ソール、二度は言わぬ。その子を妾に預けよ。決して悪い様にはせぬ。そして時がくればそなたは必ずその子に会えよう。これも決まっていることだ。約束しようではないか」
「…………」


ソールは絶大な戦闘力を誇る神でもある。
太陽の力を自在に操るその力は、万物を焼き尽くすほどの威力を持つ。
彼女は何とかして我が子を守るべく、その者と戦う覚悟をした。


「その子を妾から守る為に、ここで不要な戦闘を繰り広げるか?妾は別に構わぬが、その子は果たしてそなたの強大な力に耐えられるのか?よく考えてみることだな。我ら神にとって、時間の流れがどれだけ長いものであっても、無意味であることはそなたも既に知っているはずだ。そうだろう?そして妾は、そなたから子を奪う気はない。然るべき時代で、その子は必ず必要とされる。その時を待てと言っているだけなのだ」
「…………」
「更に言うのであれば、その子はこの時代では天寿を全うすることすら叶わぬのだ。そうした不遇の運命に子を生かすことが、母としてのそなたの望みか?」
「…………」


今までほとんど何も考えずに生きてきたソールにとって、この問題は果てしなく難解で答えの出ない問いだった。
そんなソールが得た、唯一とも言える生きがい。
その生きがいをしばらくの間とは言え、手放さなければならない運命。


一体どういうものなのか、ソールには理解できなかった。


「逆に言えば、そなたがここで妾にその子を預けることが、母としての第一の務めになるのだ。そうしない場合、そなたは母としての務めを果たせぬままこの子と別れる運命を持っている」
「……わかりました。ですが、今すぐと言うのは、私としても忍びありません。一日だけ猶予を頂けませんか」


苦悩の末に、彼女は我が子の幸せを選んだ。
自らが手にした幸せは、我が子にも受け継がれるべきだと、彼女はそう考えた。


「良いだろう。そなたがそう言うこともわかっておったからな。明日の同じ時刻に妾はまた現れる。その時までに、しばしの別れを済ませておいてくれ」


薄く笑ってその者は小屋から姿を消す。
残されたソールは我が子を抱いて、ただただ打ちひしがれた。
しかし、その子がふとソールに笑いかける。


その笑顔を見て、ソールは決意を深めた。


「……あなたは、あの人の子。強く逞しく生きることができる子です。悠久の時を超えて、またこの母にあなたの成長した姿を、見せてくれますか?」


言葉を理解しているはずもなく、この様な母の問いかけの意味もわからないであろうと思われていたが、その子は再度ソールを見てキャッキャと笑いかけた。
そして勝手なことではあると理解してはいたが、ソールはその子の笑顔がその返事であると解釈し、眠りについた。




「一緒に来てもらいたいところがある」


翌日、約束の時間ぴったりに現れたその者は、ソールと赤子を連れて、通常では立ち入れない場所へ足を踏み入れる。


「ここは……?」
「ここは、神の誰も立ち入ることが出来ぬ場所よ。あのオーディンでさえもな。しかしそなたは今妾の計らいで特別に入ることができているのだ。よって、この後そなたがここへ再び入ることは適わぬ」
「…………」


天井から壁、床に至るまでが現代のプラネタリウムの様な星々に彩られたその場所は、神であるソールを以てしても、神秘的であると思わせる場所だった。


「その子を、ここへ」


その者が台座を指さし、ソールは我が子を台座に寝かせる。
今は深い眠りについている様で、台座に寝かせても泣き出したりすることはなかった。


「別れは済ませたのか?」
「昨日のうちに。……それで、この子が生きる時代というのは……」
「今からあと数万年先の未来だ。そこでこの子は必要とされる。ソール、辛い決断とは思うが受け入れてくれたこと、感謝する」
「あなたが言った通り、私たちにとって時間などは大した意味を持ちません。それに、この子の幸せを考えるのであれば、私の母としての一時的な不幸などは、取るに足らないものだと判断しました」
「……そうか。妾もいずれ、その様な感情を持ってみたいものだ」


寂しげに笑い、その者が赤子に封印を施していく。
時間が凍結された我が子が眉一つ動かさず、また呼吸すらしなくなるのを、断腸の思いでソールは見つめる。


「今更だが、後悔はしていないか?」
「していません。私は一時的に以前の様な生活に戻るだけですから。寧ろ私は、この子を生かす道を示してくれたことに、感謝しています」


そう言ってその者に頭を下げたソールを、その者が驚きの表情で見つめていた。


――そして数万年後。
その者が頃合いを見計らって、凍結された時を動かすと赤子の魂は、長らく閉じ込められていたことへの不満を爆発させる様に輝きだした。


「…………」


これで、やっと運命は動き出す。
口元に薄い笑みを湛えてその者は赤子を抱え、人間界に降り立った。

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