明日はきっと虹が見える

モブタツ

3ー5

  病室。
  いくら意気込んでも、私に彼女と話す勇気はない。
  瞳の奥に光が無い彼女を、私は見ることしかできなかった。
「エミちゃん、調子はどう?頭、痛くない?」
「……今はへーき」
  彼女は、静かにそう言った。
  彼女の顔は、笑っていなかった。
  沈黙が訪れる。前のように、彼女から話しかけることはなくなってしまっているようだ。私と話すなんて以ての外。親ともあまり話していないようで、おばさんの表情は沈んだままだ。
『今は気長に待つ』
  これがいつまで続くのか。何か手を打たなければいけない。
『もう一度最初から思い出を作る』
  果たして、そんなことは可能なのだろうか。
  今の彼女を見ても、答えは出なかった。
「薮田さん。お時間よろしいでしょうか」
  看護師が入ってきたのは、そんな沈黙が続いた最中であった。
  おばさんは呼び出され、私と恵美花の(他のベットには人はいるけど)2人きりになった。
  …変な空気が流れる。
  彼女にとっては、私は初対面同然である。
  私にとっては、まるで別人と面会しているような感覚である。
  何を話せばいいかわからない。ルピナスのことを言ったところで、小学二年生の記憶では通じない話の方が多いだろうし。
  人はこの雰囲気を「気まずい」と呼ぶのだろうか。
  こんな雰囲気を味わったのは中学生以来だ。もう忘れた。
「あの…」
  それでも、先に声をかけてくれたのは、彼女だった。
「ん?」
  なるべく動じていないような様子を見せなきゃ。
「お姉さんは…誰?」
  また…この言葉である。
「お姉さん、エミが起きた時もいたよね?お姉さんは誰なの?」
  3年前、私とは知り合っていなかった。
  そもそも、彼女に名前は教えていない。
「私は………」
  私は……恵美花ちゃんに。
「恵美花ちゃんに…命を救われた人、かな」
「エミに?」
「そう。恵美花ちゃんに、パンを選んでもらったんだ〜。今では、それがすっごい好きでさ」
「えっと…ルピナスのパンがってこと?」
「そういうこと。あとは、恵美花ちゃんに会いに行くのがすごく好き」
  こんな奴いたっけな、みたいな顔をするあたり、やっぱり彼女は私のことを覚えていない。思い出す様子もない。
「…恵美花ちゃん、自分が何歳か分かる?」
「8歳…だけど、なんか変な感じ。エミの体、なんだか少し大きくなった気がするし。それに…みんなが、エミは11歳だって言うの」
  なのかは中学生のはずなのに、高校生だって言うし。と、続けた。
  菜乃花は「前はおねーちゃんとは呼ばれていなかった」と言っていた。本当だったんだ…。
「恵美花ちゃん…」
  やっぱり、記憶は3年前で止まっているみたい。
「お姉さんは、なのかのせんぱい?」
  先輩なんて言葉知ってるのか。いや…小学2年生でもそれくらいは知ってる?今はどうでもいいか。
「私は、菜乃花と同い年だよ」
「え!?でも、お姉さん、高校生だよね?なのかは中学生で」
「菜乃花は、高校生なんだよ」
  真実を、知ってもらわなきゃ。
  そう思った。
「え…?でも、昨日までは中学生だったし…なん………で………………っ!!!」
  突然、彼女は頭を抑えた。
「うっ……!うぅ………っ!!!?」
  突然の出来事に、私の体は動かない。
  彼女が苦しんでいる様子を、唖然と眺めていた。
「え…みか…ちゃん?」
「痛い!痛い痛い!痛いよぉ…!助けて…!」
「恵美花ちゃん…!?どうしたの…っ」
  視界にナースコールのボタンが入る。
  …そうだ。押さなきゃ。
「恵美花ちゃん!しっかり!大丈夫。大丈夫だから!」
  声をかけながら、ボタンを押す。
  相変わらず、私は──。
  ただ、彼女が苦しんでいる様子を唖然と眺めていることしかできなかった。


  しばらくして、看護師がやってきた。
  彼女の記憶喪失は何かを深く考えるとひどい頭痛に見舞われるそうで、私がその頭痛に発破をかけてしまったらしい。
  余計なことをしてしまった。
  私が無理やり考えさせたからだ。
  私のせい…私の責任…。
「そんなに自分を責めないで。あなたは悪くないから」
  私の心を読んだように、おばさんはニッコリと笑った。
「でも…これは私のせいです。やっぱり、私はここには来ない方がいいのでは」
「それは違う」
「え?」
「あのね。エミちゃんがあんな感じになっちゃうのって、あと少しで何かが思い出せそうな時なんだって。だから、あなたは良いことをしたの」
  思いもよらない彼女の言葉に、私の思考回路はショートしそうになってしまった。
「良いこと…?」
「そう。エミちゃんは苦しそうにしてるけど、あれは大きな進歩だよ」
  おばさんは私の頭の上に手を乗せた。
  こんな風に…頭を撫でられたのはいつ以来だろう。
「あなたみたいな人に出会って、エミちゃんは幸せだね」
  私は……………何もしていないのに。
  ただ……涙を流してしか、いないのに。
「ごめんなさい……力に…なれなくて…」
「何言ってるの。これからでしょ?大変、なのはね」
  大変と言う言葉に、何か違和感を感じた。
  それでも、私は泣くことしかできなかった。
  そして、私は気付いた。

  この涙が、恵美花が大切な思い出を失ってから初めて流した涙だということに。

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