明日はきっと虹が見える

モブタツ

3ー4

  ルピナスの道のり。数日前は恵美花に会うのが楽しみで、ワクワクしながら歩いた。
  それが、今ではこんなにも足取りを重くして進むことになるなんて。全く予想することはできなかった。それでも、今、私は進んでいる。
『ルピナス』
  花言葉は「いつも幸せ」。今の彼女がどんな状況なのかは、正直分からない。
  それでも、彼女は幸せになるべき。人に幸せを分け与えていた彼女が不幸になることなんて、私が許さない。
  私の事を忘れても、私が彼女の事を覚えていれば…こうやって彼女のために何かをしてあげられる。
  …絶対に取り戻す。恵美花ちゃんとの思い出を。

  様々な思いが浮かび上がりながらも、恵美花を助けたいという気持ちは変わらない。だからこうして、ルピナスの前に立っている。
『close』
  その見慣れない小さな看板に、私は何をしたらいいのか分からず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「あ、来てたんだね。いらっしゃい」
  聞き覚えのある声。2人の子供がいるとは思えないほどの若い声。お姉さんのような口調。振り向かずとも、誰が後ろにいるのかは明白だった。
「こんにちは。あの…お店、どうして閉めちゃってるんですか?」
「今日は臨時休業。恵美花のことも結構大変でね。ごめんね…今日はチョココロネは売れそうに…」
「いえ。今日はパンを買いに来たわけではないんです」
「え?」
「恵美花ちゃんのことで。少しだけでも状況を聞かせてもらえればと思いまして」
「……そう」
  それ以上、彼女は口を開くことはなかった。
  しばらくの沈黙。ジメジメとした空気をさらに重くする。
  少し待っててと言い残し、彼女は店の裏口の方へと消えていった。
『close』
  その看板は、何度も私の視線を向けさせた。
  薄暗い店内の中には恵美花はおらず、売り物のパンもなく、もちろん、このお店の醍醐味である「それ」もなかった。
「お待たせ」
  お待たせとは?と疑問に思いながらも、彼女の格好を見て何となく何がしたいのかは理解できた。
「私から話すより、直接本人にあって話した方がいいでしょう?ちょうどお見舞いに行こうと思ってたところだし、一緒に行きましょ?」
「い、今からですか?それって…」
  あの子に直接会う。ということになる。

『お姉さん、誰?』

  また、あの言葉が聞こえる。
  あの言葉が、私の体から体温を奪っていく。
  何度も、何度も頭の中に響く。
「恵美花ちゃんは…今、小学2年生、なんですよね」
「え?あぁ…うん。お医者さんが言うには、恐らくそれくらいなんじゃないかって。平仮名は書けたらしいし、漢字もある程度は書けたって」
  私に出会うより3年も前…か。
「…私なんかが行ってもいいんでしょうか」
「なんで?」
「彼女からしたら、私は全く知らないお姉さんです。そんな人が、なぜか自分の名前を知っていて。訳も分からないのに記憶を失ったことにショックを受けていて。自分がなんで病室にいるのかすらも分からないのに、そこで私に会ってパニックにならないかなって…」
「それは、きっと大丈夫だと思うけど」
「え?」
「あの子、昔は人見知りが酷くてね。ケンちゃんとミーちゃん、あとはお姉ちゃんである菜乃花としか基本は話さなかったの」
  あとは、もう1人従兄弟がいるんだけど、その子とかな。と小さな声で付け足した。
「最初はどうも緊張しちゃってるみたいで、話すことはできないんだけどね。次第に沢山おしゃべりしてくれるようになるの。あなたが本当に辛いのは最初だけ…かな」
  本当に辛いのは最初だけ。本当にそうだろうか。
  何も言えない私を見かねたのか、彼女は「言い方が悪かったかもね」と呟き、再びニッコリと笑った。
「彼女は本当に記憶を失ってるから…許してほしい。本当に辛いのは最初だけって言ったって、私も本当は不安でいっぱいだから…さっきの言葉、言い換えるのなら『私と一緒に恵美花に会ってほしい』のが今の私の願いだよ。でも、やっぱり辛い思いをさせてしまうと思う。それは…耐えて欲しい。」
「おばさん…」
  おばさんは何も悪くないのに。ゆっくりと頭を下げるおばさんの姿を見て、少しだけ前を見ることができた。
「おばさんは何も悪くないじゃないですか。大丈夫です。必ず取り戻しましょう。思い出を。」
  おばさんは顔を上げない。恐らく、涙を流しているのだろう。
「……ありがとう」
  彼女から聞こえた言葉は、それだけだった。


  私にとってルピナスは大切な場所である。その住民も。だから、彼女には幸せになってほしい。わがままを言うのならば、将来幸せになるだけじゃなくて。記憶を、日常を取り戻して、彼女には幸せになってほしい。
  …そうじゃないと、私が生きている意味がないじゃん。


  彼女がいる病院にたどり着く。そびえ立つ大きな建物は、要塞を思わせる佇まいであった。
  今だけ、魔王の城に辿り着いた勇者のような気分である。
「私ね。小学生の時、ここに入院してた時期があってね」
「え…」
「まさか、娘もこんなことになるなんてね」
「おばさんも記憶をなくしたんですか?」
「違うよ。私は肺の病気」
  彼女は、私を見ずに、前だけを見て言った。
「うちの娘は…きっと大丈夫」
  目を瞑り、噛みしめるように。そして、祈るように続けて言った。
「あの子はきっと帰ってくる。それまで気長に待たなきゃね」
  そして、頭を下げた。
「あなたに絵を描いてあげられるのは、まだ先になるかもしれない」

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