明日はきっと虹が見える

モブタツ

3ー2

  どうしてもルピナスに戻らなければいけなくなってしまったため、おばさんは店に戻り、健斗はどこが悪いのか、病院へ向かう用事があると言っていなくなってしまった。
  特にやることのない私は、面会時間の許す限り、菜乃花と共にここに残ることにした。
  彼にもらった連絡先。
  恵美花に何か進展があったら連絡してほしいと、受け取った彼の連絡先。
  欲しかった。欲しかったのに。
  …こんな形でもらうことになるなんて。
  こんなの、望んだモノではない。
「…あんた、家でやることあるでしょ。無理に残らなくてもいいよ?」
「別に平気だよ。気にしないで」
  恵美花ちゃんの意識が戻るまでは、ね。私の呟く声は彼女の耳に届いただろうか。
「あんたって…なんでうちと……仲良くしてくれるの」
「え…?」
  彼女は目を合わせようとはしなかった。私も菜乃花も、恵美花が今にも目を覚ますような気がして…。
  お互いを見る余裕なんて、全くないのだ。
「うちはあんたをいじめた。今はなくなったとしても過去は変わらない。それなのに、あんたはうちとこんなにも仲良くしてくれる。なんでなの…?なんで…こんなうちを…」
「…確かに過去は変わらない。でも、今は仲良くしてくれている。そうでしょ?」
「……」
「今こうやって仲良くしてくれているのに『前は私をいじめてたから』なんて理由で嫌いにはなれないよ。もちろん手のひら返しのような様子だったら嫌だよ。でも、菜乃花は違うでしょ?」
「…………」
「正直、まだ菜乃花のことは怖い。でも、菜乃花の良いところだって見てる。悪いところしか見えなかった私は、きっと自己中心的だったんだと思う」
  突然。菜乃花は首を勢いよく首を横に振った。
「あんたは悪くない…!うちは…くだらない理由であんたを陥れたメンバーの一人なんだよ。」
「違う。菜乃花、聞いて。私はこの先も生きていく。今仲良くしてくれる人は、これからも仲良くしたいの。過去のことで自分を責めないでよ」
「でも……でも…………!!」
「人という字は」
「えっ…?」
「人という字は、お互いには支えあってなんかいない。でも、片方は片方を信じて寄りかかり、それに応えようと、片方は寄りかかってきた人を支える。今度はそれが逆になる。こうして人という字が出来上がる」
「何が言いたいの…?」
「片方は辛い思いをすることを了承した上で片方を支えている。支えられる側は、感謝をしながら寄りかかる。お互いがお互いを尊重して成り立っている。これを人は『信頼』と呼ぶの。私達は信頼しあえばいくらでも良い関係になれる。」
「…っ」
「だから、これからもずっと。私の友達でいてよ」
「う、うぅ…………ごめん………なさい……!!」
「謝らなくていいよ」
  いや。本当は謝って欲しかった。私の人生を終わる寸前まで持って行ったこと。私の体を濡らしたり傷付けたりしたこと。弁当を隠したり捨てたりしたこと。靴下で校内を歩かされたこと。私の机に彫刻刀で落書きをしたこと。暗くて狭い場所に閉じ込めたこと。思い返せばきりがないほどのことを、彼女達からされた。
  でも、今は謝れなんて思わない。
  謝ることが大事ということは知っている。
  今は、それよりも大切なことを知っている。
  大事なのはこれからの関係である。いくらでも良い方向に、もしくは悪い方向に進むことはできる。私達がどういう関係になるのかは、私達次第だということ。この先をどう行きていくかは、私次第だということ。
  それを、彼に教えてもらったから。
  今は謝れなんて言わないし、思わない。
「エミちゃんが目を覚ましたら、また二人で遊びに行ってもいい…?」
「もちろん。またお菓子作りしたいなぁ…この子、器用だからね」
  頭に包帯を巻かれた少女は目を閉じたまま動かない。またこの子とお菓子を作りたい。この子と話がしたい。菜乃花の面白い話とか、今小学校では何が流行ってるかとか。もっと祐樹のことでからかいたい。
  彼女との大切な思い出を、もっと作りたい。
「…あんたさ」
  彼女は少しだけ解れた表情で微笑み、優しく呟いた。
「ありがとうね」
  彼女の深みのある言葉を受け取り、心が温まった気がした。



  面会時間がそろそろ終わってしまう。
  健斗が買ってくれた飲み物を飲み干した私達は、新しく自動販売機で二本購入し、雑談などをして恵美花が目を覚ますまで待ち続けていた。
  午後7時30分。面会時間は8時まで。残された時間はわずかである。
「起きないなぁ…恵美花ちゃん」
「全く…エミちゃんはいつになったら帰ってくるんだろうね」
  冗談交じりに、菜乃花はそう言った。
  本当は私も菜乃花も心配だけど。
  私達は準備をしていた。
  いつ目を覚ましても暖かく「おかえり」と言ってあげられるように。
  自動販売機コーナーでケータイの電源を入れると、健斗からメッセージが届いていた。
『健斗:恵美花ちゃん、目、覚ました?』
  数分前に来ていたメッセージ。
  文面から心配している様子が伺える。
『まだ。あと30分くらいしたら面会時間が終わっちゃうから、今日は帰っちゃうかも…』
  送信してすぐに既読マークが付いた。連絡が来るのを待っていたようだ。
  返信が来たのは数秒後である。
『健斗:そっか…。無理させてごめんな。今度なんか奢る!(グット)』
『いいよ。ジュースも奢って貰っちゃったし。お気持ちだけで(遠慮マーク)。そういえば、体調悪いの?病院行くって言ってたけど』
『健斗:ちょっと前から体の一部が悪くてな。念のため、定期検診だよ』
『どこが悪いの?』
  素直に聞いた直後、彼からの答えに首を傾げた。
『健斗:薔薇の下、だよ』
『どういう意味?』
  既読マークが付かなくなり、溜息が漏れる。
「どしたの?」
  隣でお釣りを拾っていた菜乃花は私の真似をするように首を傾げた。
「薔薇の下って、どういう意味?」
「は?そのまんまじゃないの?薔薇の、下でしょ」
  いや、そういう意味じゃないんだよね。と言うと「誰に言われたのさ」と笑いながら言われてしまった。
「健斗だよ」
  私の言葉を聞くや否や、菜乃花は「あー」と言いながら歩き出した。
  ケータイの電源を切り、ポケットに。私も菜乃花の隣を歩き出す。
「薔薇の下ってのは、英語で『秘密』っていう表現なんだよ。まぁ、正しくはこっそりと、とか、秘密の、って使うんだけどね」
  ルピナスと言う言葉をパン屋さんの名前にしたのも健斗なんだとか。健斗は花について詳しいらしく、こういう表現を使ってくることが多々あるらしい。
  しかし、素敵な表現だ。
  でも…秘密って?
  どうしてなんだろう。
「あいつはなんでも隠したがるからねぇ…いつも通りの日常ってのが大好きなんだよ。だから引っ越すことも隠してるのかもね」
  病室に入りながら、彼女の言葉をしっかりと聞き取る。そして、一つの結論が出た。
  だから日常を終わらせようとした私を、あんな形相で止めたのだろうか。と。
  病室に戻ると、看護師が一人、恵美花の様子を見に来ていた。
「すみません、そろそろ面会時間が終わりますので、今日のところはお帰りください」
  あまり聞きたくなかった言葉である。
  荷物をまとめ、渋々私と菜乃花は病室を出ようとした。
  ………………が。
  その足は、あと一歩で病室を出るというところで止まった。
「………ぅ……」
  苦しそうに聞こえた小さな声。
  菜乃花を見ても、そんな声を出した様子はない。
  状況的に看護師が突然出したわけもない。
  他のベットで寝ている人たちは至って静かである。
  つまり。
  声の主はただ一人。
「……っ!!」
  私も菜乃花も彼女の元へ駆け寄った。
「恵美花!」
「エミちゃん!」
  彼女は確かに目を開いている。
  キョトンとしながら辺りを見回し、看護師に一つだけ尋ねた。
「ここはどこ?」
  久々に出たせいか、少しだけ声は掠れていた。
「病院だよ。エミちゃん。交通事故にあって、ずっと意識が戻らなかったの」
「こうつう…じこ?」
「恵美花ちゃん、覚えてないの?」
  どこか様子がおかしい。
「………………こうつうじこ?」
  嫌な予感がする。
  私の嫌な予感は、いつも当たる。
  彼女の顔は無知であった。何も知らない、だから見るもの全てが不思議なものに見える。そんな表情をしている。
  そして、前のように瞳の奥に光はなかった。
  そんな彼女は私を見て、首を傾げながら言ったのだ。


「お姉さん、誰?」

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