明日はきっと虹が見える

モブタツ

2ー10

  ルピナスという花の花言葉は「いつも幸せ」。あのパン屋さんには「このお店に来る人々が、いつも幸せでありますように」という意味が込められていると、前に恵美花が言っていた。あのパン屋さんには不思議な力がある。お店の名前の通り、私は今、少しだけ幸せになれている。パンが美味しいのはもちろんのことだが、恵美花と出会ったおかげで菜乃花とも少しだけ仲良くなれたし。それに、ちょっとした「生きる意味」を見つけることもできた。あの時、命を絶とうとした私は、まさか数週間後にこうなっているなんて思いもしなかっただろう。
  今の自分自信でも驚いているのだから。
  ここ最近、人の見方も変わった。どんなに印象が良い人でも、裏には黒い部分が眠っている。私はその黒い部分に裏切られてもショックを受けないようにするために、人を最初から信用しなかった。
  「人」と言う字は人と人とが支え合ってというのはただの美学で、よく見たら片方は片方に寄りかかってしまっている。楽な思い、良い思いをしている人がいれば、その代わりに苦しんでいる人が存在するということを表しているなではないかと、私は思うのだ。本当に支え合っている「人」という字は、コンピューターで入力した時ぐらいしか見えないだろう。
  そんな考えが、ここ最近で変わったのだ。ここではどう変わったかは言わないが、きっと私は恵美花や健斗に出会ってから人との接し方を考え直す機会ができたのかもしれない。
  私が今恵美花の隣を歩いていることが、生きている証拠。あの時健斗に助けられて、恵美花にパンを選んでもらって。美優にペットの話をされて、菜乃花に「ありがとう」と言われ。
  ほら、人という字の見方が変わっている。
  そうでしょ?

「人を好きになるって、どういう感覚なんだろう」
  恵美花の率直な疑問は、私の頭も悩ませた。
  それはきっと、私のことを恵美花が好きになるようなことではなく、その人と一緒にいるとドキドキしたり、緊張しちゃうけど、それでも一緒にいたいと思ってしまうような、そういう類の「好き」だろう。人はそれを「恋」と呼ぶ場合が多い。
「祐樹の隣を一緒に歩いてる時の恵美花ちゃん、かな」
「え!?」
  正直、私にも答えはわからない。先ほど述べたのは友達から聞いたり本で読んだりと、実際に体験したものではない。恋愛なんて人それぞれである。人を好きになる感覚は…多分、人によって違うだろう。
  私が差し出したココアにゆっくりと口をつける。「あちっ」と声が漏れた後、彼女はため息をついた。
「コロネのおねーちゃんは好きな人いないの?」
「できたことないよ」
「本当はいるんじゃないのぉ〜?」
「いないってば。だって」
  少し前まで生きるの自体をやめようのしてたし。なんて小学生の女の子には言えなかった。
「…とにかく、恵美花ちゃんは気にしなくていいことだから」
「エミのことばっかり茶化して。エミもコロネのおねーちゃんの弱み握りたいなぁ」
  なんてことを言うんだ…。
  ココアにもう一度口をつけた。「あっつ」と、もう一度。
「そういえば、エミの日記、このおうちに置いてっちゃった気がするんだけど…知らない?」
「日記?」
  大雨の日に泊まりに来た、あの時に書いていたものだろうか。
「今は代わりの日記帳みたいなやつに書いてるんだけど。早く見つけないとなぁ」
「見てないな…。見つけたら連絡するよ。ルピナスに連絡すればいいんでしょ?」
「うん!お願いします!あ、そういえば」
  3度目、もう一度ココアに口をつけた。今度は熱いとは言わない。
「お母さんが、絵を描いてあげたいってさ」
「絵を?……あ、もしかして!」
  菜乃花から思いもよらない宣告を受けた少し前のこと。私はルピナスの店内に飾ってあった風景画に目が止まった。1つ1つの建物や雲まで、細かく描かれたその絵は、まさに写真のように繊細に表現されていた。それに見とれていた私に声をかけたのか、菜乃花の母親である。
『これ、描いたの私なの』
  どこで手に入れたものなのかを考えていた矢先だったため、驚きを越えて「衝撃」であった。おばさんにはそんな才能があったのかと。聞けば、一度目で見た風景は瞬時に記憶されるらしい。それをここまで細かく表現できるなんて。
『機会があれば、また描いてみたいなぁ』
  自作を見て、彼女はそう言った。その直後に菜乃花が出てきたため、それ以上の話はしなかったが、恵美花が言ったその言葉で、話が終わっていなかったということを知った。
「そっか…うれしいな」
「でも、風景を目で見ないと書けないってさ。だから、いつになるかは分からないって。」
  逆に目で見るだけで描けるというのは本当に凄いと思う。才能というか、もはや特殊能力である。
「全然大丈夫。お母さんによろしく伝えておいて」
「うん!」
  恵美花はココアを飲み干したコップを台所へ持って行った。
  リビングに残された私は、日記の所在地を脳内で散策したが、やはり目星はつかなかった。
  ふと、何の予兆もなく健斗の言葉が思い浮かんだ。
『この世に消えていい人間なんて一人もいない』
『お前にはこれからを生きる資格がある』
  不自然ながら、説得力のあるあの言葉。どうして彼は私なんかを引き止めたのだろうか。全く関係はなかったはず。確かに同じクラスだったが、それが別に自殺を引き止める理由にはならないだろう。
「…何が彼を動かしたんだろう」
  そして、何が私を止めたのか。私には全く分からなかった。
「コロネのおねーちゃん、また難しいこと考えてる顔してる…」
「あ、ごめんごめん」
  荷物をまとめ始めたあたり、そろそろ彼女も家に帰るのだろう。時計は午後四時を指している。ここからルピナスまでは結構距離もあるし、これくらいに家を出るのが妥当だろう。
「もう帰るの?」
「うん。お母さんに、5時までには帰ってきなさいって言われてて。そろそろ帰るね」
  しっかりしてる子だ。私なんて全然時間なんて守らなかったのに。
「そっか。また来なよ。あ、日記探しとくね。多分うちのどこかにあると思うし。」
「お願いします」
  ゆっくりと立ち上がり、出口に向かう。念のため私もついていくため、私も家を出る準備をしなければ。
「お邪魔しました」
  礼儀正しく振り返り、丁寧に一礼。清々しい印象の強い少女である。
  家の鍵を閉めて、手を繋いで歩き出す。まるで妹ができたようで新鮮な気持ちになった。
  ポケットのケータイが揺れる。
  祐樹からのメッセージが届いていた。
『祐樹:楽しかったよ!ありがとうね!』
  こんなこと言われたら、また色々買ってあげたくなっちゃうじゃん。
  恵美花と私は目を合わせてクスクスと笑った。
  暖かい風が吹く。
  私の背中を押すようだった。

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