明日はきっと虹が見える

モブタツ

2ー9

「…つーわけで、本人には詳しく聞かないこと。いい?」
  菜乃花から聞いた言葉を、私は素直には受け取れなかった。
  ルピナスの店内は時計の音だけが響く。私も菜乃花も喋らないため、まるで私たちが立っているここだけが、時間が止まっているようだった。
  健斗が来年の今頃はいない。引っ越すと言うことだろう。事情はよく分からないが、残された時間は少ないと言うことだけは確かだ。
「なんで健斗は私たちに黙ってるんだろう」
「あいつなりの考えがあるんだよ。多分だけどね」
「ていうか、菜乃花と健斗ってイトコだったんだね」
「…そこは触れなくていいから」
  2人の仲が良かった理由って、そういうことだったのか。
「とにかく!あんたの口が軽いかどうかは知らない。でも、これは絶対に本人には言っちゃダメだからね。それだけは覚えておくように。」
「分かった。ありがとうね」
「…え、何が?」
「『1人だけ伝えたい人』って。私を選んでくれて」
「べ、別に…2人の仲がよさそうだったから言っただけだよ」
  そう言いながら、彼女はチョココロネを紙袋に入れた。
「ほら」
  少々乱暴に手渡されたその紙袋のお金は、払っていない。
「え?」
「妹が…また世話になったからね」
「いいよ。気持ちだけで。」
  太っちゃうし。と付け加えたのは、聞こえていないだろう。
「もしかして…あんた、体重気にしてたり?」
  さすが女の子。健斗とは違って察しが良い。
「コロネ1つ食べたくらいじゃ太らないよ。それ以外の食生活をしっかりすればいいんだって」
  …でも、言ってることは健斗と同じだ。
「せっかくうちが善意でサービスしてるんだから、受け取っときな。なかなかないよ。」
  そこまで言うなら…と渋々受け取ってしまった。
  2人でクスクスと笑う。時間が動き出したような気がして、心にゆとりが生まれた。
  しばらくして、奥から恵美花がひょっこりと顔を出した。今日は彼女を呼ぶのが本当の目的だったのだ。…だから、健斗の事を聞いた時はかなり驚いた。聞いてはいけないことを聞いてしまったような心のざわつきが生まれ、原因不明の危機感が生まれてしまった。いや、この危機感が何なのか、本当は分かっていたのかもしれない。
「おねーちゃん、大事な話、終わった?」
「うん。もう終わったよ。出かけておいで」
「やったー!コロネのおねーちゃん!行こっ!」
  語尾に音符が付くのではないかと思ってしまうくらい元気な声と眩しい笑顔。彼女にここまで懐かれてしまうとは思わなかったが、この子と一緒にいる時間はかなり楽しい。もしかしたら、子どものこと、結構好きなのかも。
  手を取り、2人でルピナスを出る。家までの道のりを歩き出す。
  少しだけ、彼女は真剣な表情で歩き出した。私の手を握る彼女の手は、これもまた少しだけ力が強くなった。緊張しているのだろう。
  祐樹に会うのだから。


  家に入ると、祐樹は広島に帰る支度をしていた。水族館に行ってから2日。ゴールデンウィークは終わってしまう。祐樹には広島に帰って小学校に通うという大事な仕事が待っているのだ。
「ゆ、祐樹君!」
「あ、恵美花。こんにちは。ねーちゃんもおかえり」
「ただいま。あとどれくらいしたら出発だっけ?」
「15分。準備、結構ギリギリになっちゃったよ」
「忘れ物するよりはマシ。まぁ、また夏休み来るんでしょ?忘れても持っといてあげるけどね」
  恵美花はシュン…と縮こまってしまっている。
(あ、そうか…寂しいのか)
  これだけは仕方がない。帰らないわけにもいかないだろうし。
「恵美花?」
「ひゃい!?」
「ご、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど…どうして恵美花は来たの?」
「そ、その…………………え、駅まで一緒に…行けないかなぁ…なんて」
「友達としばらく会えなくなるのは寂しんだってさ。いいでしょ?」
  我ながらナイスフォローだ。私。
「断る理由なんてないよ。ありがとね、恵美花」
「………どう、いたしまして」
  恵美花の顔が真っ赤に染まる。目を合わせたら前のように発熱してまた意識を失ってしまうのではないだろうか。
「それで、また夏休み来るんだよね?」
「うん。夏休みは長めにいると思うんで、そん時はよろしくね。ねーちゃん」
「宿題持ってきなよ。分からないとこあったら私が教えてあげる」
「ねーちゃん、勉強教えれるの?」
  美優が健斗にやったように腹にパンチでもやろうかと思ったが、やめよう。デコピンで許してやる。可愛いからな。
「イテッ」
  恵美花が嬉しそうに笑っているのは、また夏にこちらに来るという言葉を聞いたからだろう。随分と表情に心情が現れる子だ。
「それじゃあ、そろそろ行こうか。……あ、そういえば…なんで千葉の水族館に行きたがったの?」
「シャチのショーが見たかったから」
「コロネのおねーちゃん、沢山お土産買わされてたよね」
「…し、シャチのショーを見たかっただけだよ」
「『せっかくここに来たんだし、いいでしょ?』って、コロネのおねーちゃんに沢山買わせてなかった?」
「………シャチのショーが見たかったの。」
  そういえば、お土産は全部私が負担していた気がする。
「怒らないから、正直に言ってみなさい?」
「…ちょっとお土産買ってもらうつもりでもいました」
「ほらぁ!やっぱり!」
「なんで千葉まで私を連れて行ったの。東京とか横浜でも買えるでしょ?」
「いやぁ…ねーちゃん『せっかく』って言葉に弱いからさ。千葉まで行って『せっかくここまで来たんだからさ』って言えばいろいろ買ってもらえるんじゃないかなぁって思って。」
『それに、せっかくここまで来たんだ。今日は我慢とかしなくていいんじゃねーか?』
  ……健斗も。
『せっかくうちが善意でサービスしてるんだから、受け取っときな。なかなかないよ。』
  ……菜乃花も。
  私はあの言葉のせいで誘惑に負けていたのかもしれない。
「も、もしかして…千葉の水族館に行ったのって…シャチのショーと、私にお土産を買わせるのが目的だったの?」
「えへへ。その通りだよ。ねーちゃん♪」
  は、は……は………。
「はめられた………」
  恵美花の笑い声が聞こえなければ、私は祐樹にどんな顔を見られていただろうか。
  考えたくない。


「それじゃあ、また夏休みね。恵美花も、わざわざここまでついてきてくれてありがとう」
「うん!また夏休みになったら会おうね!」
「うん。またその時まで。」
  小学五年生の友達同士の掛け合いなのに、どこか恋人のように感じてしまう私は、少しせっかちなのかもしれない。いつかこの2人は結ばれるべき。と、今でも思っている。
「ねーちゃん、向こう着いたら連絡するけん、待っといてな」
「気ぃつけて帰りんさいよ。変な人とか結構おるけんね」
「いざとなったら近くの大人に頼るわ。ほいじゃあな」
  新幹線の扉がゆっくりと閉まる。キラキラの笑顔で素早く手を振る恵美花の隣、私は控えめに手を振った。
  また、部屋が寂しくなってしまう。そんな切なさがあったからだ。
「…コロネのおねーちゃんの広島弁、やっぱり好き」
「聞かなかったことにしなさい」
「ははは!エミね、コロネのおねーちゃんのこと、大好きだよ!」
「ど、どうしたの突然」
  なんでも素直に言う子どもに、そんな風に言われると、嬉しさは普通の何倍もあるものだ。…ちょっとだけニヤついてしまう。
「あの日、パンを買いに来てくれてから、キーホルダーを一緒に探してくれたり、泊めてくれたり…コロネのおねーちゃんって、良い人なんだね」
  良い人。さりげなく言った彼女の言葉に、少しだけ引っかかってしまった。
「どうだろうね」
「良い人だよ。周りの人がコロネのおねーちゃんのことを良い人って言ってなかったら、それは間違い。コロネのおねーちゃんの良いところを知らないからそんなこと言うんだよ」
「……………そうとは限らないよ」
「?」
  そう。そうとは限らない。少し目立つだけで、それを排除しようとする人間はたくさんいる。人の良いところを探すことは、大人になればなるほど難しいこと…なのだろうか。それは分からない。でも、子供の方が得意だと言うことだけは確かだ。
「でも、私も恵美花ちゃんのこと、好きだよ」
  これからも一緒に遊ぼうね。
  私の言葉を聞いた彼女の顔は、いつにも増して眩しい笑顔で辺りを照らしていた。

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