明日はきっと虹が見える

モブタツ

2ー8

  コーヒーの香りが漂う部屋の中、私は彼女の前に座っている。何分続いているか分からないこの空白の時間は、私の心を整理させるには充分過ぎるくらいに長いものであった。
「お姉ちゃんは元気?」
  そんな何でもない話題が、真っ白の時間に色をつける。
「お母さん?全然元気だよ。肺の調子も良いみたいでね。でも、最近は絵を描かないんだよ…」
「お姉ちゃんは気が向かないと絵を描かないしねぇ。最近はどこにも出かけてないし、とにかく描く機会がないんでしょ」
  今度どこか遠くに行ったら写真でも撮ってきてあげなよ。なんて不思議な提案を呑み、コーヒーに口をつけた。
「そっかぁ…菜乃花ちゃんもコーヒーを飲むようになったかぁ…しかも、砂糖もミルクも入れずに。大人になったなぁ…」
「からかわないでよ。それに…おばさんの息子だってうちと同い年なんだから、そんなに驚くことないでしょ」
「私、まだおばさんって呼ばれる歳じゃないんだけど!」
  これが、いつもの流れ。おばさん、と話題を切り出せば、最初は必ずこう言ってくる。
「はいはい。ごめんごめん。あ、これもらっていい?」
「どうぞどうぞ」
  テーブルの中心に置いてある小さな入れ物の中から、さらに小さいクッキーを取り出す。
「美優の手作りだよ」
  形が少し歪なのはそういうことか。でも、私よりは全然上手だろう。私はパンしか焼けないから。
「菜乃花ちゃん、今日ここに来たのには、何か理由があるんでしょ?じゃないと連絡なんてわざわざしないだろうし」
  部屋の内装に似た彼女の落ち着いた態度は、私のちっぽけな考えなんてものは全てお見通しだと言っているようだ。どこか、心の準備をしているようにも見える。
「あいつの」
  …たまには、名前で呼ぼう。
「……健斗の、ことなんだけど」
「恋でもしたの?」
「うちは従兄弟に恋なんてしない。あんなスケべ、絶対無理!」
  …と、彼女の言葉に流されてはいけない。
  こほん、と一呼吸。
「健斗のことで、今日は聞きたいことがあって来ました」
  意表を突かれた。という表情はしない。最初から分かっていたような、柔らかい表情。
「健斗が、どうかしたの?」
  それでも、台本を読むようにそんなことを言ってきた。
「健斗は…うちやエミちゃんに隠してることがあると思うんだよね」
  隠していること…と、彼女は繰り返す。顎に手を当て、しばらく黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
  多分この事だろうな、と呟いてから。
「来年の今頃、健斗はもうここにはいないの」
「え………?」
  辛うじて、掠れた声が出た。
「遠くに行っちゃうのよ」
「どこに?」
「それはまだ内緒」
「…いつ頃になるの?」
「今年中になるかもしれないし、来年になるかもしれない」
  母親からしても、やはり寂しいものなのだろうか。
  彼女の目は少しだけ潤いを増している気がする。
「あいつがうちに言う可能性は?」
「…多分、ゼロだと思う。」
「なんであいつは黙ってるの?」
「…ただ単に…言いたくないだけなんじゃないかな」
  それなのに、なぜおばさんの口からは簡単に言えたのだろうか。
「友達とかには言ってもいいけど、本人にだけは絶対に問いたださないこと」
  おばさんの言葉には何か裏があるように聞こえる。いや、裏がある。確実に。
「…分かった。1人だけ、伝えたい人がいる。その人にだけ教えるよ。でも、いつかは本人から話してもらう。別に特別な意味はないけど…なんか、あいつに隠し事されてると思うと腹がたつからさ」
「ふふふ。ほんと、菜乃花ちゃんは健斗のこと好きなんだね」
「好きなんかじゃないから!」
  私の嫌な予感は、見事に的中してしまっていた。

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