明日はきっと虹が見える

モブタツ

1ー3

  駅前のパン屋さん「ルピナス」で健斗と一緒にパンを食べたその後、私と健斗は駅から真逆の方向に向かって歩いた。
  驚くことに、健斗と私の家はかなり近所だったようで、家に着く直前まで一緒に歩いていた。
  私には両親と弟が一人いる。親と仲が悪いわけでもなく、弟とも結構仲が良い方だ。
  ただ、私が住んでいる家にはいない。
  複雑な事情があったわけではない。ただ、県外の高校に行くためにアパートを借りているだけ。
  今、私はそのアパートの前に立っている。
  帰る予定ではなかった家。
  家に入ると、いつもの自分の部屋の香りがした。テーブルの上に置いておいた遺書を破り捨て、荷物を床に落とした。
  テレビをつけると、いつものバライティー番組が放送されており、いつも通りのタレントがいつも通りのやり方で笑いを取っていた。
  制服のままソファに座る。全身の力が抜け、立つことすらままならない状態になっている。
  そして、生きていると実感した。
  ───しばらく沈黙が続いた後、ケータイが勢いよく鳴った。
  弟からの電話だ。
「……もしもし」
『あ!やっと出た!ねーちゃん、メール送っても返事ないから心配したんよ。体調でも悪いん?』
  弟の声だった。いつもの優しい、姉思いの可愛い弟。
  あぁ……なんで私は……。
「……………」
『ねーちゃん?どしたん?大丈夫か?』
  私は…なんで死のうとなんてしたんだろう。
「………っ……ごめん…ね……」
『え?ほんまにどしたんよ、ねーちゃん。なんか悪いことでもあったん?』
「…なんでもないよ。祐樹(ゆうき)。あんたがおらんかったら私はやってられんわぁ…」
『いや、ねーちゃん、ほんまにどしたんよ。心配じゃぁ全く。変なもんでも食べたんか?』
「なんでもないって。また明日電話してーや。励みになるけん」
『…安否確認のつもりなんじゃけどなぁ。まぁ、ねーちゃんの励みになっとるんならええけど』
「そうそう。弟はお姉ちゃんのことを癒さんにゃいけんのよ」
『分かったけん、はよ着替えんさいや』
「え!?なして着替えとらんの、分かったん!?」
『どーせほうなんじゃないかって思ったんじゃ』
「お姉ちゃん今から着替えるけん、ビデオ通話にする?」
『せんでええわ!アホ!』
「あはは!冗談じゃ冗談。ほいじゃあ、そろそろ切るわ〜」
  弟は11歳。小学5年生だ。それなのに私よりしっかりしていて。
『…ねーちゃん』
「ん?」
『…死のうとしたんか?』
  私のことは、何でも分かる、自慢の弟である。
「……なして分かったん?」
『ほ、ほんまに死のうとしたんか!?』
  超能力とか、魔法とか、そんなモノではない。弟の勘というモノだろう。私は弟に隠し事をしたことがない。…というか、隠せない。すぐに当てられるから。
「ほんまよ」
  私の言葉を聞いた祐樹は、黙り込んでしまった。電話のため、どんな表情をしているのか、何を考えているのかが、残念ながら全くわからない。
  でも、これだけは分かる。
  祐樹は、確実に心配している。と。
  簡単なことだ。こんなことは誰でも分かるだろう。
  でも、本当は違う。こういうモノはお互いの信用があってこそ成立するのだ。
  一度死んだ私には、それが痛いほど分かる。
  一度死んだ私には『人』が何なのか、痛いほど分かる。
「でも、心配せんでええよ。もう死ぬのはやめたけん」
『……ほんまに?』
「…いい人に、出会えたけん。その人がおれば私は『今のところ』平気じゃ」
  この世には『いい人』と『悪い人』がいる。その言葉に、具体的な基準はない。人それぞれだ。
  ただし。『悪い人』は、時間をかけなくても直ぐに分かる。直感というやつなのか、その人の言動を見聞きした結果だからなのか、それはその時その時で変わるが『悪い人』は直ぐに分かる。
  逆に『いい人』は、すぐには分からない。お互いのことを詳しく知り、心を開くまでは分からないのだ。
  だから、本当はまだ「彼」のことを『いい人』としては見ることができない。
  それでも、願ってはいた。
  彼が私にとって『いい人』でありますように。
『…ほうか。ならええけど。あ、ほうじゃ。ゴールデンウィーク、そっち行くけん、それまでは死なんといてな』
「その後なら死んでもええんか?」
『…勝手にしぃや。僕の気持ちも考えてな』
「もう!素直じゃないのう!彼女できんよ?」
『ほっときぃ。ねーちゃんに言われとうないわ』
  私は、笑っていた。
「お互い様じゃ!あははは!」
  でも、泣いていた。
『うっさいわ!一緒にすんな!』
  時間が経てば経つほど、私はなぜ死のうとしたのかと後悔していく。
『…もう大丈夫そうじゃね。ゆっくり休みんさいや』
「これじゃあどっちが上か分からんね」
『ねーちゃんは、ねーちゃんじゃ。んじゃ、おやすみ』
「おやすみ〜」
  電話を切ると、私はさらに泣いた。
  私はこの世から必要とされていないと思っていた。いや、それは大げさな言い方だ。
  私がいなくなっても悲しむ人はいないと、自暴自棄になっていた。
  それを「彼」が止め、弟が心配した。
  ちっぽけなことかもしれないが。

  今の私には、それだけで充分だった。

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