冒険者 カイン・リヴァー

足立韋護

一国の盾

 隠し扉から階段を昇っていくと、そこは謁見の間であった。タペストリーや赤いカーテンの施しがされ、分厚い絨毯が部屋中に広がっており豪華絢爛を象徴している。
 有事の際にはすぐさま逃げられる賢い抜け道であるが、出入り口の開閉を怠れば、それは一気に王の喉元へ刃が届くこととなる。

「な、な、なんだ貴様ァ!」

 奇声ともいえる甲高い声を上げていたのは、豪奢な服を着た、前王が身につけていた王冠を被る細身の男であった。これが現在の王だと察した。クリスが有無を言わさず短剣を男に振り下ろすと、それを別の誰かの剣で防がれる。

「クリス・エヴァランスか」

 耳に低く響くその声は、かつて傲慢の象徴であった騎士団長ヴォルガスト・ロケルであった。顔まで鎧で覆っていたが、声で判別できた。大剣を扱うその男は、クリスの剣戟を軽々と振り払った。

「貴様は先の戦いの最終局面において、敵に一矢報いたと聞いた。その男が何故自国に刃を向けるのだ」

 理由、それは考えてもいない問いであった。当然の報いだと思っていたからだ。クリスはくくっと発声する。

「魔導術師と聞き及んでいたが……まあいい。こちらは、守るべきものを守るのみ」

 ヴォルガストは大剣を構え、同調して周囲にいた衛兵と騎士団員らも同じく構えた────たった一人を除いては。

 衛兵の中に混じっていた男は前に飛び出し、クリスを庇うようにして両手を広げ、ヴォルガストへ叫んだ。

「ま、待ってくれよ! こいつは、何かの間違いだ! クリスが、王城へ乗り込んで来るなんて、何か、そう……! 誰かに脅されてるに違いないんだよ! 優しい奴なんだ! と、とびきり良い奴なんだよ!」

「……ベオル」

 クリスは男の背中と声に覚えがあった。幾度もクリスの心の支えになった、衛兵のベオルであった。ベオルの声も膝も震えていた。たかが一般の衛兵が、騎士団長らと王を前にして、説得を試みているのだから当然である。

「な、な、クリスそうだよな! こんなの間違ってるって。脅されてるとか、何か事情があるんだろ? お前は優しい奴……」

 ベオルは改めてクリスを見つめ、言葉を失った。そこにかつてのクリスの姿はなく、ただただ血が滴る前髪の奥に、虚無の表情を携えていた男がいた。
 その異様な姿に寒気すら覚える。しかし震えをぐっとこらえこんだベオルは、血塗れのクリスを抱きしめ、優しく声をかけた。

「お前を変えちまったのは、きっと俺達……大人の責任だな────────ごめんな」

 ベオルは咄嗟に振り返る。

 腰に差した剣を、王の胸に突き刺した。意外な人物の意外な行動に、誰も反応できなかった。
 王は口から赤黒い血を吐き出し、ベオルの肩を掴んでから床に倒れた。

 その瞬間、激しく風を切る音がクリスの前を通り過ぎたと思えば、ベオルの胴体は上下真っ二つになった。ヴォルガストの放った一閃は、人体をも簡単に両断してみせた。
 王は幾度かの吐血の末に息絶えた。それを目の当たりにした騎士団員や衛兵は大いに狼狽えたが、ヴォルガストがそこに喝を入れる。

「王などいくらでも代わりはいる! 狼狽える暇があれば、目の前の敵を排除しろ!」

 十人はいるだろう兵達を相手に、クリスは雪山での訓練を思い出した。単純に戦うのではやはり数は大きく有利に働く。その場合、環境を変えることが優先される。

 クリスは再び短剣を赤白く光らせた。謁見の間の壁に掛けられていたタペストリーに短剣を押し当てると蕩けつつも、すぐさま燃え上がった。それはカーテンにまで燃え移り、瞬く間に部屋中に広がっていく。
 突如脅威が増えた状況に騎士団員はより混乱に陥る。中には、謁見の間から逃げ出そうとする者まで出始めた。

 やがて絨毯にまで燃え広がり、気が付けば灼熱と化した部屋にはクリスとヴォルガストの二人だけとなっていた。

「ふん、愛国心も忠誠心の欠片もない奴らめ」

 クリスは短剣を構えた。それと同時に、ヴォルガストも大剣から衛兵らが落としていった長剣へ持ち替えた。

「単体なら大物で相対するは愚の骨頂。威厳のため随分と重苦しい獲物を持たされていたものだ」とヴォルガストは大剣を見下ろす。

 クリスはその隙を見逃さず、素早く間合いに入り込み、赤白く光る短剣を突き立てる。しかし、ヴォルガストの鎧は融解することはなかった。続けて、鎧と鎧の間に剣を差し込むがそれも通らなかった。

 クリスはヴォルガストの反撃を警戒し、即座に上を向いた。その頃には既にヴォルガストの両腕は上がっていた、次の瞬間には、頭頂部から拳を振り下ろされる。クリスは体を反らし、頭皮の一部を掠っただけで直撃は避けた。しかし生温かい液体が流れ出ることに気付き、一度距離を取った。
 ヴォルガストは得意げに手袋を見せた。手袋には細かい刃が付いている。それに握られただけでもズタズタに切り裂かれてしまいかねないものだった。

「この鎧は至る所にこうした刃がついている。そして、大将首たる俺が殺されないよう、並みの攻撃は通さない特別製だ。では、こちらからいくぞ……!」

 ヴォルガストは荒く息をしながら、長剣を振り回した。その一つ一つが確実に致命傷になりかねない一撃であり、一つでも見誤れば確実に死に至る。

 クリスは気を付けて避けつつ、期を探ったが、そこにおいてもヴォルガストに考えがあった。防戦一方の側は期を探るが、それを見せないほどの体力と膂力をヴォルガストは持ち合わせていた。大剣ですら隙がない連撃を繰り出す。それが長剣ともなれば尚更である。

 だが今回は環境がクリスにとって有利に働く。極寒の中での戦いを想定して作られたヴォルガストの鎧は敵の刃を通さないことに特化したことで、通気性はないに等しかった。そうなれば、この灼熱の中においては熱した鉄板を着ているようなものである。
 ヴォルガストの動きは徐々に鈍くなっていくも、鎧の中の状況を察知したクリスは攻撃を避け続けることに専念した。

「がぁあ!」

 ヴォルガストは白目を剥いていた。もはや精神力のみで動き回っていたが、やがてその場に立ち尽くし、身動きを取らなくなった。確認すると息をしていない。立ったまま絶命していた。
 ふとヴォルガストが家族との再会を喜んでいた光景を思い出す。クリスはくくくっと声を鳴らしつつ、謁見の間を後にした。

 マントはやはり全身まで加護しているようで、多少の火傷は負ったがあの灼熱の中でも服は焦げ付いた程度で済んだ。

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