冒険者 カイン・リヴァー

足立韋護

脈動と千獣

「風の気、その流体で押し潰せっ……!」

 防壁は突如、迫りくる天井と化した。
 ローゼらの周囲を取り込んでいた無数の触手は地面に叩きつけられ、あまりの衝撃にそのいくつかは破裂、四散した。

 術の範囲外にいたカインであったが、カインに連なる触手の腕が破裂したことで解放された。しかし、アベルはその場に倒れ、苦し気に唸っている。魔力枯渇。自らの足で立つことすらままならない。カインが血の滲むまで下唇を噛む。

「このイカ野郎がァ!」

 雄叫びを上げながらムシュルオプスの胴体を斬りつけるも、その傷はみるみるうちに塞がっていってしまった。

「こ、こいつ」とカインは思わず見上げる。ムシュルオプスはまるでこちらを嘲笑うかのごとく、甲高い鳴き声を上げながら、カインを触手で弾き飛ばした。

 こりゃあ、いよいよやべえな。カインは地面にうつ伏せながら考えた。薄れる視界の中、遠くではこちらを信じて防壁を張り続けるローゼの姿があった。アベルは全く身動きがとれないようだ。
 そんな中カインは、触手と触手の間にある隙間を見つけた。先程アベルが放った渾身の術のお陰で、この区画を完全に覆っていた触手に僅かながら、綻びが生じたのだ。そしてそれは、すぐにでも、イカの本体裏に回れる位置にあった。

「あそこに回れば……!」

 カインは四肢を使って踏み出し、その隙間に入り込んだ。ムシュルオプスは即座に察知したが、その頃には既にムシュルオプスの真裏、すなわち輝く球体にまでカインは到達していたのである。
 ムシュルオプスの判断は早かった。ローゼ達への攻撃をやめ、部屋中に広がっていた触手を縮めて、カインへと振り返った。その振り向きざま、カインを複数の触手で平手打ちするようにして殴打した。

 まさかその一瞬で対応されるなどと考えてもみなかったカインは、「ぐぁっ」と短く唸りながら、輝く球の真下へと倒れこみ気絶した。

「うそ、まさか……カイン! ねえ!」

「カ、カイン……!」

 ムシュルオプスは完全に気を失っているカインを拾い上げようと触手を伸ばしたが、ある異変を察知した。その右手に握りしめる魔斧ドラードが、赤と青、交互に明滅している。それは神獣の目から見ても、生物の脈動に思えた。
 ムシュルオプスは、手を出すことを躊躇った。


────────カインは、眩い光に包まれた空間にいた。

 浮かんでいるとも、沈んでいっているとも知れぬその空間は、カインしかいないはずのそこは、不思議と無を感じさせない温かみのある場所であった。
 カインは、ある声が頭の中に響き渡っていた。アベルでも、ローゼでもない。しかし、どこか聞いたことのあるような男の声であった。

「────もう出来ることはないと思ったが、まさかこんなところにあるとは」

「────この秘術は、千の獣の命を貰い受ける儀。”千獣の儀”だ」

 聞いたことのある声、聞いたことのある単語であった。
 男は話し続ける。しかしそこに連なりはなく、断裂した何かであった。

「────ドラード……これで良かった。これが宿命だった」

「────そんなこと言うな。この時代より、もっと……そう、幾億もの命が紡がれたその先に立つ、ある男のため」

「────優秀な弟子も何人か、取れた。彼らも助けとなるはずだ」

「────やはり、大斧は扱いづらい。ふぅ、やるか。全てを救う為に」

「────あと、は……任せた……カイン」

「────ヴァゲガガラ! ガレゲゲガア!」

「────ド……ラ、ド……。ガ、イン……ヴ、アぁ……」

 掠れゆく声を最後に、その声は止まった。
 ぼうっと漂うカインのもとに、白い靄のようなものが取り着いた。刹那、様々な光景が目の裏を駆け巡る。

 溢れかえる獣と大斧を駆り、死闘を繰り広げる男。顔こそ見えないが、鬼気迫る気迫が伝わる。
 獣の血肉を喰らい続け、最後の獣を倒す頃には、男は漆黒の毛並みを持つ獣と化していた。四つ足で吠えるそれは、まるで狼のような外見であった。狼はすぐさま大斧で自らの太くなった首を掻き切り、血飛沫が暗い儀式場を更に赤黒く染める。その血はやがて集まり始め、男の持っていた大斧の中に入り込んでいった。

 その光景を見たカインは、光の空間の中で我に返った。

「ドラード、それに千獣の儀……。こいつは、あの魔斧の……?」

 カインはふと前を見る。そこには鼠、犬、猫、獅子、熊から、巨大猛禽類グリフォン、一角獣ユニコーンに至るまで、あらゆる獣が横に並んでいた。数えきれない。それこそ千頭はいるのではないか、そう考えてしまうほどの数であった。それらは一頭ずつ、カインに向かって突っ込んできた。

「う、わっ!」

 獣がカインの体を貫いた。その獣は消え、そして次の獣がカインの体を貫く。そこに痛みはない。しかし、カインの体が煮えるように滾る感覚を覚えた。獣達の生に対する強い本能が、身体の中に取り込まれていくようであった。
 カインは、その本能が受け止めるべきものだと悟った。両手を広げ、一頭一頭、受け止める。

 最後の一頭は、男が変貌した姿、漆黒の狼であった。狼はカインを見つけると瞳を潤ませているようだ。それを見て思わず声をかける。

「お前、俺を知ってるのか?」

 それに答えることなく、やがて静かに瞼を閉じ、狼は静かにカインの中へと入っていった。

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