幼馴染みのチートコードに対する態度が厚かましい
沖ノ鳥島
「酸素無限ってことはさ、無限に泳げるよね」
ヤブ君の悪ノリは既に慣れたところにあるが、それにしても想像力の乏しさが心配である。
────◆◇◆◇◆────
まずあの超しんどい動作を精密に出来るのがヤバい。俺はそう思う。
スタンドステータスで言えば精密動作A。イカサマするスタープラチナくらいには安定感のある器用さがある。きっとヤブ君の前世は世界レベルのハエだったに違いない。高機動性を考慮した厳正な評価だ。
とはいえ、酸素無限のチートコードなら俺にも出来そうだった。実のところかなりしんどいが、椅子に座ったままシャドーボクシングのアクションを繰り返すくらいならば。
チートコードがヤブ君のみの特権ではなく、その入力さえ正確に出来るならば、誰でも使えるものであることは周知──いや野郎2人だけの知るところだが、とっくに分かっている。
奇行に溺れ消失し、駅のトイレからひょっこりと帰ってきたクラスメイトの女子などは、その証明に他ならない。
「みてみて、チートコードで車出してみた」
「頭悪いYouTuberかな」
「俺に謝って」
「ごめん」
海パン一丁。いくつかの缶詰と缶切りを持って、日本最南端、沖ノ鳥島までの旅を開始した。土日休みなので、実際的なタイムリミットは明日まで。
港から出る時に人に見つかったので騒ぎになっているかもしれない。どの程度の騒ぎになっているのか分からないが、帰還時が憂鬱だ。
日曜日というのだったら人通りも多いことだろう。着替えは駅のロッカーに用意してあるが、ずぶ濡れパンイチの変態が町中を彷徨くだけで職質ルート確定だ。
未来の自分へのしょうもない気遣いは回るくせに、知恵は足りていない。これが若さゆえの不足。
まあ、グショグショの海パンと使用済みの缶詰をぶら下げて家まで帰れ、というよりはイージーな話だ。
「海上で車があってもな」
「これ浮いてるけど」
「車って水に浮けたのか」
「知らん。海水は水道水より重いのかもしれない。水道水に車が浮くシチュエーションは理解できないけど。とりあえずよじ乗って一旦休もう、ていうか体力が戻るまで車を出し続けよう」
「自然環境に親でも殺されたのか?」
「津波で腐るほど海に流してるから大丈夫……今更50台や60台なんのその」
上陸。ならぬ乗車。いや登車。
休息。
ぶっちゃけ2人居たら狭い。車内ならともかく、車上に野郎2人は馬鹿の所業だ。
いや現在に至る経緯からして否定は出来ないが。
「いくら酸素が無限でも、人体が海に対して無敵を誇るわけじゃないとは思わなかった」
「宇宙でも酸素ボンベ持って全裸で行ったら流石に死ぬわな。知能ザコか??」
「同族嫌悪かよ。鯨は何で海水に居ても大丈夫なんだろうな」
「脂」
「あー成る程」
「嘘適当に言った」
「真実味はある」
海パンだけだから、冷えては寒い。日光があるから、不意に吹く風に目を瞑れば何とかなっている。
高校生の無駄な行動力を良しとするか悪しとするか。少なくとも今の時点ではただただ恨めしいばかりだ。自業自得だが。
沖ノ鳥島は珊瑚礁と聞いた覚えがある。それを日本の領土であると主張し、無くなっては困るので手厚く保護までしているとか。セコいが頭がいい。
ただ、ふと思い立って海パンと缶詰一式の用意だけで行動に移す愚直で考えなしの高校生には、一目見てもどれが珊瑚礁なのか分からない。
もうこれぜんぶ珊瑚礁でいいとおもう。
「方位磁石持ってくればよかった」
「防水性の地図もな」
「沖ノ鳥島の表示とかどう足掻いても日本地図」
「規格が合わない件」
「まず第一に、海流を想定してなかった。それのズレを方位磁石で修整する技術がない」
「チートコードって案外不便だな」
「そりゃ、何でもかんでも出来るもんじゃ──あ」
まるで天啓でも得たように言葉を止め、ヤブ君はいきなりジャッキー・チェンの修行のような体勢を取り、話しかけないように一言断ってから、得体の知れぬ儀式を行い始めた。
古代のアーリア人は、自然を崇める対象から次第に操作するものとして変わっていき、その儀式の本意も変わっていったという。彼は踊りは今、チートコードを授かるのではなく、見つけるための踊りなのだ。
海上の車に振動が伝わる。
ただウザったくて仕方のない熱意がケツに響く。
痔も辞さない。
「ヤブ君さぁ」
「はい」
「もう一つ車出してそっち行けよ」
「出すからお前が行け」
「はい」
常識者は肩身が狭い。
本当に暇でどうしようもなくて、ケツや腰の動きにキレが無くなってくるヤブ君に野次を飛ばしながら過ごす。太陽の傾きから、2時間経過くらいか。
やりきったような達成感のある表情で、海パン一丁の男子高校生は車の上にあぐらをかいだ。
「絵面がダサい。滑ってる」
「海上の車でダラダラしてるカンちゃんよりも真人間してる気分なんだけど」
「目クソ鼻クソが驕り高ぶるな」
閑話休題。
「座標表示のチートコード見つけました」
「あ、今の儀式はそれかぁ」
「問題はそれがデーヴァナーガリー数字表記なの」
「おうアラビア数字と同じ十進法じゃねーか頑張れよ」
「つらいほんと……紙とペン要る……」
「海面に座す俺らには縁のない代物だな」
「防水性のペンと防水性の紙持ってきておいたらよかった」
「現代の技術力を過信しすぎでは?」
原始的な発想で沖ノ鳥島を目指す俺達がそんな文明の産物にあやかれると思っているのだろうか。あほくさい。
「このマグロの缶詰美味いな」
「ガッツリあやかっとるやん」
そんなわけで、俺達は帰国の目処をつける。
今のここが日本の領海かどうか怪しいところだ。
それにしても、ヤブ君は半端ないな。
彼は世界のバグに選ばれし人間だと思っていたが、真実、そう言うより、彼はチートコードを見つける天賦の才があるのではないか。
哀れむべきか羨むべきか判断に迷う才能だった。
海のただ中に居るよりも、更にツンと、鼻につく濃い磯の香りがした。かぐわしいと言うよりは、滅茶苦茶クサい。
所によっては海辺の町はこういう臭いがするということか。よい経験になった、覚えておこう。
2度と来ねぇ。
「台湾ではないっぽい」
「顔立ちからすると、そう……なのか?」
俺は顔で人種を大まかにすら見分けることは出来ないが、それでも……何か筆舌しがたい違和感がある。
どれでもない、と思いつつ可能性を挙げ連ねた。
「じゃあフィリピンかマレーシア。インドネシアもあり得る」
フィリピンの公用語は英語に加えてフィリピノ語がある。マレーシアは英語、マレー語、それと中国語を話せる人も居るらしい。インドネシアは知らない。世界地図で見るだけでも、大小様々な島が集まる、水の飛沫のような領土だ。きっと島それぞれに別れるレベルで言語がバラバラな可能性もある。
座標表示? デーヴァナーガリー数字なんざ知らねぇよ。今時誰が使うんだ。現代にラマヌジャンは居ねぇ。
「スゴいね人体。日本から泳いで来れるのか」
「夜だけどな。時差を考えて日本より1時間遅れ」
「服がほしい」
「帰りは邪魔になるだろ」
「およいでかえるのか……」
「そりゃモロ不法入国ですし……あっ」
現地ポリスメンに見つかった。
連れていかれた。
深夜、海パン、ずぶ濡れで徘徊する男2人。
妥当であった。職務に忠実と言えばまさしくその通り。
「まずくね?」
「まずくね」
「殺されるかも」
「輩かよ」
しかしこれは……正直にわけを説明したら、チートコードが全世界にバレてしまうおそれがあるな。
だから何だって言われると想像は難しいが、ろくな結果が待ち受けていないのは間違いない。
まず金増殖が公序良俗に喧嘩を売ってる時点で、それは推して知るべきこと。
そして新聞の一面にでかでかと、男子高校生2人が、発見した物理法則の不具合を用いてジャパンから無計画に不法入国、とか書かれるのだ。
Hahaha、冗談だろ、ジャパンの高校生はこんなヤベーもの使ってどこに行きたかったんだ? オキノトリ=アイランド?
(調べる)
oh……it's a fucking small……(小声)
とか言われるのだ。
せめて他人事でありたいと切に願う。
がらがらとしわがれた声をした、平たい頭の警察官とのコミュニケーションは、当然のごとく上手くいかない。こういう時に用いるボディランゲージなんてあるはずもない。
それを察した現地警察官は、じとりとした瞬きをしない目で、難しそうな顔をしながら同僚と相談し始めた。
ネイティヴの英語なのか、それとも他の現地公用語なのか、その内容は全く理解できない。
「何語だろ」
「英語かな。わかんねー」
「もう現役高校生を名乗るのやめろよ」
「は? じゃあ訳してみろよ」
ヤブ君が目を閉じ、耳を傾けた。
勝手に相槌を打ちながら俺へ向き直る。
「とりあえず海へ飛び込んで帰ろうか」
「分かってねーじゃねぇかハゲ」
交番らしき建物からダッシュで飛び出し海へダイブ。
我らはマジ魚人だから、今日の事は忘れなさい。
そんな感じで。
「この状況を脱するには、いくつかの方法がある。どっちもチートコードへの賭けだけどさ」
「はえ……」
「きっしょ」
「あ?」
「お?」
ろくな返事をする体力がねーんだよ。
空を見ろ。地を見ろ。既に夜は明けている。
日曜の朝だ。いつもなら11時に起きてるんだぞこっちはよ。
「なぜ地を見させたのか」
「チートコードっつっても、入力を探さなきゃいけないんだろ」
「その点については要相談。まず1つ目はなんか都合のいいチートコードを見つける」
「はい解散。海へ還るべ」
「帰るのは日本だろ起きろ。時間操作、空間操作、まあ何でもいい。一番可能性があるのは長谷川さんが駅のトイレでアレしたやつを探してみる」
「……成る程」
仮にそれでヤブ君が帰れたとしても、俺もその後同様のチートコードを実行しなくては、帰ることが叶わないわけだ。出来るだろうか。なるべく簡単な動作であってくれ。かなり切実に願う。
「2つ目は世界の強制終了だ」
「中学生の真似本当無理こっちに口を開かないで」
「なんで厨二病にそんな辛辣なの……これはこの、チートコードが存在するような世界が現実であるわけないだろという正論を振りかざして、チートコードの乱用で処理落ちさせて強制終了させ、俺達は学校で目覚めて何気ない日常を送る。海になんて来なかった、いいね? という方法」
「幼馴染みのチートコードに対する態度が厚かましすぎるんだが」
「雑なタイトル回収はやめとけ」
可能性があるのは、やはり1つ目だ。2つ目は謎の飛躍した理論が突如として現れすぎている。
それがあり得ない、とは言わない。ただ月曜日という時間に追われる今、その遥かなる真理の探求に手を出すほど手がないわけではない。
それに俺達は、一度駅のトイレに転移させられる可哀想な女子生徒の奇行を見た、というアドバンテージがある。厳密にどういう入力が必要なのかは分からないが、あてもなく奇行を繰り返すよりは可能性が高い。その線でいこう。
すべてはヤブ君にかかっている。
「長谷川さんの奇行の動きは大体見てたよな。とりあえず2人で探ってみる方が早く済む」
「よし」
俺にもかかっていた。
俺はチートコードの入力が分からない。いや、出来るには出来る。しかしそれは、言うなれば先達の上澄みを汲ませて貰っているようなもの。
ヤブ君のような天に恵まれたとしか思えないような才能もない。
何か超越的な存在から啓示が降りてくるわけでもない。
俺には物理法則の中に潜む神秘を行使する権利は本来なく、ましてや探求などは烏滸がましいにも程がある。
しかし、それでも、ただそれでも。
俺達は、俺達の家に帰るために。
この大いなる海を越えるために。
情熱的に大地を揺らす。熱狂的に大気を焦がす。原初の時空を叩き歪める。
我知らず声帯を震わせていた。我知らず呼吸を奮わせていた。何かに目覚め、教えられたように。
「うおおおおおおおおお!!!!!」
「──! そうか、声だ! 長谷川さんは奇声を上げていた! チートコードの入力には、もしかして『声』もその一手になるのかもしれない!!!」
「うおおおおおおおお────!!」
「ヴぉ゙おおおお゙お゙!゙!゙!゙!゙!!」
「ォオオオォオォ────ッッッ!!!」
「ェ゙エエェ゙イアァッッ゙ッァーーーッ!!!」
時間の感覚などとうに焼ききれた。
ただ、心の奥底から、肯定感が沸いてくる。それでいい、それこそが必要だ。
俺達の入力は、どこかが間違っていながらも、どこかが正解しているのだ。
魂で感じる。魂で理解する。
叫べ、動け、理解れ──
俺達は家に帰るぞ。
俺達は、日本に帰るんだ。
ありったけの決意が、荘厳にして雄大なる舞いを体で示す。
「┘├┘━┤┓╋┛├┘ァア!!!」
「∮㍻┐┼┘GHZ㈱・Д・────ッ!」
魂が高揚していた。
全身が鼓動していた。
五感の入出力を司るあらゆる器官が、喜びにうち震えた。
全能感、肯定感、達成感、極致感。
人間が味わいうる最も巨大な情感の濁流が、体内を駆け巡る電気信号を超越した特権的真実となって、精神の奥底へ直接入り込む。
言葉に表せない、存在の因果ごと引き込む何かの力。音、空気、そういったものに似た何かの目に見えない、常に感じていた物質の壁を押し通る。
バンッと世界が変わった。
これが転移だ。これが瞬間移動だ。
これが────だ。
それが根源的な理性と意識によって理解できた。
「?」
声を出そうとしたが、うまく出せなかった。
これは……そう、これは。
「俺達──」
「俺ら──」
「「一緒になってる──!?」」
いしのなかにいる。
ならぬ友の中に居る。
いやもっと単純に、システマティックに言って、転移先の座標がダブった。
どちらもが同列に優先され、結果として2人は合一したのだ。
そうと確信できた瞬間、己という人間に備えられた意識以上の、大きな何かの破綻が起きた。
より大きな破綻は、より小さな破綻を飲み込む。
そうして、俺の意識は世界と共にブラックアウトした。
────◆◇◆◇◆────
翌朝。
初日の女子生徒の瞬間移動事件に続き、昨日もヤブ君によるチートコードが実効されたことによって、なぜか全ッ然代わり映えしない日常に、奇妙なスパイスがしれっと紛れ込むことが確約された。
チートコードの存在が発覚しても、俺達の日常は、そう。全ッ然代わり映えしないのである。
そしてさも自然のことであるように、ヤブ君の特技の1つのうちに、それは居座っているのである。
大体何なのだろうか、ハンドリング技術の向上と酸素無限とは。1つのチートコードの中にいかにも関係なさそうな効果入れてんじゃねーよ。
ちなみに、自転車にもハンドリング技術の向上は適用されるらしい。
知るか。
始業開始5分前、ヤブ君が教室に滑り込む。
このチャイムに遅れても遅刻の扱いにはならないが、『友達と会話する前に授業を受けさせられるのはムカつく』という理由で駆け込んでくるらしい。
もっと余裕持ってこい。
「おはようカンちゃんガム食う?」
「何味?」
「北海道バナナ味」
「……???」
何味だろう。予測がつかない。貰おう。
「普通のバナナじゃね?」
「愚痴蒙昧のカンちゃんに提案がある」
「ねえ何で世間話の返しにいきなりdisったの?」
「酸素無限ってことはさ、無限に泳げるよね」
ヤブ君の悪ノリは既に慣れたところにあるが、それにしても想像力の乏しさが心配である。
「泳いで沖ノ鳥島行こうぜ」
高校生の無駄にあまりあまった突飛にして尊うべき行動力が、今、試される。
ヤブ君の悪ノリは既に慣れたところにあるが、それにしても想像力の乏しさが心配である。
────◆◇◆◇◆────
まずあの超しんどい動作を精密に出来るのがヤバい。俺はそう思う。
スタンドステータスで言えば精密動作A。イカサマするスタープラチナくらいには安定感のある器用さがある。きっとヤブ君の前世は世界レベルのハエだったに違いない。高機動性を考慮した厳正な評価だ。
とはいえ、酸素無限のチートコードなら俺にも出来そうだった。実のところかなりしんどいが、椅子に座ったままシャドーボクシングのアクションを繰り返すくらいならば。
チートコードがヤブ君のみの特権ではなく、その入力さえ正確に出来るならば、誰でも使えるものであることは周知──いや野郎2人だけの知るところだが、とっくに分かっている。
奇行に溺れ消失し、駅のトイレからひょっこりと帰ってきたクラスメイトの女子などは、その証明に他ならない。
「みてみて、チートコードで車出してみた」
「頭悪いYouTuberかな」
「俺に謝って」
「ごめん」
海パン一丁。いくつかの缶詰と缶切りを持って、日本最南端、沖ノ鳥島までの旅を開始した。土日休みなので、実際的なタイムリミットは明日まで。
港から出る時に人に見つかったので騒ぎになっているかもしれない。どの程度の騒ぎになっているのか分からないが、帰還時が憂鬱だ。
日曜日というのだったら人通りも多いことだろう。着替えは駅のロッカーに用意してあるが、ずぶ濡れパンイチの変態が町中を彷徨くだけで職質ルート確定だ。
未来の自分へのしょうもない気遣いは回るくせに、知恵は足りていない。これが若さゆえの不足。
まあ、グショグショの海パンと使用済みの缶詰をぶら下げて家まで帰れ、というよりはイージーな話だ。
「海上で車があってもな」
「これ浮いてるけど」
「車って水に浮けたのか」
「知らん。海水は水道水より重いのかもしれない。水道水に車が浮くシチュエーションは理解できないけど。とりあえずよじ乗って一旦休もう、ていうか体力が戻るまで車を出し続けよう」
「自然環境に親でも殺されたのか?」
「津波で腐るほど海に流してるから大丈夫……今更50台や60台なんのその」
上陸。ならぬ乗車。いや登車。
休息。
ぶっちゃけ2人居たら狭い。車内ならともかく、車上に野郎2人は馬鹿の所業だ。
いや現在に至る経緯からして否定は出来ないが。
「いくら酸素が無限でも、人体が海に対して無敵を誇るわけじゃないとは思わなかった」
「宇宙でも酸素ボンベ持って全裸で行ったら流石に死ぬわな。知能ザコか??」
「同族嫌悪かよ。鯨は何で海水に居ても大丈夫なんだろうな」
「脂」
「あー成る程」
「嘘適当に言った」
「真実味はある」
海パンだけだから、冷えては寒い。日光があるから、不意に吹く風に目を瞑れば何とかなっている。
高校生の無駄な行動力を良しとするか悪しとするか。少なくとも今の時点ではただただ恨めしいばかりだ。自業自得だが。
沖ノ鳥島は珊瑚礁と聞いた覚えがある。それを日本の領土であると主張し、無くなっては困るので手厚く保護までしているとか。セコいが頭がいい。
ただ、ふと思い立って海パンと缶詰一式の用意だけで行動に移す愚直で考えなしの高校生には、一目見てもどれが珊瑚礁なのか分からない。
もうこれぜんぶ珊瑚礁でいいとおもう。
「方位磁石持ってくればよかった」
「防水性の地図もな」
「沖ノ鳥島の表示とかどう足掻いても日本地図」
「規格が合わない件」
「まず第一に、海流を想定してなかった。それのズレを方位磁石で修整する技術がない」
「チートコードって案外不便だな」
「そりゃ、何でもかんでも出来るもんじゃ──あ」
まるで天啓でも得たように言葉を止め、ヤブ君はいきなりジャッキー・チェンの修行のような体勢を取り、話しかけないように一言断ってから、得体の知れぬ儀式を行い始めた。
古代のアーリア人は、自然を崇める対象から次第に操作するものとして変わっていき、その儀式の本意も変わっていったという。彼は踊りは今、チートコードを授かるのではなく、見つけるための踊りなのだ。
海上の車に振動が伝わる。
ただウザったくて仕方のない熱意がケツに響く。
痔も辞さない。
「ヤブ君さぁ」
「はい」
「もう一つ車出してそっち行けよ」
「出すからお前が行け」
「はい」
常識者は肩身が狭い。
本当に暇でどうしようもなくて、ケツや腰の動きにキレが無くなってくるヤブ君に野次を飛ばしながら過ごす。太陽の傾きから、2時間経過くらいか。
やりきったような達成感のある表情で、海パン一丁の男子高校生は車の上にあぐらをかいだ。
「絵面がダサい。滑ってる」
「海上の車でダラダラしてるカンちゃんよりも真人間してる気分なんだけど」
「目クソ鼻クソが驕り高ぶるな」
閑話休題。
「座標表示のチートコード見つけました」
「あ、今の儀式はそれかぁ」
「問題はそれがデーヴァナーガリー数字表記なの」
「おうアラビア数字と同じ十進法じゃねーか頑張れよ」
「つらいほんと……紙とペン要る……」
「海面に座す俺らには縁のない代物だな」
「防水性のペンと防水性の紙持ってきておいたらよかった」
「現代の技術力を過信しすぎでは?」
原始的な発想で沖ノ鳥島を目指す俺達がそんな文明の産物にあやかれると思っているのだろうか。あほくさい。
「このマグロの缶詰美味いな」
「ガッツリあやかっとるやん」
そんなわけで、俺達は帰国の目処をつける。
今のここが日本の領海かどうか怪しいところだ。
それにしても、ヤブ君は半端ないな。
彼は世界のバグに選ばれし人間だと思っていたが、真実、そう言うより、彼はチートコードを見つける天賦の才があるのではないか。
哀れむべきか羨むべきか判断に迷う才能だった。
海のただ中に居るよりも、更にツンと、鼻につく濃い磯の香りがした。かぐわしいと言うよりは、滅茶苦茶クサい。
所によっては海辺の町はこういう臭いがするということか。よい経験になった、覚えておこう。
2度と来ねぇ。
「台湾ではないっぽい」
「顔立ちからすると、そう……なのか?」
俺は顔で人種を大まかにすら見分けることは出来ないが、それでも……何か筆舌しがたい違和感がある。
どれでもない、と思いつつ可能性を挙げ連ねた。
「じゃあフィリピンかマレーシア。インドネシアもあり得る」
フィリピンの公用語は英語に加えてフィリピノ語がある。マレーシアは英語、マレー語、それと中国語を話せる人も居るらしい。インドネシアは知らない。世界地図で見るだけでも、大小様々な島が集まる、水の飛沫のような領土だ。きっと島それぞれに別れるレベルで言語がバラバラな可能性もある。
座標表示? デーヴァナーガリー数字なんざ知らねぇよ。今時誰が使うんだ。現代にラマヌジャンは居ねぇ。
「スゴいね人体。日本から泳いで来れるのか」
「夜だけどな。時差を考えて日本より1時間遅れ」
「服がほしい」
「帰りは邪魔になるだろ」
「およいでかえるのか……」
「そりゃモロ不法入国ですし……あっ」
現地ポリスメンに見つかった。
連れていかれた。
深夜、海パン、ずぶ濡れで徘徊する男2人。
妥当であった。職務に忠実と言えばまさしくその通り。
「まずくね?」
「まずくね」
「殺されるかも」
「輩かよ」
しかしこれは……正直にわけを説明したら、チートコードが全世界にバレてしまうおそれがあるな。
だから何だって言われると想像は難しいが、ろくな結果が待ち受けていないのは間違いない。
まず金増殖が公序良俗に喧嘩を売ってる時点で、それは推して知るべきこと。
そして新聞の一面にでかでかと、男子高校生2人が、発見した物理法則の不具合を用いてジャパンから無計画に不法入国、とか書かれるのだ。
Hahaha、冗談だろ、ジャパンの高校生はこんなヤベーもの使ってどこに行きたかったんだ? オキノトリ=アイランド?
(調べる)
oh……it's a fucking small……(小声)
とか言われるのだ。
せめて他人事でありたいと切に願う。
がらがらとしわがれた声をした、平たい頭の警察官とのコミュニケーションは、当然のごとく上手くいかない。こういう時に用いるボディランゲージなんてあるはずもない。
それを察した現地警察官は、じとりとした瞬きをしない目で、難しそうな顔をしながら同僚と相談し始めた。
ネイティヴの英語なのか、それとも他の現地公用語なのか、その内容は全く理解できない。
「何語だろ」
「英語かな。わかんねー」
「もう現役高校生を名乗るのやめろよ」
「は? じゃあ訳してみろよ」
ヤブ君が目を閉じ、耳を傾けた。
勝手に相槌を打ちながら俺へ向き直る。
「とりあえず海へ飛び込んで帰ろうか」
「分かってねーじゃねぇかハゲ」
交番らしき建物からダッシュで飛び出し海へダイブ。
我らはマジ魚人だから、今日の事は忘れなさい。
そんな感じで。
「この状況を脱するには、いくつかの方法がある。どっちもチートコードへの賭けだけどさ」
「はえ……」
「きっしょ」
「あ?」
「お?」
ろくな返事をする体力がねーんだよ。
空を見ろ。地を見ろ。既に夜は明けている。
日曜の朝だ。いつもなら11時に起きてるんだぞこっちはよ。
「なぜ地を見させたのか」
「チートコードっつっても、入力を探さなきゃいけないんだろ」
「その点については要相談。まず1つ目はなんか都合のいいチートコードを見つける」
「はい解散。海へ還るべ」
「帰るのは日本だろ起きろ。時間操作、空間操作、まあ何でもいい。一番可能性があるのは長谷川さんが駅のトイレでアレしたやつを探してみる」
「……成る程」
仮にそれでヤブ君が帰れたとしても、俺もその後同様のチートコードを実行しなくては、帰ることが叶わないわけだ。出来るだろうか。なるべく簡単な動作であってくれ。かなり切実に願う。
「2つ目は世界の強制終了だ」
「中学生の真似本当無理こっちに口を開かないで」
「なんで厨二病にそんな辛辣なの……これはこの、チートコードが存在するような世界が現実であるわけないだろという正論を振りかざして、チートコードの乱用で処理落ちさせて強制終了させ、俺達は学校で目覚めて何気ない日常を送る。海になんて来なかった、いいね? という方法」
「幼馴染みのチートコードに対する態度が厚かましすぎるんだが」
「雑なタイトル回収はやめとけ」
可能性があるのは、やはり1つ目だ。2つ目は謎の飛躍した理論が突如として現れすぎている。
それがあり得ない、とは言わない。ただ月曜日という時間に追われる今、その遥かなる真理の探求に手を出すほど手がないわけではない。
それに俺達は、一度駅のトイレに転移させられる可哀想な女子生徒の奇行を見た、というアドバンテージがある。厳密にどういう入力が必要なのかは分からないが、あてもなく奇行を繰り返すよりは可能性が高い。その線でいこう。
すべてはヤブ君にかかっている。
「長谷川さんの奇行の動きは大体見てたよな。とりあえず2人で探ってみる方が早く済む」
「よし」
俺にもかかっていた。
俺はチートコードの入力が分からない。いや、出来るには出来る。しかしそれは、言うなれば先達の上澄みを汲ませて貰っているようなもの。
ヤブ君のような天に恵まれたとしか思えないような才能もない。
何か超越的な存在から啓示が降りてくるわけでもない。
俺には物理法則の中に潜む神秘を行使する権利は本来なく、ましてや探求などは烏滸がましいにも程がある。
しかし、それでも、ただそれでも。
俺達は、俺達の家に帰るために。
この大いなる海を越えるために。
情熱的に大地を揺らす。熱狂的に大気を焦がす。原初の時空を叩き歪める。
我知らず声帯を震わせていた。我知らず呼吸を奮わせていた。何かに目覚め、教えられたように。
「うおおおおおおおおお!!!!!」
「──! そうか、声だ! 長谷川さんは奇声を上げていた! チートコードの入力には、もしかして『声』もその一手になるのかもしれない!!!」
「うおおおおおおおお────!!」
「ヴぉ゙おおおお゙お゙!゙!゙!゙!゙!!」
「ォオオオォオォ────ッッッ!!!」
「ェ゙エエェ゙イアァッッ゙ッァーーーッ!!!」
時間の感覚などとうに焼ききれた。
ただ、心の奥底から、肯定感が沸いてくる。それでいい、それこそが必要だ。
俺達の入力は、どこかが間違っていながらも、どこかが正解しているのだ。
魂で感じる。魂で理解する。
叫べ、動け、理解れ──
俺達は家に帰るぞ。
俺達は、日本に帰るんだ。
ありったけの決意が、荘厳にして雄大なる舞いを体で示す。
「┘├┘━┤┓╋┛├┘ァア!!!」
「∮㍻┐┼┘GHZ㈱・Д・────ッ!」
魂が高揚していた。
全身が鼓動していた。
五感の入出力を司るあらゆる器官が、喜びにうち震えた。
全能感、肯定感、達成感、極致感。
人間が味わいうる最も巨大な情感の濁流が、体内を駆け巡る電気信号を超越した特権的真実となって、精神の奥底へ直接入り込む。
言葉に表せない、存在の因果ごと引き込む何かの力。音、空気、そういったものに似た何かの目に見えない、常に感じていた物質の壁を押し通る。
バンッと世界が変わった。
これが転移だ。これが瞬間移動だ。
これが────だ。
それが根源的な理性と意識によって理解できた。
「?」
声を出そうとしたが、うまく出せなかった。
これは……そう、これは。
「俺達──」
「俺ら──」
「「一緒になってる──!?」」
いしのなかにいる。
ならぬ友の中に居る。
いやもっと単純に、システマティックに言って、転移先の座標がダブった。
どちらもが同列に優先され、結果として2人は合一したのだ。
そうと確信できた瞬間、己という人間に備えられた意識以上の、大きな何かの破綻が起きた。
より大きな破綻は、より小さな破綻を飲み込む。
そうして、俺の意識は世界と共にブラックアウトした。
────◆◇◆◇◆────
翌朝。
初日の女子生徒の瞬間移動事件に続き、昨日もヤブ君によるチートコードが実効されたことによって、なぜか全ッ然代わり映えしない日常に、奇妙なスパイスがしれっと紛れ込むことが確約された。
チートコードの存在が発覚しても、俺達の日常は、そう。全ッ然代わり映えしないのである。
そしてさも自然のことであるように、ヤブ君の特技の1つのうちに、それは居座っているのである。
大体何なのだろうか、ハンドリング技術の向上と酸素無限とは。1つのチートコードの中にいかにも関係なさそうな効果入れてんじゃねーよ。
ちなみに、自転車にもハンドリング技術の向上は適用されるらしい。
知るか。
始業開始5分前、ヤブ君が教室に滑り込む。
このチャイムに遅れても遅刻の扱いにはならないが、『友達と会話する前に授業を受けさせられるのはムカつく』という理由で駆け込んでくるらしい。
もっと余裕持ってこい。
「おはようカンちゃんガム食う?」
「何味?」
「北海道バナナ味」
「……???」
何味だろう。予測がつかない。貰おう。
「普通のバナナじゃね?」
「愚痴蒙昧のカンちゃんに提案がある」
「ねえ何で世間話の返しにいきなりdisったの?」
「酸素無限ってことはさ、無限に泳げるよね」
ヤブ君の悪ノリは既に慣れたところにあるが、それにしても想像力の乏しさが心配である。
「泳いで沖ノ鳥島行こうぜ」
高校生の無駄にあまりあまった突飛にして尊うべき行動力が、今、試される。
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