転移した先は彼女を人質にとるムゴい異世界だった

涼風てくの

第十八話「天帝は目覚める」

「ああ、それなら私もフロンティアに向けて訓練をしようと思っていたところよ」とソフィーは素っ気なく言った。
 なんだよ、緊張し損だった。妙に汗ばんで、はち切れんばかりに心臓が早鐘を打っていたというのに。俺はそれを悟られまいと慎重に言葉を選んだ。
「そうか。じゃあ、夕方までには戻ればいいか」
「問題ないわ」
「わかった」
 ソフィーがあっさり納得したのに安心して、ほっと息をついた。そこへいきなり鋭い声を入れた。首根っこを掴まれたような感じがした。
「ところで」
「え?」
 俺をねめつけるような視線だ。何かやらかしたか……?
 ちょっとした沈黙が立ち込める。それから少しして沈黙は破れた。
「あんまりうろちょろして山賊にでも襲われないようにしなさい」
「なんだそんなことか……。緊張して損した」
「どういう事」
「どういう事もないよ。とにかく夕方には帰る」


 そう言ってソフィーと別れた。終始無言だった理恵を連れて。
 ちょうど洞窟を抜けたところで、理恵はようやく口を開いた。今度は声の調子は乱れていなかった。
「尾行してたりしない……」
 俺は少し笑った。
「まあそれは心配しなくていいだろ。あいつのフロンティアにかける思いは本物らしいし」
「ふうん」と、理恵は興味ないようで非難するような微妙な感じで息を吐く。
 こう率直に感情を見せるのは珍しいような気もする。
「で、どうするの」
「ん? なにが」
「なにがって、ガブリエルでしょ。何寝ぼけてるの」
「ああ、そうだったな。すっかり忘れてた」
 理恵は嘆息した。呆れた風だ。そっちも捨ててはおけない問題だったな。
「さっきはあんなこと言ったが、やっぱり兄妹のところに行くのはまずいかな」
「そうね、いったいどんな罰が待っているか」とおかしそうに笑う。
「とはいえ、行かないなら行かないで何もすることが無いんだよな。竜に乗れるならまだしも」
「それなら私が乗せてあげるから問題ないわ」
「ああ、そうか」と理恵の方を見た。「そんな事も出来るのか」
 理恵は手を後ろに嬉しそうに笑った。




 俺は理恵に連れられて三十分ほど西へ向かった。ついたのは荒涼たる谷を望む断崖絶壁、その上だ。空が青い。風は崖にぶち当たりひゅうひゅうと音を立てている。その中を飛んでいるのは竜だ。竜の巣が近くにあるのだろうか。


「よくこんなところがわかったな」
「昨日夕焼けを見ている時に見つけたの。中々いい場所でしょ? 写真に収めたいぐらい」
 俺は何も答えなかった。
「とりあえず降りよ。さっき降りられる場所を見つけたから」とおさげを揺らす。
 辺りは荒れ野が広がっている。元の世界じゃ見たことも無いほど未開拓の土地が野ざらしにされている。


 俺は後をついて行きながら考えた。理恵もよくこんな場所がわかったもんだ。こいつの思考には隙が無い。理恵と話していると何だか妙な気分がする。
 俺たちは崖をおりて下まで来た。竜が間近を通るぐらいのところだが、すっかり慣れて雄飛する竜を見ても動じないようになっていた。
 理恵は適当な赤い竜を見繕い、自らまたいで俺にも乗るよう示した。
 またいでみると、ごつごつした肌を真下に感じる。俺が乗っても竜は何の反応も示さずに、理恵の意思に従って動いた。
「そう言えば海翔、ペンダントほっぽりなげて来たでしょ」
「ああ、あの薄汚れた服と一緒に……、ソフィーの家に置いてきたんだ」
「すぐ人に貰ったものどっかにやっちゃうんだから」
「そうらしいな」
 竜は空高く舞い上がり、体にぐっと重みが加わる。薄赤い翼が空をあおぐ。ある程度の高さまで上昇すると、今度は適当な方向に飛び始めた。それなりに強い風が吹いてくる。
「今度はどこに向かうんだ」、俺は叫んだ。
「あっちの方」
 と言って理恵が指さした方には、遠くに森がある。かなり巨大なように見える。
「あれが魔の森か」と何気なく呟いた。
「え?」
「いやなんでもない」
「ひとまず王城には近づかないように適当に飛んでみるから」
「わかった」
 理恵は竜をぐいと傾けた。大きく左に旋回していく。


 空から見ると、大地には草の緑や地肌の茶色が広がり、人家がわずかに点々と散らばるばかりだ。きっと市街は俺たちがまわって来たところにしかないのだろう。人の影も数少なである。
 前に座る理恵に目を移した。竜と意思を通じ合っているかのように繊細に操縦している。なり慣れているかのようにひょうひょうと操る。
 やがて森の上に来た。アマゾンのジャングルと見まがうばかりに木々が密生している。およそ地面の様子はここからではうかがい知るよしもない。色の濃い背の高い木ばかりだ。
 しかしここが魔の森だとしたら、どこらへんに魔の要素があるのだろうか。魔というからバミューダトライアングルのように墜落でもするのかとびくびくしていたが、それこそバミューダトライアングルのように胡散うさん臭い話か。
 そのうちに、下ばかり見ていて腰が引けてきた。シートベルトどころか、つかまる部分さえ少ないのに、外の空気に露出しているから怖い。


 それから数十分を空の上でぶらぶらした後、再びもとの谷へと降りた。そこでもまた数十分を竜と戯れていた。様々な色の竜があちらこちらで思い思いの事をする中で、理恵は見境なくそいつらを手なずけていた。
 とても俺にはできない芸当だ。好奇心であんな事までできるというのは理解しがたい。あんなことをしたって何が得になるわけでもないんだから。なんなら人と話して有益な情報を聞き出していた方が利口だ。魔の森の事だとか、呪いの事だとか、人面石の事だとか。まあとにかくこの世界に関する何かが掴めればいい。そういう情報をよく知る人と出会えればいいが。行商人ならそこら辺は詳しいだろうか? 理恵がひとまず満足した所で、崖の上へと上がった。
 俺は何気なく空をうち仰いだ。色は薄いが、広くて青々としている。ここに立っていると、なんだか心が洗われるような気になる。森の中にいるよりも気分が晴れるような気がする。もっともさほど足を運んだことはないが。
 することも無く、風景をただ眺めているのに疲れて、俺は腰を下ろした。理恵も隣にすわった。壮大な空気に触れている内に気分は晴れただろうか。呪いも病気と同じように回復すればいいのだが。


 理恵は体にたまった疲れを吐き出すように息をついた。
「なんだか疲れちゃった」
「最近色々あったからな。……そうだ、肩でも揉んでやるよ」
 膝をくずして座る理恵の肩に手をかけた。ちょっと急ぎ過ぎたかな。
「ありがとう」
 そう言った理恵の肩は、思ったよりあたたかくて柔らかい。軽く力を込めた指が肉の中に包まれるような気がする。俺は言い知れぬ安心感を覚えていた。
「ほんと、早く帰れるといいわね」
「うん。帰ったら何しよう。あぁ、また試験勉強しなくちゃならねえのかなあ。ちょっと帰りたくなくなってきた」
 理恵は笑った。
「置いてきた人たちがいるでしょ。早く帰ってあげないと」
「そうだな……。そうするのが一番だよな、やっぱり」
「とにかく今はどうやって帰ればいいか考えないと」
「俺がもっと頑張ればいいんだ。このところ良いとこなしだからな」
 そう言うと、なんだか悔しさが押し寄せてきて、自然とうつむいてしまった。
 理恵は俺にやさしく視線を向けると、そっと声をかけた。
「別に海翔が苦労することなんかないわ。いざとなったら私が何とかするからね」
 理恵は自分の首に手を伸ばし、下げていたペンダントを外したかと思うと、俺の首にそっと触れてそれをかけた。
「お守りにつけておいてね」とため息をついた。
「まあ、病気も治せないような俺だから」
「ふふ、気にしない気にしない」
 俺は答えなかった。ただうつむきがちの視線を、遠い風景の中に溶け込ませるばかりだ。
「そんなに言うんだったら」


 俺の方へ身を伸ばした。それから柔らかく唇をあてる。中々離れようとしない。
「これでうつった。旅は道連れよ」と楽しそうにくすくす笑う。
「そ、お前」
「さっ、もう帰ろ? することも無くなったし」
「あっ、おい勝手に決めるなよ」
 何も言わずに、彼女はただちょっと浮ついたように歩き去っていく。
「しらけやがって」
 と、俺も熱にほだされたように言い捨てた。


 ゴゴゴ、と突然平穏を切り裂くように、下から突き上げるような地鳴りと振動が沸き起こった。いや、辺り一帯からそんな音がする。しかもどんどん近づいてくる。ものすごい勢いで。
「なんだ!?」
 驚きと緊張に叫ぶや否や、地面が轟音とともにぐらついていく。
 このままでは崩れ落ちる。まずい、早く何とかしなければ……!
「とっ、とにかく走って逃げるぞ!」


 ふっと、足をすくわれたような、ふわっとした浮遊感に全身が包まれた。
 理恵は俺を見つめた。それから突然、両手で俺を突き飛ばした。
「理恵!」
 急なことで、一気に困惑した。ところがそれもすぐに解けることになった。
 背中から俺をすっと持ち上げる奴がいる。竜だ。
 どうして突き飛ばしたんだろうなんて馬鹿らしいことを考えている場合じゃなかった。そんなことを考えていた俺を殴ってやりたいとも思うが、つべこべ考えてる暇がねえ! 理恵が見る見るうちに落ちて小さくなっていく。理恵の切なそうな表情が遠のく。
「理恵!」
 俺は叫んだ。
 だめだ、このままじゃ。へなへなやってる場合じゃない。……今度こそ助けなきゃ意味が無い!
「ぅあああああああ!」
 精一杯叫んだ、激しい風が全身に吹きつけるのも構わず。
 俺は竜にまたがって全力で理恵の方へと向かう。何がどうだっていい、とにかく届け、届かなきゃダメなんだ!
「くっ……」
 しかし急降下でも差が詰まらない。だめか、間に合わない……!!


 そのとき、凄まじい音を立て崩れる地面から馬鹿でかい何かが現れた。しかも理恵の落ちたほう。
 青い何か。天帝だ。
 理恵はその背に打ち付けられて、ぐったりした。気絶したんだ。
 俺は真っ逆さまに追いかける。ところが天帝は巨大な翼を広げ、風をまき起こしながら飛び去って行こうとする。
「引き離されてたまるか、いくぞ!」
 俺は熱にほだされたのも構わず、全身に力を込めて叫んだ。
 竜に乗り、吹き飛ばされんばかりの高速で竜に向かった。しかし相手はジャンボジェット並みの巨体、小型機より小さいこちらとはわけが違う。巻き起こす気流をとってもけた違い。
 だがそんな事実にも構わず、わずかな勝機にかけて追いかける。頭の中はすっからかんも同然で。
「くそ、届け! ……うッ」
 俺はうんと手を伸ばした。ようやく天帝の左に近接できた。しかし風が尋常じゃない。荒れ狂ってやがる。ともすれば浮遊感とともに振り落とされそうになり、何とか踏ん張る。そんなことを繰り返しながら必死に天帝に食らいつく。天帝はなおも悠然と飛ぶ。並走は至難の業だ。
 あまりの暴風や浮遊感の連続に涙がたまってくる。
「ぐぉっ!?」
 そのとき、天帝の巨大な尾があわやといった距離に振り落とされた。
「おい、もっとスピードを上げるぞ!」
 竜に向かい全力で叫んだ。しかし限界だと言わんばかりに咆哮ほうこうする。
「だめか……、仕方ねえ、飛び移る! もっとそばに!」
 激しく上下左右する竜の青い尾に飛び移るんだ。チャンスは一回、ミスれば終わり、それでもやれるか……?
「いや、やってやる!」
 俺は声を張り上げて、それから思いっきり竜の背を蹴り全身を空に投げた。
「ぐっ……、届け!」
 全身を叩きつける風が急速に俺の速度を落としていく。……それでも。
 俺はうめいた。あと数センチ、天帝の尾は目前だ。
 もげそうになるまで手を伸ばした。
「届けぇぇぇえ!!」
 指先がかする。思わず息をのんだ。
 目を見開いて、風に涙がさらわれた。それからまた叫んだ。
 手のひらが尾を掴んだ。
 天帝が尾を下に振るその隙に、俺は右手をひじまで引っかけた。
 また天帝が尾を上に振る。引っかけていた腕がふわりと外れた。
 心臓が引き締められながら、俺は宙に浮いた。全身の毛が逆立った。

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