転移した先は彼女を人質にとるムゴい異世界だった

涼風てくの

第十四話「記憶という対価」

  異世界転移時の例の件を抜かしてしまえば、この世界でのどたばたの話だけだ。ソフィーは熱心に聞いていたが、この世界の話よりは向こうの世界の話の方が興味を引かれたらしく、結局はかなり向こうの世界の話ばかりをしたと思う。
「ふうん、その世界には面白いものがたくさんあるのね。ところで、どうやってこっちの世界に来たのだったかしら」
「それがわかれば招待してやりたいぐらいだが、いつも通り村で寝ていたら、悪夢にうなされて、起きたらここにいたってわけだ」
 いつの間にか、お互いに椅子に座って向かい合いながら話をするようになっていた。ソフィーはしばしば質問を挟んだ。
「どんな悪夢だったかは覚えていないの」と期待していない風に俺に言う。
「ああ、そうだな。夢の内容なんて中々覚えていられないし」
「ふうん……、ところでその、あんたのお連れの人はその世界の人なの? 血の気の多い人だったけれど」
「あいつは、確かにそうだ。同時にこの世界に転移して来たんだ」
 ソフィーの言葉で思い出した。今まで半ば無意識にあいつの話を避けていたが、無視してはいけない存在なのだ。そもそも例の呪いが本当ならば、一刻も早く迎えに行かなければならない。そこに思い至ると急に胸がはやりだした。


「そうだ、早くあいつのところに行かないと」
 俺は立ち上がって何か用意することは無いかとあたりを見回した。その様子をきょとんと眺めていたソフィーは何かを呟いていたが、耳には入って来なかった。
 白竜の隣にこぢんまりたたずんでいたガブリエルを片手に抱き、俺は急いで洞窟から立ち去ろうと急いだ。そのときソフィーが肩に手を置いた。
「なんだよ、話すことなら何もないぞ」
「話ならもう満足したわ。そうじゃなくて、ついて行こうとしただけよ。それにここからじゃさっきの町へはそれなりに時間がかかるってわかってるでしょ」
 俺は特に何も答えずに歩き出した。
「まあ一時間と少しあればつくでしょうけれど……」とソフィーは吐き捨てた。




 洞窟を抜け這い上がり、灰色の石造りの廃墟に出た。さっきは気にならなかったが、眺めた感じでは昔の城と言ったところだ。もっとも、壁は崩れたり風化が進んだりとあまり保存状態は良くない。すると後ろからローブをかぶったソフィーが駆けてきた。横に並ぶと俺と同じくらいの身長で、多少大人びた印象を受ける。白竜は連れていなかった。
 俺は進むべき方角をたずねた。その方角を見ると、教会の白い建物がみえた。それから古ぼけた城跡から降りて、下にある閑静な街へと向かった。すっかり日も昇り春の陽気だ。
 ソフィーはしばらく何も言わなかった。しかしある時、思い出したように、この城跡が、かのイシュット・ルシャータ公の時代のものだと語った。もう五百年も前の代物というわけだ。
「つまり、ここが昔王都だったってことか」
「そういうこと。あまり一つ所にとどまるような方じゃなかったそうだから、あまり規模は大きくないけれど。とはいえ、王都が変わってからそう長い時間が経っているわけでもないかららまだそれなりに栄えているのよ。ま、何かを調達するには都合がいいわ。折角だから何か見て行ったら?」とソフィーは言った。
「そうは言ってもな、金が無いんだよ。こっちに来て日が浅いからな」と俺は気だるげに嘆いたが、それを聞いたソフィーは呆れたように、
「まったく何かと世話が焼けるわね……。さっきの冒険譚に免じて、少しぐらいなら負担してやるから」と言って嘆息した。
「むふふ、悪いな、面倒みてもらって」
 そんなやり取りを交わしている内に、人通りもまばらな街へ降りた。街には色とりどりの香辛料を置いた店や、雑貨屋、二三軒は武具のようなものを売っている店も見える。石畳の隙間から背の低い雑草が生えてそのままになっていた。
 俺は街頭の商店をあちらこちら見て回った。で、結局目にとまったのは色鮮やかな、種々の木の実を売る店だ。屋台の前に立ってそれらを眺めているうちに、黄色い手のひらサイズの木の実のようなものを見つけた。バナナよりも透明感のある黄色の実だ。その実を一つ取った。
 ソフィーが横合いから顔を突き出して覗き込んできた。彼女の髪も透き通っているようにも見える。
「ああ、これパンタ地方の実ね! 今年もきれいな実がなったものね。お兄さん、これはおいくら?」
 とソフィーが尋ねた。相手はお兄さんと呼べるかは微妙な壮年の男だ。
「3パンチだ」
「おっ、パンチ!? 暴力系屋台か!」
 二人が不思議そうな目でチラ見した。
「はい、釣りの2パンツ」
「2パンツ!? 実は変態系!」
 俺は反射的に一歩身を引いた。ついでに好奇の目も引いた。
「あ、いや」俺は何とか体裁を取りつくろうとした。「お茶を濁すような真似をしてすんません」
「なんだか……、元気そうね!」
 消費期限過ぎのゴミになった食い物を見る目で貴重な言葉をいただいた。俺はまだ腐ってはいないぞ。
 まわりの呆気に取られていた人たちも、さっさと撤収をしていった。何事もなかったように時間が流れ始めた。
「それじゃあお兄さん、また」とソフィーが告げた。
「おう、兄ちゃんもパンツ大切にしろよ~」
 と言いながら木の実を二個、おまけしてくれた。
「ええ、パンツを大切にしない男なんていませんよ」
 そう言って俺はその場を去ったのだった。


 水を入れる容器を手に入れた後、しばらく無言で歩いた。街を抜けてそれなりに経った頃、ポニーテールを横に振りながらソフィーは何気なく俺に尋ねた。
「ちなみにパンツって何なの?」
 危うく吹き出すところだった。再び引っ張り出されたそれに答えず、俺は彼女の顔をじろじろ見た。あどけない顔で俺を眺めていた彼女はすぐ目を逸らした。
「何よ、どういう意味なの」
 いくらか当惑した風だ。
「いや、痴女じゃなければ知ってるだろ」と俺は言った。
「はぁ~? 何言ってるのこいつ、口角上げて」と言って俺の頬を掴んだ。
「おい、ぐいぐい引っ張るな、ポケットの実が落ちる」
「なにが痴女だって! 口に木の実ぶち込むわよ」
 そう言いながらソフィーは俺の頬から手を離した。すねたように顔を背けた。
 俺はヒリヒリと痛む頬をさすった。どっかで似たようなことを言われた気がする。


 山のにあっても旧王都に連なる道は、人の手によって整備された平坦な道がずっと続いた。長時間使い続けた足が不意に重く感じられたので、山中の平らなところで見つけた古ぼけた小屋で一息ついた。
 雲のかかり始めた空から指す光は小屋をさすには不満足で、教室ほどの広さも無い部屋は薄暗かった。
 壁沿いのひんやり冷えた椅子に俺は足を癒し、ポケットに入れておいた木の実を取り出して思い切りかじった。ところが、思った以上に硬いその実には、文字通り歯が立たなかった。
 すこし遠くでぼんやりそれを見ていたソフィーは面白おかしそうに笑い出した。それから着ていたローブのボタンを外して横に置いた。薄暗い中でもつやのある髪は赤い。


 俺は勢いに任せて食い続けていたが、芯に近づくにつれ、木の実は急激に苦みを増した。見た目のケバケバしさとは反対にマイルドだった甘い果実が、本性を現したように感じて思わず顔をしかめた。
「うわ、なんだこれ、クソ苦い……」
 再びソフィーは腹を抱えて笑い出した。彼女はひとしきり笑ったあと、芯まで食べるのはおかしいと言ってまた吹き出した。俺がそれを不服としていると、芯は竜にやるものだと言う。
「それを先に言えよな」
 と言って頭上のガブリエルに差し出した。さっとそれをくわえると、ガブリエルはそれを一飲みした。あまり意識して餌をやっていなかったことを思い出して、まずいことをしたと思った。


「ちなみに、それを食べると気分が落ち着くのよ」とソフィーは言った。そういう食い物はどこにでもあるものなんだ。
 それから途中見つけた水脈で汲んだ水を飲んでいると、笑いこけた後であごに力が入らず木の実を食えなかったソフィーは、扱いかねたようにそれを眺めているかと思うと、不意に口を開いた。
「……あの理恵とかいう女とはできてるのかしら」
 思わず口に含んでいた水を吹き出した。口が良いのか悪いのかと思っていたらこの物言いだ。
「出来てるってどういうことだよ……」
「やっぱり、他人の痴話はおもしろい娯楽じゃない」
「んな残酷な……。俺達は付き合ってるだけだよ」
 まあ嘘だけど。また口に水を含んだ。
「で、どこまで? つながっちゃったしら?」
 ゲホゲホとのどに流しかけていた水にむせた。
「お前意外と、いや、とにかく遠慮が無いな、まったく」
「ふん」とソフィーは前に向き直って、「そこまで行かないと面白くないでしょ」と楽しそうに言った。
「そんなことを話すつもりはないぞ」
「あら、隠し事なんかして。本当はいけないところまで行っちゃったんでしょ、ほれほれ」と俺の頬をつついた。
 俺はその手をはたき落として、
「どうだかな。それに、この年じゃ大したことじゃないだろ」
 ソフィーは虚勢よ、と言ったが、強がりにも見えた。
「そういやお前、地下に住んでるのか?」
「そうだけど、何か?」
「いや、そこでどんな生活をしてたんだろうなと思って」
 ソフィーは黄土色の目を上向けて、思いを巡らしているようだった。
「あそこでの生活は最近始めたばかりだからね……、衛生的にも必ずしもいいとは言えないし、話すほどのことでも無いわ」、という。
 少し気になったが、特に追及しなかった。
「じゃあ、そろそろ行きましょ、日も傾いてきたし」とソフィーは言って、ローブを再び羽織った。
「まあ、それもそうだな」
 身支度を整えて、小屋を出た。ガブリエルを乗せているせいで首が痛んだが、何も言わなかった。


 山を下りてしばらく、ようやくイシュールに舞い戻ってきた。数時間前までいた場所とはいえ、何となく久しぶりのような気持がする。それに前よりも少し賑やかな気もするが、それは昼過ぎという時間帯のせいだろうか。
「なんだか人が多いな」
「そりゃあ九日後にフロンティアがあるからじゃないの。そんなことも知らないの?」とさも当然のことのようにソフィーは言った。
「そういえばそうだったな。何となく縁遠いものだと思ってたからな。ところでお前もそのフロンティアとやらには出るのか?」と何気なく聞いた。
「もちろん出るわよ、王党派だけれどね。あなたたち教皇派とは相容れないというわけ」
「できることなら争いに巻き込まれずに事を終えたいが。ところでお前はどこまで付いてくるんだ? もうだいぶ騎士団の方まで来たぞ」
 俺がそういうと、ソフィーは視線を前に向けて少し思案するような顔をしたが、中々答えを出さなかった。どうも深くは考えて来なかったらしい。まあ半ば俺が無理やり連れてきたようなものだし仕方ないか。


 俺がそんな風に考えているとも知らずソフィーは前を向いて歩いていたが、唐突に俺の肩を叩いて俺の注意を引いたかと思うと、右手で前を示した。その示す先には丁度理恵がいた。髪の毛の下に包帯を巻いて辺りをきょろきょろしているようだ。
「おーい!」と声を掛けて手を高く振った。「理恵!」
 すると理恵はこちらに気づいて笑顔で駆けてきた。向こうも軽く手を振った。それから俺に飛びついて、
「海翔! 目が醒めたら知らない場所にいて知らない人しかいないからびっくりしちゃった。カイトもいなかったらどうしようかと思ってた。良かった~」と安堵の声を漏らした。
「え? 知らないって言ったって、お前さっきまで」
「ううん」と理恵は俺の言葉を遮った。「こんな場所なんて知らないわ。私を看てくれた人もなんだかよくわからない人達だったし」と体に密着して上目づかいで俺を見た。
「いや、いまいち話が掴めないんだが……」
「私もよくわからないんだけど。記憶喪失になっちゃったみたい。中学を卒業したのも覚えてないの」というと、俺から離れてひどくせき込んだ。どうやら体の調子もよくないらしい。
「それで、中学はもう卒業したのよね?」と気を取り直して俺に聞いた。「何年前?」
 横に立ち、異変を感じて茫然ぼうぜんとしていたソフィーと、俺は目を見合わせた。
「……もう三年近く前のことだ」
 折しも教会の三時を知らせる鐘が鳴った。のどかな一日に対する衝撃だった。

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