転移した先は彼女を人質にとるムゴい異世界だった

涼風てくの

第十一話「満たされざる思い」

 俯きつつ道を歩いた。すると不意に前から竜の羽ばたく音がする。顔をあげると、竜と、それに乗った長い髪のポニーテールの女子が目の前に降り立った。一体何だろう。彼女は竜から降りずにあたかも馬に乗っているかのように手綱を握ってこちらをねめつけた。感じの悪い奴だ。白シャツに紺のジャケットとズボン、おまけにベルトと長靴なんだからいかにもだ。また面倒なことに巻き込まれ始めたのか。


 その女子はほんの少しの間、俺と視線をぶつけたあと、眠たげに口を開いた。
「あんた、竜騎士団のやつね」
「ああ、そうだけど」
 すこし迷いはあったが、そう答えた。間違いではない。風に彼女のモスグリーンのマフラーが揺れる。
「そんなのやって意味ある?」
「なんだいきなり」
「ねえ」
 彼女はそう言って少し詰め寄って来た。何か説得するような風なのは、俺が入団するしないの瀬戸際にいると知ってのことだろうか。
「い、意味あるって、そりゃわかんねえけど、それよりなんの用だよ。何かあるなら俺じゃ役に立たないから後ろの教会の人にでも言ってくれよ。そっちの方が早い」
「それはどうかしら。死なないやつより能無しの方がよっぽど早い話だわ」
 彼女のまたがる白い竜が呼応するように小さくうなる。
「な、なんの話だ。俺なんかより教皇とかの方がずっと話がはやいって」
 赤いポニーテールを揺らしながら鼻で笑った。
「ふん、まずはあんたみたいな手軽なのから行かせてもらうわ。いかにも能無しみたいで腹が立つから」
「いや、そんな言い方はないだろ」
 すると彼女はにこりと雛形のような笑顔をよこした。ありふれた笑顔だが、文脈をかんがみればたいそう凶悪なそれだ。
「頭の上に面白いもんのっけてるじゃない。いいわ、まとめていたぶってあげる」
「は……? お前何いッ」
 途端頭が混乱する。とつぜん体の側面に衝撃が伝わった。なんだ、何が起こったんだ。
 視界をものすごい速さで過ぎて行く家々。それを認識するが早いか、俺は乾燥した土の地面に叩きつけられた。ズザーっと激しく砂埃を立てて地面とこすれる。ガブリエルはどこかへ転がっていった。
 おかしいぞ、何事だ。体を思い切り殴打したせいで息が狂う。いや、だんだん理解してきた。あの白い竜の尻尾になぎ飛ばされたのだ。あのごつごつとしたうろこの尻尾に。


 息が詰まりゲホゲホむせる。地面にこすれるだけこすった後、砂煙巻き上がる中ようやく視界の変調が止まる。地面にはダラダラとした赤い線が引かれていた。それを見て頭がズキズキと痛む。うつろな意識で考えた。左の側頭部にざりざりした肌触りの悪い痛みが広がり、頭を地に打ち付けた衝撃から頭の奥に不快な痛みが反響する。いよいよ冗談じゃないらしい。


「いって……、くそ、何の恨みがあるんだよ」
 俺は横たわったまま憤懣ふんまんやるかたなく毒づく。
「あんた個人には恨みなんかこれっぽっちもないけどね、あんた達には討たなければならないかたきがあるのよ」
 やつは竜にまたがったまま悠然とこちらへ近づいてきた。このままじゃまずい、本能的にそう理解する。生への本能が全力で稼働する。こんなくだらない所でとばっちりをくらったみたいにのたれ死ぬなんて嫌だ。
 俺は渾身の力を振り絞り、おぼつかなく立ち上がる。全身の痛みに頭がくらくらする。この前の左頬の痛みなんかへでもない。そうしている間に赤髪はもう目の前まで来ている。なんとか受け身をとるか逃げるかしないと。
「マリィ!」
 女はそう掛け声すると、
「ぐッ」
 崩れかけのジェンガのように頼りない俺の立ち姿にまた一発ぶち込んだ。息が漏れた。さっきの二の舞だ。殴られるまま横に飛ぶと、今度は頭でなくて右腕を地面に思い切りこすりつけた。
「く、そ、逃げないと……」
 必死に立ち上がって、右へ左へのらりくらりと千鳥足になる。逃げるあてはないが、とにかく家と家の間、奴が追って来られないような所へ。
 だが奴は容赦なくこちらへとにじり寄る。ざっざと足音を響かせながら。俺の牛歩ではすぐに追いつかれる。
「来るな、来んなよ……。弱い者いじめは、たちが悪い」
 息も絶え絶えだ。
「あら、面白いこと言ってくれるじゃない。でも質が悪いのはお互い様ね。あんた達にもうちょっと能があれば良かったんだけど。みんな、みーんな能無しだわ。おかげ様で死人が出てばっかり」
 くそ、異世界に来てまで割を食うなんてたまったもんじゃない。
「あんた達の殺したのがあいつじゃなくて私だったらよかったのに、あいつなんかを殺すからこうなるのよ。因果応報」
 竜騎士団に恨みでもあるらしいが、とにかくこの場を切り抜けなければ。
 だがどうする。もと来た道はふさがれている。教会に走って助けを求めるか? いやそれもだめだ。走ったところで追いつかれるのは目に見えている。じゃあどうするんだ、誰かの助けを待つのか。いや、それじゃあ……。
 あいにく、この騒ぎでも誰一人姿を現さない。だがあいつがいる、問題ない。
「悪あがきはやめなさい。大人しくしていることね」
「いいや、それは無理だ」
 未だ大通りにいた俺は右のほう、兄妹の家の方に手を振る。誰かを呼ぶように。
 俺の正面より右側にいた彼女はそちらを振り向く。よし、今だ。
 顔の左で俺はパンと手を叩いた。
「来い!」
 バサッと、ガブリエルはフクロウのように鋭く低空飛行し、俺の手へと接近する。
「フェイク!」
 ちょろい奴。
「横移動だ! 左に!」
 縦移動だと隙が出来る。でも横なら数十メートル加速するだけでいい。
 こいつの足につかまれ。完成だ。
 言われた通りガブリエルは教会の方に、ぐっと重みをかけながら飛び始めた。とんでもない豪速の地面を正面に見ている。前が向けないほど風が強い。ぼうぼうと風の音がする。
 そのまま首をひねって後ろを見ると、あわてて追ってき始めていたが、五十メートルぐらい離しただろう。前を向けばいつの間にやら教会は目の前だ。
「止まれ、小道に入る!」と声を掛ける。
 そしてついさっき来たT字路に降り立つと、とっさに振り向いた。遠心力で頭の血がはねた。


「全然追って来ないな」
 視界は霧のせいで明瞭ではないが、数百メートルの内には影も形も見えない。うまく巻いたのだろうか。
 少し迷うな。小道に入ればそれで終わりだが、様子を見てみたい気もする。どうするかな……。もしこれも罠だったら俺はやり返されたことになるわけだ。なぜ追って来ない?
 そっとつばを飲み込んだ。
「どうするよ」
 俺は目を上に向けた。ガブリエルは頭の上に戻っている。静かにお座りをしたまま沈黙。
 俺はひとしきり躊躇してから、
「戻ってみるか……」
 恐る恐る、痛みに苦労しながら元の道をたどる。

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