クロイツ×ゲミュート

文月イツキ

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 何も、劇的なモノを求めていたわけではない。
 日々の天気が定まっていないのとか、テレビのプログラムが違うとか、そんな、些細な変化だけの停滞した小さな日常だけ良かった。
 けどそれは、ただ願っているだけでは簡単に崩れてしまう砂で出来た、時間制限付きのものだった。
 停滞とは、決して現状維持と同義ではなく緩やかな衰退である。
 それに気づいたときには、もう手元に残ってたのは僅かに掴み取った面影だけだった。



 色が抜かれたように真っ白で清潔な寝具。
 一定以上の湿度を保つために焚かれた加湿器によって、室内に立ち込める、い草の香り。
 それが、葵 日向に用意された、環境の全てだった。
 病弱な彼は辺境の地に構えられた日本屋敷の離に隔離されるような形で療養していた。

 これは彼が伝染病を患っているから、という意味合いでの処置ではなく。彼自身が外界との接触を必要最低限に抑えなければならないほど脆弱だからである。
 生まれついて抵抗力も免疫力も並より遥かに低く、大抵の人間にとっては些細な風邪であっても日向にとっては命を脅かす病魔だった。

 さらに不幸なことに、日向は奇妙な体質も併せ持って生まれ落ちてきた。
 心の動き、感情の起伏が熱を生み、彼の細く白い身体から体力を奪ってしまうのだ。
 結果、彼は人から遠ざけられるだけでなく、娯楽も一切与えられず。ただ、必要最低限の健康を維持するための措置を施されていた。

 やることといえば、今度、入学する予定の地元の中学から、どうせ通学は叶わないからと、早めに引き取っていた教材を元に勉学を進めることくらいだった。
 ここまでの措置が出来るということは、日向の両親、というより、葵という一族は財力があり、かつ、有力な家系であることは想像に難くないだろう。実際、葵家は伝統ある僧侶の家系で、地方の有力寺院である石山寺を管理している。

 そして、中学から渡された教材を日向の身体を気遣ったモノに差し替えることも、葵家の力をもってすれば造作もないことで、数学や理科の教科書どころか、国語や英語の教科書も実に味気ないモノになっていた。

「退屈だ……」

 激しく癖のついた天然パーマの頭を掻きながら、いつだったか、幼馴染がこっそりと持ってきてくれた大戦前の古い小説を思い出す。
 胸躍るワクワクを秘めた冒険譚アドベンチャーや手に汗握る駆け引きが見所の推理譚ミステリー、そして、想像が膨らむ幻想譚ファンタジー

 どれも楽しかったり、ハラハラしたり、思わず感動したり、それまでの鬱屈とした日々に潤いをくれた。
 だが、その代償に日向は高熱で一週間寝込み、小説を持ち込んだ幼馴染は大人たちに叱責を受けた。

「相変わらず、つまらなそうにしてるわね」

 布団から半身を起こして備え付けの卓に向き合っていた日向に、襖の外から声が掛けられた。

「花蓮か。二日連続で来てくれたのは、久しぶりだな」

 件の幼馴染、そして同い年の従姉である七夕 花蓮はこうして、度々、日向に顔を見せに来る。
 大抵の場合、大人が外で見張ってたり、護衛の桜が控えてたりしていて目を盗んで忍び込むのが難しいため、週に何度か、といった頻度でしか花蓮はここにやってこれない。

「今日は桜がいなかったのよ。それに、こっちも春休みだから暇なの。――ん? なによアンタ、また、勉強なんかしてるの?」
「やることもないからな、本を読みたいが、また、倒れたりして花蓮が出禁になっても困るからな」

 日向にはこうして花蓮が会いに来てくれることが、心の支えになっていた。
 どうしても、一人だと、辛うじて生きているだけのような、惨めな自分を呪いたくなってしまうから。
 そんな時間を明るく奪い去ってくれるのが、花蓮だった。

「流石にもうあんなヘマはしないわ。私だって日々進化してるの、モノを持ち込まなくても、楽しめる方法を思い付いたの」

 ふふん、と、鼻をならしながら、発展途上の幼い胸を張ったあと、そそくさと周りを警戒しなが、大人に見つからないように中に入る。

「で、なんだよ? 遊ぶモノがなくても楽しめることって」

 これまで、花蓮が持ち込んだ遊び道具は小説に限らず、花札やトランプ、果てはTCGまで悉く大人たちに取り上げられてきた。
 大抵は花蓮が騒いで、露見するのだが。

「ふっふっふ、私は気がついてしまったのよ、大人たちがどうしても、日向から取り上げられないものがあるって」

 そう言って、花蓮は日向の傍らに置かれている箱を指差した。

「これ教科書の箱だけど」
「ええ、分かってるわ」
「これでどうしろと? まさか、学校ごっこでもするのか?」

 今まさに、素直になれないお年頃とでもいう時期の少年の日向は、ただ来てくれるだけで嬉しいという思いを皮肉な言葉で照れ隠してしまう。

「当たらずも遠からずよ」

 日向の皮肉をまるで意に介さず、花蓮は日向を上半身だけ跨いで、箱をまさぐり始める。
 思いがけない、同い年の少女との密着に日向の動悸が上がる。
 また倒れて花蓮を出禁にさせないためにも、心を落ち着けようと目を閉じ、いつしか諳んじれるようになっていた御経を頭の中で唱え、無心になるよう努めた。

「あったあった、これを使うのよ」

 花蓮が離れたことを感じ取り、目を恐る恐る開けると、箱から一冊の教科書を取り出していた花蓮が映し出される。

「歴史の教科書??」
「ええ、ただ、文字を追うだけの教科書はつまらないけど、中に書いている歴史ってのは、いくつもの人間のドラマが創り出したモノだって気づいたのよ。だから、時代劇なんてのはいつの時代もネタに困らないし、リアルだからこそ惹かれる要素があると思うの」

 教科書を卓に置き、日向に隣り合うように花蓮も座る。

「中でも私のお気に入りの時代の話、WW3第三次世界大戦以後の話をしてあげる。今の日本が、いえ、世界が大きく今に向かい始める、激動の時代の話」

 話したくて待ちきれないというのが、全身から滲み出るワクワク感から読み取れる。

「じゃあ、話してみろよ、退屈しのぎにはなるだろ」

 正直、日向はそこまで歴史に興味があるわけじゃなかったが、楽しそうに語り聞かせようとする花蓮の気持ちを踏みにじってまで聞きたくないわけでもなかった。

「いいわよ、いいわよ! そこまで聞きたいって言うなら」

 はりきって花蓮は教科書をパラバラと後半部分までめくり、「最近代︰闘争を越えて現代へ」という章題のページを開いた。
「さあ、日向、手を取って」

 右手で教科書を抑えながら、花蓮は空いた左手を日向に差し出す。
 幾度もの失敗を重ね、花蓮と日向は「日向の感情を昂ぶらせずに、楽しいことをするには?」という命題に、一つの解を導き出していた。
 毛恥ずかしさを表面上に出さないよう平然を装いながら、日向は花蓮の手を右手で取る。

「じゃあ始めるわよ――同調開始シンクロスタート

 手を繋いだことを感じ取ると、花蓮は目を閉じ、イメージを膨らませ『魔術』を組み上げていく。
 花蓮は他者と感覚や感情、考えを言葉を使わずに共有できる固有魔術『精神感応テレパス』を使うことができる一族、七夕家の長女なのだ。
 花蓮は未熟ながらも、皮膚が接触していれば考えの共有ができた。
 何度かの試行錯誤を経て、日向は花蓮と感情を分け合えば身体への負担が掛からないということを、二人は発見したのだ。

「はじまりは、悲劇から、時代劇なんてのは大概こんなものだけどね」

 教科書のページを開いたのに、花蓮は目を瞑っていた。
 この所作は彼女のイメージを増幅させるためのルーティンでしかなく、話す内容は全て、彼女の優秀な頭の中に詰まっている。

「今から五百年ほど前、世界はある問題に直面していたの。それはエネルギー資源の枯渇、いわゆる、化石資源と呼ばれる有限の資源がついに底を突いたの」
「昔の人間ってのは間抜けだな。そうなる前になんとかできなかったのか?」
「対策を練ってはいたのよ、太陽光とか水が流れる力とか風が吹く力とか、そういった使ってもリソースが減らないものを使って発電したりとか、枯渇する前に何とか代替エネルギーを見つけないとって躍起になってた、けど、タイムオーバー、間に合わなかったのよ、再生可能エネルギーだけじゃあ、世界中の消費を賄えるほどの電力を生み出せなかった、じゃあ、当時の人たちはどうしたと思う?」

 先ほど、日向が問うたように、今度は花蓮が問いかける。

「枯渇、って言っても、完全になくなったわけじゃないだろ、プラスチックなんかは溶かして石油に戻せばまだ使える、だから、そういうのを掻き集めてやりくりしたんじゃないか?」
「半分正解、少し日向は優しすぎるわね」

 日向の中に不思議な感情が、花蓮の楽しい気持ちに紛れて入ってくる。

「答えは、そういった残った資源を求めて人々は奪い合おうとした。起こしてはならないとされていた、三度目の世界大戦が幕を開けたのよ」

 不思議な感情の正体を、日向は花蓮の悲痛そうな表情から悟った。
 繊細な感性を持っている花蓮は、人の思いを理解し過ぎてしまう。それこそ、まるで自分のことのように、だからこそ、日向にこうして親身になってくれるのだろう。

「嫌な話よね。それまで、みんなで何とかしようってなってたのに、タイムオーバーした途端殺しあうなんて」
「けど、今俺たちの生きている世界はちゃんと回ってる。残ったものを奪い合うような殺伐とした世界じゃない。社会があって、人々の穏やかな生活がある」
「そうね、まずここが初めの大きなターニングポイントよ。第三次世界大戦は開戦後、わずか三日で終結したの。これまで公に姿を見せなかった種族、私達の祖先にあたる『魔術使いグリム』が現れたことによって」

 自身と花蓮を繋いでいる、その名の由縁である魔術を改めて日向は認識する。
 日向も花蓮も魔術使いだ、彼らが生まれた時点では社会に当然のように認識され、魔術使いが人々の目から逃れて生活の場を築いていたというのも、魔術が漫画や小説の中だけのファンタジーなものであったという時代も、この時代の人々はもはや記録でしか知らない。

「魔術使いは今では主流のエネルギー源となっている『魔力』の存在を世に広めたの。それまででは考えられないほどの高効率のエネルギーを生み出せる魔力は争う理由を解消するだけじゃなく、それからの社会を大きく発展させるのに貢献したの」

 それは新たに生み出されたのではなく、魔術使い以外の人々『大衆メアハイト』には発見することが出来なかった、この星の神秘だった。
 生物が生命を維持するために細胞が生み出す熱に秘められたエネルギー、それが魔力。通常は非活性状態で生物が活動する程度の熱量しか発しないが、魔術使いが反応させることで活性化し、化石燃料を遥かに超える膨大なエネルギーを生み出す。

「けど、急速に発展した社会の中で大衆は魔術使いを畏怖し始めた」

 魔術使いは、その名の通り、魔力を用いた技術『魔術』を手足のように自在に操る上に大衆とは比較にはならない程に高い身体能力を持っていた。
 生物として優秀な種でありながら世界人口の僅か0,1%しか存在しない魔術使いは圧倒的大多数を誇る大衆による数の力に屈さざるをえなかった。

「社会制度はどの国も大衆に寄ったもので、魔術使いは人として扱われることの方が少なかった。そんな時代が百年ほど続いて、ついに魔術使い達が立ち上がった」

 見てもいないのに花蓮は教科書のページを捲る。
 彼女の中で物語は次の展開を迎えたのだ。

「人魔戦争、今ではそういう呼ばれ方をしている長い長い、大衆と魔術使いの争いが幕を開けた」
「子供でも知ってる、そんなこと終戦記念日はどこの国でも国民の祝日になってる」
「そう、それだけ、当時は早期の終結を待ち望まれていた。大衆は多くの犠牲を出してまで魔術使いを虐げたかったわけでもなかったし、魔術使いも自分たちよりも多くの人々を手に掛けることになるとは思ってなかったから」

 その戦争の背景には、泥沼の戦場があった。
 一騎当千のつわもの揃いの魔術使いと数的有利の集団戦法を使える大衆、この両者はどうしようもない程、戦力が均衡していた。
 紙の上の数字では、どちらの視点から見てもいい勝負だった。
 それが災いした。
 ろくに戦場を顧みない両トップは終わりの見えない争いを続けた。決して劣勢ではないから、敗北を宣言する必要はないと。
 しかし、現場は地獄そのものだった、と当時を経験した兵士の記録に短くそう綴られていた。
 どちらも疲弊しきっており、いつ終わるのかもわからない争いに、明日への希望すらも見失っていたのだ。

「意地の張り合いね」
「結局、人魔戦争はどうやって終わったんだ?」
「クーデターよ。示し合わせたみたいに、両陣営の現場指揮官が無能なトップを引きずり降ろしたの。そして、一刻も早い戦争終結を望んでいた現場の人間は、その後、すぐに対話の席を設けて和解した」

 これにより、魔術使いはようやく、社会的な地位を獲得した。
 しかし、和解という形である以上、当然、ペナルティを負うのは大衆側だけではなく魔術使い側も。大衆は魔術使い側の要件を飲む代わりに、『タグ』というGPS内蔵型の安全装置の装着を魔術使いに義務付けた。

「タグは魔術使いの中でも意見が割れるモノだった。生物的強者である魔術使いは、予期しない形で大衆を傷付けてしまう可能性がある以上はタグの装着も止む無し派と、結局、大衆に首輪を付けられているのと変わらないからとタグの装着に反対派」

 「犬の首輪ドッグタグ」と皮肉を込めたスラングが生まれるほどに、このシステムは物議を醸した。

「結果として、とりあえずは魔術使いもその提案を飲んだ。けど、それに反対する派閥は人魔戦争終結以後も、大衆に完全な対等を求めて激しい破壊活動を続けた」
「人魔戦争から大分経つが、未だにその手の話題は各地でチラホラ出てくるな」
「そこで、これ以上の争いを望まない、これ以上の二種族間の溝を深めたくないと考える派の三つの魔術使いの組織が合併して、三つの機関から成る魔術使いを自治する組織『NNN』が設立された。今は私達のお祖父ちゃんがNNNの第二機関のトップね」

 葵家はNNNの元となった三つの組織の一つの長の血を源流に持つ一族で、数世代経た今でもその血筋が衰えることなく続いている。

「そんな優秀な遺伝子も、俺の代で潰えただろうけどな」
「アンタは跡継ぎとか考えなくてもいいのよ、そういうことはウチの兄貴に任せればいいの」

 体の弱い日向は早い段階で跡継ぎ候補から外された。
 代わりに分家の七夕家の長男、つまり花蓮の兄である七夕 紫陽が葵家に婿養子として入ることで次代の葵家当主になることがほぼ決まっていた。

「まあ、もうじき、そんな血筋とか肩書きとか関係なくなるだろうけど――」

「花蓮! やっぱりここに来てたのか!」

 部屋の襖が怒号と伴いながら開け放たれ、花蓮が楽しそうに話す声を遮った。

「げ、兄貴……」
「紫陽義兄さん……」

 襖の向こうに、精悍な顔たちをした和服姿の青年、紫陽がお冠な様子で仁王立ちしていた。

「日向の病状が悪くなるから、離には来るなと何回言い聞かせれば解る!」
「待ってくれ義兄さん、俺が頼んで話しをしに来てくれたんだ」
「お前も、お前だ、日向! 軽率なことをして、一体、自分がどれだけ多くの人に心配されているか分かっているのか!」

 何度も叱られているが、紫陽の剣幕には慣れることはなく毎度二人ともたじろいでしまう。

「今日という今日は、お祖父様に報告させてもらう。花蓮、次からはお前を門前払いしてもらうように取り計らってもらう」

 そんなことをしたところで、外と通じる抜け道を知っている花蓮からしたら痛くも痒くもないが、そのことを気取られないようにしおらしいポーズをしておく。

「まったく、仲睦まじいことは許嫁同士で悪いことではないがな……」

 紫陽の言うとおり、日向と花蓮は従姉弟でありながら、家によって将来結ばれることが確定している。
 両者はそのことに関して特に不満を持ったことはない。ただ一つ、日向には不安の種があった。許嫁という関係でなかったら、花蓮は自分に会いになど来ないのではないか? と。

「……じゃあね、日向」
「ああ」

 日向の胸中に巣食う思いを知ってか知らずか、花蓮はいつものように手を振り、紫陽とともに去っていく。
 きっと次も来てくれるとわかっている。けど、もし、自分達を繋げているものがなくなったら、こんな何も無い、白いだけの部屋に、何も無い空っぽな自分に……彼女は『次』も会いにきてくれるのだろうか。

 だったらいっそ、この今が永遠に続いてくれればいい。そんな『魔法』のようなことは起こらないと知っていても願ってしまう。
 そんなことを思い浮かべながら、一人になった白い部屋で日向は横たわる。彼は身体が微熱を帯びていることを感じ取っていた。
 花蓮と同調していたおかげで高熱にはならなかったが、それでも、発熱は免れなかった。

「もっと制御できるようにならないと……」

 この呪いに犯された身体を恨む。
 思い人との逢瀬、見えない未来への期待や不安、何もかもをひっくるめた心の動きを、体力を奪う毒へと変えてしまう。
 次の医者にも期待なんてしていない。
 この身体が長く生きられるとは思っていない、未来に望むモノなんてない。だから何より『今』を生きていたい。
 
 ――少年が望むのは緩やかな『停滞』だった。
 

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