第０２６話　歪んだ感情

　陽が沈み、闇が立ち込める中、あちらこちらで篝火が焚かれ、勇者一行の野営地は、暖かい光に包まれていた。

　騎士たちがそうしているように、食事を終えた勇者たちも焚火の火を囲み、今回の目的地である死の砂漠谷のことについて話し合いをしていた。

　死の砂漠谷とは、明日入国予定のトラウィス王国より、更に東にあるマルーン王国と魔族領との緩衝地帯になっている場所である。

　そこは、何百メートルもの高さがある岸壁が谷を作り、草木等一切生えておらず、辺り一面が砂漠という過酷な環境である故、その緩衝地帯となり得ている。

　そして、一か月前に勇者たちが中級魔族たちと戦った場所でもあった。

「まさか帝都に到着してから一週間足らずで呼び戻されるとは思わなかったな」

　びしっと刈り上げた角刈りの頭をかきながら、ユウゾウが何度目になるかわからない文句を言い出した。

「雄三はそればっかりだな」
「だってそうだろ。もう少しで片桐を捕らえられるところだったんだぞ」
「まあな、しかし帝都中を探しても見つからなかったんだ。既にどこかへ逃げ出したんだろう」

　何を根拠に、もう少しと言っているのだろうか、とアオイは思わず鼻で笑ってしまった。

　実際は、とある日を境に冒険者ギルドでの目撃証言だけで、そこまでの道中や各門での出入りの記録どころか、門番からの目撃情報さえ全くなかった。

「大崎、何がおかしい」

　鼻で笑われたことに腹を立てたユウゾウが、アオイを睨んだ。

「だって、あんな小物に構う必要なんてないのに、副主将が気にしているのがおかしくって」

　ううー、嘘でも、こんなことを言うのは辛いよ、とアオイは、胃が痛む思いをしながらも、作戦がバレないように誘導を始めた。

「ほう、大崎は片桐のことを気に入っていたと思っていたんだがな」

　ある種のセンサーが働くのか、こういうときのカズマサは、鋭かった。
　リーダーをやっているだけのことは、あるのだろう。

「な、何をいきなり言い出すんですか、主将は！」

　図星を指され動揺したアオイは、思わず取り乱した。

「そりゃあ、最後まで片桐をパーティーに残そうとしていたのはおまえだけだからな。それに戻すようにとも言っていたじゃないか」

　カズマサに至極まともな指摘をされたアオイは、

　そう言われれば、この変わり身の速さは、逆に怪しかったかな……

　と、反省し、切り口を変えることにした。

「なんだ、そんなことですか。それは簡単ですよ、主将。康平くんが敵の攻撃を全て受けてくれれば、私たちが怪我をする必要なんてないじゃないですか」

　みんなもそう思うでしょ？　とアオイは、少し大袈裟な表情を作った。

　しかし、無理にそんなことをしたため、その表情はぎこちなく、むしろ、目を細めたその笑みは、冷徹な笑みとなっていた。

　今回は、それが功を奏した。

「そんなことを思っていたのか、おまえ……」
「葵ちゃん意外とひでー」

　カズマサは、苦笑いを浮かべ黙り込み、マサヒロはそう言いながらも楽しそうに笑っていた。

　さんざん康平くんに酷い仕打ちをしておきながら、私のことを酷いと言う資格はない！　とアオイは、微笑を湛えたまま内心では睨みつけたいのを我慢した。

「いいじゃねーか、な！　最初っから魔獣の引き付け役だとあの聖女だって言ってたんだからよ。見直したぜ、大崎」

　ユウゾウは、アオイの発言に驚きつつも、自分と同じ考えだということがわかり、愉快そうに笑っていた。

　ぜ、全然嬉しくないんですけどー、とアオイは、ただでさえ心にもないことを再び言って後ろめたい気分なのに、ユウゾウに賛同されたことでよりチクリと来た。

　アオイ自身が始めた話の流れではあったものの、このままでは心が晴れないため、意趣返しをすることにした。

「だって実際そうじゃないですか。今までは康平くんだけにヒールを掛けていれば良かったのに、今ではギーネさんとフェルさんが死なないようにするのに、必死なんですからー」

　これは、黒猫亭でコウヘイに訴えたことでもあった。

　ギーネとフェルは、近接戦闘職であるが、コウヘイと違いタンク役は荷が重い。

　そもそも彼女たちは、サーデン帝国南東にある、ベルマン伯爵領の外れに位置する開拓村出身で、勇者パーティーに加入できるほど、本来の身分は高くない。

　その開拓村は、ファンタズム大陸の中央に聳えるヘヴンスマウンテンの麓に近く、その麓を覆うようにベルマンの森が広がっている自然が溢れる地域にある。

　しかし、昔から魔獣被害に悩まされており、遅々として開拓は進んでいない。

　彼女たちは、そんな危険地域で育ったため、女子でありながら身を守る術すべを幼いころからたたき込まれていた。

　でも、所詮は開拓村であり、冒険者ギルドなんてものは無い。

　そんな彼女たちが冒険者になったのは、ある魔獣災害が契機となった。

　それは、ベルマン冒険者ギルドの冒険者たちが集まっても対処しきれないほどのワイバーンに、襲撃されるという事態が発生したときのことだ。

　彼女たちが、冒険者たちと孤軍奮闘するも、数の暴力に蹂躙されその命を諦めかけたとき、そんな彼女たちを救ったのが、当時コウヘイを入れて五人だったときの勇者パーティーだった。

　被害を最小限に抑えるべく、ベルマン伯爵が皇帝へ勇者パーティーの派遣を要請していたのだった。

　勇者たちが到着してからは、蹂躙されるのは、むしろワイバーンの方だった。

　前衛でコウヘイが魔獣のヘイトを一手に引き受けている間に、カズマサが両手斧を振り回し、ユウゾウが空中から迫りくるワイバーンを弓矢で落とし、マサヒロの灼熱の火魔法で燃やし尽くしたのだった。

　その日を境に、ギーネ、フェル、そしてイシアルは、勇者に憧れを抱いた。
　そして、限りなく少ない可能性に期待し、ベルマンで冒険者となった。

　冒険者になれば勇者と一緒に冒険できるかもしれないというチャンス。

　それから数カ月もたたないうちにメキメキと力を付けた彼女たちは、シルバーランクへの昇級試験を受けに、帝都のサダラーン冒険者ギルドの門を叩いた。

　その結果は、余裕の一発合格で、試験官たちを唸らせるほどの好成績だった。

　そして、勇者パーティーが遠征に帯同させる冒険者を募っているという情報をたまたま得た彼女たちは、直ぐ様それに応募した。

　遠征の目的地が死の砂漠谷という性格上、砂漠の砂の下に隠れている魔獣に対応すべく、ギーネの危機察知スキルが一目置かれ、帯同を許された。

　そして、死闘の末、中級魔族の討伐に成功した。

　あとは、コウヘイと入れ替わるように、正式に勇者パーティーの一員となった。

　それは、正にサーデンドリームを叶えた少女たちであると、今でも帝都で噂になっている。

　が、

　いくら、そんなギーネたちであっても、勇者パーティーの活動には、まだまだ力不足だった。

　だから、それを自覚していたギーネとフェルは、容赦のないアオイの言葉に対し、申し訳なさそうに俯いた。

「まあ、なんだ。そこは大崎には悪いが、もう少し我慢してくれ。今回の魔獣討伐でこいつらだって技量が上がるはずだ」

　カズマサは、アオイの不満を本気と捉え、そう弁明した。

　この世界には、ゲームみたいなレベルの概念は無い。
　ただ、戦えば戦うほど各ステータスの成長が見込めるため、それに近い形で能力が上がるのは間違いなかった。

「なあ、そうだろ、ギーネ、フェル……イシアルも」

　カズマサは、それぞれを順繰り見渡し、隣に居たイシアルの頭を撫でた。

「は、はい！　あたい頑張るよ！」
「そ、そうですね！　癒し戦姫のアオイ様にいつまでもご迷惑を掛けられませんから！」
「ええ、わたくしも当然カズマサ様のために頑張りますわ」

　アオイの目を見てはっきり宣言したギーネとフェルは良いとして、イシアルだけ内容の毛色が違った。

　イシアルは、ハーフエルフにしては、ウッドエルフの特徴を色濃く残した深緑の瞳をうっとりとさせ、更に上目遣いでカズマサを見つめていた。

「ほ、ほらな。このまま戦闘を続けていれば大崎の負担もいずれは減るだろうよ」
「そーですね。先ずは、死の砂漠谷での魔獣討伐が先決でした」

　カズマサに合わせるようにアオイがそう返事をしたが、イシアルから撓垂しなだれ掛かるように身を寄せられ顔を赤らめているカズマサに、そんなことを言われても納得し難かった。
　それでも、カズマサの言い分は正しかった。

　コウヘイが抜けた穴は未だ塞がっていないが、彼女たち三人も着実に成長しているのは確かであった。

　ただ、アオイとしては、ギーネたちがコウヘイの役割を補えていないのが事実であるものの、事情を理解しているため、それほど気に留めてはいない。

　単なる、意趣返しで適当に言っただけなのだから……

　そんなことより！　とアオイは、別のことへと思いを巡らす。

　ああして……こうして……そして、こうでしょ……
　ああっ、これも名案かも！

　などと、アオイは、コウヘイのための復讐作戦を色々と思案する。

　既に、帝都を出発してから二日が経過していた。
　順調に進めば、死の砂漠谷までは、あと一〇日もすれば到着する見込みだ。

「精々それまでのんきにしているが良いわ」

　既に酒盛りが始まっており、バカ騒ぎして盛り上がっている彼らを見て、アオイは思わず心の内を吐露してしまった。

「んあ、大崎、何か言ったか？」

　小さく呟いたそれを、カズマサは提案か何かと勘違いした。

「いえ、何も言っていませんよ」

　アオイは、真っすぐに伸びたその長い黒髪を弄りながら、目を逸らしていた。

「そうか。焦らなくていいから、何か良い案を思いついたら教えてくれ」
「はい、それはもう、当然ですよ！」
「ああ、頼むな」

　あきらかにわざとらしい仕草にも拘わらず、カズマサは気付かなかった。

　赤ら顔のカズマサを満面の笑みで凝視しながら、アオイの心内は、

『ええ、じっくり考えさせてもらうわ』

　と、悦に浸った笑顔を浮かべているのだった。

　死の砂漠谷に到着するまで、十分時間がある。

　それまでに、アオイは、綿密な計画を練ることにした。

「待っててね、康平くん。また私が守ってあげるから」

　コウヘイを守り、そのことに感謝される場面を妄想したアオイは、堪こらえ切れず、ほくそ笑むのだった。