第０１４話　エルサの願い

　イルマの店を出るとすっかり陽が傾いており、夕焼けが辺りをオレンジ色に染める時間帯となっていた。
　帝都の北側に位置しているため、目の前の道にはサーベンのダンジョンや森から素材等の荷物を背負って帰還してくる冒険者たちの姿がちらほら――――

「大分時間が過ぎちゃったね。これから宿に戻ろうと思うけど良いかな？」
「うん、それに……」

　エルサは、左手をお腹の辺りを摩って、恥ずかしそうに頬を染めていた。

「そっか、ちゃんと食事も取れていなかったよね。気付かなくてごめんね」
「ううん、いいの」
「宿に戻ったら、早速夕飯にしよっか」
「うん、そうする」

　エルサの手を引いて歩いていたら、訝し気な視線が集まっているのを感じた。

　プレートアーマー姿の大男が美少女と手を繋いでいれば、それも納得である。
　そのため、どれくらいの効果があるか不明だけど、早速幻影のローブを羽織るために、脇道に入った。

　幻影のローブを羽織ってからは、そのような視線を感じることもなく、黒猫亭に到着した。
　流石に手を繋いだまま入る勇気はないため、嫌がるエルサには我慢してもらい、やっと解放された。

「いらっしゃい……あれ？　確かに、誰かいたような……」

　受付で帳簿を見ていたのか、チルちゃんがドアが開くのを感じて顔を上げたけど、小首をかしげて不思議そうな顔をしていた。

　それを見た僕は、まさかと思い被っていたフードを外して声を掛ける。

「チルちゃん、僕だよ。コウヘイだよ」
「うわあ、コウヘイ様。いつの間に！」

　おお、視認阻害って言っていたけど、もはや透明人間状態じゃないか、これ？
　フードを取るまでチルちゃんは、目の前にいる僕に気付いていなかった。

　本当にこんな物を貰っても良かったのだろうか。

「あの、そちらの女性は？」
「ああ、ごめん。今日からもう一つ部屋を借りたいんだけど、空いてるかな？」
「はい、あ、確認しますので少々お待ちください……」

　僕の左手を引っ張るエルサの方を見ると、「わたしは同じ部屋がいい」と、その青みがかった銀色の瞳で訴えてきた。

　思わず喉が鳴る。

「コウヘイ様、申し訳御座いません。あいにく継続のお客様ばかりで、空の部屋が御座いません」

　ノオオオー！　と心の中で叫ぶ。

「こ、コウヘイ様？　お連れ様が問題なければですが、同じ部屋で追加小銀貨一枚と大銅貨五枚で二食ご用意できますが……」
「それでお願いね、子猫ちゃん」

　放心状態の僕を置き去りにして、チルちゃんとエルサが勝手に話を進めていく。

「あ、お客様、わたしはチルと申します。受付と給仕を担当しております」
「そうなのですか。わたくしは、エルサと申します。本日よりコウヘイ様の身の回りの世話を仰せつかった従者です。チルさん、宜しくお願いしますね」
「あ、これはご丁寧に。エルサ様宜しくお願いします」

　勝手に色々話が進んで自己紹介までしちゃってる……
　僕も腹を括って、残り五日分の代金を支払い部屋に上がった。

　僕は、部屋に入るなり、ベッドにドカリと座った。

「それにしても、従者ってどういうこと？　それに、言葉遣いも……」

　エルサが自己紹介で言ったことを尋ねた。

「だって、奴隷って言う訳にはいかないでしょ？　勇者なら従者は当然だと思ったし、言葉遣いが軽いとコウヘイも軽く見られると思ってさー」

　エルサは、無邪気に笑いながらそう説明してくれた。
　イルマの店で、現在の状況を全て説明済みのため、気を使ってくれたのだろう。

　それにしても、エルサは本当に変わった子だ。
　イルマの店では、あんなにフランクにイルマと話していたのに、ちゃんとした言葉遣いもできることに感心した。

　何やら発音が難しくて覚えられなかったけど、どうやら有名な家の息女らしい。
　本来は、奴隷等とは無縁のはずだったのに……

「どうしたの、コウヘイ？」

　気付いたら、僕の隣に座っていたエルサが、心配そうに僕を見上げていた。

　いけない、いけない。
　こうやって考え込むのは、僕の悪い癖だ。
　この話は、夕食後にちゃんとしよう。

「いや、ごめん。なんか、気を使わせちゃったみたいだね」
「ううん、わたしは、コウヘイに命を救われたから、これくらい当然だよ」

　そう言って、また僕に身体を摺り寄せてくる。

「と、とりあえず、鎧を解かないといけないから、先に食堂に行って待っててくれない？」
「わたしは気にしないから待ってる」

　……そう言うと思った。

　ずっとこの調子で、僕から離れようとしない。
　エルサの置かれた状況を考えるとそれも仕方ないか、と僕は納得する。

　何がそんなに楽しいのか、ニコニコ顔のエルサに見られながら、僕は装備を外し平服に着替えた。

「お待たせっ。それじゃあ、ご飯にしようか」
「うん……それじゃあ、はいっ」

　エルサは右手を出してきたけど、僕はその手を取りはしない。

　奴隷商を出てから、かれこれ何時間も手を繋ぎ、僕が魔力を吸収したおかげか、エルサの顔には血色が戻っており、元気そうだった。

　ドキドキが止まらない僕は、極力接触を避けたい。
　だから、どうにか断る理由を必死に考える。

「あ、それなんだけどさ……人前では極力そういうのはやめにしない？」
「えっ、でも……」
「ほ、ほらっ、主人と従者が手を繋いでいたら変に思われるでしょ」
「むー……」

　結局、エルサが考えた設定に救われるかたちで納得してもらった。
　奴隷紋があるため命令すれば簡単だけど、そうはしたくなかった。

　夕飯には少し早い時間帯だったけど、ヒューイさんが気にするなと言って、特別に準備してくれた。

　僕は、オーク肉のステーキを選び、エルサも同じものを頼んだ。
　エルサは、相当お腹を空かせていたようで、追加料金を支払ってまで、オーク肉のシチューを追加オーダーした。

　ヒューイさんが僕にエールを勧めてきたけど、このあと酔っぱらった状態でエルサと話をする訳にもいかないため、今回は控えることにした。


――――――


　エルサは、二階のベッドの上で大の字になり、両手でお腹を摩っていた。

「いやー、久しぶりにお腹いっぱいになるまで食べたよぉ。ふぅ、わたし満足……」
「それは良かった」

　僕はそれを横目で見ながら、チェスト脇のテーブル備え付けのイスに腰かけ、どう話を切り出すか考える。

　食事の前にも考えていたけど、本来、エルサは奴隷なんかではない。
　襲われて無理やり奴隷にさせられただけなのだ。

　できれば、僕はエルサを彼女の里に帰したい思っている。
　でも、エルサの魔力弁障害を治さない限り、それはできない。

　エルサの両親が頼ろうとしていたイルマでさえ、魔力弁障害をどうにかすることはできなかった。
　そう考えると、道のりは厳しそうだった。

「あーまた、難しい顔してるー」

　気が付くとエルサが起き上がっていた。
　そして、ベッドの上に四つん這いになり、僕の顔を覗き込んでいた。

　あまりの近さにドキッとした。

　この子は平気で僕のパーソナルスペースに入ってくる。
　それはエルサ本来の特性なのか、奴隷紋の影響なのかわからない。

「ああ、ごめん。さっき魔力弁障害のことを気にしなくていいって言ってくれたけど、やっぱり治すべきだと思うんだ」

　僕は、ジッとエルサを見つめ、その反応を待った。

　さ、さあ、何て答える！

　鼓動が速まり、ほんの一瞬のはずなのに、その時間がもの凄く長く感じた。

「ありがとう」

　ニコっと笑ってエルサが言った。

　ああ、やっぱりそうだよね、とエルサを開放してあげたいという気持ちとは裏腹に、エルサとの冒険も想像していたため、僕は肩を落とした。

「……でも、わたしは、コウヘイと一緒にいられればそれだけでいいから。それに……わたしはコウヘイの奴隷だから何でも命令してね」

　俯いていた僕は、その言葉を聞き、がばっと顔を上げた。

　そこには、先程と全く同じ微笑を湛えたエルサの可愛い笑顔があった。
　奴隷商の檻の中にいた生気を失った瞳とは全く違い、その青みがかった銀色の瞳は、煌いて美しかった。

　な、何でそんなに嬉しそうなんだよ……

「ほ、本当に良いの？　僕は、エルサが里に帰りたいって言えばそうするつもりだよ！　帰りたくないの？」
「うーん、戻りたくないって言ったら嘘になるけど……」

　困ったようにエルサは、顔を曇らせた。

「あ、ごめん。それは当然だよね。僕は何を言ってるんだろうね」

　気まずい雰囲気になってしまい、それを誤魔化すように笑った。

「ううん、違うの。そうじゃないの！　えっと、えーっと……」

　エルサはどう言ったらいいのかわからいかのように、言葉を探していた。

「そう、捕まって奴隷になって檻の中で過ごしていたときに決めたことがあるの」

　何かを思い出したのか、そう言ったエルサは、ゆっくりと話し始めた。

「こんなに辛いなら死にたいとも思ったの……でも死ぬ前に、少しでも、ほんの少しで良いから、自由に身体を動かせるようにしてください！　って、どんなことでもするから！　って、神様にお願いしたの！」

　魔力酔いの症状がどれだけ辛いのか僕にはわからない。
　それでも、身体を動かせなくなるほどだと考えると、相当辛い思いをしたんだろうな、と僕は切なくなった。

「身体が動かないのに変なお願いの仕方だよね」

　僕の悲しそうな顔に反応したのか、エルサは自虐的な笑みを浮かべ尚も続けた。

「どれくらい経ったかはわからない。数分だったのか、数日だったのか……気付いたときには、不思議と身体が軽くなっていて、そこへコウヘイが現れたの」

　そこで僕の両手を取って、その小さな手で硬く握ってきた。

「コウヘイは、きっと神様が願いを聞き入れてくれて、わたしの元に導いてくれた、勇者なのよ！　ううん、絶対そうよ！　だから、わたしはこの体質がコウヘイの役に立つならなんでもするよっ！」

　真に迫る表情で興奮したエルサの顔が凄く近く、その瞳に僕の顔が反射して見えるほどに、その距離は本当に近かった。

　僕は少し身を引くようにしてなんとか頷いてそれに答えた。

「そっか、そんなことがあったんだね……」

　そんなの偶然だよ、とは絶対言えない。

　僕は無神論者だったけど、異世界に召喚されたことでその存在もいるかもしれないと、今では考えを改めている。
　だから、エルサがそう言うのならこの出逢いも神の御導きかもしれない。

　しかも、その話が本当だとしたら、奴隷紋を刻む前に決めたことのようで、僕が危惧した奴隷紋の影響の可能性が低く、安心することができた。

　それなら、僕も覚悟を決めなければならないと思った。

「わかった。エルサがそこまで覚悟を決めてくれているなら、僕も応えるよ！　一人じゃ何もできない僕だけど、一緒に力を合わせて冒険をしてくれないかな？」
「そんなの当然だよ！」

　エルサは、僕の言葉に喜び、そのまま僕に飛び乗ってきた。

「う、うわあ、あ、危ないよ」

　座っていたイスが後ろに傾き倒れそうになったけど、なんとかテーブルに手を着いて体勢を立て直すことに成功した。

「あは、ごめんね」

　エルサは、舌を少し出しながら謝り、向かいのベッドに座り直した。
　その表情は、とても嬉しそうで、年頃の少女らしい笑顔をしていた。

　――――こうしてコウヘイは、冒険を共にする仲間を得ることに成功し、魔力量がゼロのコウヘイと、魔力が溢れ出すエルサの冒険が幕を開けようとしていた。