転生地獄日記
第壱話 地上にて
大阪城。
そういう名前の城があった。
緑がかった浅葱色の屋根、漆喰で塗り固められた真っ白の壁、ところどころに飾り付けられた金、それらを身にまとい、あの城は高く、高く、聳え立っていた――そんな景色があったのを覚えている。
 
あの城は、大都市大阪の中心に悠然と屹立していた。
 
天下を統べる象徴として。
人々の上に君臨する絶対的存在として。
そして、僕を守ってくれる守護神として。
そこにいてくれた。
 
「あの日」までは。
大坂の陣。
きっかけは徳川の言いがかりだと、父上は仰っていた。でも、実際のところどうだったかは分からない。
よく、知らない。
思い出したくもない。
あの日のことなど、今すぐにでも忘れてしまいたいのに――記憶には、今も燃え盛る大阪城の映像が巣食っている。
絶対的存在に思えた彼の建造物は、一瞬のうちに炎を身にまとった炭へと相成っていった。純白の壁は焦げて黒く、浅葱色の屋根は焼き尽くされ、炎と同じ紅へと変わってしまった。
焼かれ、ボロボロと崩れていく城とは対照的に、灰色の煙は空へと昇って行った。
それはまるで、城の魂が渇きにもがき、地面から遠くに離れようとするように――地獄の業火から、這って逃がれようとするように、昇っていた。
ユラユラ、ゴオゴオと音を立て、暗き天空へ首を伸ばしていた。
 
燃えて
焦げて
無くなっていく
 
栄光は塵となり、空中のどこかへ散っててしまった。
大阪城は灰燼となり、天空へ昇っていく。
草舟が流れるように、炎に乗って行ってしまった。
そうか。そういえばそうだった。
僕はあそこで大事にされていたんだった。
なんでだっけ……確か、僕は偉い人の子供だったんだ。
誰だっけ…
「お前だけは…死なせるわけにはいかん!生きるのじゃ…生き伸びて、絶対に幸せになってみせるのじゃ!もう二度と、こんなことに巻き込まれないように…!」
聞き覚えのある声、聞き覚えのある言葉が流れてくる。
ああ、そうだ。この人が僕の父親だ。でも…誰だっけ…
父上のことが、何も思い出せない――
「『風起し』ちょっと起きてくれ」
  土佐国、白髪山
時間にして丑三つ時。
あたり一帯は闇に包まれ、鬱蒼とした木々の間に百鬼夜行が跋扈する時間帯になった。
人間の住む世界とは違い、花鳥風月豊かなこの森は、日が沈み星が浮かんだ途端に様相を変化させる。
通常の生き物とは似ても似つかないような怪物が、どこからともなく姿を現し、異様な光景を作り出すのだ。彼らは、妖力の高まる夜にしか出現できない。それが通常の生物との最も大きな違いで、昼に妖怪が見られない理由でもある。
日が出ている間は見られなかった異形の怪物達――堂々と出歩く山犬や土蜘蛛。釜戸に火を焚く山姥。木霊も昼間より煩くなるので、夜の割には意外と騒がしい。
通常の夜行性生物に加え、これらの妖怪が生態系の均衡を保つことで、この山は割かし平和な様相を保っている。
そんな世界に住んでいる半人半鬼「陀螺鬼」こと僕は、森のどこにでもあるような檜の上に寝床を作り、睡眠を取っていた。まあ、寝床といっても枝を織り合わせただけで、見てくれは鳥の巣のようで貧相なものだが。
「どうした。敵か?」
怪訝そうな低い声が、左の腰から僕に問いかける。
腰に携えた妖刀『風起し』は、はっきりとした自我を持ち、妖術によって物理的に空気を震わすことで疑似的な声を発することができる。
僕は妖力を流して視界を共有させ、この森であってはならないような光景を見させた。
「…おいおい…どういうことだ?」
そこには、飢えた山犬に追い詰められた、明らかに「人間」のような生き物がいた。
体軀から察するにまだ子供だ。
「はぁ…はぁ…く、来るな!」
今まで散々追いかけられたのだろう。呼吸を乱しながら、僕が横になっている木にもたれ掛かるようにして、追い詰められている。
「 何で人間がこんな所にいるんだ。ただでさえここは人里から離れているんだぞ?あんな子供が森のこんな深くに入ってこれるわけないのに…」
「そうだよね…まあ、あの子がそもそも人間じゃないならここにいるのも分かるけど。でも…やっぱりあれはただの人間だよ、妖力を一切感じられない。放っておいたら、無残に食い殺される」
  山犬――別名「送り犬」
  夜中に山道を歩く人間を獲物に捉え、獲物が転んだ途端に群れをなして襲いかかる山の妖怪――どういう経緯で侵入したかは知らないが、あの子供はこの暗闇の森を彷徨った挙句、どこかで転んでしまったのだ。
「しかしなかなか食わないな…何か喋ってんのか?風起し、音を拡大してよく聞かせてくれ」
「はいよ」
腕を伝い、俺の妖力を風起しに流して、妖術を顕現させた。山犬の群れと子供がいる空間の音波を複製、振動の向きをこちらに合わせ、音を聞き取る。
「あっ……あ………」
追い詰められた人間の声だ。子供特有の高い声が、恐怖で更に上ずっている。
「人間ナンテ初メテ見タゼ。ナア、コイツドウ食ッタラウマインダ?」
「俺ァ皮ガ食イテェ!柔ラカクテウメェンダヨ!」
「オイ、抜ケ駆ケスンナヨ?俺ダッテ皮食イテェ」
「マァ焦ンジャネエヨ、コイツハマダ子供ダゼ?ドコノ肉モ柔ラカクテウマイハズダ」
「ソレモソウダ」
「脚ニ噛ミ付イテ逃ゲレナクスル」「腕ヲ砕イテ暴レナイヨウニスル」「頸ニカブリツイテ〆ル」「アトハバリバリ貪リ食ウ!」
「……趣味の悪い連中だなあ」
「まあ山犬に趣味の良し悪しを問うた所でしゃーねーだろ。それに人間の肉を食いたいって思えるんだから、どっちかっつうと趣味はいい方だと思うぜ?」
「生憎僕は半分人間なんでね、そうは思えないよ」
「あっそ…んで、助けるつもりか?」
「まあ寝床の下に半分同族の惨殺死体があるのは嫌だしね。ちょっとだけ力を借りるよ」
そうとだけ言って、僕は鍔に親指をかけながら鞘を握った。ちょうど居合切りの構えから柄を握る手を除いた形だ。寝転がったままだが。
山犬たちに気づかれぬよう、物音を出さぬよう息を潜める――
「ゥゥゥ…ガァアアア!!」
「ぅ、わあああああああああああああああああ!」
一匹が物凄い剣幕で人間に飛びついた。人間は腕を頭にかざし、防御を試みるが、あんなもの山犬相手ではまったく意味をなさない。腕ごと噛み砕かれてしまう。だが山犬の狙いは脚のようだ。
そのまま、山犬の牙が脛のあたりに届こうとした、その瞬間――
「妖刀風起し――奥義『一閃、カマイタチ』」
カチン。
機を見計らって親指で鍔を弾いた。
鞘に隠れていた刀身が僅かに顕れ、妖力が流れ始める。風起しから出た妖力は空気へと作用し、シューッという音と共に空気を変質させた。気体から固体へ、固体から鋭利な刃「カマイタチ」へ――
ヒュンッ!
そのまま山犬目掛け高速で飛ばした。
「キャウン!」
カマイタチは、ほんの数瞬前まで興奮していた山犬の左前脚を切断した。
役目を終えたカマイタチは、元の空気に戻る。
「ガァッ、ゥゥゥゥ…ァァッ…」
飛び込んだ勢いを保ったまま、脚の欠けた山犬は地面を転がった。
「ナンダ!?」「何ガ起コッタ!?」「切ラレテルゾ!コイツ刃物でヤラレタミタイニ脚ヲ切ラレタ!」
さっきまでの意気込みは何処へやら。眉間を切られたやつはみっともない鳴き声を上げながら倒れこんでいる。群れの間でも動揺が走っているようだ。
「クソッ!ココハカマイタチガ居ヤガル!コノ人間、俺達ヲ誘イ込ムタメノ罠ダッタンダ!」
「退コウ!長ク居タラ俺達マデ切ラレル!」
「チクショウ!折角ウマイ飯ニアリツケルト思ッタノニ!」
群れの一匹がやられたのを見ると、他の連中は一目散に逃げていった。
「ちょっとやりすぎじゃねえの?」
「別に。縄張りに入ったあいつらの自業自得だよ。僕があいつらの縄張りに入ったら、もっと酷い目に遭わそうとするだろうし」
「まあ…そうだな。んで、あのガキと山犬はどうすんだ?放っといたらどっちも死ぬぜ。人間の方なんか、他の妖怪に狙われるだけだろうよ」
「さあ。どうもしないよ。山犬の方は死ねば朝には消滅してるだろうし、人間の方もここから遠くに行ってくれればどうだっていいよ」
「助けた方も殺した方も捨て置くわけか…ホント勝手な野郎だぜ、お前」
「そーだねー…んじゃ、不届き者の成敗も終わったことだし…ふぁーっ、僕は寝るとするよ。お休み妖刀さん」
「休んでたやつを勝手極まる理由で起こしやがったくせに、何言ってやがる」
僕の寝床にはまた、静かな夜が戻っていた。
「………」
「ガァ…ハァ…はぁ……はぁ………」
…可哀そう。
何が起きたかわかんない、それにこの犬は、僕を食い殺そうとした張本人ではあるけど。
でも、この子、見捨てられちゃったんだ。
今までずっと一緒にいた仲間に、たった一瞬で、裏切られたんだ。怪我をして、もう動けないから追いかけることもできず、ただここで横たわるしかない。
そして、これから死を待つしかないんだ…。
「……それはさ、いくらなんでも可哀そすぎるよね」
この子は僕を食べようとした。それはただの「食事」で、当たり前のことだから別にいい。でも、仲間に見捨てられるのは当たり前じゃないよ。それってとても、悲しいことだから――
「……ねぇ、風起し…」
「……言われなくても分かる」
昨晩の出来事から数時間。日が昇って辺りが明るくなった頃に僕は目が覚めた。
僕は妖怪ではあっても半分人間だから、日が昇っていても活動できる。だから夜に眠って朝に起きるという規則正しい生活ができるのだが――これからは夜も起きてた方がいいかもな。
「ゥゥゥ…ワン!ワン!」
僕が寝ていた木の根元には、昨晩僕が脚を切断した山犬と、それで助けた人間がいた。しかも子供の方なんか、布団でも被ってるみたいに犬を抱きかかえて、眠っている。
「元気そうだね、この子達」
「元気どころか、よく生きていたな…あ、こいつ脚に布が巻かれてるぞ」
山犬の脚には、人間の着ている装束と同じ材質の布が、包帯のようにぐるぐる巻かれていた。縛って、出血を抑えたらしい。
「コノ山ニ人間ガ二人モイルナンテ、珍シイナ。シカモ、両方トモ子供トキタモンダ」
ごろごろとした低い声が聞こえる。この犬、喋れるようだ。
「子供扱いしないでよ、犬の癖に。これでも半人半鬼。れっきとした妖怪だよ」
言い忘れていたが、僕は見た目だけなら人間の子供となんら遜色は無い。生まれてから十年ほどしか経っていないし、人間的に言えば本当に子供なのだ。
風起し曰く「銀髪、緑眼、白い肌、おまけにチビ。こんな貧弱そうな見た目な上、帽子で角を隠してるもんだから最初は本当に半人半鬼か疑ったぜ」とのこと。主に対し随分失礼なことを言ってくれる。
「半人半鬼…貴様『陀螺鬼』トカイウ奴ダナ。群レデハ噂ニナッテイタ」
「まあ、僕結構強いらしいからねー…ちょっとくらい噂になっても不思議じゃないか」
「…貴様ガ俺ノ脚ヲ切ッタノカ?」
「さあ、それはどうだろ」
山犬がこっちをすごい剣幕で睨みつけてくる。
「喧嘩しようってならやめといた方がいいよ。群れでも噂になってたんでしょ?それくらい強いってことだよ。それに、今の君の状態じゃ絶対に勝ち目ないしね」
本来の力は発揮できないが、それはこの山犬も同じことだ。それに鬼特有の剛力は日が出ていても使えるし、何よりこいつは脚が一本欠けている。
どう考えてもこいつが勝てるわけない。
「…チッ。貴様、ドウシテコノ子供ヲ助ケタ。コイツハ人間ダ。山ニオイテオイチャ、イケネエンジャネエノカ?」
悔しそうに舌打ちを鳴らして、山犬は僕に聞いてきた。
「寝床の下に半分同族の惨殺死体作られちゃ気分が悪いよ。…とは言え、この子どうしよっかなー…夜の内にどっか遠くに行ってくれてたらよかったのに…」
ほっといたら、いずれ獣か妖怪に食われるだけだしなー…よそで勝手に死んでくれる分には構わないんだけど、「僕が見捨てた」なんてことにはなってほしくない。
無駄に罪悪感が沸いてしまう。
「おーい。人間さーん。そろそろ起きてよー。お前は僕と違って純粋な人間なんだから、朝になったら起きるでしょー?」
「んん……」
風起しで突いてみても全然起きない。
「やめろ、雑に扱うな」
「突いてやるぐらい別にいいだろ」
「俺を、だよ」
「昨日ノ今日で疲レテイルンダロ」
「お前らのせいだけどな」
全然起きない。
自らの意思で歩かせてここから移動させる、という風には出来なさそうだ。
「しょーがないなー…風起し、うちに運ぶよ」
「なに!?人間を連れ込むのか!?」
「しょーがないでしょ、全然起きないんだし。僕は罪悪感なんていうむさ苦しい感情覚えたくないから、『見捨てる』なんてことしたくないんだよ。だからここで野垂れ死なないようにうちに連れて帰る。納得した?」
「…ああそうかい。好きにしやがれ」
「では、お言葉に甘えさせてもらいますよっと」
そのまま、まるで母親が「おんぶ」するみたいに子供を背負って家まで運んだ。途中、なぜか一緒にいた山犬も付いてきたけど、まあいいか。
「…母…上…?」
そういう名前の城があった。
緑がかった浅葱色の屋根、漆喰で塗り固められた真っ白の壁、ところどころに飾り付けられた金、それらを身にまとい、あの城は高く、高く、聳え立っていた――そんな景色があったのを覚えている。
 
あの城は、大都市大阪の中心に悠然と屹立していた。
 
天下を統べる象徴として。
人々の上に君臨する絶対的存在として。
そして、僕を守ってくれる守護神として。
そこにいてくれた。
 
「あの日」までは。
大坂の陣。
きっかけは徳川の言いがかりだと、父上は仰っていた。でも、実際のところどうだったかは分からない。
よく、知らない。
思い出したくもない。
あの日のことなど、今すぐにでも忘れてしまいたいのに――記憶には、今も燃え盛る大阪城の映像が巣食っている。
絶対的存在に思えた彼の建造物は、一瞬のうちに炎を身にまとった炭へと相成っていった。純白の壁は焦げて黒く、浅葱色の屋根は焼き尽くされ、炎と同じ紅へと変わってしまった。
焼かれ、ボロボロと崩れていく城とは対照的に、灰色の煙は空へと昇って行った。
それはまるで、城の魂が渇きにもがき、地面から遠くに離れようとするように――地獄の業火から、這って逃がれようとするように、昇っていた。
ユラユラ、ゴオゴオと音を立て、暗き天空へ首を伸ばしていた。
 
燃えて
焦げて
無くなっていく
 
栄光は塵となり、空中のどこかへ散っててしまった。
大阪城は灰燼となり、天空へ昇っていく。
草舟が流れるように、炎に乗って行ってしまった。
そうか。そういえばそうだった。
僕はあそこで大事にされていたんだった。
なんでだっけ……確か、僕は偉い人の子供だったんだ。
誰だっけ…
「お前だけは…死なせるわけにはいかん!生きるのじゃ…生き伸びて、絶対に幸せになってみせるのじゃ!もう二度と、こんなことに巻き込まれないように…!」
聞き覚えのある声、聞き覚えのある言葉が流れてくる。
ああ、そうだ。この人が僕の父親だ。でも…誰だっけ…
父上のことが、何も思い出せない――
「『風起し』ちょっと起きてくれ」
  土佐国、白髪山
時間にして丑三つ時。
あたり一帯は闇に包まれ、鬱蒼とした木々の間に百鬼夜行が跋扈する時間帯になった。
人間の住む世界とは違い、花鳥風月豊かなこの森は、日が沈み星が浮かんだ途端に様相を変化させる。
通常の生き物とは似ても似つかないような怪物が、どこからともなく姿を現し、異様な光景を作り出すのだ。彼らは、妖力の高まる夜にしか出現できない。それが通常の生物との最も大きな違いで、昼に妖怪が見られない理由でもある。
日が出ている間は見られなかった異形の怪物達――堂々と出歩く山犬や土蜘蛛。釜戸に火を焚く山姥。木霊も昼間より煩くなるので、夜の割には意外と騒がしい。
通常の夜行性生物に加え、これらの妖怪が生態系の均衡を保つことで、この山は割かし平和な様相を保っている。
そんな世界に住んでいる半人半鬼「陀螺鬼」こと僕は、森のどこにでもあるような檜の上に寝床を作り、睡眠を取っていた。まあ、寝床といっても枝を織り合わせただけで、見てくれは鳥の巣のようで貧相なものだが。
「どうした。敵か?」
怪訝そうな低い声が、左の腰から僕に問いかける。
腰に携えた妖刀『風起し』は、はっきりとした自我を持ち、妖術によって物理的に空気を震わすことで疑似的な声を発することができる。
僕は妖力を流して視界を共有させ、この森であってはならないような光景を見させた。
「…おいおい…どういうことだ?」
そこには、飢えた山犬に追い詰められた、明らかに「人間」のような生き物がいた。
体軀から察するにまだ子供だ。
「はぁ…はぁ…く、来るな!」
今まで散々追いかけられたのだろう。呼吸を乱しながら、僕が横になっている木にもたれ掛かるようにして、追い詰められている。
「 何で人間がこんな所にいるんだ。ただでさえここは人里から離れているんだぞ?あんな子供が森のこんな深くに入ってこれるわけないのに…」
「そうだよね…まあ、あの子がそもそも人間じゃないならここにいるのも分かるけど。でも…やっぱりあれはただの人間だよ、妖力を一切感じられない。放っておいたら、無残に食い殺される」
  山犬――別名「送り犬」
  夜中に山道を歩く人間を獲物に捉え、獲物が転んだ途端に群れをなして襲いかかる山の妖怪――どういう経緯で侵入したかは知らないが、あの子供はこの暗闇の森を彷徨った挙句、どこかで転んでしまったのだ。
「しかしなかなか食わないな…何か喋ってんのか?風起し、音を拡大してよく聞かせてくれ」
「はいよ」
腕を伝い、俺の妖力を風起しに流して、妖術を顕現させた。山犬の群れと子供がいる空間の音波を複製、振動の向きをこちらに合わせ、音を聞き取る。
「あっ……あ………」
追い詰められた人間の声だ。子供特有の高い声が、恐怖で更に上ずっている。
「人間ナンテ初メテ見タゼ。ナア、コイツドウ食ッタラウマインダ?」
「俺ァ皮ガ食イテェ!柔ラカクテウメェンダヨ!」
「オイ、抜ケ駆ケスンナヨ?俺ダッテ皮食イテェ」
「マァ焦ンジャネエヨ、コイツハマダ子供ダゼ?ドコノ肉モ柔ラカクテウマイハズダ」
「ソレモソウダ」
「脚ニ噛ミ付イテ逃ゲレナクスル」「腕ヲ砕イテ暴レナイヨウニスル」「頸ニカブリツイテ〆ル」「アトハバリバリ貪リ食ウ!」
「……趣味の悪い連中だなあ」
「まあ山犬に趣味の良し悪しを問うた所でしゃーねーだろ。それに人間の肉を食いたいって思えるんだから、どっちかっつうと趣味はいい方だと思うぜ?」
「生憎僕は半分人間なんでね、そうは思えないよ」
「あっそ…んで、助けるつもりか?」
「まあ寝床の下に半分同族の惨殺死体があるのは嫌だしね。ちょっとだけ力を借りるよ」
そうとだけ言って、僕は鍔に親指をかけながら鞘を握った。ちょうど居合切りの構えから柄を握る手を除いた形だ。寝転がったままだが。
山犬たちに気づかれぬよう、物音を出さぬよう息を潜める――
「ゥゥゥ…ガァアアア!!」
「ぅ、わあああああああああああああああああ!」
一匹が物凄い剣幕で人間に飛びついた。人間は腕を頭にかざし、防御を試みるが、あんなもの山犬相手ではまったく意味をなさない。腕ごと噛み砕かれてしまう。だが山犬の狙いは脚のようだ。
そのまま、山犬の牙が脛のあたりに届こうとした、その瞬間――
「妖刀風起し――奥義『一閃、カマイタチ』」
カチン。
機を見計らって親指で鍔を弾いた。
鞘に隠れていた刀身が僅かに顕れ、妖力が流れ始める。風起しから出た妖力は空気へと作用し、シューッという音と共に空気を変質させた。気体から固体へ、固体から鋭利な刃「カマイタチ」へ――
ヒュンッ!
そのまま山犬目掛け高速で飛ばした。
「キャウン!」
カマイタチは、ほんの数瞬前まで興奮していた山犬の左前脚を切断した。
役目を終えたカマイタチは、元の空気に戻る。
「ガァッ、ゥゥゥゥ…ァァッ…」
飛び込んだ勢いを保ったまま、脚の欠けた山犬は地面を転がった。
「ナンダ!?」「何ガ起コッタ!?」「切ラレテルゾ!コイツ刃物でヤラレタミタイニ脚ヲ切ラレタ!」
さっきまでの意気込みは何処へやら。眉間を切られたやつはみっともない鳴き声を上げながら倒れこんでいる。群れの間でも動揺が走っているようだ。
「クソッ!ココハカマイタチガ居ヤガル!コノ人間、俺達ヲ誘イ込ムタメノ罠ダッタンダ!」
「退コウ!長ク居タラ俺達マデ切ラレル!」
「チクショウ!折角ウマイ飯ニアリツケルト思ッタノニ!」
群れの一匹がやられたのを見ると、他の連中は一目散に逃げていった。
「ちょっとやりすぎじゃねえの?」
「別に。縄張りに入ったあいつらの自業自得だよ。僕があいつらの縄張りに入ったら、もっと酷い目に遭わそうとするだろうし」
「まあ…そうだな。んで、あのガキと山犬はどうすんだ?放っといたらどっちも死ぬぜ。人間の方なんか、他の妖怪に狙われるだけだろうよ」
「さあ。どうもしないよ。山犬の方は死ねば朝には消滅してるだろうし、人間の方もここから遠くに行ってくれればどうだっていいよ」
「助けた方も殺した方も捨て置くわけか…ホント勝手な野郎だぜ、お前」
「そーだねー…んじゃ、不届き者の成敗も終わったことだし…ふぁーっ、僕は寝るとするよ。お休み妖刀さん」
「休んでたやつを勝手極まる理由で起こしやがったくせに、何言ってやがる」
僕の寝床にはまた、静かな夜が戻っていた。
「………」
「ガァ…ハァ…はぁ……はぁ………」
…可哀そう。
何が起きたかわかんない、それにこの犬は、僕を食い殺そうとした張本人ではあるけど。
でも、この子、見捨てられちゃったんだ。
今までずっと一緒にいた仲間に、たった一瞬で、裏切られたんだ。怪我をして、もう動けないから追いかけることもできず、ただここで横たわるしかない。
そして、これから死を待つしかないんだ…。
「……それはさ、いくらなんでも可哀そすぎるよね」
この子は僕を食べようとした。それはただの「食事」で、当たり前のことだから別にいい。でも、仲間に見捨てられるのは当たり前じゃないよ。それってとても、悲しいことだから――
「……ねぇ、風起し…」
「……言われなくても分かる」
昨晩の出来事から数時間。日が昇って辺りが明るくなった頃に僕は目が覚めた。
僕は妖怪ではあっても半分人間だから、日が昇っていても活動できる。だから夜に眠って朝に起きるという規則正しい生活ができるのだが――これからは夜も起きてた方がいいかもな。
「ゥゥゥ…ワン!ワン!」
僕が寝ていた木の根元には、昨晩僕が脚を切断した山犬と、それで助けた人間がいた。しかも子供の方なんか、布団でも被ってるみたいに犬を抱きかかえて、眠っている。
「元気そうだね、この子達」
「元気どころか、よく生きていたな…あ、こいつ脚に布が巻かれてるぞ」
山犬の脚には、人間の着ている装束と同じ材質の布が、包帯のようにぐるぐる巻かれていた。縛って、出血を抑えたらしい。
「コノ山ニ人間ガ二人モイルナンテ、珍シイナ。シカモ、両方トモ子供トキタモンダ」
ごろごろとした低い声が聞こえる。この犬、喋れるようだ。
「子供扱いしないでよ、犬の癖に。これでも半人半鬼。れっきとした妖怪だよ」
言い忘れていたが、僕は見た目だけなら人間の子供となんら遜色は無い。生まれてから十年ほどしか経っていないし、人間的に言えば本当に子供なのだ。
風起し曰く「銀髪、緑眼、白い肌、おまけにチビ。こんな貧弱そうな見た目な上、帽子で角を隠してるもんだから最初は本当に半人半鬼か疑ったぜ」とのこと。主に対し随分失礼なことを言ってくれる。
「半人半鬼…貴様『陀螺鬼』トカイウ奴ダナ。群レデハ噂ニナッテイタ」
「まあ、僕結構強いらしいからねー…ちょっとくらい噂になっても不思議じゃないか」
「…貴様ガ俺ノ脚ヲ切ッタノカ?」
「さあ、それはどうだろ」
山犬がこっちをすごい剣幕で睨みつけてくる。
「喧嘩しようってならやめといた方がいいよ。群れでも噂になってたんでしょ?それくらい強いってことだよ。それに、今の君の状態じゃ絶対に勝ち目ないしね」
本来の力は発揮できないが、それはこの山犬も同じことだ。それに鬼特有の剛力は日が出ていても使えるし、何よりこいつは脚が一本欠けている。
どう考えてもこいつが勝てるわけない。
「…チッ。貴様、ドウシテコノ子供ヲ助ケタ。コイツハ人間ダ。山ニオイテオイチャ、イケネエンジャネエノカ?」
悔しそうに舌打ちを鳴らして、山犬は僕に聞いてきた。
「寝床の下に半分同族の惨殺死体作られちゃ気分が悪いよ。…とは言え、この子どうしよっかなー…夜の内にどっか遠くに行ってくれてたらよかったのに…」
ほっといたら、いずれ獣か妖怪に食われるだけだしなー…よそで勝手に死んでくれる分には構わないんだけど、「僕が見捨てた」なんてことにはなってほしくない。
無駄に罪悪感が沸いてしまう。
「おーい。人間さーん。そろそろ起きてよー。お前は僕と違って純粋な人間なんだから、朝になったら起きるでしょー?」
「んん……」
風起しで突いてみても全然起きない。
「やめろ、雑に扱うな」
「突いてやるぐらい別にいいだろ」
「俺を、だよ」
「昨日ノ今日で疲レテイルンダロ」
「お前らのせいだけどな」
全然起きない。
自らの意思で歩かせてここから移動させる、という風には出来なさそうだ。
「しょーがないなー…風起し、うちに運ぶよ」
「なに!?人間を連れ込むのか!?」
「しょーがないでしょ、全然起きないんだし。僕は罪悪感なんていうむさ苦しい感情覚えたくないから、『見捨てる』なんてことしたくないんだよ。だからここで野垂れ死なないようにうちに連れて帰る。納得した?」
「…ああそうかい。好きにしやがれ」
「では、お言葉に甘えさせてもらいますよっと」
そのまま、まるで母親が「おんぶ」するみたいに子供を背負って家まで運んだ。途中、なぜか一緒にいた山犬も付いてきたけど、まあいいか。
「…母…上…?」
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