気分は下剋上 肖像写真

こうやまみか

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 百合香ちゃんは彼女が言っていたイギリスの上流階級に属する家庭教師の先生だけでなくて、成人レベルの一般常識を教えてくれる先生にも教わっているのではないかと思ってしまう。
 「物の値段が需要と供給のバランスで決まる」なんてことは「家族の会話」で出てくるとも思えない、多分。
 ただ、自分の場合は幼い頃に父を、そして高校三年の時に母を亡くしている。特に母親は重篤な心臓疾患だったので、入院していない時も横になっていることの方が多かった。だから家族の会話というものを知らないで育ってきたので確実ではないものの。
 それに祐樹との生活でも――平日は世間話は出来ないことの方が多い、お互い忙しいのは分かっているので、それを不満に思ったことは一度たりともないが――デートはせずに自宅で寛いだ休日を過ごすような日でもそんな会話を交わした覚えはない。
「いかがですか?教授や田中先生からマンガを買って差し入れて下さったり、この本棚が届くまでは看護師さんが家族の目に触れないように上手く隠して下さったりしました。
 面会の時はナースステーションを通しますよね?その一報を知った看護師さんが大急ぎで病室に来て下さって、マンガを隠してくださったこともありました。
 そういう特別な配慮をするように教授なり田中先生なりが頼んで下さったのでしょう。
 マンガの代金プラスその配慮と引き換えなら、あの家具だけでは需要と供給のバランスが崩れて、私の方が一方的に得をしたという感じの方が強いので……教授に是非ともご恩返しがしたいのです」
 確かに百合香ちゃんの提案にはあらがえない力が有った。それに現金は謝絶するというこの病院に勤めだした頃から一貫している自分の方針だったが、そしてそのポリシーめいたものは患者さんにも周知徹底されているのが現状だ。しかし、やはり感謝の念は形として表したいという患者さんも多くて、返しも出来ない豪華な仕出し弁当とか、活き伊勢エビとか松阪牛――しかもA5ランクの良い部位のみを厳選して――などを貰っていることは確かだ。
 ただ、時間の経過とともに傷んでしまうので「返せない」という前提が有ってのことで、家具はその範疇はんちゅうには入らないような気もしてしまう。貰いたいという気持ちも正直有ったが。
(どうしようかな……)と壁に飾られた病院長の格別の配慮でもある胡蝶蘭の滝を見ながら考えた。
 この胡蝶蘭は祐樹とのサイン会の時に背後に飾られていたもので、その時の薔薇色に弾む気持ちが自然と脳裏をよぎる。
 あの時も同じテーブルに座って、しかも目の前には薔薇と百合のアレンジメントが内心の気持ちをさらに盛り上げてくれていて、とても幸せだった。
 その時に。

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