これはきっと夢。

鈴木ソラ

これはきっと夢。9話



春風が漂うグラウンド、あそこに、汗を流してサッカーをするプリンスの姿があります。

「松任谷ナイスシュート!」
「きゃー!プリンスかっこいいー!」

グラウンドはいつもの体育の時間よりも少し騒がしくなっています。

日頃のダンスレッスンで鍛えているプリンスの運動能力は抜群で、体育の授業では毎回、女子の黄色い声が絶えません。俺もあの中にしれっと混ざって大声で応援できたら、なんて少し考えたりもします。

「ったく、アイドルだからって騒ぎすぎだよなー」

あまりのプリンスの目立ち様に、妬み事を言う男子も少々。けれどそんなの気にも止めないくらい、プリンスは今日も眩しいです。こうして日陰から見ているだけで、心が癒されます。

そんなプリンスが何気なくこちらを向いて手を振った日には…

「っ!」

俺の心臓が一突きされます。ついでに、周囲の異様な光景でも見るかのような視線も、少し痛いです。

未だに、プリンスが俺以外の誰かに喋りかけているのは見たことがありません。周囲から話しかけられることはあるだろうに、どうしてか昼休みも移動教室も登下校も、プリンスは俺の隣にいることが多いです。

なぜそれが俺なのか、最近よく考えてしまいます。









「皐月くん、曜日、希望とかある?」

名前を呼ばれ顔を上げると、プリンスが目の前に一枚のプリントを見せてそう問いかけてきていた。

「えっ、あ…ううん!俺はいつでもいいよ!」

……い、いけない…ぼーっとしちゃってた…。

俺が慌ててそう答えると、プリンスは手元の予定表をじっと見つめて何か考えているようだった。

放課後、図書委員会で招集された俺とプリンスは、他のクラスの委員の人たちと同じ図書室のテーブルに座らされていた。周囲のプリンスへの視線は、クラス内でのものよりも関心に溢れていて、隣にいる俺まで少しドキドキしていた。

「うーん…俺、事務所に呼び出されること多いし、できれば昼休みがいいかなって思ったんだけど。でもそうなると、この間みたく遅刻で午後から登校とかってなったら、結局昼休みも委員の仕事こなせなくなっちゃうんだよね…」
「い、いいよ?…ほら、図書室ってあんまり人来ないし、仕事なら俺一人でも十分こなせると思うから!去年やってたからある程度のことは分かるんだよね」

プリンスには、半ば助けてもらったような形で図書委員に入ったが、やはり仕事が忙しいのに無理をさせてしまっただろうか。おかげで他の誰かとやるやりもかなりやりやすいのだけれど、プリンスの仕事の負担になってはいけない。

俺の言葉を聞いて、プリンスは少し複雑そうな顔をした。

「…俺が勝手に皐月くん巻き込んだんだし、できればそれはしたくないなぁ」

俺の意見には少し不満げに、またプリントを見つめ唸り始める。

最近、というか、プリンスの友達になって気づいたことがある。やはりこうして近くにいると、テレビでは見ることのできない普通のプリンスが見れるということ。アイドルのかっこよくて素敵なプリンスばっかりじゃない、負けず嫌いで責任感が強くて、たまに意地になったり拗ねたりするような仕草をするときがあるのだ。本当にたまにだけど、それを見ると、プリンスはやはり俺と同じ男子高校生なのだということを改めて感じることがある。


「もし仕事が入っちゃったら、図書の先生にどうにか代理立ててもらえるように頼んでみるよ。やっぱり皐月くん一人に任せるのは申し訳ないし」

たかが学校の委員会でさえこんなに責任を持って仕事をするのだから、アイドルの仕事はもっと強い想いを持ってやっているに違いない。

……ほんと…文句の付け所が無い…期待通りすぎるよプリンス…。

プリンスのことは、もうこれ以上好きになることなんてできないくらい、大好きなのに。こうして近くにいると、まださらに好きになってしまいそうだ。

それがまるで足元の見えない階段を登っていくみたいで、不思議と、漠然とした不安や恐怖を感じる。

……アイドルを好きになるのが怖いなんて、初めてだ……。






「そういえば、前から気になってたんだけど」

いつもの帰り道、学校から駅へ向かって歩いている途中、プリンスが何か思い出したように声をあげた。

「皐月くんは握手会とか、来たことないの?ほら、シングルのリリースイベントとかで何回かやってるけど」
「…あー、えっと、俺…そういうのどうしても苦手で…。握手会って、アイドルと言葉を交わせるのは長くても30秒くらいでしょ?その一瞬が、緊張しやすい俺にとってすっごく重く感じて…、上手く喋れなかったらきっと落ち込むし…。…あと、純粋に、男だから行きづらい…っていうか…」
「周りが女の子ばっかりだから?」
「うーん…それもちょっとあるかも…だけど。一番は、その…男と握手させられる蓮様やプリンスの気持ちを考えると…とんでもなく申し訳なくなるっていうか…。た、ただの考えすぎだとは思うんだけどねっ?」

シングルもアルバムも、テレビ番組も雑誌も追い掛けているけれど、やはり握手会だとか、直接推しと対面する類のものだけは、なんとなく参加を躊躇していた。自分が男であるということを気にしている反面、単に推しを間近にするという心の準備や勇気が足りないのは確かだ。

「うーん、確かに、同性のファンは珍しいよね。彼女さんの付き添いでイベントに来る人もたまにいるけど、本当にFLAREを好きで来てくれる人ってあんまりいないかも。でもファンの子なら、性別なんて気にしないし…それに、俺は…皐月くんと握手会で握手できたら、嬉しい…かな」

少し恥ずかしそうにそう言われ、俺は体が一気に熱くなるのを感じた。

…ほんとに…俺を喜ばせるのが、上手いなぁプリンス…。そんなこと言われたら、次の握手会は絶対に行くしかないじゃないか。意地でも握手会の抽選当てないと…。

「…き、緊張しないように、ちゃんとイメトレしていく…ね」
「ふふ、皐月くんなら大丈夫だよ。もうこうしてすぐ隣を歩いてくれるようなったんだもん」

気づけば、隣のプリンスまで距離およそ20センチ。

「一番はじめは3メートルくらい離れて歩かれてたのに、ね?」
「っ、……な、慣れて、きたのかな…」

確かに言われてみれば、最初はアイドルであるプリンスの眩しさに、近寄ることすら困難だったのに、いつの間にか隣を歩くことに違和感や緊張を覚えなくなっていた。まだ顔を見たりすると目を逸らしてしまうし、手とか触られると、どうしても平常心ではいられないけれど、はじめに比べればマシになったと思う。

人気アイドルの隣を歩くことに慣れるだなんて……そんなこと、あっていいのだろうか…。

「あっ、そういえば、明日スイーツの発売日だよね?次はFLAREが表紙飾るって情報出てたけど…」

俺はふと思い出してそんなことを話題に出した。

アイドル特集が話題で、アイドルファンに人気のスイーツという芸能雑誌があるのだ。先月はFLAREの先輩、Irisが表紙を飾っていたが、今月はFLAREの番だと噂で聞いた。

すると、プリンスは楽しそうに笑った。その笑顔に一瞬心臓が跳ねて、すぐに目を逸らしてしまった。

「情報早いね、まだ発売もされてないのに。そっか明日か…。だいぶ力入ってるよ?今回の表紙」
「えっ、ほんとに?早く明日にならないかな!」
「いろんな人が手に取ってくれたらいいな」
「と、取るよ!だってあのFLAREが表紙なんだもん!……あっ、でも俺、明日放課後買いに行って、売り切れてたらすっごいショック…」

俺がそう言うと、プリンスはまたにこりと笑った。攻撃力高めなそのキラースマイルに、俺はまたもや目を逸らしてしまう。

…こんなに近くにいるのに、まともにプリンスを見ることもできない……テレビや雑誌なら、永遠に見ていられるのに…。














……力入ってるって言ってただけある……!!


まずお店で雑誌を手に取って、そう思った。表紙に写るFLAREの二人はいつもと違って、雰囲気がなんだか真逆だった。今まで俺様キャラが定着していた蓮様は、珍しく優しげな表情でこちらを見て微笑んでいる。その隣のプリンスは、いつもとは打って変わってなんだか、棘があって、何か強引に引き寄せられるような魅力がある。

「今月のスイーツすごくない?蓮様優しいのとか萌える〜」
「ほんと、プリンスとかすっごいギラついてないっ?なんか、男見せられた感?」

同じくFLAREファンであろう女子中学生が、俺と同様雑誌を抱えてレジに並んでいた。その会話がちょうど耳に入ってきて、俺も思わずうなづいてしまいたくなる。 



そして今ベッドの上、俺はその雑誌をようやく開こうと手をかける。表紙のプリンスと目が合っただけで心臓が跳ねる俺は、表紙をめくろうとする手を一瞬止める。

……か、かっこよすぎて…ページをめくる勇気が出ない…。

昨日の帰り道、自信ありげに雑誌の話をしていたプリンスを思い出した。すると、自然と表紙をめくろうとする手にも力がこもる。

……これ読んだら、明日感想言おう…きっとプリンスなら喜んで聞いてくれるんだろうなぁ…。

俺は意を決して表紙をめくる。









「お兄ちゃん、大丈夫?」


食卓で俺に、さっちゃんが訝しげな目を向けた。

「さっきからぼーっとしててご飯全然すすんでないよ」
「……あ…うん、大丈夫…」
「どしたの、なんか嫌なことでもあった?…ただでさえ最近のお兄ちゃん変なのに」

母が仕事で帰りが遅くなる日は、こうして妹の桜子が夕飯を用意してくれるのだが、俺の箸はほとんど止まったままだった。

「へ、変…?そうかなぁ…」
「なんか、最近騒がなくなったよね。前はテレビつける度にプリンスプリンスってうるさかったのに。昨日なんか、すっごい静かに録画した番組観てたからびっくりした」

そう言われて、俺は確かになと納得してしまった。どういう訳かプリンスと友達になって、これまでよりずっと、プリンス…いや、松任谷 結太郎という存在を身近に感じるようになったのは間違いない。俺の中で日に日に、アイドルのプリンスというよりも、友達の松任谷 結太郎の存在が大きくなってきている気がする。

…………それって一体、どういうことなんだろう……。

俺の、FLAREのプリンスへの愛情や憧れが薄れた…なんてことは、絶対に無いはず。だっていつ見てもアイドルのプリンスはキラキラ輝いていてカッコイイし、何よりも応援したいと思う。それは変わらないはずなのに、どこか俺の知らないところで何かが変化しつつある…気がする。しかし肝心のそれがなんなのか、俺にはさっぱり分からない。

「………自分のこと、なのにな…」
「え?何か言った?」
「えっ、あ、なんでもない!…ごめんさっちゃん、今日は食欲ないみたい…ごちそうさまっ」

考えれば考えるだけ混乱していくような気がして、俺は半ば逃げるように一人になろうと自室に駆け込んだ。

扉を閉めて溜息をつくと、夕飯に呼ばれる前まで開いていた机の上の雑誌が、目につく。自然と表紙のプリンスへ視線が引っ張られるほど、ただの写真なのに、ものすごい引力だ。

…表紙のプリンス、あのときに少し似てる……。

一瞬でそう頭を過ぎったのは、あの日の屋上でのプリンスの表情だった。あの眼と視線が絡まった時は、捕らえられた小動物のような気分になって動けなかった。この表紙のプリンスみたいに、鋭くて、ギラついてて、たった一瞬だったのに、視線がすごく熱く感じて…。

そんなことを思い出したと同時に、指先を生暖かいものが伝う感覚まで素早く想起されて、一気にぞくりと身体が熱くなるのを感じた。

「……っ…」

あのとき確かに、プリンスの舌が俺の指を舐めて、唇が優しく俺の肌に触れて、それで、あの鋭くて熱い視線が、俺を貫いた。

「………ま…また…」

思い出すだけで、下腹部がジンと熱くなっていく。これ以上見ていたらまずいと感じて、慌てて雑誌を裏返した。俺はそのままその場にしゃがみこんで、バクバクとうるさい胸をぎゅっと押さえる。

………なんで…?…なんで俺……プリンスのこと考えて、興奮してるの……?

こんなこと、あってはならないことだ。俺はアイドルであるプリンスのファンであっても、決してガチ恋とかじゃない。それ以前に、いくらかっこいいとはいえプリンスは男だ。こんなの間違ってる。

………このままじゃ…プリンスを汚しちゃうよ……。いま欲のままに致してしまったら……絶対俺…プリンスのことオカズにして…。

「……だ、ダメだって……っ絶対……」

アイドルファンである俺の意地は、なんとか踏み留まろうと、自分自身に暗示し続ける。

……こんなの違う…何かの間違い…。俺はプリンスのことそんな目で見てない…。プリンスは人気アイドル…俺はそれを応援するファンの一人…で、友達。



………プリンスに対してそれ以上の感情なんて……あっちゃいけない。








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