軌跡を奪われし村人は、復讐に身をゆだねない

否石

第二十話    【復讐の兆し】

(なんだ!? これは!!)

 筋骨隆々の大男――――ゴリアスは内心怒りを堪えられないでいた。それもこれも原因は目の前にいる青年にある。

 青年の手足から繰り出される蹴りや拳。それらは的確に致命的にゴリアスの肉をはじいていく。力はそれほどでもない。むしろ弱いとさえいえる。だが、その早さは尋常ではなかった。速さではなく早さが。

 そのすかした顔を打ち抜くべく振りかぶった右手は頬を殴られることにより停止する。足を使おうとすれば動かす前に踏み抜かれる。

 未来が見えているかと錯覚するほどにその動きはゴリアスの挙動の先を行く。まるで歴戦の戦士を相手にでもしている気分だ。
 けれどそれはあり得ない。その青年の相貌は考えるまでもなくゴリアスの一回りは若かった。
 その事実がより一層ゴリアスの逆鱗を逆なでする。

(なぜこの俺様がッ!! こんなクソガキにッ!!!!)

 憤怒を燃やし、恨みを抱く。それでも戦況は覆らなかった。気づけばゴリアスの顔は周囲を伺うことさえ叶わないほどに腫れあがる。その眼には憎きガキの顔しか映らない。そうして意識が途切れる刹那、ゴリアスは自身が燃え尽きるほどの殺意を抱き、

――――必ず、必ず殺してやる。惨たらしく残酷に。何が、あろうが

 そう、心に誓った。


***   


「スウイさん、あなたの心はなんなんですか!!?」

 ダンジョンを封じる塔――――ケネスを目前にしてモモカは前置きもなく切り出した。ケネスの周辺は冒険者、一般人、多数入り乱れているが、スウイ達が現在恐れるべき衛兵がいる様子はない。そのためこの場で問いただすのが妥当と考えたのだろう。

「まあ、何があったか話すとはいったが……なんで俺の心なんて知ってんだよ。まだ言ってねえよな?」

「そんなこと今はどうでもいいです!!」

 あんな危険なスキルをまた使ったのか、と非難しようとしたスウイはモモカの怒声に出鼻をくじかれた。その剣幕は想像以上の熱を伴っている。

「なんでスウイさんからたくさんの『声』が聞こえるんです!? それはいったい何なんですか!!」

「……」

 モモカの指す事、スウイはそれをすでに知っている。あの『声』のことだ。スウイの感情を染め上げ、巨漢を殺害させようとした不可思議な感情の嵐。

「……知らねえ。俺も確かな答えは持ってねえよ」

「……それ、大丈夫なんですか?」

 瞳を震わせ心配げな眼差しを送るモモカ。どうにかしたい、けどどうしようもない。そんな思考が透けて見える気がした。

「さあな。大丈夫な気もするしヤバい気もする。けど、どのみち何かの対策を講じることはできねえよ。魂だぞ」

 異常が見られるのは身体ではなくその中身、魂だ。普通の医者では診ることさえできないし、たとえできても処置など存在しない。医者だろうと何だろうと魂に関する治療が可能な存在など一切聞いたこともなかった。精々が呪いを解くヒーラーがいるぐらいだ。

「じゃあ、それを放っておくんですかっ? 何が起きるかわからないんですよ」

「そうするしかねえんだからしょうがねえだろ。それによ……」

――――敵ではない

 そう、魂が芯から訴えるのだ。まるで、スウイは心の奥深くではあの『声』が何なのか知っているかのように。
 確信があるのだ。あれがスウイを陥れることはないという確信が。全てはスウイのために存在するという確信が。

 だが、

「……それを言うわけにはいかねえな」

 確信はあれど確証はない。うまく説明できる気もしない。ゆえにこの場は沈黙するのが是だ。

 スウイはモモカの頭をペチンと叩いた。

「あいたっ」

「もういいよ、その話は。それよりも今はダンジョンだ。宿代稼ぐぞ」

「え、でも」

「ほら行くぞ」

 モモカはだいぶ躊躇いながら、「……はい」と承諾した。


***   


 ゴリアスが気絶してから数十時間。ゴリアスはようやくその目を開けた。その眼前に広がるのは木目のある天井。つまりはゴリアス達が借りている宿屋であった。

 それを自覚した瞬間、ゴリアスはがばりと起き上がる。息は荒く漏れ出ていた。
 脳裏に映るのはゴリアス敗北の瞬間だ。いけ好かないクソガキに圧倒された無様な最期。

「アアーーーッ!! クソが!!!」

 窓もない室内だ。今の時刻がいつかなどゴリアスには分からない。もしかすれば真夜中かもしれなかった。
 けれどそれでもゴリアスは叫ばずにはいられなかった。怒りを一時的にでも発散せずにはいられなかった。
 それほどまでにあの屈辱はゴリアスの芯を揺さぶったのだ。

「起きましたか!? ゴリアスさん!!」

 するとドアの向こう側がガタガタと騒がしくなり、次の瞬間には三人の人間がなだれ込んできた。
 どれもこれもゴリアスをリーダーとしたパーティーの面々である。彼らの声には安堵や焦燥が宿っていた。

「……お前らぁ」

「もうあれから一日が過ぎました。手持ちの回復薬を使ったからもう回復しているはずです」

 子分の言葉通りゴリアスの顔にはもう傷も腫れもなくなっていた。手足にしびれもなく肉体はほぼほぼ全快しているようだ。
 ゆえにゴリアスの次にとる行動は確定した。

「――――――――」

 憤怒に身を委ねた先の咆哮とは違う、圧倒的無表情。なすべきことは定まり、なせる肉体は揃っている。
 スウイの殺害。ためらう理由がなかった。

「何を……?」

 子分の幾人かが疑問の声を上げる。ベットにまとわりついていた子分たちがはゴリアスの意図を察しかねるように小首をかしげながらも道を開けた。

「あの、どこにいくんで?」

 子分の一人が躊躇いがちに問いかける。ゴリアスは端的に答えた。

「奴を殺しに行く」

「「「ッ……!!」」」

 変化は劇的だった。部屋には子分たちの戦慄する気配が埋め尽くす。そして、子分の一人が叫んだ。

「それは、それはできねえですよ!! 今、俺達は殺害を禁止されているでしょう!?」

 殺害を禁止という傍から聞けば意味不明な言葉だが、ゴリアスにはすぐさま理解が及んだ。
 ゴリアスの視線は意図せず戸棚の上の布袋に向けられる。薄い生地の向こう側からほのかに赤く灯る水晶玉が透けて見えていた。

「……」

 灯る赤色にゴリアスは意識を奪われたように、足を止めた。
 心の底に沈んだ恐怖。それが首をもたげた瞬間だった。けれど、

「……それが今更何だってんだぁ。かれこれ五年もあれから連絡は来ねぇ。もうこっちに興味はねぇんだろぉ。問題ねぇ」

「それでも! あの人を敵に回してはいけねえでしょう!? それにこっちに興味を持っていないなんてことあるはずねえ。あれを預けられているじゃねえですか」

 あれとはパーティーに所属するサポーターの少女だ。ただ、その少女を悪辣に扱えという命令だけを与えられて預かった少女である。それが今回の実験の一環なのだとか。

「それがどうした。確かに確かにあの女はこっちに未だ関心をもっているのかもしれねぇが、たかが一人殺すだけだ。つい五年前まで日常だっただろが」

「……ッ! 俺はあれに逆らいたくねえ!! 命令一つ、違えたくねえよ!! ゴリアスさんだってあの水晶玉が何でできてるか覚えているでしょうがッ!! 忘れるはずがねえ!! だってあれは、俺達が調達したんだから!!!」

 子分の震えが混じった叫びを受け、ゴリアスの指先がピクリとひくつく。
 子分が怯えるあの女。奴から受けた最初の命令は結婚間近の男女を二人捕らえることだった。その理由を当時のゴリアス達には分からなかったが、説明された今なら分かる。

 ――――――――あの水晶玉をつくるためだ。

 当時、あの女は嬉々として語っていた。

 遠距離での通話を可能にする魔道具の作成には苦労しました、と。どうしても対となる魔道具が作れない、と。

「どうしても双方向の通話ができねえから! ただそれだけの理由であの人は、生きたまま、人間を……!!」

――――――――愛し合う人間は魂レベルで引かれ合う。ゆえにこ・れ・ら・を使えば遠距離でも会話をできるのは道理でございます。人型では移動に難がありますので加工しました。

 加工、そう告げられた瞬間の怖気をゴリアスはまだ鮮明に記憶している。人の加工という殺害よりもおぞましい行為。思わず手に取っていた水晶玉を取り落とすほどだ。

 しかし身の毛もよだつ告白はそれだけでは終わらなかった。続く説明はゴリアスの心をさらに震え上げさせるのである。

――――――――ああ駄目ですよ、落としたりしては。だって、まだその方は生きてらっしゃるのですから。手荒く扱ってはいけません。

「感情も感覚も、痛みだってこんな形になってまだ存在するって言ったんですよ!? お、俺は嫌だ! そんな存在に逆らうなんて……!!」

 子分の言い分はもっともだ。あの女に逆らうなど狂気の沙汰。それを分かっていながら命令を破るゴリアスの方こそ間違っているのだろう。
 だが。

「……じゃあ、お前はよぉ、俺様にあの屈辱を我慢しろっていうのかよぉ?」

 深く脳裏にこびりつくあのガキの顔。無様に翻弄されるだけの自分。それはとても、とても許せるものではなかった。

「っ! それは……」

「何十人と見られてる前で二十もそこらのガキに手も足も出ずボコられたんだぞぉ。おい、おめぇ。それを許せってのかぁ?」

 子分は返す言葉を失って口をつぐんだ。他の奴らも殺しだけはやめてほしそうに顔を歪めているが、ゴリアスは構わなかった。今は何を置いても誰に逆らっても奴を殺したくて仕方が――――、

「「「「ッ!!!」」」」

 しかしゴリアスは子分ともども突如生じた感覚に思考を断ち切られた。それは日常では決して感じるはずのない肌が泡立つような感覚。
 膨大な魔力がを肌を撫でつけるがゆえに生まれる現象である。
 まず思いつくのは魔法の失敗による魔力拡散だったが、こんな家の中で魔法が使われたなど考えられるはずもなく、原因は一つしかなかった。

 薄い布越しに淡く灯っていた魔道具である水晶玉が、何かを知らせるよう眩く光っている。それはあの女からの連絡を示す着信の合図だ。
 ゴリアス達の動揺を置き去りに水晶玉からどこかと接続するような濁音が漏れ、あの女の声が響いた。

『お久しぶりですね、ゴリアス様。聞こえていますか?』

「……はい」

 あの女と会話する時ばかりはゴリアスも戦々恐々とするほかない。何があの女の逆鱗に触れるか分からず、たとえ触れなくともあの女への恐れがゴリアスに下手な態度をとらせないのだ。

『単刀直入に言いますが今回は五年ぶりの依頼となります。内容は人探しです』

「……人? それは殺しですか」

『生死はどちらでもいいのです。けれど、一つ条件があります。五体満足で連れてくること。これだけは順守してください』

 その注文にゴリアスは眉をひそめた。ゴリアスの記憶の中で、この女が実験に及ぶ人間の状態を重要視したことなど一度もない。手足がちぎれようと、死んでいようと、どれも等しく弄ぶ狂気の研究者だ。
 幾年もこの女の手足として働いてきたが、こんな注文は初めての事である。

『ああ、容姿を言い忘れていました。その人は男性で髪の色は炎を思わせるような赤、年は二十程です。顔つきは……とてもかっこいいです』

 何故だか容姿を語りだすとあの女はうっとりとしたような声音に変じたが、ゴリアスはそれどころではなかった。

「赤い髪、二十代、男? ……その男の他の特徴はないんですかぁ」

『そうですね、腰に付けた刀など参考になるのではないでしょうか。抜刀していなければ黄色い線の入った漆黒の鞘に入れられているはずですが』

 語られたその容姿、なんとも覚えのある特徴だ。気絶する直前に死ぬほど睨みつけ脳裏に焼き付いた姿とまるで同じで、ゴリアスは内心で笑みを噛みしめた。

『ほかに聞きたいことはございますか? ……ないようですね。それでは頼みましたよ、皆さま。もし捕らえられればかつてと同じ場所に。私わたくしの求めた方だと確認次第ギルドを介して報酬を振り込みますのでよろしくお願いします』

 そう言って濁音とともに通信は途切れた。その瞬間、爆発するようにゴリアスの笑い声が噴出する。

「ク、クハハハハハハッ!!! んだそりゃあ滑稽な話もあったもんだぜぇ!!」

 告げられた特徴のどれもこれもが恨みある奴と一致している。ここまで重なればもう間違いがないだろう。あの女が求めた男は酒場でゴリアスをのしてくれた相手と同じだ。

「殺しちゃダメね。おお、そうだなぁ。殺さずにおいてやるよぉ」

 命を絶たず五体満足であの女のもとに届けよう。それこそが最も大きな復讐になるだろうから。


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