軌跡を奪われし村人は、復讐に身をゆだねない

否石

第十二話   【スキルに溺れる】

「え? ……え?」


 私は目を疑った。目の前の光景があまりにも信じられなかったから。
 目前に広がるのは、空間を塗りつぶす圧倒的暗闇。目を凝らしても、瞬きしても、その光景は変わらない。それならば、と後ろを振り返ってみても、やはりそこには闇が広がるだけだった。
 こんな場所、私は知らない。


「なにここ!? どこ!?」


 あまりの無理解に私は心の内を、大声に変えて吐き出した。公共の福祉など知らんと言わんばかりの奇声だが、そんなことが気にならないほど私は混乱している。
 だって記憶がない。私がこんな暗闇の中、一人ポツンと立ち尽くしている理由が、私の頭の中にない。


 一体何が起きたの!?


 訳が分からず、私は愕然と顔を歪める。


「……落ち着こう。こういう時は落ち着かないとダメだよ」


 未だ混乱冷めやらぬ中、私は深く呼吸する。何も考えず、不安も混乱も押しのけ、呼吸することだけを考えて。


 しばらく続けていれば、心も平静を取り戻し始めた。そう、むやみに嘆きをまき散らしている場合じゃない。現状の把握をしないといけないだろう。
 私は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「何でこうなったか、それが分かんないと、どうしようもない」


 記憶をまさぐるよう額に手を当て、私は考える。直近のことはなぜか頭の中にない。睡眠薬でも飲まされて気絶させられたのだろうか。まあ、ひとまず思い出せることから。


「ここがどこかは、まあ分かんないね。なら昨日の事は? ……だめ、思い出せない」


 だめだ。足りない記憶が多すぎる。昨日の事さえ思い出せないなんて。いったいどれほど、私は眠らされていたのだろう。


「直近の記憶がないなら、絶対に思い出せることを思い出そう」


 言葉を口に含ませ、額に手を当て、考える。


 絶対、絶対に私が忘れていない事……。


「となると……年齢?」


 絶対に思い出せること。そう思考を巡らせて、真っ先に思い浮かんだのは私自身の事だった。確かに十何年と付き合ってきた『私』のことは、ほかの何よりも身近な事。忘れるわけない事だ。


「だったらいける、よね?」


 思い出そうとしたことの全てに不可をたたきつけられ、うっすらフラストレーションをためていたのだ。ようやく何かを思い出せると、口元に淡い笑みを浮かべ、すぐさま意識と記憶を結び付けるよう試みる。


 えっと私の年齢は……、


「…………? あれ?」


 思考に空白が生じる。真っ白な世界がただ私の脳裏に広がるのみで、いくらそこに手を伸ばそうとも、その指先には砂粒ほどの記憶も引っかからない。


 これはいったいどういうこと。焦燥が私を包み込む。


 睡眠薬で眠らされていたから、記憶がないんじゃないのか。昨日のことも、私の年齢も、思い出せないなんてそれじゃあ、まるで……。
 じっとりとした汗が私の頬を伝う。それと同時に胸に浮かぶ嫌な予感。


「私の名前……わかんない。友達……覚えがない。私の家の場所……県の名前も分かんない」


 思い浮かぶことをすべて挙げてみた。だがそれのどれもに、全く覚えがない。呼吸が浅く、早くなる。なんだか胸を締め付けられるような感じがして私は胸元を抑えた。
 そうして何かにすがりつこうとした私だけど、結局はどうにもならなかった。もう結論は出てしまっている。


「あは、はは。もしかして私、記憶喪失?」


 感情のこもらない乾いた笑い声が私の口から漏れ、腕もだらりと脱力させ、うつむいた。こんなものどうすればいいのだ。闇の中、記憶もない状態で私は我が身一つでここにいる。
 移動すればいいのか、留まればいいのか、どちらが最善かなど記憶がない私にわかるはずもない。移動することを選べば、疲れ果てて野垂れ死ぬ気もするし、かといってここで待ち続けていても、助けが来る気もしない。
 何を選ぼうと、最悪の未来が待っている気しかしないのだ。


「……ど、どうしよう」


 意図せず声は震え、涙だって今にも溢れそうになる。


「もう、やだ。誰か助けてよ……」


 絶望をこらえきれず弱音が口から飛び出した。けど、私だってわかってる。こんなところに誰かが来てくれるはずがない。
 そんなこと、あってくれるはずが、


――――大丈夫?


「え?」

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