軌跡を奪われし村人は、復讐に身をゆだねない

否石

第五話    【出会い】

 地平線から太陽がゆらりと姿を見せる。うっすらと立ち込めた霧を透かすように朝日があたりを照らし出す。主のいない蜘蛛の巣に凝結された朝露をまとっている。
 そんな中で夜も警戒を怠らないよう木に身体を預けて腰を下ろして眠っていたスウイは瞼越しに輝く光に誘われるよう目を開ける。


 そして飛び込む日の光。


「……眩しい」


 急な朝日を嫌がるよう暗闇に浸かりきった瞳が瞼を閉じさせた。
 嫌とかそんな感情を抱く以前に反射の領域で。
 だがだからといっていつまでも目を閉じているわけにもいかない。


 おもむろに瞼を持ち上げる。気分の問題なのか普段よりひどく重く感じられた。


「……やっぱ眩しい」


 頑張って目を開けるもどうやらまだ駄目のようだ。拒絶するようひとりでに視界が狭まる。


 なのでスウイは朝日に瞳が慣れるまで幹に身を預けたまま周囲の音に耳を傾けた。
 どうせ目が開けられないのなら行動することはできないのだから。


 耳をなでるのは木の葉がこすれあう音、風の吹く音、わずかな衣擦れ。衣擦れはスウイの服のものであるためそれを除けば自然の音しかしない。
 どれ程耳を研ぎ澄まそうと他の生き物の生活音は何もなかった。


 やはりこの森はおかしい。


 スウイは胸中で独り言ちる。
 木々が立ち並び草生い茂る広大な森に鳥どころか小さな虫一匹見当たらない。
 それに加えてこの森の生き物がいなくなったのがごく最近だというのが気にかかる。
 スウイは狭まった視界から樹上の蜘蛛の巣を眺めた。落ち葉一つつかないほどに手入れされた蜘蛛の巣はごく最近まで主がいたことを証明している。


 いったいこの森で何が起きたのだろうか。


「いや、気にすべきは生き物がいなくなった理由じゃない。そんなんはこの森の住人が考えることだ。俺が気にすべきはこっから先食べ物をどうするかだ」


 食料たる獣がいないのではスウイはこのままいくと餓死まっしぐらである。早急に森を抜ける、もしくは―――覚悟を決めるか。


「食料ならあるんだよ、得体のしれないグロいのが。あーどうしよ、あれマジで食うのかよ」


 どす黒い紫の果実がスウイの視界の端々に映りこむ。果実らしき姿だが全く目に優しくない。胃に送った途端もだえ苦しみそうだ。


「まあ、そのことはほんとのほんとに死にかけたら考えよう。とりあえず今は先に進むか」


 いつの間にやら瞼が軽くなっていた。つまりは出発の時。スウイは再び進路を西に取り歩き出す。




***   ***   ***   ***   ***




 歩き出してからおよそ数時間が経ったか。
 スウイは黙して歩く中ひっそりとそんな感慨を胸に抱く。相変わらず他の生き物の姿は見えない。
 ただ生物の生活の面影は道中の至るところに散見され、それがスウイの確信をさらに深めてもいる。下半身が食いちぎられた鹿の死骸があった。つまり上半身は食べ残されたということ。


 人間でもあるまいに野生の生物がいたずらに命をもてあそび、上半身のみ残しておくとは考えにくい。なので何か早急にこの地を離れなければならない理由があったのだろうと。


 スウイはこの森の不気味に想いを馳せ、


「そんなことより水が欲しい」


 と願望が飛び出した。


 自分でも支離滅裂になっていると思う。しかしそれも仕方ないとスウイは考えた。
 昨日から何も食べず何も飲まず、さらにアキトに酷使された身体は疲労困憊。他事でも考えてそれらから気をそらさなければ蹲って一歩も動けなくなる気がするのだから。それほどに空腹で喉が渇いて疲れているのだ。


「とか考えてたらもう無理だ。なんか目眩もしてきたし」


 現実を直視したら急に足から力が抜け膝から崩れ落ちる。心なし目眩も伴って。
 スウイは息を荒げ思わず伏せた顔を上げる。
 そこに映るのは緑豊かな草と―――どんよりとした果実。


 実を言えば空腹、喉の渇きをいやす方法はすでに提示されているのだ。スウイの嗜好で度外視していたが紫果実という選択肢が。だが今に至ってもスウイはその果実を口に入れることをためらってしまう。だって見た目毒としか思えない。


「でも、マジで限界だ。腹空きすぎて胃が痛い。水が足りねえから口がねばつく」


 これはまずい。いずれ水が見つかるなんて楽観視が過ぎた。何時間歩いても代わり映えしない森。


 変化が一つもない。紫果実もなくならない。どこでも実ってる。


「はあ、水……」


 スウイは覚悟を決めた。もうあの毒々した果実を食べてやる、と。だがその前に最後の悪あがきだ。『ステータス』で強化された耳を限界まで研ぎ澄ませて水の音を探ってやる。これでなかったら―――諦めよう。


「――――――ッ」


 聞こえた。微かに上空から水が水面に向かって流れ落ちている音。どうやら無駄に終わると思った抵抗が功を奏したようである。
 場所は、向かって二時の方向、道でさえない藪の向こうだ。


 スウイは躊躇せず藪に足を踏み入れる。最初はゆっくり、しかし徐々に歩が早くなり、終いには全速力。力尽きたと思われる四肢はこれまでにないほど力強く躍動する。
 己を顧みないその走破は細い枝ならよけずにへし折っていく。水があるならあんなグロ果実食わなくてもいいな。固めた覚悟は無に帰したがそれより水があってくれた喜びの方が勝った。


 走ること数分、息を切らせたスウイの視界が晴れ、そこにあったのは


 小規模の滝と注がれた水を受け止める湖そして全裸の少女だった。


 スウイは滝の中の少女に目を奪われた。内にまかれた肩ほどの黒髪に水が滴り妙に艶めかしく、髪と同じく漆黒の瞳は神秘的で近寄りがたく感じさせる。身長は湖に半分以上入っているためわからない。まだ起伏があまり激しくない裸体から年は十五ほどだろう。


 水を求めるスウイの視界に入り込む全裸の少女。まったく予期せぬ事態にスウイの思考は停まり少女に魅入るのみ。あちらもこちら同様驚きに固まって目を見開いている。だが次第にその顔はリンゴのように赤く染まっていった。白く透き通っていた頬に朱が混じるのを見てスウイは我に返り、慌てて弁明する。


「待て!これは事故でつまりは……そう!神のいたずらだ!!神のやることならしょうがなくないか、しょうがないよな!!」


「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」


「す、すまん!!!」


 スウイのとち狂った言い訳に返ってきたのは少女の悲鳴。すぐさま背後の木に身を隠しバクバクと鳴り響く心臓を鎮める。
 罪悪感から瞼に焼き付いた少女の裸体を懸命に消し去ろうとするもそれは再び脳裏に裸体を描くことにつながり一向に消えてくれない。ただただ申し訳なさが募る。


「―――――――――――――――――――――――――――――――。」


 うなだれるスウイに背後から声がかけられた。呼びかけのニュアンスを少女の声から察し、木々から姿を見せてスウイは粛々と腰から直角に体を折り曲げ、謝罪する。


「すまなかった!謝って許されることじゃないかもしれないけど謝らせてくれ!!」


「食えHⅯぃうえhwdxmへ塩;rxうぃぇmwxdjⅯ氏;ぇH;ⅭHぇあdmjぉ;亜jdx日宇㎝iwo;ax,iwa,jx;xecjiajciourigod」


 驚きに目を見開く。謝罪への返答はスウイが生きてきた十八年で一度も聞いたことのない言語だった。アキトは勇者として各国を飛び回っていた。しかし、少女の言葉に類似する発音、アクセントは一度も聞いたことがない。


 そして彼女の着る衣服も初見だ。水色の襟?が大きくとられそれ以外は白の服、スカートも縦に無数の折り目がつき膝付近まで丈がある。
 謝罪も忘れスウイは思わず少女に問いかける。


「あんた、その言語はなんだ。俺の使っているナナイシ語は話せるか?」


「fmgyfjghmjh?」


 首をかしげる少女の姿は雄弁に物語っていた。これにはスウイも眉を寄せる。元々謝罪を済ませたらこの周辺の地理を尋ね、あわよくば水や食料も入手しようと考えていた。


 だがスウイの言葉に首をかしげる眼前の少女は明らかにこの地域の住民ではな……くない?


 今スウイは自身の思い違いに気付いた。スウイの使うナナイシ語は世界中で使われる言語だが本当に世界中で用いているわけではない。未だ一部の地域では独自の言語が使用されているのだ。ここがその一部の地域なのかもしれない。


 希望を見出したスウイはいまだ言語の違いに狼狽えている少女に地面に絵を描くことで意思の疎通を図る。描くのは三角と四角を組み合わせた家三個、笑顔の棒人間数体、そして最後に髪と目を塗りつぶすことで黒を表現した棒人間。故郷を簡単に描き終えたスウイは首をかしげる。この動作が疑問を表すのは先のやり取りで把握したからだ。
 首をかしげるスウイを眺める少女は眉を悲痛にゆがめ首を振る。その際、悲しみの入り混じった言葉をつぶやいた。言葉は通じずとも込められた感情は理解した。そして彼女の状況も、つまり彼女はスウイと同じくどこかから飛ばされてきた迷子なのだと。


「……とりあえず水を飲むか。昨日からまともに水を飲んでねえ。」


 少女のことは後にしてとりあえず最初の目標を達成するスウイ。寝起きで口内が乾燥しさらに喉も渇いていたこともありとてもうまく感じられ、夢中でのどを潤す。


「ぷっはーーーーー! うめえ!! こんなにうまい水を飲んだのは初めてだ!!」


 思わず歓声を上げるスウイ。


 すると目の端に先と同じく頬を染め、プルプルと震えている少女がいる。なぜか恥ずかしげにうつむいた少女にスウイは怪訝な眼差しを送る。突き刺さる視線に気づいたのか少女は顔を上げ、おもむろに絵を描き始めた。さらに頬に朱が染まる。
 描かれたのは上の線が欠けた箱の中に人間が浮き、首のあたりで波打つ線がある何か。絵の意味が理解できず眉を寄せるスウイを見た少女はすっと絵の人間を指さし次いで自分を指さした。


「―――――――――!?」


 そこでようやく分かった。描かれたのはお風呂に入る人間、それを自分と示したということは風呂は川、人間は女。要するに
 彼女は、私の浸かったお風呂の残り湯をのまれるのは、は、恥ずかしいです……!!
と言ってきたのだ。


 その発想はなかった。先刻の覗きと違いこれは謝罪すべきかわからない。スウイは川の水を飲みたかっただけで彼女の汗を飲もうなどとそんな変態チックなことは一切考えていなかった。少女は対応に苦慮するスウイを黙って見つめ数秒、じわりと、目元に涙がにじむ。


「ごめんなさい。全部僕が悪かったです。」


 謝るべきか、なかったことにするべきか判断を迷っていたスウイは彼女の涙に思考の一切を打ち切り、謝罪する。女の涙はいつの世も男にとって致命的だ。


 意味は伝わらずとも意志は伝わり少女は儚げに微笑んだ。若干納得がいかないスウイだが掘り下げてまた泣かれてはたまらないと、話を進める。自分を指さし一言


「スウイ」


「わるい?」


「スウイ!」


「きもい?」


「ス・ウ・イ!!」


「え・ろ・い?」


 わざとやってねえだろうな、と胸中で悪態をつくほどのひどい間違え方だ。意味が通らないならまだいいが意味が通る。しかもすべて悪口で。幾度も失敗しその申し訳なさからか彼女はまたも涙をこぼし、さらに嗚咽まで漏らし始めた。


「あぁ、悪かった。俺が悪かったよ。だから泣くな。なっ?」


 スウイは慰めるように彼女の頭を優しくなでた。言葉の通じない不安、先行きの見えない不安、死への恐怖、あまたの感情が彼女の中で荒れ狂うのを敏感に感じているスウイは彼女の情緒不安定さにいら立たない。
 何故ならスウイもおよそ七年あらゆる負の感情に押しつぶされた日々を送ってきたのだ。スウイには彼女の不安がわかってしまう。
 いつまでこのままなんだ。どうしようもないのか。もう戻れないのかな……。
 分かるが故にスウイは彼女を怒らない。


「スウイ」


「すうい?」


「ああ、間違ってねえよ。」


 スウイはたどたどしい発音でスウイと呼ぶ彼女に優しく微笑んだ。
 頬を赤らめ惚ける少女。


「じゃあ、次はお前の番だ。お前の名前はなんつうんだ?」


 少女を指さし質問する。差された少女は惚けた顎を引き咳ばらいを一つ、名を告げる。


「モモカ」


 その名前を聞きなぜかスウイにアキトの名前がよぎったのだった。

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