軌跡を奪われし村人は、復讐に身をゆだねない

否石

第四話    【生存の誓いと生存の難しさ】

 
 『そこ』はあらゆる全を内包した世界だった。


 『そこ』は暗黒の世界。『そこ』は光明の世界。『そこ』は地獄の世界。『そこ』は楽園の世界。『そこ』は汚染の世界。『そこ』は浄化の世界。『そこ』は……の世界。『そこ』は……の世界。『そこ』は………。『そこ』は………………。


 記憶は意味をなさず、意志は無価値に拡散し、身体は異形に変貌する。
 鳥に蝶に牛に魚に猿に鰐に犬に虎に猫に麒麟に熊に猪に大熊猫に狐に羊に狸に機械に精霊に神霊に木に雲に服に灰に絵に本に星に風に椅子に釘に駒に、変化し変質し変貌していく。


 もはやその姿はあるべき形を見失い、内の精神さえおよそ人のものとは言えなかった。耳は獣へ胴は龍神へ足は機械へ腕は風へ顔は雲へ少しずつ人間であった身体が置換されてゆく。 改変された精神は新たなる自己の存在を喝采をもって歓迎する。


 だが不意に地から響くようなしゃがれた声に耳を揺さぶられた。


 「怠い…怠い…怠い…怠い…怠い…。」


 雲と化した脳では意味を把握できずないが龍神と化した胴が不満の感情を感じ取る。


 「こいつで十四……いや一人、二人、三人……八人出たな。仕事が増える。あぁ、怠い」


 ぶつぶつとつぶやく何者かは姿を見せない。ただしゃがれた声だけが響いていた。傍で聞くスウイはただぼんやりと流れていくのみ。だが、


「どこに行く、仕事が増える。あぁ、怠い」


 谷を抜け行く風のごとき低音とともにスウイの体が白い霞にとらえられ、流れに逆らい来た道を引き返し始める。思考する脳を失ったスウイは白い霞に抵抗しない。


 引き返すこと数分、生き物や無機物、何もかもで固定化されたスウイの体が再び移ろっていく。戻れば戻るほどかつての形を取り戻し、半分ほど蘇った顔でなんとなしに遠くを眺めているとふっと白い光の玉がよぎった。その瞬間白い霞は光球に手を伸ばし、


「また一人?いや一つ、怠いなぁ……。」


 光球から何かをはぎ取った、途端にまばゆく輝いていた白光はくすんだ灰光に変化する。虚ろな思考の中スウイに嘲笑の念が浮かぶ。なぜそんなことを思ったのか自分で自分が理解できず、しばらくぼんやりと悩んでいると突然白い霞から解放された。何が、急にどうした、此処で放り出されたら、解放された瞬間に心に浮かぶ疑問と不安がスウイの心を圧迫する。


 これまでの虚ろな心とは打って変わった動揺に気づいてすぐ、スウイの意識は暗転した。




***   ***   ***   ***   ***   ***




 ――――長い、とても長い夢を見ていた気がする。


 底に沈んだ意識がゆっくりと浮上してくる。起床直後ゆえの倦怠感が指に力を入らせない。すさまじく億劫な瞼を強引にこじ開け空を仰ぐ。投げ出された手足から地面の存在を感じ、肌をくすぐる雑草が煩わしい。ぼー、と空を眺め、未だ明瞭とは言えない意識の中、乱雑な思考を並べていく。


 木々の間から空が見える。森の中か、そういえば昔森に入った時に初めて魔物を見たんだっけ?あんときは震えることしかできなかったなー。……森!?


 朦朧とした頭が驚愕の事実に覚醒する。スウイは倒れこんだ体を起こし情報を整理する。


 最後に見た光景は人を拒絶する無骨な岩壁。現在目に映るのは荘厳な木々が生い茂り、重なり合う葉の隙間からこぼれる木漏れ日が抱擁する森。
 明らかに異なる情景に戸惑いが隠せない。


「いや待て待て待て!急にこんな場所に現れるなんてありえない!思い出せ、俺に何が起きた!?」


 記憶を辿って行く、魔王を滅ぼし、リア達と再会しアキトの所業を洗いざらいぶちまけるが信じてもらえず、しまいにはアキト復活のため『反魂の祈り』なるものをかけられて、それから……


「もう一度やり直そうとして……拒絶されたんだ。そんでリアが黒い何かに近づくから止めようとして逆に俺が触っちまったんだ。……思い返すと俺、マジで道化だな」


 ダンジョンでのやり取りを思い出し、心臓がどくどくと耳に届くほど鼓動を刻む。裏切られたほうから歩み寄ったのにその返答が罵倒。その時点で大概だが愚かにもスウイは錯乱したリアを助けようとして黒い何かに触ってしまった。
 救出の選択に後悔はないがその末路にスウイは苦虫を噛み潰したような顔をする。
 消え入りたくなるほどの羞恥。


 だが、その奥ではリアとリーシアに対する激しい怒りの熱が揺らめいている。


「リア、リーシアお前らがアキトを選ぶならもう構わない。勝手にすればいい。だが、もしアキト復活のため俺に害を加えようとしてみろ!! 俺はあらゆる手段で抵抗してやる!! もう絶対に死んでたまるか!!!」


 どこかは知らぬ森の中スウイは絶対の生存の誓いを立てた。もう絆も自分も失いたくないから。それが恋人と友人に捨てられたスウイが至った境地だった。




***   ***   ***   ***   ***




 スウイは今森をさまよっている。
 『ステータス』にものを言わせあたりで一番の巨木を駆け上り、周囲を睥睨してみるも、この森広すぎる見える範囲全て木だ、どうなってんだよと不満交じりの疑問をこぼす。


 文句を言っていても始まらないと、とりあえず太陽の傾きから方角を計算し西に向かうこと数時間、目に映るものすべて植物、食料たる動物が見当たらない。


「いや、一応発見はした一応な。」


 ぶつぶつつぶやきスウイは腰の道具袋に入れてあるどす黒い紫の果実に目を向ける。
 濃いあまりにも濃い紫色だ。道すがら水や食べ物を探して唯一みつかった食べ物?がこの紫果実だ。


 正直食べ物には到底思えないむしろ毒だろ。
 しかし今はこのグロ果実さえ収穫する理由が存在する。


 現在、手元にあるは腰に下げるアキトが刀と呼ぶ剣と道具袋。その中には回復魔法薬ライフポーションが試験管に三本と精神回復魔法薬マインドポーションが試験管に五本、携帯食が四つほどだ。
 つまり水がない。
 それに食糧だって携帯食四つでは節約して三日程度だろう。
 だからこのグロ果実も食べなければならない……まあいつかな。


 胸中で独り言ち、より一層水を求めて散策する。


 黙々と歩きつづけ、辺りに夕焼けの赤が目立ち始めたころスウイは野営をすることにした。
 といってもスウイはテントなど持っていないので周りの枝をへし折りそれで簡易的な敷物を寝床とする。


心地いいとは口がさけても言えないだろう葉の座布団に腰を下ろす。無表情で携帯食をかみ砕き、物思いにふける。


 獲物がいない、というか見つけられない。
 駄々洩れな俺の気配を感じて隠れてやがるのか?
 といっても気配隠蔽なんてやったことねえしマジどうしよう…。


 動物や魔物を討伐もしくは捕獲する職業に冒険者がある。
 彼らは獲物に気取られないため常時気配を消すらしい。


 それは自身の身を守るためでもあるし獲物に気付かれず接近するためでもある。
 互いの実力差関係なく魔物は人に襲い掛かるので気配を消せなければ四方八方から命を狙われ、ゴブリンの群れにランク9の手練れが無残に殺された記録もあるのだ。


 ルートがよかったのか気配垂れ流しでも魔物の襲撃はなく、動物の出現もない。
 魔物はともかく食料たる動物はどうするかと途方に暮れながら日も暮れぬうちから就寝のため瞼を閉じた。



コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品