軌跡を奪われし村人は、復讐に身をゆだねない

否石

第八話    【不可解なソラ】

「遠慮? なんで」


 気づけば口が勝手に動いていた。あまりにも予想外なソラの返答。ラストはソラに「スウイに会いたい」といえば歓迎されると思っていた。だが、実際はにべもなく断られる。
 あれほど近くで過ごしてきたのだ。ソラにだってリーシアの憂慮が分からないはずがない。
 なのにどうして。


 ラストの非難するような眼差しに、ソラは困ったように眉を下げる。


「だって、リーシアちゃん、スウイさん見捨てたじゃん」


「――ッ!」


 悪気はなさそうにあっけらかんとしたソラの台詞。それとは対照的に傷ついたように顔を伏せるリーシア。


 たまらずラストはソラの名を呼んだ。


「ソラ!!」


「あ、いや、違う。言いたいことが伝わってないよ。そうじゃなくってソラが言いたいのは、もしもう一度同じことがあったら、リーシアちゃんはまた繰り返すって言いたいの」


「繰り返す?」


 それはあれ? 先の一件でリーシアが率先してスウイの味方をしなかったことを言っているの。


 やり直そうと提案したスウイに賛成も反対もせず、ただ目をそらしたあの一件。


「だったら大丈夫よ。もう私はスウイを見捨てない。あの時は選べなかったけど、もう、選んだから」


 ソラの目をしっかりとらえてリーシアは言い切った。言葉の通りその瞳には強い覚悟が宿って見える。


 けどソラはその瞳を受けても何ら動じた様子を見せず、それどころかひどくつまらなげに、


「……ふーーん、そうなんだ。じゃあ、アキトがスウイさんを殺そうとしたら、リーシアちゃんはアキトを――――殺してくれるんだね?」


 瞬間、場の空気が凍りつく。リーシアもラストもピアルリアも、微動だにしない。


 あの、スウイにとてもなついていたソラが、仮定だろうとアキトの殺害を口にする? ラストは驚愕に身を固めて呆然とソラを見つめるのみ。
 確かにソラがアキトは無視するようにして、スウイの事だけを異常に気にしているのは、これまでのやり取りから把握していた。
 だけど、アキトを殺したいほどの想いが、ソラに在るとは欠片も思っていなかった。


「ねえ、リーシアちゃん。殺さないの? ……殺してくれないの?」


 ギリッ。隣から歯がきしむ音がした。その音の主はリーシア。聞くまでもなく、その顔には怒りが溢れ出していた。


「ふざけないで!! なんでアキトを、殺さなくちゃいけないのよ!!」


 リーシアが咆哮する。アキトという、ついさっきまで彼女が恋人と思っていた、いや想っている?


 ……とにかく、大事な人を殺すよう提案された憤怒をソラにぶつけたのだ。


 だが、正面から睨みつけられたソラの表情は、リーシアへの怯えや申し訳なさといったものではない。 心底落ち込んだような、失望したような、そんな風に眉を下げ、悲しげな瞳でこちらを見ている。


「……ほら、やっぱり。もうリーシアちゃんはスウイさんを選んでくれないんだね」


 か細く漏らされた声。そしてその瞳はここではないどこかを見るよう。


 ……なにこれ。


 リーシアは何一つ間違った選択はしていないのに。アキトを殺すのは違うと思うし、それを提案したソラに怒りを抱くのも何一つ間違っていないはずなのに。


 つぶやきを落とすような悲しい声が、黄昏るような眼差しがラストに思わせるのだ。


 間違っているのは本当にソラなのか、ラスト達の方こそ間違えてしまったのではないかと。


「……どうして? 何か理由がある? アキトを殺せなんて言った理由。リーシアは正しい。アキトを殺すなんて間違ってる。……なのに、どうしてソラはそんな顔をしているの。ソラは何を隠してる?」


「別にいいけど。……もう全部遅いけどね」


 喉を引き絞るようにソラはかすれた声を漏らす。


「ソラはリーシアちゃんにはスウイさんを、愛してほしかったの」


「は!? ソラ急に何言って!?」


 思いもよらないソラの発言に、耳まで真っ赤に染め上げたリーシアが声を荒げる。
 ラストも真面目な話の最中に、いったい何をと眉をピクリと動かす。
 だがソラはふざけているつもりはないらしい。その碧の瞳に冗談の色はなかった。


「でも、もうダメ。リーシアちゃんはスウイさんを愛せない」


「な、なに勝手に決めつけてるのよ! 私は、その、スウイの事……」


「愛してない! 確かにリーシアちゃんはまだスウイさんのことが好きなんだろうね! けど、想いが足りない! 全然足りない!!」


 苛烈にリーシアへ咆哮するソラ。込められた想いは憤怒、それも極大の物だろう。それにラスト達は気圧される。


「前までのリーシアちゃんだったら違ったよ! 命を懸けてスウイさんを愛してた! なのに今はアキトなんて奴に、想いを傾けてる! 七年、スウイさんを苦しめた男だよ!? なんで庇うの、なんでスウイさんを一番に考えてくれないの!!」


「それ、は……」


 リーシアは二の句が継げないようで押し黙る。確かに字面だけ見れば、アキトはスウイを乗っ取り、彼の人生も周りの人の人生も歪ませた敵だ。けど、アキトがスウイだった時、リーシアもラストも彼とは仲間として恋人として絆を紡いでしまっている。
 敵として処理することなど、もはやラスト達にはできないだろう。恋人として接してきたリーシアにはなおさらに。
 だがそれはソラも同じじゃないのか。あんなに懐いていたんだ。ソラにアキトが殺せるなんてラストには思えない。


「ソラにはできるの? ソラと一緒にいたのはアキト、スウイじゃないよ」


「殺せるに決まってんじゃん! というかソラの前に現れたのなら問答無用でぶっ飛ばす! ソラはスウイさんのためにここに来た。スウイさんのためなら何でもするし、何でもできる。アキトには恨みしかないよ」


「――――アキト様を殺す?」


 固い決意と鋭い敵意が空間を波打つ。敵意の先を見れば、ピアルリアがすっと目を細めてソラを見ていた。


「アキト様を殺すなんてそんなこと、わたくしが許すと思いますか?」


「――――ああ」


 普段と比べて段違いに低い声音。傍で聞いてるだけのラストだが、それだけで身震いしてしまいそう。
 けど、ソラは場を締め付けるような敵意を意に介さず、フッと吐息を漏らすのみで、


「ピアちゃんは止めるんだ。……いいね、心底愛してるみたいで」


 ひるむどころか本心から羨むような声を上げていた。


 その言葉に場の全員が、ピアルリアさえも息を呑む。あれほどの威圧を受けて、抱く感情が羨望?
 怯えでも、開き直りでもなく、ソラは相手をたたえるのみで、やっぱりラストにはソラが悪意があるようには思えない。


「何考えてるの?」


「え? ラストちゃん、何が?」


「リーシアがスウイを一途に思っていないと、スウイのとこに連れて行ってくれない理由。リーシアにスウイを愛してほしかった理由。どれもソラが大切に思ってることはわかるけど、どうしてそう考えるかが分からない。何か理由があるなら、手伝えることもあると思う。だから、教えて」


 懇願するように、寄り添うようにラストは言葉を投げかける。さっきと同じくソラの秘密の開示のお願い。
 だけどさっきと違い、今回はソラの秘密が知りたいという知識欲からではなく、ソラの助けになりたいという想いからの問いかけだ。
 ピアルリアがアキトのためにソラを止めたとき、本当にうらやましそうな顔をしていた。アキトを殺すという発言も何か理由があるのだろうと思わせるほどに真剣な表情は、ソラに邪念などないと教えてくれた。


 だからラストは知りたいのだ。知って、助けたいのだ。


 そんなラストの訴えにソラは戸惑うように瞳を瞬かせたのち、語りだす。


「――――昔、ある女の子がいました。その子はある使命を持っていました」


「ソラ?」


 唐突な語りにラストは疑問の声を上げるが、ソラは構わず話をつづける。


「その使命とは『その人』と共に在ることです。雨の日も、風の日も、ずっと一緒にいることです。そしてそれは空の妖精エア・スピリットにとって最も大切で、最も古い約束」


 ソラは厳かに言葉を放つ。ソラの声を除けば、ささやかな葉擦れの音だけが漂っていた。


「でもその子は禁を侵した。でも、それは今だから言えること。その子の過ちから察したこと」


 声が揺れる。拳も指先が白くなるほど握られ、この話がどれほどソラの心に負担をかけているか伝えてきた。
 思わず制止の声をかけようとしたけれど、ソラの声が素早く駆け抜ける。


「その子は、まだ何も知らない『その人』に約束を話しちゃった。悪気なんか一切なかった。けど、そのせいで――――『その人』は頭がおかしくなっちゃった」


 その事実が痛ましそうと言わんばかりに、ソラは眉根を寄せている。


 しかし、ラストとしては急に語られた知らない話で、正直頭がついて行ってない。悲しむべき話で、実際可哀そうと思っているけれどそれ以上の感情が浮かんでこなかった。


「ソラ、どういうこと。それが今何の関係がある?」


「わかんない? いま、ソラはソラの話をしてるんだよ」


「ソラの?」


 言葉を繰り返すようにソラに向けて問い返す。ソラは未だ理解の及ばないラストに向けて、はかなげな笑みを口に宿して、答えた。


「ソラの秘密の話だよ」

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