獣耳男子と恋人契約

花宵

【閑話】君の笑顔を取り戻すためなら(コハク編)

 僕はあるお願いをするため、さくらの通う聖蘭学園で保険医を務める叔父、橘健太郎の元に来ていた。


「ケンさん。僕、この学園に入りたいんです」


 僕の言葉を聞いてケンさんは、何かを考えるように煙草を一口吸ってゆっくりと白い息を吐き出した。


「コハク、お前さん人前で完璧にその耳と尻尾は隠せるのかい?」

「コントロールは大丈夫です。ただ、感情が激しく高ぶると自分では気づかない事が……」

「それ、大丈夫とは言わんだろ」


 やれやれといった感じでケンさんはため息をつく。

 煙草の嫌な臭いが鼻につくも、ここで諦めるわけにはいかない。


「日常生活では大丈夫です。ですが、さくらの事になるとちょっと自信がありません」

「もしバレる様な事があれば……傷つくのはお前なんだぞ」


 そう言ってケンさんは、煙草を灰皿にねじつけた。


「それでも構いません。僕はさくらの力になりたい……彼女の笑顔を取り戻したいんです」

「お前たち親子は言い出したら聞かないからな。分かった、何とかしてやる。その代わり条件がある」


 じっと眼鏡の奥の瞳を真摯に見つめると、ケンさんが折れた。

 昔から叔父は真っ直ぐな瞳に弱いと父が言っていた。

 母との仲を取り持ってもらうのに、何度も父がその眼差しをケンさんに向け続け、その度に協力してくれたようで、やる気なさそうな見た目とは裏腹に心根は熱い人なんだと教えてくれた。


「条件とは?」

「そのさくらちゃんにお前の正体を敢えてばらす。受け入れてもらえるならお前はそのまま学園に残れ。だが、もし拒絶されるならその時は……お前は向こうの世界に帰れ」

「……分かりました」


 深く頷いて了承の意を示したものの僕は内心、不安で一杯だった。


 まだコントロールが上手く出来なかった頃、人前で耳を出してしまった事がある。


『ひぃぃ……化物! こっちに来るな!』


 怯えた眼差しを向けられ、そう罵られて石を投げつけられた。

 確かに化けることが出来るから間違ってはいないけど、普通の人間みたいに生きたい僕としてはそれが無性に悲しかった。

 さくらにまであんな目で見られてしまったら、正直生きる希望を無くしそうだ。


 でもその時は……一つだけ、僕にはやらなければならない義務がある。

 さくらを独りにしたままで、僕は妖界には帰れない。もう一度、彼との縁を結び直してあげなければ……

 なんて、今はもしもの未来の想像で落ち込んでいる場合じゃない。


「ケンさんは、さくらに何があったのか知りませんか?」


 今、僕が知りたいのはさくらの事だ。

 少しでも情報を聞き出したくて、僕はケンさんに尋ねてみた。


「一応こう見えても保険医だからな。概要ぐらいなら知ってるぞ」

「教えてもらえませんか?」

「プライバシーに関わる事は教えられん」


 何か分かるかも知れないと喜んだのも束の間、僕の願いは気だるそうにその辺の雑誌で顔を扇ぐ叔父のその一言でズバッと切り捨てられる。

 暑いなら、エアコンつければいいのに……まだ六月だからと変な意地を張っているのか、ケンさんは頑なにスイッチを入れようとはしない。


「それに、俺が聞いたのは人伝えの情報で本人から直接聞いたわけじゃない。それが真実だと先入観持つと、大事なもんまで見失いかねないぞ」

「それは……」


 扇風機の電源ボタンを押し、流れてくる生ぬるい風に涼みながら正論を言ってくる叔父に、悔しいが僕は口をつぐむしかなかった。


「お前は何のためにここまで来たんだ? 彼女の抱えてるもんを知って、一緒に背負って解決してやりたいからだろ?」


 レンズ越しに感じる、ケンさんの試すような視線が僕に突き刺さる。


 僕はさくらに恩返しがしたくて、笑顔を取り戻して欲しくて、辛い目に遭っているならそれを解決してあげたいと思っている。

 そのためには、さくらが何を思っていてどうしたいのか、彼女の本当の気持ちをまず知る必要がある。

 最初に客観的な情報を鵜呑みにして先入観を持ってしまえば、彼女の気持ちに寄り添うのが難しくなってしまう。


 だからきっと、ケンさんは教えてくれなかったのだろう。

 僕はさくらの事情を何も知らない。

 だからこそ、彼女が今一人で背負っている苦しみを、変な先入観を持たない視点から寄り添ってあげることができる。


「さくらから、自分で話してもらえるように頑張ります」

「ま、頑張れよ。俺もサポートしてやるからさ」


 ニカッ笑うケンさんを見て、僕の出した答えは間違いじゃないと教えられた気がした。

 こうして僕は叔父の力を借りて、さくらの通う私立聖蘭学園に通うことになった。

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