2.5D/リアル世界の異世界リアル
第73話
73
セイウチのような長い双牙が、トゲトゲな首輪の直下に突き刺さる。
鈍い痛みを、確かに感じる。
だが俺はそれでも愕然と頭を垂れ続けていた。
(な、なにが起こってるんだ!? 俺は熾兎に殺されたはずじゃ……!?)
なぜか熾兎の中の、グロキモな怪物に変貌していた俺。
しかもそれだけではない。
特撮に登場する怪獣に匹敵するくらい、巨大化していたのだ。
そして眼下、大闘技場の観覧席では。
観客達が蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑っている―――。
(そりゃ誰でも逃げんだろ、こんなクソデカい怪物がリアルに現れたらッ!! けどなんでだ!? なんで俺はこうなったァ――!?)
心からの叫びは、しかし下界には吐き出されなかった。
まるで唇を縫われているかのように「ブフウウゥゥゥゥゥン!?」というキモい遠吠えになって轟いてしまうのだ。
(おい、おい、おいおいおいおいおい……!? ち、誓って俺の正体はこんなじゃないぞ!? い、いいいい意味わからんッ!!)
俺は混乱しすぎて暴れ出したい心地になった。
しかしこの怪物姿でそんなことをしたら大闘技場を破壊してしまう。そして大勢の罪なき人々を殺してしまうはずだ。
無論ここの観客達だけではない。
下手をしたらこの街の……いや、この国の人々を―――。
『被害者面はやめてください。君だって自覚はあるはずです。君は……国1つを滅ぼしかねない、非常に危険な異能力者であると』
(!! んなぁ!?)
い、いつの話だろう……?
トピアがそんなことを俺に言っていた……!
い、いやしかし……いやしかしだなッ!?
(ってか、そうだよ! この怪物は熾兎のだろう!? 俺の知らない憑々谷子童が、彼がッ! アイツを精神的に追い詰めて、狂わせてッ!! だからこの怪物は誕生したッ!! 最強の異能力者と自負する彼でも勝てないと悟ったほどの……怪物にッ!!)
やっぱこれ、どう考えてもおかしいよな!?
決して憑々谷子童の正体は、こんなグロキモな怪物じゃねえんだってのッ……!!
「……はぁ。なんて皮肉。なんて皮肉なのよ……」
「!! ブ、ブフウウゥゥゥゥゥン!?」
下ばかり見てたから気づかなかった!
熾兎がこの怪物の肩に座ってぼんやりと風景眺めていた!
ってか、なぜお前はそんなところで落ち着いているんだよ!?
「いやぁー、ビックリだわ。まさかこんなにあんた大きくなってただなんてね。差し詰め『無意識に発現した異能力は無意識に成長する』ってとこかしら? もうホント皮肉、これじゃボーナスステージで強くさせてあげた、このあたしこそが諸悪の根源じゃん」
「ブフウウゥゥゥゥゥン!?」
「あーうるさいうるさい、あたしの声聞こえてるんでしょ。黙りなさいよ。観客達が絶賛避難中だからあんたにネタ晴らしする時間あるし……《《あんたがこの怪物になった理由》》、気になるんでしょ?」
訳知り顔の熾兎は俺に話すつもりでいたらしい。
俺が記憶喪失のせいで事情を知らないと把握できているからだろう。
もちろん俺は知りたかった。
これ以上遠吠えしなくて済むんだったら、俺だって静かにしたい。
ここは努めて冷静に、彼女に従う他ない。
「…………。へぇ? タワシのくせにやるじゃん。けど、いつこの怪物が暴走するかわからないからね。そもそもこれはあんたの意志に左右されない異能力のはずだし」
え? この怪物は異能力……?
しかも俺の異能力だと……?
疑問ばかりが増えていく俺に、いよいよ熾兎は語り始めた。
「……実はこの怪物、あんたが生まれて初めて発現した異能力なのよ。その昔強盗目的の異能力者に殺されかけた時に、あんたの中の生存本能が産み出したのがこの異能力でこの怪物。つまりあんたの『殺されたくない』っていう気持ちに、生存本能が応えたってわけ」
! じゃ、じゃあやっぱり俺の異能力で合っているのか?
だから俺は今この巨大な怪物になったというのか?
俺の生存本能によって、無意識の内に……?
「……あんたはこの怪物に化けて復活し、強盗達に致命傷を負わせた。もちろん相手は全員、大人の異能力者。だけど暴走状態のこの怪物は強かったわ。当時は今のあたしよりずっとチビだったけど……その時点ですでに最強と言えたの」
すでに最強……?
ということは憑々谷子童は……彼は……オニイチャンだけのエクストラボーナスステージで特訓を始める前から、最強の異能力者、だったのか……???
「だけど……ね。あんたの生存本能が引き起こしたこの奇跡のせいで、あんた自身はただならない恐怖を覚えてしまったのよ。あまりに最強すぎる自分に……ううん、この怪物に対しての恐怖」
…………は? 彼が恐怖を覚えてしまった?
この異能力……この怪物に対して?
「そんであんたは『殺されたくない』って酷く思うようになった。暴走して必要以上に人を傷つけしまうことをなによりも恐れた。だからこそ……殺されかけてこの異能力がまた発効してしまうことのないよう、本当の意味で最強の異能力者を目指したのよ」
「ブ!? ブフウウゥゥゥゥゥン!?」
ま、まさか!? 俺はとんだ勘違いをしていたのか!?
彼が最強の異能力者を目指したのは、純粋に殺されたくない、死にたくないから、ではなく……ッ!!
実はその先ッ、
この最強の怪物に変身したくなかったからだったのかッ(衝撃)!?
「あとは想像がつくでしょ。あたしが発現できたボーナスステージであんたは急成長。自称最強の異能力者になった。だけど更なる高みを目指してしまい、結果あんたはあたしを狂わせた。あたしは『お兄ちゃんはモンスターじゃない』って必死に堪えてたのに……あたしはこの怪物を真の最強と認め、サタンを最強の座から降ろしてしまった。そう、あたしはあたしと等身大のこの怪物に……変身、してしまったのよ」
……な、なら!? この怪物が熾兎のオリジナルではないのは言わずもがな!
彼が『勝てない』と判断してすぐに逃げたのは、彼自身がまだこの怪物に勝てないと予想できていたから!?
予想できていながら彼女に『なんならこの俺を想像させてやろうか!?』なんて挑発したと!?
つまりそういうことなのか……!?
「あたしはね? 自分の中の怪物にさえ打ち克ちたいって努力するあんたを、心の底から応援してたのよ。ずっと特訓に付き合ってあげたのはそれが理由。ボーナスステージを発現してあげたのもそれが理由。他意はない。あたしの全部があんたのためだった―――」
熾兎が立ち上がる。
漆黒の大鎌を振るい、吸盤だらけの触手を一本、切断した。
「―――あんたはこの学園に入って、あたしが変身したこの怪物にひよって、自堕落な生活を送るようになった。癒美さんとなんかコソコソやってるのも知ってたけど、とにかくあたしは気に留めないようにしてた。だってあたしの心は昔も今も変わってない―――!」
熾兎が俺の瞳を射抜く。きっと深海魚のような小粒な瞳を。
そして覚悟を決めた表情で、
「―――お兄ちゃん! あたしは1秒でも早くあんたをこの怪物から解放してあげたいの! たとえあんたが諦めても、あたしは絶対に諦めない! あたしが強くなって、この怪物を倒しさえすればッ! それでなにもかもスッキリ解決するはずなんだからッ!!」
え、えええええええ!? な、なんなんですかこの大どんでん返しは!?
元は俺が熾兎の中の怪物を倒すはずだったのに、蓋を開けてみればまさかのまさかで彼女が俺の中の怪物を倒そうと張り切っている―――ッ(逆転)!?
「ブ、ブフウウウウウウゥゥゥゥゥン!?」
熾兎の殺気に俺の生存本能が反応したのだろう。
吸盤だらけの触手が彼女の体に殺到する。
彼女は大鎌で斬り切れずに体中を拘束されてしまい、俺の……怪物の眼前に、その痴態を晒した。
「……はっ、お兄ちゃんってば怪物になってもド変態ね?」
熾兎は体中を舐め回されながらも強気だった。
「このまま犯そうって魂胆なの? あたし一応、妹なんだけど? もうシスコンとかそういうレベルじゃ済まないけど?」
ち、ちちち違う! 勝手に動いているのだ!
著者に操られるのと同じように、俺の意志に反して!
俺にはなにもできないんだよッ!!
「ブフウウウウウウウン!?」
「よくよく聞いたら遠吠えも変態っぽいわね……って、息クサッ! うげぇー!!」
熾兎が心底不快そうに顔を歪めた。
と次の瞬間、彼女の体中を拘束していた触手が先端からパリパリパリと音を立て、まるで鉱石のように角張りながら結晶化していく!
「どう? 侵蝕系の異能力よ! まずはこれで変態プレイ封じッ!」
次々に結晶化されていく触手の上を熾兎がひた走る。邪魔な触手は大鎌で斬り落とし、足場がなくなると別の結晶化された触手に飛び移る。
そうして怪物の長大な双牙に向かって跳躍すると、
「炎月斬りッ!!」
突如、大鎌の刃部分が業火を纏って膨張する!
熾兎の渾身の一閃が、怪物の双牙を両断した!
だがその直後、
「ムム、ブフウウウウウウウン!?」
「!! ぐぅ!?」
怪物の左腕が、滞空中の熾兎に振り落とされた! 元の大きさに戻った大鎌で受け止めようとした彼女は、圧倒的な力の差の前に完全敗北! 彼女の体が大鎌ごとさっくり真っ二つになったのだ!!
「……ふふ♪ 可愛い妹が死んだと思った? 残念! 身代わりちゃんでした!!」
え、またいつの間に!?
真っ二つに裂けたはずの熾兎が、無傷で怪物の肩に立っている!?
「炎月斬りッ!!」
妹つええええええええええええ!!
そして肩いてええええええええええええ(激痛)!!
カマキリのカマが怪物の肩口から切断され、闘技グラウンドに落下していく!
ズゴオオオォォォン!! と、双牙に後続して大地を激しく鳴動させた!
「うん、つくづく皮肉ね? あたしがボーナスステージを発現しなければ、あんたのこの怪物はこれだけ大きく成長しなかった。これだけ気絶しないでいられるのも、たぶん発効コストが下がりまくったせい。……やっぱあたしのせいだ、お兄ちゃんが望まない方向に最強になったのは、このあたしのせい……‼」
その時、首輪のトゲトゲが熾兎の体目がけて射出される。
彼女は意表を突かれたのか「ぐぅっ!?」と緊急回避の末に足を滑らせてしまった。
死は免れないだろう高さから転落していく彼女。
だがそんな彼女の危機に救いの手を差し伸べたのは、
「―――大丈夫ですか!?」
夢から醒めた戦乙女を発効したトピアだった。大きな翼を神々しくはためかせ、無事に熾兎を結晶化した触手の上に着陸させた。
「憑々谷君! 元の人間の姿に戻ってください!」
怪物の否定。恐らく戦乙女のそれを実行しているのだろう。
だが怪物の否定は困難必至なようで、トピアの眉は険しくなるばかりだった。
「ぐっ! だ、ダメです、この怪物を否定できません! どうすれば……」
「退がれトピア。わたしがやる」
大和先生だ。
矛盾喰らいの護神龍に跨ってこんな高所まで飛来している(唖然)。
「ふん。否定ができないのなら気絶させるしかあるまい。異能力者の墓場……発効!」
怪物のすぐ頭上に冥府に呑み込まれたかのような墓地が展開された。
だが……!
「…………………………………………。な、なんだと? き、効かない? う、ううう嘘だっ、コストが300倍になったはずだぞ!?」
大和先生が驚倒の形相で怪物を見上げた。だがやはり一向になにも起こらない。
ちなみに俺にも意識が奪われていく感覚はなかった。
「ブゥ、ブゥフウウウゥゥゥウウウン!?」
「…………なっ」
怪物がカニの右腕を伸ばし、墓地を挟み掴んだ。
ぐいぐいと上下左右に動かし、墓地を取り払おうと試みている。
程なくして墓地は……バキリと。
板チョコのようにあっさりと折れた。
「! ば、バカな! わたしの異能力者の墓場が……破壊されただと!?」
「ブフフ、ブウフゥゥゥン!?」
「!? うおッ!?」
怪物が三前趾足を持ち上げたかと思うと、その細長の脚で器用にドラゴンの顔を蹴り飛ばした。
なお搭乗者である大和先生は「憑々谷ァァァ! 愛してるぞォォォォォォ!!」と絶叫しながら観客席の彼方へと消えていった(完)!
「……せ、先生!」
トピアは大和先生の戦線離脱に狼狽えつつも大型銃で光の塊を産み出す。
ビームの大群が怪物の頭部―――クラゲの傘みたいな透明の帽子に向かっていく。
だが……!
「!? そ、そんな!? ビームが……滑った!?」
俺には視認できないが、どうやら帽子はツルツル度が異常だったらしい。
ビームが滑るというトンデモ光景にトピアは身を凍らせていた。
「ま、マズいです。観客の避難は完了している頃ですが……。これ以上この怪物を闘技グラウンドに留まらせておくのは…………きゃあ!?」
怪物が反撃とばかりに黒ずんだ髭(苔)でトピアを乱れ撃ちした。
その1本1本が凶器となって降雹のように彼女を襲ったのだ。
「つ、憑々谷君……どうか戻ってくださ……」
大型銃に備わった防護盾で己を護るのに精一杯だったトピア。
光の塊は苔に穿たれて全消失し、戦乙女の翼もまた蜂の巣のように穴だらけとなっていた。
彼女が憔悴しきった声音で大闘技場の底へと落ちていく……(泣)。
「ブブブフゥ、ブブフゥゥゥゥ!? ブフフフフフフゥゥゥゥゥフン!?」
怪物が甲高い咆哮をする。
俺も叫びたくてたまらなかった。
(あークソ、クソがアッ!! どうすれば俺は元の体に戻れるんだよ!? あの2人ですら全く歯が立たなかったんだぞ!? ならもう絶体絶命じゃないか!! 俺はこのグロキモな怪物になったまま、この国を、この世界をッ!! ガチのガチで滅ぼしてしまうのかよッ!?)
「……ったく、勝ちましたとばかりに吠えちゃって。あたしの存在、忘れてるんじゃないの?」
「!! ブフン!?」
「ま、大和先生とトピア先輩には後でお礼を言わなきゃね。おかげでこの怪物を仕留める準備が整ったんだし」
そこで怪物の眼球が熾兎の姿をとらえる。下だ。
触手だらけだった怪物の腹部を前にして、彼女はこちらを見返していた。
「ブフン!? ブフン!? ブフフゥゥン!?」
「日本語に翻訳するわね。『あれ、ボクちん自慢の触手が動かない。妹ちゃんもっとペロペロしたいのに』……ってところかしら」
言うまでもなく熾兎の誤訳だ。
だがしかし怪物の触手が動かないのは事実だった。
結晶化がだいぶ進行しており、ほぼ全ての触手が機能不全に陥っていた。
「……触手がこの腹にばっかり纏わりついてたのは、たぶんこの中に大切な『なにか』があるからでしょうよ。だったらそれを叩けばいい。……叩いて終いよ」
そう言い終えて熾兎は右の掌を胸の前でかざした。
途端、彼女の右肩から先が黄金に光り出す。光が徐々に大きくなっていき、彼女の右肩から先も大きくなっていった。…………ファッ!?
「―――名付けて。オニイチャンだけの目覚ましイモウト、カッコ一生に一度きりっ!!」
大仏像もかくやと思われる極大の右手が、熾兎の不吉な笑みと共にゆっくりと後方に引かれていく。
それはまさに掌底を放たんとする動作だったが、
後方に引かれていく最中で右手の角度が変わり……貫手になった!
「!! ブブフフウウウウウゥゥゥゥゥ!?」
俺はもちろん、俺の生存本能も、このグロキモな怪物も『それはヤバい!!』と確信した!!
熾兎を止めるべくカニのハサミを緊急出動させるが、もう手遅れだった!!
「ねぇねぇ、お兄ちゃん?……さっさと目ェ覚ませやゴラアアアアアアアアアア!!」
「ヴッブゥヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ―――――!?」
熾兎の極大の貫手が怪物の腹部に突き刺さるッ!! というか突き抜けていくッ!!
俺はもちろん、俺の生存本能も、このグロキモな怪物も『あ、これ死んだ』と確信したッ!! 死の痛みなど感じる余裕もなく、背後の観覧席にズドゴオオオオオオオオオン!! と大轟音を世界に轟かせ、ぶっ倒れた(即死)!!
(…………はは。つまりなんだよ? 妹が兄を追い抜いて最強の異能力者になりましたって、オチかよ……)
俺は現実での意識が途絶えた。今度こそ死んだのだと悟った。
だがむしろ悪くないと俺は思った。彼女がこの怪物に化けた俺を殺すことで、無事世界を救ってみせたのだから……。
あぁ、そうだ。こんなオチで死ねるならいっそ本望だ。
俺の憧れるラノベ主人公は人殺しなんて望まない。
ましてラノベ主人公みたいなリア充になりたかっただけの俺なのだから、俺自身も人殺しなんて全く望まない。
だからこれでいい。これでいいのだ……。
(……けど、読者的にはどうなんだろうな、こんなラノベ主人公の終わり方は? まぁ死んだんだし気にしなくてもいいか。それより天国に行けるのか心配だなぁ……地獄だったら俺、可哀想すぎんだろ……。……って、んん???)
丁度その時、俺の消えかけた心がどこからか温かみを感じ取った。
確かなそれは否応なく俺の心を叩き起こし、失ったはずの体を隅々まで覚醒させていく……!
「…………。え? こ、これは……!?」
目を開けると、そこには黄金に輝く極大の貫手が。
丁度俺の体はその中指と薬指に挟み込まれるようにして束縛されていた。
「え、えっと……とりあえず俺、生きてる……のか?」
俺は呆けたように呟いた。
……もしかすると、この右手から感じ取れる温かさが、俺を現実に呼び戻してくれたのだろうか……?
「ちっ! なんてラッキーなヤツなの。指の隙間、ちゃんと閉じておくべきだったわ!」
「し、熾兎……うおぉ!?」
視界前方に熾兎の存在が認められた途端、彼女の極大の右手が萎んでいく。光を失っていく。
俺の体は引き寄せられるように彼女のすぐ目の前へ。しかし荒れ果てた闘技グラウンドに俺が降り立った、まさにその直後。
「……んなっ!? ちょ、なんであんた全裸なのよおおおおおォォォ!?」
「ぐべへッ!?」
顔を真っ赤にした熾兎に殴り倒される!
すかさず彼女の制服の上着が飛んできた!
「さ、最低! もう信じらんない!」
ブラウス姿の熾兎はそっぽを向き、
「せっかくあんたの中の怪物倒して、一緒にあんた殺せたつもりでいたのにッ! こんなの悪夢よッ!!」
酷い言われようだった。
俺を怪物から助けると見せかけて殺す気満々なのが超泣けそうだった。
「―――憑々谷君ッ」
と、涙目になりかけた俺を呼ぶのは戦乙女モードのトピアだ。
ボロボロになりながらも戦場を駆けるその姿はまさに白鳥……ではなく天使だ!
きっと天使が慰めてくれるのだと期待して俺は彼女の到着を待ち受けたが、
「異能警察の人間を代表して、殴らせてください!」
「えぐぼッ!?」
顔を真っ赤にしたトピアに殴り倒される!
すかさず彼女の怒号が飛んできた!
「君にも事情があるのは充分わかっています! ですがここまでの甚大な被害を出したのは許されることではありません! 今の一発をどうか受け入れてくださいッ!」
だいぶ理不尽な気はしたものの、俺は泣き出したいのをグッと堪えた。
そうして彼女達に涙目を上げた時、こちらに向かってくる1匹のドラゴンを発見!
「憑々谷ァァァ! 愛してるぞォォォォォォ!!」
なんかもう泣いた!
さっきと同じ台詞を叫んで観客席から戻ってくる大和先生に!
ぶっちゃけ戻ってきて欲しくなかった!
「憑々谷! お前っ、ちゃんと生きてるんだよな!? 確かめさせてくれ!!」
「うぶごェ!?」
顔を真っ赤にした大和先生に殴り倒される!
すかさず彼女の恍惚とした表情が俺の目に飛び込んできた!
「あぁ、この感触ッ! その絶望しきった顔ッ!! やはりお前は最高の男だ!……う、産まれる!?」
急に腹を抱えて蹲る大和先生。無論俺は頓着しない!
本当に産まれたなら俺はその瞬間舌を噛み千切って死ぬ自信があるからだ!
「憑々谷くーん!」「おーい憑々谷ぁー!」
俺は屍となった怪物の巨体のすぐ脇、闘技グラウンドの入場口に振り向く。
そこにはこちらに走り出しているところの癒美と樋口の姿があった。
意外や意外、癒美のほうが樋口より断然足が速いようだ。
完全に樋口が引き離されている。これは恥ずかしい。
しかも癒美は辞書抱えていて大きなハンデだった。
「…………って、なぜにこんな状況でも辞書……?」
「憑々谷君、怪我治すよ! けどその前に……えいやっ!」
「なンぶル!?」
顔を真っ赤にした癒美に辞書で殴り倒される!
すかさず彼女の不平不満が飛んできた!
「酷い、酷すぎるよ憑々谷君っ! あんな怪物、わたし知らない! どうして今まで本当のことを教えてくれなかったの!? わたし、憑々谷君の幼馴染なのにっ、ねえどうして!?」
恐らくそれは癒美に余計な心配をかけたくなかったから―――なのだろうが、彼女にとっては除け者にされた感覚なのだろう。
俺は彼女に同情し、「す、すまん……」と返すしかなかった。
「はぁ、はぁ、つ、憑々谷ぁー!」
「……っ!?」
や、やばい! 鈍足の樋口がついにやって来やがった!
この流れ、絶対に俺を殴り倒すんだろ! ああそうなんだろ!?
俺だってバカじゃない、次はびしっとガードしてやる!
さすがに男のグーは痛すぎるし!
「つ、憑々谷ッ、俺ッ! 俺ッ!! お前が無事でいてくれてすげえ嬉しい……ッ!!」
「は!? はいいいいいいいいいい!?」
なぜか顔を真っ赤にした樋口に抱きつかれる!
……あれ、おかしいな!? コイツには殴られるより抱きつかれるほうが嫌なはずだ! なのに俺も死ぬほど嬉しいだと!? なにこれふっしぎ――!!
「ふふ、ふふふふふふふふ……。……憑々谷子童?」
「!?」
樋口との熱い抱擁を終えたまさにその時。
倒れ込んだままの俺の背後から、不気味な声がかかってきた。
……だ、誰もいないのに近くで声がする……ってことは!?
「き、奇姫か!? お前、透明になってんのか!?」
「ええそうよ。この時を待ってたのよ。大トリを務めたかったからねぇ……?」
「んなっ!?」
突如俺の頭頂部に影が差した! そして俺が振り仰げば……そこには頭の上で手を組み今にも振り下ろそうとしている奇姫の姿がッ!?
「ねぇ、憑々谷子童? 約束、覚えてるわよねぇ?」
奇姫は暗い笑みで俺を見下ろし、
「……あんたが武闘大会で優勝するっての。……そこんとこ、どうなったわけ?」
「え!? いや、その!?」
「大至急、回答を求めるわ。だってそうでしょう? あたしが予想ゲームで賭けてた100万円が水の泡になるか、1000万円分の学費が手に入るかなんだもの……。……んで? あんたは優勝できたの? できてないの?」
「……っう!?」
訊かずともわかり切っているその質問に、俺は心から震え上がった!
咄嗟に助けを求めてトピア達を見るが、彼女達は総じて苦笑するか知らんぷりのどちらかだった(絶望)!!
「まだ? まだなのかしら? 簡単な質問だったと思うのだけれど。なら、その回答だって簡単なはずでしょう……?」
「え、えっと!?」
奇姫の眼光がさらに鋭くなった!
俺は喉まで『できませんでした』の一言が出かかる!
だがしかしそんな回答ではこの局面をやり過ごせるはずがないわけで!
だから俺はつい、斜め下をいってしまったッ!!
「は、ははっ! トピアから聞いて知ってんぞ? お前、俺のことまだ好きなんだろ? 実はツンデレラなんだろ? じゃあ今こそ俺にデレる時だっ! ここで俺を殴るの我慢したらお前、俺からの好感度がそれはもう急上しょ」
「死にさらせええええええええええええええええええええええええええええ!!」
顔を真っ赤にした奇姫に殴り倒された。そこで俺の意識は限界を迎え、トピア達の笑声に包まれながら沈んでいった(了)。
セイウチのような長い双牙が、トゲトゲな首輪の直下に突き刺さる。
鈍い痛みを、確かに感じる。
だが俺はそれでも愕然と頭を垂れ続けていた。
(な、なにが起こってるんだ!? 俺は熾兎に殺されたはずじゃ……!?)
なぜか熾兎の中の、グロキモな怪物に変貌していた俺。
しかもそれだけではない。
特撮に登場する怪獣に匹敵するくらい、巨大化していたのだ。
そして眼下、大闘技場の観覧席では。
観客達が蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑っている―――。
(そりゃ誰でも逃げんだろ、こんなクソデカい怪物がリアルに現れたらッ!! けどなんでだ!? なんで俺はこうなったァ――!?)
心からの叫びは、しかし下界には吐き出されなかった。
まるで唇を縫われているかのように「ブフウウゥゥゥゥゥン!?」というキモい遠吠えになって轟いてしまうのだ。
(おい、おい、おいおいおいおいおい……!? ち、誓って俺の正体はこんなじゃないぞ!? い、いいいい意味わからんッ!!)
俺は混乱しすぎて暴れ出したい心地になった。
しかしこの怪物姿でそんなことをしたら大闘技場を破壊してしまう。そして大勢の罪なき人々を殺してしまうはずだ。
無論ここの観客達だけではない。
下手をしたらこの街の……いや、この国の人々を―――。
『被害者面はやめてください。君だって自覚はあるはずです。君は……国1つを滅ぼしかねない、非常に危険な異能力者であると』
(!! んなぁ!?)
い、いつの話だろう……?
トピアがそんなことを俺に言っていた……!
い、いやしかし……いやしかしだなッ!?
(ってか、そうだよ! この怪物は熾兎のだろう!? 俺の知らない憑々谷子童が、彼がッ! アイツを精神的に追い詰めて、狂わせてッ!! だからこの怪物は誕生したッ!! 最強の異能力者と自負する彼でも勝てないと悟ったほどの……怪物にッ!!)
やっぱこれ、どう考えてもおかしいよな!?
決して憑々谷子童の正体は、こんなグロキモな怪物じゃねえんだってのッ……!!
「……はぁ。なんて皮肉。なんて皮肉なのよ……」
「!! ブ、ブフウウゥゥゥゥゥン!?」
下ばかり見てたから気づかなかった!
熾兎がこの怪物の肩に座ってぼんやりと風景眺めていた!
ってか、なぜお前はそんなところで落ち着いているんだよ!?
「いやぁー、ビックリだわ。まさかこんなにあんた大きくなってただなんてね。差し詰め『無意識に発現した異能力は無意識に成長する』ってとこかしら? もうホント皮肉、これじゃボーナスステージで強くさせてあげた、このあたしこそが諸悪の根源じゃん」
「ブフウウゥゥゥゥゥン!?」
「あーうるさいうるさい、あたしの声聞こえてるんでしょ。黙りなさいよ。観客達が絶賛避難中だからあんたにネタ晴らしする時間あるし……《《あんたがこの怪物になった理由》》、気になるんでしょ?」
訳知り顔の熾兎は俺に話すつもりでいたらしい。
俺が記憶喪失のせいで事情を知らないと把握できているからだろう。
もちろん俺は知りたかった。
これ以上遠吠えしなくて済むんだったら、俺だって静かにしたい。
ここは努めて冷静に、彼女に従う他ない。
「…………。へぇ? タワシのくせにやるじゃん。けど、いつこの怪物が暴走するかわからないからね。そもそもこれはあんたの意志に左右されない異能力のはずだし」
え? この怪物は異能力……?
しかも俺の異能力だと……?
疑問ばかりが増えていく俺に、いよいよ熾兎は語り始めた。
「……実はこの怪物、あんたが生まれて初めて発現した異能力なのよ。その昔強盗目的の異能力者に殺されかけた時に、あんたの中の生存本能が産み出したのがこの異能力でこの怪物。つまりあんたの『殺されたくない』っていう気持ちに、生存本能が応えたってわけ」
! じゃ、じゃあやっぱり俺の異能力で合っているのか?
だから俺は今この巨大な怪物になったというのか?
俺の生存本能によって、無意識の内に……?
「……あんたはこの怪物に化けて復活し、強盗達に致命傷を負わせた。もちろん相手は全員、大人の異能力者。だけど暴走状態のこの怪物は強かったわ。当時は今のあたしよりずっとチビだったけど……その時点ですでに最強と言えたの」
すでに最強……?
ということは憑々谷子童は……彼は……オニイチャンだけのエクストラボーナスステージで特訓を始める前から、最強の異能力者、だったのか……???
「だけど……ね。あんたの生存本能が引き起こしたこの奇跡のせいで、あんた自身はただならない恐怖を覚えてしまったのよ。あまりに最強すぎる自分に……ううん、この怪物に対しての恐怖」
…………は? 彼が恐怖を覚えてしまった?
この異能力……この怪物に対して?
「そんであんたは『殺されたくない』って酷く思うようになった。暴走して必要以上に人を傷つけしまうことをなによりも恐れた。だからこそ……殺されかけてこの異能力がまた発効してしまうことのないよう、本当の意味で最強の異能力者を目指したのよ」
「ブ!? ブフウウゥゥゥゥゥン!?」
ま、まさか!? 俺はとんだ勘違いをしていたのか!?
彼が最強の異能力者を目指したのは、純粋に殺されたくない、死にたくないから、ではなく……ッ!!
実はその先ッ、
この最強の怪物に変身したくなかったからだったのかッ(衝撃)!?
「あとは想像がつくでしょ。あたしが発現できたボーナスステージであんたは急成長。自称最強の異能力者になった。だけど更なる高みを目指してしまい、結果あんたはあたしを狂わせた。あたしは『お兄ちゃんはモンスターじゃない』って必死に堪えてたのに……あたしはこの怪物を真の最強と認め、サタンを最強の座から降ろしてしまった。そう、あたしはあたしと等身大のこの怪物に……変身、してしまったのよ」
……な、なら!? この怪物が熾兎のオリジナルではないのは言わずもがな!
彼が『勝てない』と判断してすぐに逃げたのは、彼自身がまだこの怪物に勝てないと予想できていたから!?
予想できていながら彼女に『なんならこの俺を想像させてやろうか!?』なんて挑発したと!?
つまりそういうことなのか……!?
「あたしはね? 自分の中の怪物にさえ打ち克ちたいって努力するあんたを、心の底から応援してたのよ。ずっと特訓に付き合ってあげたのはそれが理由。ボーナスステージを発現してあげたのもそれが理由。他意はない。あたしの全部があんたのためだった―――」
熾兎が立ち上がる。
漆黒の大鎌を振るい、吸盤だらけの触手を一本、切断した。
「―――あんたはこの学園に入って、あたしが変身したこの怪物にひよって、自堕落な生活を送るようになった。癒美さんとなんかコソコソやってるのも知ってたけど、とにかくあたしは気に留めないようにしてた。だってあたしの心は昔も今も変わってない―――!」
熾兎が俺の瞳を射抜く。きっと深海魚のような小粒な瞳を。
そして覚悟を決めた表情で、
「―――お兄ちゃん! あたしは1秒でも早くあんたをこの怪物から解放してあげたいの! たとえあんたが諦めても、あたしは絶対に諦めない! あたしが強くなって、この怪物を倒しさえすればッ! それでなにもかもスッキリ解決するはずなんだからッ!!」
え、えええええええ!? な、なんなんですかこの大どんでん返しは!?
元は俺が熾兎の中の怪物を倒すはずだったのに、蓋を開けてみればまさかのまさかで彼女が俺の中の怪物を倒そうと張り切っている―――ッ(逆転)!?
「ブ、ブフウウウウウウゥゥゥゥゥン!?」
熾兎の殺気に俺の生存本能が反応したのだろう。
吸盤だらけの触手が彼女の体に殺到する。
彼女は大鎌で斬り切れずに体中を拘束されてしまい、俺の……怪物の眼前に、その痴態を晒した。
「……はっ、お兄ちゃんってば怪物になってもド変態ね?」
熾兎は体中を舐め回されながらも強気だった。
「このまま犯そうって魂胆なの? あたし一応、妹なんだけど? もうシスコンとかそういうレベルじゃ済まないけど?」
ち、ちちち違う! 勝手に動いているのだ!
著者に操られるのと同じように、俺の意志に反して!
俺にはなにもできないんだよッ!!
「ブフウウウウウウウン!?」
「よくよく聞いたら遠吠えも変態っぽいわね……って、息クサッ! うげぇー!!」
熾兎が心底不快そうに顔を歪めた。
と次の瞬間、彼女の体中を拘束していた触手が先端からパリパリパリと音を立て、まるで鉱石のように角張りながら結晶化していく!
「どう? 侵蝕系の異能力よ! まずはこれで変態プレイ封じッ!」
次々に結晶化されていく触手の上を熾兎がひた走る。邪魔な触手は大鎌で斬り落とし、足場がなくなると別の結晶化された触手に飛び移る。
そうして怪物の長大な双牙に向かって跳躍すると、
「炎月斬りッ!!」
突如、大鎌の刃部分が業火を纏って膨張する!
熾兎の渾身の一閃が、怪物の双牙を両断した!
だがその直後、
「ムム、ブフウウウウウウウン!?」
「!! ぐぅ!?」
怪物の左腕が、滞空中の熾兎に振り落とされた! 元の大きさに戻った大鎌で受け止めようとした彼女は、圧倒的な力の差の前に完全敗北! 彼女の体が大鎌ごとさっくり真っ二つになったのだ!!
「……ふふ♪ 可愛い妹が死んだと思った? 残念! 身代わりちゃんでした!!」
え、またいつの間に!?
真っ二つに裂けたはずの熾兎が、無傷で怪物の肩に立っている!?
「炎月斬りッ!!」
妹つええええええええええええ!!
そして肩いてええええええええええええ(激痛)!!
カマキリのカマが怪物の肩口から切断され、闘技グラウンドに落下していく!
ズゴオオオォォォン!! と、双牙に後続して大地を激しく鳴動させた!
「うん、つくづく皮肉ね? あたしがボーナスステージを発現しなければ、あんたのこの怪物はこれだけ大きく成長しなかった。これだけ気絶しないでいられるのも、たぶん発効コストが下がりまくったせい。……やっぱあたしのせいだ、お兄ちゃんが望まない方向に最強になったのは、このあたしのせい……‼」
その時、首輪のトゲトゲが熾兎の体目がけて射出される。
彼女は意表を突かれたのか「ぐぅっ!?」と緊急回避の末に足を滑らせてしまった。
死は免れないだろう高さから転落していく彼女。
だがそんな彼女の危機に救いの手を差し伸べたのは、
「―――大丈夫ですか!?」
夢から醒めた戦乙女を発効したトピアだった。大きな翼を神々しくはためかせ、無事に熾兎を結晶化した触手の上に着陸させた。
「憑々谷君! 元の人間の姿に戻ってください!」
怪物の否定。恐らく戦乙女のそれを実行しているのだろう。
だが怪物の否定は困難必至なようで、トピアの眉は険しくなるばかりだった。
「ぐっ! だ、ダメです、この怪物を否定できません! どうすれば……」
「退がれトピア。わたしがやる」
大和先生だ。
矛盾喰らいの護神龍に跨ってこんな高所まで飛来している(唖然)。
「ふん。否定ができないのなら気絶させるしかあるまい。異能力者の墓場……発効!」
怪物のすぐ頭上に冥府に呑み込まれたかのような墓地が展開された。
だが……!
「…………………………………………。な、なんだと? き、効かない? う、ううう嘘だっ、コストが300倍になったはずだぞ!?」
大和先生が驚倒の形相で怪物を見上げた。だがやはり一向になにも起こらない。
ちなみに俺にも意識が奪われていく感覚はなかった。
「ブゥ、ブゥフウウウゥゥゥウウウン!?」
「…………なっ」
怪物がカニの右腕を伸ばし、墓地を挟み掴んだ。
ぐいぐいと上下左右に動かし、墓地を取り払おうと試みている。
程なくして墓地は……バキリと。
板チョコのようにあっさりと折れた。
「! ば、バカな! わたしの異能力者の墓場が……破壊されただと!?」
「ブフフ、ブウフゥゥゥン!?」
「!? うおッ!?」
怪物が三前趾足を持ち上げたかと思うと、その細長の脚で器用にドラゴンの顔を蹴り飛ばした。
なお搭乗者である大和先生は「憑々谷ァァァ! 愛してるぞォォォォォォ!!」と絶叫しながら観客席の彼方へと消えていった(完)!
「……せ、先生!」
トピアは大和先生の戦線離脱に狼狽えつつも大型銃で光の塊を産み出す。
ビームの大群が怪物の頭部―――クラゲの傘みたいな透明の帽子に向かっていく。
だが……!
「!? そ、そんな!? ビームが……滑った!?」
俺には視認できないが、どうやら帽子はツルツル度が異常だったらしい。
ビームが滑るというトンデモ光景にトピアは身を凍らせていた。
「ま、マズいです。観客の避難は完了している頃ですが……。これ以上この怪物を闘技グラウンドに留まらせておくのは…………きゃあ!?」
怪物が反撃とばかりに黒ずんだ髭(苔)でトピアを乱れ撃ちした。
その1本1本が凶器となって降雹のように彼女を襲ったのだ。
「つ、憑々谷君……どうか戻ってくださ……」
大型銃に備わった防護盾で己を護るのに精一杯だったトピア。
光の塊は苔に穿たれて全消失し、戦乙女の翼もまた蜂の巣のように穴だらけとなっていた。
彼女が憔悴しきった声音で大闘技場の底へと落ちていく……(泣)。
「ブブブフゥ、ブブフゥゥゥゥ!? ブフフフフフフゥゥゥゥゥフン!?」
怪物が甲高い咆哮をする。
俺も叫びたくてたまらなかった。
(あークソ、クソがアッ!! どうすれば俺は元の体に戻れるんだよ!? あの2人ですら全く歯が立たなかったんだぞ!? ならもう絶体絶命じゃないか!! 俺はこのグロキモな怪物になったまま、この国を、この世界をッ!! ガチのガチで滅ぼしてしまうのかよッ!?)
「……ったく、勝ちましたとばかりに吠えちゃって。あたしの存在、忘れてるんじゃないの?」
「!! ブフン!?」
「ま、大和先生とトピア先輩には後でお礼を言わなきゃね。おかげでこの怪物を仕留める準備が整ったんだし」
そこで怪物の眼球が熾兎の姿をとらえる。下だ。
触手だらけだった怪物の腹部を前にして、彼女はこちらを見返していた。
「ブフン!? ブフン!? ブフフゥゥン!?」
「日本語に翻訳するわね。『あれ、ボクちん自慢の触手が動かない。妹ちゃんもっとペロペロしたいのに』……ってところかしら」
言うまでもなく熾兎の誤訳だ。
だがしかし怪物の触手が動かないのは事実だった。
結晶化がだいぶ進行しており、ほぼ全ての触手が機能不全に陥っていた。
「……触手がこの腹にばっかり纏わりついてたのは、たぶんこの中に大切な『なにか』があるからでしょうよ。だったらそれを叩けばいい。……叩いて終いよ」
そう言い終えて熾兎は右の掌を胸の前でかざした。
途端、彼女の右肩から先が黄金に光り出す。光が徐々に大きくなっていき、彼女の右肩から先も大きくなっていった。…………ファッ!?
「―――名付けて。オニイチャンだけの目覚ましイモウト、カッコ一生に一度きりっ!!」
大仏像もかくやと思われる極大の右手が、熾兎の不吉な笑みと共にゆっくりと後方に引かれていく。
それはまさに掌底を放たんとする動作だったが、
後方に引かれていく最中で右手の角度が変わり……貫手になった!
「!! ブブフフウウウウウゥゥゥゥゥ!?」
俺はもちろん、俺の生存本能も、このグロキモな怪物も『それはヤバい!!』と確信した!!
熾兎を止めるべくカニのハサミを緊急出動させるが、もう手遅れだった!!
「ねぇねぇ、お兄ちゃん?……さっさと目ェ覚ませやゴラアアアアアアアアアア!!」
「ヴッブゥヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ―――――!?」
熾兎の極大の貫手が怪物の腹部に突き刺さるッ!! というか突き抜けていくッ!!
俺はもちろん、俺の生存本能も、このグロキモな怪物も『あ、これ死んだ』と確信したッ!! 死の痛みなど感じる余裕もなく、背後の観覧席にズドゴオオオオオオオオオン!! と大轟音を世界に轟かせ、ぶっ倒れた(即死)!!
(…………はは。つまりなんだよ? 妹が兄を追い抜いて最強の異能力者になりましたって、オチかよ……)
俺は現実での意識が途絶えた。今度こそ死んだのだと悟った。
だがむしろ悪くないと俺は思った。彼女がこの怪物に化けた俺を殺すことで、無事世界を救ってみせたのだから……。
あぁ、そうだ。こんなオチで死ねるならいっそ本望だ。
俺の憧れるラノベ主人公は人殺しなんて望まない。
ましてラノベ主人公みたいなリア充になりたかっただけの俺なのだから、俺自身も人殺しなんて全く望まない。
だからこれでいい。これでいいのだ……。
(……けど、読者的にはどうなんだろうな、こんなラノベ主人公の終わり方は? まぁ死んだんだし気にしなくてもいいか。それより天国に行けるのか心配だなぁ……地獄だったら俺、可哀想すぎんだろ……。……って、んん???)
丁度その時、俺の消えかけた心がどこからか温かみを感じ取った。
確かなそれは否応なく俺の心を叩き起こし、失ったはずの体を隅々まで覚醒させていく……!
「…………。え? こ、これは……!?」
目を開けると、そこには黄金に輝く極大の貫手が。
丁度俺の体はその中指と薬指に挟み込まれるようにして束縛されていた。
「え、えっと……とりあえず俺、生きてる……のか?」
俺は呆けたように呟いた。
……もしかすると、この右手から感じ取れる温かさが、俺を現実に呼び戻してくれたのだろうか……?
「ちっ! なんてラッキーなヤツなの。指の隙間、ちゃんと閉じておくべきだったわ!」
「し、熾兎……うおぉ!?」
視界前方に熾兎の存在が認められた途端、彼女の極大の右手が萎んでいく。光を失っていく。
俺の体は引き寄せられるように彼女のすぐ目の前へ。しかし荒れ果てた闘技グラウンドに俺が降り立った、まさにその直後。
「……んなっ!? ちょ、なんであんた全裸なのよおおおおおォォォ!?」
「ぐべへッ!?」
顔を真っ赤にした熾兎に殴り倒される!
すかさず彼女の制服の上着が飛んできた!
「さ、最低! もう信じらんない!」
ブラウス姿の熾兎はそっぽを向き、
「せっかくあんたの中の怪物倒して、一緒にあんた殺せたつもりでいたのにッ! こんなの悪夢よッ!!」
酷い言われようだった。
俺を怪物から助けると見せかけて殺す気満々なのが超泣けそうだった。
「―――憑々谷君ッ」
と、涙目になりかけた俺を呼ぶのは戦乙女モードのトピアだ。
ボロボロになりながらも戦場を駆けるその姿はまさに白鳥……ではなく天使だ!
きっと天使が慰めてくれるのだと期待して俺は彼女の到着を待ち受けたが、
「異能警察の人間を代表して、殴らせてください!」
「えぐぼッ!?」
顔を真っ赤にしたトピアに殴り倒される!
すかさず彼女の怒号が飛んできた!
「君にも事情があるのは充分わかっています! ですがここまでの甚大な被害を出したのは許されることではありません! 今の一発をどうか受け入れてくださいッ!」
だいぶ理不尽な気はしたものの、俺は泣き出したいのをグッと堪えた。
そうして彼女達に涙目を上げた時、こちらに向かってくる1匹のドラゴンを発見!
「憑々谷ァァァ! 愛してるぞォォォォォォ!!」
なんかもう泣いた!
さっきと同じ台詞を叫んで観客席から戻ってくる大和先生に!
ぶっちゃけ戻ってきて欲しくなかった!
「憑々谷! お前っ、ちゃんと生きてるんだよな!? 確かめさせてくれ!!」
「うぶごェ!?」
顔を真っ赤にした大和先生に殴り倒される!
すかさず彼女の恍惚とした表情が俺の目に飛び込んできた!
「あぁ、この感触ッ! その絶望しきった顔ッ!! やはりお前は最高の男だ!……う、産まれる!?」
急に腹を抱えて蹲る大和先生。無論俺は頓着しない!
本当に産まれたなら俺はその瞬間舌を噛み千切って死ぬ自信があるからだ!
「憑々谷くーん!」「おーい憑々谷ぁー!」
俺は屍となった怪物の巨体のすぐ脇、闘技グラウンドの入場口に振り向く。
そこにはこちらに走り出しているところの癒美と樋口の姿があった。
意外や意外、癒美のほうが樋口より断然足が速いようだ。
完全に樋口が引き離されている。これは恥ずかしい。
しかも癒美は辞書抱えていて大きなハンデだった。
「…………って、なぜにこんな状況でも辞書……?」
「憑々谷君、怪我治すよ! けどその前に……えいやっ!」
「なンぶル!?」
顔を真っ赤にした癒美に辞書で殴り倒される!
すかさず彼女の不平不満が飛んできた!
「酷い、酷すぎるよ憑々谷君っ! あんな怪物、わたし知らない! どうして今まで本当のことを教えてくれなかったの!? わたし、憑々谷君の幼馴染なのにっ、ねえどうして!?」
恐らくそれは癒美に余計な心配をかけたくなかったから―――なのだろうが、彼女にとっては除け者にされた感覚なのだろう。
俺は彼女に同情し、「す、すまん……」と返すしかなかった。
「はぁ、はぁ、つ、憑々谷ぁー!」
「……っ!?」
や、やばい! 鈍足の樋口がついにやって来やがった!
この流れ、絶対に俺を殴り倒すんだろ! ああそうなんだろ!?
俺だってバカじゃない、次はびしっとガードしてやる!
さすがに男のグーは痛すぎるし!
「つ、憑々谷ッ、俺ッ! 俺ッ!! お前が無事でいてくれてすげえ嬉しい……ッ!!」
「は!? はいいいいいいいいいい!?」
なぜか顔を真っ赤にした樋口に抱きつかれる!
……あれ、おかしいな!? コイツには殴られるより抱きつかれるほうが嫌なはずだ! なのに俺も死ぬほど嬉しいだと!? なにこれふっしぎ――!!
「ふふ、ふふふふふふふふ……。……憑々谷子童?」
「!?」
樋口との熱い抱擁を終えたまさにその時。
倒れ込んだままの俺の背後から、不気味な声がかかってきた。
……だ、誰もいないのに近くで声がする……ってことは!?
「き、奇姫か!? お前、透明になってんのか!?」
「ええそうよ。この時を待ってたのよ。大トリを務めたかったからねぇ……?」
「んなっ!?」
突如俺の頭頂部に影が差した! そして俺が振り仰げば……そこには頭の上で手を組み今にも振り下ろそうとしている奇姫の姿がッ!?
「ねぇ、憑々谷子童? 約束、覚えてるわよねぇ?」
奇姫は暗い笑みで俺を見下ろし、
「……あんたが武闘大会で優勝するっての。……そこんとこ、どうなったわけ?」
「え!? いや、その!?」
「大至急、回答を求めるわ。だってそうでしょう? あたしが予想ゲームで賭けてた100万円が水の泡になるか、1000万円分の学費が手に入るかなんだもの……。……んで? あんたは優勝できたの? できてないの?」
「……っう!?」
訊かずともわかり切っているその質問に、俺は心から震え上がった!
咄嗟に助けを求めてトピア達を見るが、彼女達は総じて苦笑するか知らんぷりのどちらかだった(絶望)!!
「まだ? まだなのかしら? 簡単な質問だったと思うのだけれど。なら、その回答だって簡単なはずでしょう……?」
「え、えっと!?」
奇姫の眼光がさらに鋭くなった!
俺は喉まで『できませんでした』の一言が出かかる!
だがしかしそんな回答ではこの局面をやり過ごせるはずがないわけで!
だから俺はつい、斜め下をいってしまったッ!!
「は、ははっ! トピアから聞いて知ってんぞ? お前、俺のことまだ好きなんだろ? 実はツンデレラなんだろ? じゃあ今こそ俺にデレる時だっ! ここで俺を殴るの我慢したらお前、俺からの好感度がそれはもう急上しょ」
「死にさらせええええええええええええええええええええええええええええ!!」
顔を真っ赤にした奇姫に殴り倒された。そこで俺の意識は限界を迎え、トピア達の笑声に包まれながら沈んでいった(了)。
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